答えなんて、知りたくない

黒糖はるる

答えなんて、知りたくない


 教室の中。

 茶化ちゃかして騒ぐ生徒とそれをたしなめる担任教師。

 そんなありふれた青春の一ページ。


 私は教室の隅で授業内容をノートに書き写しながら、好きなアニメキャラをもうひとつのノートに描いている。

 他のクラスメイトは明るく楽しい青春を謳歌おうかしているというのに、私は陰で陰気な趣味に没頭している。色恋に花咲く女子高生、誰もが憧れる所謂いわゆるJKと呼ばれる輝かしい季節だというのに。既に一年半がたとうとしているけれども、華やかさの欠片かけらもない。


 仕方のないことだ。


 私には友達がいないし、だからといっていじめられているわけでもない。正真正銘みんなの陰にいる、目立たない一人の女子高生。あまりにも接点がなさ過ぎて、たまに自分はもう死んでいてそれに気付いていないだけのただの幽霊なのではないか、なんて妄想することもある。勿論もちろん、私は生きているしこうしてしょうもないことを考えていますけど。


 嗚呼ああ、このまま私は誰にも気付かれず枯れていくのだろうか。



 日差しがだいだい色に変わろうとしている頃。

 体力にはさっぱり自信がないのに、私は学校に向かって猛ダッシュで走っていた。


 教室に、自作のアニメキャラノートを忘れてしまった。

 当然のように帰宅部である私は、他の生徒に見られないようホームルーム終了と同時に荷物をまとめてさっさと帰路につく。しかし今日は焦りすぎてしまったのか、あろうことか最も見られたくない物を机の中に置きっぱなしにしてしまったのだ。

 私のバカ。

 もしアレが見つかってしまったら、明日から確実に笑いものにされる。十中八九いじめられる。透明人間みたいな学校生活が、生き地獄色に染まってしまう。

 それだけは、絶対嫌だ。




 と、いうのは杞憂きゆうで。

 結局のところ、ノートは無事回収出来た。

 冷静に考えたら私のことなんか誰も気にしていないし興味もない。わざわざ机の中をのぞこうとする人なんていない。もし見つかるとしたらそれは、偶然、たまたま机にぶつかってしまって中身がぶちまけられてしまった時くらいだ。そんなことが起きる可能性は一体何パーセントの確率なのだ、と問いただしたい。不安に駆られていた数分前の自分に小一時間問いただしたい。


 もういい、さっさと帰ろう。

 部活中の、住む世界が違う人達に見つかる前に。


 そう思って足早に教室から出た瞬間。


 どんっ。


「きゃあっ!?」


 私は大きな体の誰かに思い切りぶつかってしまい、盛大に廊下でずっこけた。

 その拍子に手の中にあった回収したノートが舞い上がる。しかも最悪なことにそのノートはルーズリーフで、リング部分が全開。つまり、将来黒歴史になるであろうそれらはまるで紙吹雪のように廊下ではらはらと舞い散ることになったのだ。


「ごめん、大丈夫!?」


 差し伸べられる大きな手。

 私にぶつかった男子生徒の手だ。


「あ、うん。だっ、大丈夫……です」


 久しぶりに男子に声を掛けられたせいで、うまくしゃべれない。どもっているし、耳まで真っ赤になっていることが体温の急激な上昇で分かる。


 えっと、確かこの人は……同じクラスの桐山達也きりやまたつや君だ。体が大きいせいでいつも教室の後ろが定位置になっている子。


「ごめんね、君の大切な物をこんなにしちゃって……」


 申し訳なさそうに桐山君はぶちまけられたルーズリーフを一枚一枚丁寧ていねいに拾ってくれている。


 ……ん?


「そ、それは……」


 見られた。

 私の知られたくない、趣味全開のお絵かき帳。イケメンキャラがきゃっきゃうふふの薔薇ボーイズラブが咲き乱れるイラスト集。

 絶対に、誰にもばれたくなかった闇黒絵画シークレットファイル


「……絵、上手なんだね」


 でも、桐山君は全然気にしていなくて。

 それどころか褒めてくれて。


「今度はぶつからないように、お互い気をつけようね」


 頭をぽんぽんとでて。

 爽やかに去って行った。



 桐山達也君。

 成績はそこそこ優秀。運動神経もそこそこ優秀。体が大きくて目立つけど、それ以外の点では特に目立たない、ごく一般的な男子高校生。

 所属しているグループは特になく、陽気全開な連中ともオタク趣味な連中とも分け隔てなく関わっている渡り鳥みたいな立ち位置。

 部活には入っておらず、私と同じ帰宅部。だけどよく学校に残っており、図書室が主な生息地。

 特別仲の良い友人がいるわけでもない、つかみどころのない男の子。


 他人に興味がなく深入りしない主義の私でも、これ程までによく分からないクラスメイトは彼だけだ。他の人達はまだ分類できるけど。




 で、そんな桐山君なのだけれども。

 現在、私の前――五十メートルくらい先を歩いている。


 これまた偶然なのだけれども、私が帰宅しようとした時に丁度ちょうど桐山君も校舎を出たのだ。しかも彼は私の存在に気付いていない模様。


 これはチャンスだと思った。

 先日私の秘密を知ってしまった桐山君。このままでは一方的に弱みを握られた状態、そんな状態では気の小さい、もとい陰に隠れて生きる私のような人間にとっては不安で夜も眠れない。

 なので彼のことを少しでも知って、せめて同等の立場になれるような情報を得たい。何なら生態がよく分からない彼について知っておきたい。

 そんな好奇心から、私は探偵のごとく尾行をしていたのだ。



 桐山君は電車やバスなどは利用せず、徒歩で帰り道を行く。

 徒歩ということはてっきり近所なのかと思っていたが、歩き始めてからかれこれ一時間。自転車でも使えばいいのに。

 周りの建物も段々とまばらになっていき、鬱蒼うっそうとした木々が増えていく。

 随分ずいぶん辺鄙へんぴな場所に住んでいるんだなぁ。

 そろそろ足が棒になりそうだと思った頃に、ようやく桐山君の自宅に辿り着いた。


 さびれたボロアパート。

 幽霊の一匹や二匹は出てきそうなくらいなたたずまいの、色んな意味で治安が悪そうな場所だった。

 そのアパートの一階、一○一号室に桐山君は入っていった。


「ただいまー」

「あ、おかえりお兄ちゃん」

「待ってたよー」

「おい、鍵は掛けとけって言っただろ?」

「ご、ごめんなさい」

「忘れちゃった……」

「最近物騒だからな。帰ったらすぐ鍵を掛ける、お兄ちゃんとの約束だぞ?」

「「はーい」」


 室内からは桐山君と二人の女の子の声。

 表札を見てみると、四名の名前が書いてあった。


 桐山 幸恵さちえ 

    達也

    りえ

    るみ


 幸恵が母親、りえとるみが妹たちの名前なのだろう。

 つまり桐山君は母子家庭の長男で、妹たちの面倒を見るために帰宅部なのだ。そして特定の友人を持たずに遊ばず勉強に打ち込んでいるのも、苦労して学費を捻出ねんしゅつしてくれている母親の期待に応えようとしているからなんだ。


 弱みを握ろう、なんて浅はかなことを考えていた自分が恥ずかしい。それに彼が必死に学業に取り組んでいる中、私は趣味の時間に使っているくせに青春を謳歌出来ていないなんて一人ふてくされていて……。


 あーっ、ホント私、バッカみたい。


 結局私は何もしないまま、一人自宅へと戻ることにした。

 


 あの日から、私はBLお絵かき帳を封印した。

 授業中はしっかり勉強に集中。今更どう足掻あがいても陽気なメンツの仲間入りなんて出来ないしする気もない。それならせめて、一生懸命学校生活を過ごせたと誇れるように、学生の本分くらいは成し遂げたい。


 そう思うようになった原因は、多分桐山君のせいだ。


 別に彼のことが好きで、少しでも同じようになってお近づきになりたい……なんてよこしまな考えじゃない。ただ、尊敬出来るその姿を少しだけでも見習おうとしているだけ。


 その、はず。

 そのはず、だったのに。


 気付けば彼のことを目で追ってしまう。

 彼の一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくが気になってしまう。

 

 違う。

 私は別に、三次元の男になんて興味なんてない。

 あんなもの、ただのタンパク質の塊。

 男なんてどうせ、すぐに裏切るんだから。


 恋なんて、していない。



「……何してるんだろ、私」


 散々自分の気持ちを否定しておいて、私は今日も桐山君の後ろをついていっている。あの日からずっと、五十メートルほどの距離を空けて気付かれないように。


 完全に、見紛みまごうことないストーカーだ。

 しかもよくいるストーカーと違って元恋人ではないし、告白を失敗した訳でもない。なんなら恋しているということもない。


 恋なんて、していない。

 なのに。

 なんで桐山君のことが気になるんだろう。

 自分の気持ちが、分からない。


「あ、あの!桐山君!」


 その時。

 桐山君の目の前に、一人の女の子が飛び出してきた。

 同じ学校の制服。

 見目麗みめうるわしいその顔立ち、さらさらの長い黒髪。

 委員長の北崎凜きたざきりんさんだ。

 

 私は思わず電柱の陰に隠れてしまった。

 何で委員長がこんなところに……?

 まるで探偵みたいに、二人の会話を盗み聞き。

 どう見ても不審者。女子高生じゃなかったら通報されていそうだ。


「どうしたんだい、北崎さん?」

「あの、あの……桐山……君」


 北崎さんは恥ずかしがっているのか、ずっともごもごしている。


「えと、その……私……」


 それでも意を決したのか、たどたどしいながらも少しずつ言葉を紡ごうとしている。


 待って。

 ちょっと待って。

 夕暮れの帰り道で、思春期の男女。その内の一人が何かを一大決心して言おうとしている。

 そんなシチュエーション、よく見かける。

 そうだ、告白だ。

 夢物語過ぎて見るのも嫌になった、少女漫画の青春。その一コマ。


「私、桐山君のことが――」


 言わないで。


「――桐山君のことが好きです!」


 それ以上は、ダメ。


「つきあって下さい!」


 ダメだって。

 お願い桐山君、断って。


 視線を移すと桐山君は、顔を真っ赤にしていて。


「こ、こちらこそ……よろしく……」


 はにかんで。

 そう、答えていた。



 夕暮れの中、二人の影が消えていく。

 初々しい二人を祝福するかのように、夕陽が美しい橙の輝きを放っていた。


 私はずっと、電柱の陰に寄りかかったまま動けなかった。


 つぅっ……と。


 温かいしずくが、目尻からこぼれた。

 なんでそれが溢れ出しているのか、理由わけが分からない。

 分かりたくない。


「やっぱり……か」


 ただ、私は陰にいることがお似合いなんだってことだけが、改めて分かった。


 は、それだけで十分だった。

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