笑顔をひとつ お持ち帰りで

oxygendes

第1話

 スマイルは商店街の一角にあるハンバーガーショップだ。俺のアパートから歩いてすぐのところなので、ここのところ休日の昼飯はここに通っている。しっかりと噛みごたえのあるパンと荒挽きの肉の感触が絶妙の組み合わせなのだ。

 

 その日も俺はスマイルに足を運んだ。昼時はいつも学生さんや親子連れでにぎわっているのだが、少し遅い時間帯だったのでそれほど混んではないだろうと踏んでいた。

 店の手前でおやっと思い、足を止める。数人の中学生が店の外にたむろしていたんだ。順番待ちで並んでいるのかと思ったが、そうではなかった。ガラス越しに中を覗き込んでいる。何を見ているんだろう、不思議に思いながら少年たちの横を抜けて店に入った。


 スマイルの中ではジャージ姿の中学生が注文カウンターでメニューを見つめていた。俺はその後ろに並ぶ。だが、目の前の中学生は挙動が怪しかった。ちらちらとカウンターの中の女子店員を見上げたり、肩越しに背後の様子を窺ったりして、妙におどおどしている。中学生はしばらくメニューをにらんでいたが、絞り出すようにして声をあげた。

「あの、メニューにある『笑顔』なんですけど……」

「はい」

 女子店員がにこやかに応える。年は二十歳かそこらくらい。いつもカウンターに立っているから、この店の娘さんなのだろう。後ろから眺めていて彼女の胸元のネームプレートに気付く。丸っぽい字で『純恋すみれ』と書いてあった。純恋さんという名前だったんだ。


「0円で間違いないですか?」

「ええ、そうですよ」


 そう、この店のメニューにはいろんなハンバーガーや飲み物に並んで、『笑顔 0円』と書いてあるんだ。大手チェーンのメニューにある『スマイル 0円』を真似したのだろう。


「注文は笑顔だけでもかまいませんか?」

「はい、ご遠慮なくご注文ください」

 純恋さんはよどみなく答える。すると、中学生は上ずった声で注文した。

「じゃあ、笑顔をひとつ下さい。『お持ち帰り』で」

「あら……」

 純恋さんは目を瞬(まばた)かせた。

「ちょっと待っててね」

 カウンターの後ろの厨房に引っ込む。グリルに向かっていた男性と何か話をして戻ってきた。

「お待たせしました。ご注文は、笑顔のお持ち帰りですね?」

「はいっ」

 中学生は上ずった声のまま答える。純恋さんは彼を見つめて微笑んだ。

「かしこまりました。当店を代表して父がお客様のお宅までご一緒させていただきます」

「え、えーっ」

 中学生の声が裏返る。

「おねえさんじゃないんですか?」

「私はカウンターの当番がありますので」

 愛想はいいが、絶対譲歩しないという意思のこもった口調だ。

「そんなっ……。だ、だったらいいです。いらないです」

「かしこまりました。他に何か……」

「いや、今日はいいです。さようならっ」

 中学生は身を翻し、店の外に駆け出して行った。

「ありがとうございました。またお願いします」


 おじきをし、上体を起こした純恋さんは、手の甲を口に当てて苦笑している。その視線は俺、ではなく俺の後ろに向けられていた。振り向くとガラス越しに店の外の中学生たちの姿が見えた。頭を掻いてきまり悪そうに笑うジャージの少年とその周りで大笑いしている数人の中学生。どうやら悪ガキ同士で企んだいたずらだったらしい。だが、中学生だけあって詰めが甘い。俺だったら当番と言われたくらいであきらめたりしないところだ。


「お待たせしました。ご注文はお決まりですか?」

 純恋さんが俺に声をかけてきた。紺と白のストライプの制服に白いエプロンという姿、まとっているのは香水ではなく、焼きたてのパン生地が放つふくよかな香りだ。

「うん、ダブルサイズのハンバーガーにホットコーヒーのラージサイズ、これはお店で食べます。それから…… 」

 俺は頭に浮かんだ悪ふざけを押さえることができなかった。

「笑顔をひとつ、『お持ち帰り』で。時間がかかってもいいから純恋さんでお願いします」


 すました顔をして彼女を見つめる。さてどんな反応が返ってくるか……。

 だが、純恋さんの表情にはみじんの動揺も無かった。

「かしこまりました。お召し上がりでダブルサイズハンバーガーにホットコーヒーのラージサイズ、そして笑顔をひとつお持ち帰りでですね」

「あ……、はい」

「笑顔のお持ち帰りは私をご指名で」

「う、うん」

「それではお召し上がりの間に準備しておきます。お帰りの際にお声をおかけください。ではハンバーガーとコーヒーのご清算をお願いします。六百五十円になります」

 事態が飲み込めないままお金を払う。てっきり断られると思っていたのに……。ハンバーガーを受け取ってテーブルに着いた後も、狐につままれたようだった。


 思い悩みながら食べるハンバーガーにいつもの味わいはなかった。歯ごたえだけはしっかりと感じられる。もぐもぐと咀嚼しながら考え続け、結論を出した。さっきの言葉は全てジョークだったのだろう。食べ終わったら声なんてかけずにさっさと帰ろう。


 ハンバーガーをたいらげたところでカウンターの純恋さんの方に目をやる。彼女は新たなお客さんの注文を聞いているところだった。こちらには何の注意も払ってないようだ。じゃあ帰ろう。彼女が見てないのは承知の上で小さく手を振り、席を立った。振り返らずに扉の前まで進む。扉を開けようとした時、背後からパンのふくよかな香りが押し寄せてきて俺を包んだ。

「それでは参りましょうか」

 すぐ後ろからの声に振り向くと、目の前に純恋さんの顔があった。

「参りましょうかってどこへ?」

「決まってますでしょ。お客さんのお家です」

 彼女はにっこりと微笑んだ。



 十五分後、俺と純恋さんはアパートの部屋の中にいた。散らかっていた雑誌やらスナック菓子の空袋やらを排除して作ったスペースに折りたたみ式のミニテーブルを広げ、純恋さんにはその前に座ってもらった。純恋さんはにこにこと微笑んでいるだけで特に何かをしようとする様子はない。ここまでの道中でも会話は弾まず沈黙が続いていた。いたたまれなくなった俺は立ち上がる。

「あの、コーヒーでも淹れましょうか?」

「はい。いただけたらうれしいです」


 純恋さんの言葉にほっとして流し台の前に向かう。電気ポットに水を入れてスイッチを入れ、コーヒーミルに豆を入れてがりがりとハンドルを回した。ドリッパーにフィルターをセットして挽いた豆を入れる。お湯がごぼごぼと沸騰してきたが、カルキを飛ばすためスイッチは入れたままにしておく。

 沸騰するお湯を見ながら、ふと思った。素人がいくら手間をかけてもプロの目から見たら間違いばかりなのじゃないかと。そっと純恋さんを見ると、彼女は穏やかな目でこちらを眺めていた。


 十分カルキが飛んだところで、お湯をコーヒー豆にかける。最初はくるりと一回り、三十秒ほど蒸らした後で、一定の速度で注いでいく。コーヒー豆が白い泡を立てて膨らんできて、いい香りが立ち昇ってきた。きっちり二杯分がはいったところでお湯を注ぐのを止めた。

 コーヒーポットからカップに注ぐ段になって困ってしまった。この部屋で誰かと一緒にコーヒーを飲む機会なんて無かったからコーヒーカップは一つしかない。酒盛りのためのグラスはたくさんあるけど、熱いコーヒーを注げるものではない。迷った末、陶製のビアマグを選んだ。シンプルな形状の備前焼だ。コーヒーカップとビアマグにコーヒーを注ぐ。


 コーヒーカップとビアマグを運んで行くと、純恋さんに不思議なものを見る目で見つめられた。わずか二つのカップで種類が違うのが意外なのだろう。俺はコーヒーカップを彼女の前、ビアマグを自分の前に置いて座り込んだ。

「どうぞ」

 純恋さんは二つのカップに視線を走らせていたが、小さく頷いてコーヒーカップを手に取った。

「いただきます」

 両手で包みこむようにコーヒーカップを持って一口啜る。

「おいしいです」

 彼女の言葉にほっとした。緊張していた気持ちがなごむ。


「あの、お名前をお聞きしていいですか?」

 純恋さんの言葉にちゃんと名前を名乗っていなかったことに気がつく。

「俺は斎藤、斎藤政樹と言います」

「斎藤さん、コーヒーありがとうございます。やっぱりコーヒーは淹れたてが一番おいしいし香りもいいですよね。うちもできるだけ、淹れたてをお出しするようにしているんですけど、どうしても何回分かをまとめて淹れることになってしまって」

「そうですか」

「ええ、父と母と私の三人でやっているので手が足りなくて」

「大変ですね」

「パンは朝一番で私が焼いているんです。営業中は私がカウンターに立って、父はハンバーガーの調理、母は飲み物とカウンターのお手伝い」

「俺はスマイルのパン好きですよ。しっかりと噛みごたえがあって」

「ありがとうございます」

 純恋さんが誇らしげな表情になった。

「ハンバーガーに合うようにいろいろ工夫してるんですよ。味わいを増すために全粒粉を混ぜたり、もちもち感を出すのに米粉を使ったり」

「確かにほかの店とは一味違いますよ」

「苦労もありますけど、自分が作ったものをお客さんがおいしそうに食べるのを見ていると幸せな気持ちになるんです」

 彼女の言葉に素直に共感する。さっき彼女が俺のいれたコーヒーをおいしいと言ってくれた時の気持ちと同じなのだろう。


「でも、さっきの中学生みたいな客もいるんでしょ?」

「ああ、あの子たち」

 純恋さんは破顔一笑した。

「時々いらっしゃるの。メニューを見て、笑顔を持ち帰りでって注文されるお客さんが。メニューの本当の意味は違うんだけど……。それでも、注文に備えていくつかのパターンを準備しているの」

「はい?」

「さっきの、父を引っ張り出しちゃうパターンとか、ほかにも」

 純恋さんは真顔になって両手を顔の両側に当てた。ちょうどムンクの絵のようだ。両手を大きく動かして顔をゆさゆさと左右に揺さぶる。六、七回揺さぶった後、動きを止め悲しそうな表情を浮かべた。

「ごめんなさい。やってみましたけど顔は外れませんでした。お持ち帰りはご容赦ください……なんてね」

「ぷっ」

 純恋さんの真剣な表情に思わず噴き出してしまった。


「やっと、笑っていただけましたね。それでは」

 純恋さんも笑顔を浮かべ、座ったまま姿勢を正した。

「確かに笑顔をお届けしました。ありがとうございました。料金は0円です」

彼女の言葉の意味を悟るのに数秒かかった。

「それじゃあ……」

「ええ、あのメニューの意味は店員が笑顔を浮かべるのでなく、お客さんに笑顔になってもらうという意味なんです」

「そうなんだ」


「それでは、笑顔をお届けできたので私はお店に帰ります。部活帰りの学生さんでそろそろお店が忙しくなる時間だし、何より父と母が心配しているといけないので」

「心配って……、そもそも今日みたいなことはよくあるんですか?」

「よくあるかと言われても……」

 純恋さんはいたずらを見つかった子供のような表情になった。

「準備しているパターンにはお店から外に出るものはないの。そもそも大人の方で笑顔を注文したのは斎藤さんが初めてだし。今日のは私の思いつき」


 純恋さんの話を聞けば聞くほど俺の困惑が大きくなるばかりだ。

「いったい、どうしてこんなことを?」

「なぜかしら、私にもよくわからないけど……。斎藤さんがお店に来た時はいつもハンバーガーをとってもおいしそうに食べていたからかも。今日はちょっと違ってましたけどね」

 彼女の言葉は理屈になっていないような気がしたが、そもそも人間の行動は理屈では説明しきれないものかもしれない。


「じゃあ失礼します。斎藤さん、コーヒーごちそうさまでした」

 部屋から出て行こうとする彼女の姿に、とっさに言葉が湧き出してきた。

「あの、純恋さん。お店まで送って行きましょうか」

 振り返った彼女が頬を染め、はにかんだ笑みを浮かべる。俺にとってそれはこれまでで最高の笑顔だった。

「はい、お願いします」


 帰り道は来た時と打って変わって多くの話をした。お薦めのコーヒー豆の種類やそれに合った煎り具合、新たなメニュー開発の中で起きたとんでもない出来事などなど。

 そしてスマイルに到着し、純恋さんが扉の中に消えてしまった時、胸がズキンと痛んだ。そう、俺は笑顔の持ち帰りを注文したことで、何かを彼女に持ち帰りされてしまったらしかった。


                 終わり

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