絶対に目的階に着かないエレベーター

kayako

30階は通過いたします



 いっけな~い。遅刻、遅刻。

 電車が到着した瞬間から私は一目散に、勤務先に向かって駆け出していた。

 時刻は既に8時45分を過ぎている。会社までは、全速力で走って最速でエレベーターを乗り継いでも10分はかかる。

 9時には着席して仕事を始めねばならないと毎度の如く言われているのに、勤務開始1カ月経っても私はこうして、毎日のように遅刻している。

 しがない派遣社員なのに、このままじゃ最初の更新時に契約終了を言い渡されてもおかしくない。


 幸い、会社の入っているビルまではほんの数分で到着した。

 かなりの高層ビルなので、他にも多くの会社が入っている。その為、エレベーターも十数台ある。

 私は行き交う人々と共に、駆け足でそのうちの一台に乗り込んだ――



 ふぅ。これで何とか、大目玉を喰らわずにすみそうだ。

 汗を拭きながらエレベーターの壁に凭れ、天井付近に表示された階数を眺めた。

 私の会社は30階にある。既にボタンは押されている為、途中で降りる人間がそれほど多くなければスムーズに到着するはずだ。

 しかしそこは大会社が多く入る高層ビル。どうしても何回か途中で止まっては、人が乗り降りする。そのたびに時間が刻一刻と過ぎるのもいつものこと。



 だが、最初の異変は約数十秒後に起こった。



 エレベーターが25階で停止した。

 すると、乗っていた人々が全員、どやどやと降りていく。

 今までこの階で、そこまで大量の人が降りたことはなかったのに、何故?

 戸惑う私をよそに、エレベーターの扉は一向に閉まる気配がない。

「閉」ボタンを押しても、扉が閉まらない。

 どうして。私は30階に行きたいのに――



 すると突然、ブブブと警告音が響いた。

 それと共に、天井付近に表示されていた階数が消え


《このエレベーターは25階までの折り返し運転となります。

 上階へお急ぎのかたは、別のエレベーターをご使用ください》


 なる、無機質な赤い文字列が並んでいた。


 ち、畜生! ししし知らなかった、25階終点のエレベーターかよ!?

 慌てて私はエレベーターを飛び出す。

 時刻は8時55分。間に合うかマジでギリギリ。

 両隣のエレベーターは……残念、どちらも離れた階を移動中ですぐには来そうにない。

 そもそも、ここに着くエレベーターは全部この階止まりの可能性さえある。

 25階から30階までなら、階段で行けないか。

 しかし階段を探そうにも、慣れないフロアに慣れない会社名がずらりと並び、非常に面食らってしまって容易に探せない。

 ただ、そのへんを急ぎ足で歩いていた人が数人いたので、それに倣って通路を歩いていくと――


 やがて別のエレベーターホールに突き当たった。

 そしてちょうど一台エレベーターが到着し、その扉が開いたところだった。

 良かった、これで何とか間に合う!!



 と、喜び勇んでそのエレベーターに乗ったはいいが。



「……?」

 乗った瞬間、違和感が襲う。

 このエレベーター、昇ってるんじゃなく……降りてる?

 慌てて階数表示を見る。刻々と変化していく階数表示の横には、無情な下矢印マークが点滅していた。

 や、ヤバイ! 目的地に近づくどころか離れちゃってるじゃん!

 私は慌てて最寄り階のボタンを押したが、反応がない。

 そのままエレベーターは無情にも10階まで一気に降りてしまい、そこでやっと止まった。



 降ろされた場所は、見たこともない入り組んだオフィスフロア。

 さっき降ろされた階もそうだが、このビル、何故か階ごとに様子が全然違う。

 上の階で通路だった場所が、すぐ下の階ではトイレになってるなんて当たり前。フロアの広さも間取りも、天井の高ささえも全然違う。

 階段の位置すらも階ごとに違っていたりするから、エレベーターが使えなくなっても容易に階段を見つけるのが難しい。工事中なのかセキュリティエリアなのか、通行禁止の場所も山ほどある。

 そしてろくな案内表示もないから、ほぼ勘を頼りに動くしかない――



 既にこの時点で、時刻は9時を回っていた。

 あぁ……今日もまた、私、遅刻か。



 大きくため息をつきながら、全く見知らぬエレベーターホールに放り出された私。

 仕方がない。こうなったら、少しでも早く目的階に着くことを優先しなければ――


 到着したばかりのエレベーターを何とか30階まで動かそうとボタンを押しても、一向に反応しない。

 スマホで会社に遅刻の連絡を入れながら、私はさっきと同じく、別のエレベーターを探し始めた――




 その後も、このビルのエレベーターは決して私を30階まで運んではくれなかった。

 もう一度25階までで止まってしまったり、

 そこから何故か45階まで直通で行ったと思ったら、一気に地下5階まで降りたり。

 そこからまた10階まで行ったと思ったら止まり、乗り換えたらまたまた30階を素通りして40階まで行っちゃったり。

 まるでピンポン玉のように、エレベーターで好き勝手にあっちこっち飛ばされる私。

 とにかく確実なのは、このビルのエレベーターは何が何でも、私を絶対30階に行かさないマシーンだったということだ。




 気づいた時には、時刻はとっくに10時を回っていた。

 この時点ではもう、私は――

 遅刻なんてどうでもいい。とにかく会社に着ければいい。30階に着ければいい。

 それだけを考えていた。



 肩でぜぇはぁ息をしながら、私は本日何度目になるか知れないエレベーターの乗り換えを試みた。

 眩暈がする。焦りで心臓がバクバク鳴っている。耳はずっとツーンとしたままだ。

 一体何だ、このエレベーター地獄は。何なんだ、この迷宮は。

 最早、今いるのが何階かも定かではない。でも、今度こそ――

 私は眼前に到着したエレベーターに、意を決して乗り込んだ。



 しかし、そんな微かな希望さえも、すぐに打ち砕かれた。

 何故かエレベーター内の照明がうっすらと暗くなり、天井付近が淡い青の照明で彩られ、細かな星のような光が空間に流れ始める。星空を模しているように。

 同時に、今までにないスピードでぎゅうんと加速をつけて上昇を開始するエレベーター。

 まずい。この速さはどう考えても、30階で止まらない。

 私はボタンを滅茶苦茶に押しまくったが、当然反応するはずもなく――



 エレベーターが無情に私を放り出したのは、なんと80階。

 このビルの最上階にあたる。

 普段はオフィスではなく、展望台に使われている場所だ。

 一緒に乗っていた乗客はどうやら展望台を訪れたカップルだったらしく、白い目で私を眺めながらそそくさとエレベーターを降りていく。



 精根尽き果ててしまった私は、気が付くと展望台の受付に尋ねていた。


「す……すみ、ません……

 30階に行けるエレベーター、どこですか……?」


 すると受付の人は私の様子に目をぱちくりさせつつも、教えてくれた。


「ここのエレベーターは、全て1階への直通となっておりますので……

 一度1階に戻って頂いてから、30階行きのエレベーターを探してみてください」


 あぁ。振り出しからやり直せってことか。

 ま……でも、それはそれで、いいか。

 確実に1階に戻れれば、そのまま家に帰れるんだし。

 もう、通勤中に気分が悪くなったということにして、今日は帰って休もう。

 気分が悪いのは嘘じゃないんだし。

 耳が痛くなりすぎて頭も痛い。膝も痛い。心臓がどうかなりそうだ。

 何より、得体の知れない何かが足元からじわじわ襲いかかってきて、気が狂いそうになる。

 それは恐怖だ。勿論、上司に怒鳴られるなどというしょうもないことへの恐怖じゃなく――



 ここから、出られなくなるかもという、恐怖。



 でも大丈夫。

 1階にたどり着ければ、家に帰れる。

 私はパニックに陥りかける心をそう励ましながら、再びエレベーターに乗った。



 乗客は私一人。

 見咎める人間はとりあえずいないので、呼吸を整えながら、私は動き出したエレベーターの床に座り込んだ。

 そして天井を見上げる。80階で乗った時はまだあの夜空を模した照明が天井を彩っていたが、降りるスピードが上がっていくうち、徐々に照明が元に戻っていく。

 気づくとブラウスもストッキングも、冷や汗で肌に張りついている。

 せっかくセットした髪もぐしゃぐしゃだ。

 それでも、これで――



 そう思った瞬間。



 ガゴン



 そんな轟音と共に、不意にエレベーターが大きく、横に揺れた。

 明るくなりかけていた照明が突然バチンと消え、白い火花が天井と壁の間に散っていく。

 びくりとして思わず階数表示を見上げると――


 どういうわけか、降下の速度が一気に速くなっていた。

 60、59、58……というレベルではなく、50、45、40と一瞬で……階数が減って……

 というか、エレベーター自体が大きく傾ぎ、ガゴンドゴンと横方向への衝撃を受けながら、どんどん……これは……



 これまさか、降下じゃなくて、落ち――



 ドガガガガガガガガガガアゴゴゴゴゴゴゴゴグシャガガガガガギギバチバチゴゴゴガゴンゴゴメリメリグチャッガガガガガガガガガガガガガガガガガガゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴベキベキバキバキ





 ***



 2100年、新宿駅。

 100年以上前から続けられ、一向に終わる兆しのなかったこの駅の改修工事は、遂に周辺の高層ビル街をも巻き込み、いつの頃からか駅を巨大な迷宮都市へと変貌させていた。

 だが、拡大に拡大を重ねた工事の全容を知る者は、この頃にはほぼ皆無となり。

 元より、ダンジョンと称されるほど煩雑極まりなかった駅構内の通路は、駅自体が高層ビル街と一つになったことでさらに複雑化。

 横方向だけでなく縦方向にも迷宮が拡大した為、当然エレベーターも強引に増設に増設を重ねられた。

 そして、無数に連なったエレベーターの運用・管理をまともに出来る者、そして全体構造を把握している者も皆無となった。

 建築基準法違反も当然大量にあったが、あまりに多すぎて国も実態を把握出来ないありさま。

 結果――


 駅構内、つまり元オフィスビル街だった場所のエレベーターで迷う者が続出。

 さらに、複雑に絡まりあったエレベーターは時折、管理システムがエラーを起こし、目的階とは違う階へ乗客を強制移動させてしまうことも日常茶飯事だった。


 しかし中でも最悪なのは、管理システムのエラーが重なった末、工事中の地下へエレベーターが落下する事故が多発したことであろう。

 未完了のまま長らく放置され、10年以上も『工事中』の看板が立ったままの地下空洞へ。


 この物語の主人公――益中真宵えきなか まよいも、その哀れな犠牲者の一人である。



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