第37話:エピローグ
「悠斗の個展に招待してもらえて嬉しいわ」
一人の女性が小さな個展に展示された絵を見て回っている。
俺と綾香との奇跡から十余年が経過し、芸術系の大学を卒業した俺は、小さいながらも個展を開けるまでになっていた。
小さい頃の夢を時雨が、そして綾香が思い出させ、背中を押してくれた。
二人ともに俺は返しきれない恩を貰ったのだ。
「当然だろう。時雨は綾香と俺との間にあった出来事を疑わなかった。それどころか、綾香を失った俺を支えてくれたじゃないか」
「ふふふ、私は自分が正しいと思ったことをしただけよ。貴方のことが好きだったから……いいえ、今でも貴方のことが好きだから」
「……ごめん」
「別に責めているわけじゃないのよ? お父様には私が悠斗を好きだってことは伝えてあるし、それを許してくれた。もちろん、一悶着はあったけれど……。私は好きになったらその人のことしか見ないタイプだから、ね?」
流し目で微笑んでくる時雨は高校時代と比べても、さらに大人っぽくなった。
濡れ羽色のロングヘアを腰まで伸ばし、薄く化粧を施した彼女の雰囲気は、どこにいても見るものを魅了する。
「それでも……俺は綾香のことが一番好きだ」
「ええ、知っているわ。たとえ、この気持ちが永遠に実らないのだとしても、貴方が苦しくて苦しくてどうにもならなくなった時、支えてあげられるように、私はいつまでも貴方の良き友人であり続けるわ」
でもね、心変わりしても一向に構わないわよ、と冗談めかして口に出す。
時雨の中では、俺と一緒にいられるだけで幸せなのだ。
俺の中では、綾香が一番であることには変わらない。
それでもいい、と時雨は再度の告白を高校卒業に合わせてしてきた。
その言葉は――想いは、時雨のためにも断ち切ろうとしたのだが、聡い彼女に見抜かれ、親友としてこれからの関係も続けると決まった。
好きな人が隣にいるのに、決して手が届かないというのは一種の残酷に違いないはずなのに。
そうこうしているうちに、俺の個展の目玉展示まで足を進めていた。
「時雨、これが俺の生涯で描く作品の中で最初の傑作で、最後の傑作だ。これ以上の作品はきっと、二度と描けないと思う」
「……っ!」
隣に立つ時雨の清澄な両瞳から音もなく、涙が伝う。
雪のように白い頬を滑っていくその雫を、彼女は気に留めない。
口元に手を当て、視線は絵に注がれている。
「タイトルは『桜の綾が香るとき』」
もうそれ以上の言葉はいらないはずだ。
純粋に、想いの丈を余さず一枚の絵に落とし込んだ。
最後、綾香が満開の桜を背景に金色の帯に消えていくその場面だ。
忘れたくなかった綾香への、俺からのメッセージ。
――決して、忘れない。
手の中には桜の髪飾りを握りこんでいた。
♢♢♢
「悠斗の絵、私の言葉だと何を言っても安っぽくしか聞こえなくなる」
「それだけ、時雨が感動してくれたってことだろ?」
「ええ、それはもちろん。……あっと、いけない。お父様から呼ばれているのよ。今日はありがとう。また、近いうちに会いましょう」
「こっちこそ、ありがとな」
家のお勤めで多忙な時雨はわざわざ時間を繕ってまで見に来てくれたことに改めて感謝の念を覚える。
俺は一人の少女のことを思い浮かべる。
本当に、一時でもあの少女と共に生きることができたことを噛みしめながら。
茜色の日差しがビルのガラスに反射し、空になびく雲は緩やかに流れ、そして色を変えていく。
幼馴染のあの子は今頃どうしているだろうか。
きっと、いつまでも元気に見守ってくれているに違いない。
もしかしたら今の俺の様子を見て、楽しげに笑っているかもしれない。
あの時は画用紙だったけれど、今は真っ白で大きなキャンバスに色を載せていく。
夕刻のその一瞬を。
本来ありえない時間を切り取って。
繊細に、思いを込めて。
ふと、穏やかな時の中で俺は振り返る。
「――久しぶりだね」
♢♢♢
夕刻――とりわけ黄昏時はこちらの世界とあちらの世界が繋がるのだとか。
桜の綾が香るとき 冬城ひすい@現在毎日更新中 @tsukikage210
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