焔色の空

黒糖はるる

焔色の空


 時刻はそろそろ午後五時。

 空の色が水色から紺色に切り替わる時間だ。

 ボクは窓辺で、その瞬間をいつものように眺める。


 ゴーン、ゴーン、ゴーン。

 腹の底から響くような重苦しい音。

 スピーカーから鐘の音が聞こえてきた。


 ごりごりと、空のシャッターが降りてくる。

 水色の空を塗り潰すように、紺色の空が上から覆い被さっていく。


 ボクは水色の空の方が好きだ。

 澄み切っていて、心が洗われるような色。

 でも、どちらも人工の空――ただのシャッターなのは知っている。


 ボク達が住んでいる――いや、収容されている施設は外の世界と隔絶されている。

 地球規模の大戦争で負けたボクの国は敵国の植民地になった。当然国民達は奴隷だ。全員捕らえられて収容所送りにされた。そこから必要な人材を随時引き抜くかんじらしい。


 戦争で多大な被害が出たため大人達は殆ど仕事にかり出されていて、収容所には子供と年寄りしか残っていない。復興のための労働力にならないとここから出ることは出来ないし、出たところで地獄のような奴隷生活が待っているらしい。


 収容施設に残された子供達の多くが両親と切り離されて暮らしている。不安でたまらず、年寄りを親代わりにと寄り添い合っている子も多い。

 もっとも、ボクの両親は先の戦争でとっくにあの世に行っているので慣れっこ。一人で気楽に過ごしているけど。


「はぁ……」


 溜息が出る。

 気楽とは言ったものの、このまま成長したら間違いなく労働力として奴隷の道まっしぐらだ。それまでにはこんなツライ世界が少しでも改善されていればいいと願ったこともあったけど、そんな早期に復興が済むとは到底思えない。十中八九いいように使われるハメになる。


 誰がそんな目にあうもんか。


 奴隷にされるくらいなら死んだ方がマシだ。

 だけどタダで死ぬなんて嫌だし、その前に見たいものもある。


 本物の空。


 物心がついた頃には両親が死んでいて、いつの間にか収容施設の中。おかげで外の世界のことを全然知らない。

 本当の空は時間で色が切り替わるのではなく、ゆっくりと変わっていくこと。その時の色がとても美しいこと。人から聞いた話としては知っているけど、実物は見ていない。


 夕焼け。

 オレンジ色に焼ける空を、一度でいいから見てみたい。



 今日もまた、空の色が変わる。

 夜の色をしたシャッターが降りてきて、水色を塗り潰していく。


 ボクはその瞬間を狙って、シャッターの中に飛び込んだ。


 毎日変わらず繰り返されてきたそれを、ずっと観察してきた。そして知った、空のシャッター同士には僅かな隙間があることを。

 あまりにも日常の中のこと過ぎて、あまりにも危険で自殺行為過ぎて。誰も気付かず挑戦してこなかったことだ。


 シャッターの隙間に入り込んで、収容施設から脱出するのだ。


「あっぶな……」


 念のため減量してきたが、それでもギリギリだった。あともう少し体が丸かったらシャッターの間に挟まって身動きが取れなかっただろう。


「よし、登るか……」


 体とシャッターはくっついているが、動くことは出来る。

 ボクはゆっくりと身をよじりながら、少しずつ上へと登っていく。もしこの隙間が逆にスカスカだったら、今度は下へとずり落ちていただろう。そういう意味では丁度良い狭さだったとも言える。


「ふぅ、んしょっと」


 上からの空気の流れを感じる。間違いなく、外からの風だろう。このまま風の発生源までさかのぼれば外に出られるはず。最悪出来なくとも、収容施設生活とはおさらばだ。


「……はぁ。やっと、終点……」


 シャッターの端っこまで到着。

 分厚いシャッターの断面に乗って周囲を見渡すと、辺り一面歯車やら何やらでいっぱい。これが収容施設を管理していた外部構造なのだろう。


「ぶっ壊してもいいけど、騒がれるとなぁ」


 面倒なことになると脱出出来ないどころか殺されかねないので、歯車に関しては無視しよう。


「さて、と。風はどこから来ているのかな……っと」


 ひんやりとした鉄の上を歩く。

 暗いが、ほんのりとした明るさがあるおかげで何があるのかはおおよそ分かる。

 この明るさの元はダクトだった。

 収容施設の天井を這っていたダクト、その網目状の場所から漏れた光のおかげだったのだ。


「ま、いいとこあんじゃん」


 良い思い出があまりない収容施設だったが、その一点だけには感謝しておこう。



 収容施設とは反対方向に伸びるダクトの中。

 ボクはまたもや身をよじりながら前進していた。


「狭いなぁ」


 先程のシャッターよりかはましだったが、やっぱり狭苦しい。

 早くここから抜け出したい。


 下からは絶え間なく続く機械の駆動音と、時折大人の話し声が聞こえた。

 ここは丁度工場の真上なのだろう。

 もしこのままずっと逃げ出さずにいたら、ボクもあそこの大人達の仲間入りをしていたのだろう。


「うわ、ムチって……。あ~、痛そう」


 何かヘマをした人が上官に叱られて罰を受けている。敵国の管理員には逆らえないから、ズタボロになるまで叩かれ続けそうだ。


「……先へ急ごう」


 良い気持ちはしないし止めることも出来ないので、ボクは先へ進むだけだった。


 しばらくすると、開けた場所に出た。

 木箱が大量に置かれており、どうやら物置のようだった。

 木箱は古いがほこりは被っていない。物置の割にはきれいな方なので、ここは普段使っている場所なのだろうか。


「ということは、敵国の人がよくここに来るのか……って」


 それは、とても危険なのでは?

 そう思った瞬間、タイミング最悪なことが起きた。

 

 ばかん。


 天井から光が差し込んだ。

 ボクは思わず木箱の後ろに隠れた。

 まさか、天井に扉があるなんて思いもしなかった。というかここは地下だったのか。

 息を殺して様子をうかがっていると、上の方から梯子はしごが伸びてきた。どうやら壁にくっついていたものを下へと降ろしてきたらしい。なるほど、あれを使えば先へ進めそうだ。

 その前に、見つからないといいんだけど。



 敵国の人達は物置から白い粉の入った袋をいくつか取ると、さっさと戻っていた。あまり長居をしなかったことと持っていった物から察すると、あまりよろしくないお薬の隠し場所なのだろう。

 おかげで見つからずに済んだので、ボクとしてはオールオッケーだ。しかもおあつらえ向きに梯子までそのまんまだ。上にいる人達が慌ていたみたいだし、見つかりそうになって焦ったのかな?


「さ~て、こっからが問題だなー」


 天井の扉を目の前にして、歩みが止まる。

 ここから先は敵国の人が普通にいる場所だ。しかもついさっきまで人の往来があった訳で……。

 奴隷見習いの子供がそんなところに出たら即捕縛アンド連行。そんでもって処刑。いやいや、下手すると拷問ごうもんされるかも。


「はぁ……今更悩んでも仕方ないでしょ」


 いくら悪い予想を立てても意味がない。収容施設を脱走した時点でもうアウトなのだから、行けるところまで行くしかない。


「よし、行くか」


 ボクは意気込みとは反比例した挙動で、そっと扉を開ける。

 そこはがれきまみれの廊下。戦争で壊された学校という名前の施設のようだった。


 人は、いない。


 ボクは学校の廊下らしきところへと這い出た。

 その時。

 視界の端に、オレンジ色が映った。


 空の色だった。


 時刻は分からない。

 でもシャッターが切り替わる時間に脱走したのだから、夕方と呼ばれていた時間なのだろう。


「あれが、夕焼け……」


 やっと見ることが出来た、本当の空。

 本当の夕焼けの色。


 気付けば、ボクは走り出していた。



 夕焼けに向かって、一直線。

 無我夢中で、ただただ走った。


 たん、たたたん。


 小太鼓こだいこみたいな、心地よい音。

 なのに体は不快。

 痛いし、熱い。

 

「あ……」


 じわっと、脇腹から温かい液体が漏れ出る。

 ぐらつく視界。

 力が抜けて、崩れ落ちる。


「あ、あ……」


 撃たれた。

 ボクは撃たれたんだ。


「そんな、せっかく……ゲホッゴホッ」


 血が逆流して、むせる。

 廊下の上に、赤黒い飛沫ひまつが花を描く。


「夕焼け……ゲェッ、見られたのに……」


 手を伸ばす先。

 ずっと求めてきた景色。

 夕焼け。

 燃え盛るような色の、空。


「……あれ?」


 よく見ると。

 空は本当に燃えていた。


「あぁ……そっか」


 あれは夕焼けなんかじゃない。

 戦火で染まった、ただの夜空なんだ。



 今日は鐘の音じゃなくて、小太鼓が夜を教えてくれた。

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