ドッペルな彼女

サイド

ドッペルな彼女

 午後八時二十五分。

 そこが全ての始まりで、終わりだった。

 本来その二つが混在する訳がないのだが、今回に限って、この表現は正しい。

 事の始まりは、あの一言から始まった。








「……聞いて、私がもう一人いる」


 放課後の教室で僕は付き合っている十七歳の彼女、琴岡鈴音(ことおか すずね)の発言に言葉を失った。

 彼女は天才だった。

 海外の有名な工科大学を十五歳で卒業し、将来を嘱望されたが、真の才能は普通の社会の中で磨いてこそ、という信念を持って、帰国したという変わり種。


「ええと、よく意味が分からないんだけど」


 淡々と鈴音は語る。


「言葉の通り。昨日、自宅のマンションへもう一人の私が入って行ったの」

「うーん?」


 僕は思わず首を捻ってしまう。

 彼女は頭の出来が出来なだけに、嘘を付いているとは考えにくい。

 メリットがないし、彼女は合理的でないことを口にしないからだ。

 鈴音は抑揚のない口調で話を続ける。


「簡単に考えてみたの。パターンは四つ。両方本物、私は本物で向こうが偽物、私が偽物で向こうが本物、両方偽物」

「どれもぞっとしないんだけど……。できれば今、目の前にいる鈴音が本物だといいな」

「私もそう思いたい。ただ私は両方本物、というのが一番有力だと思ってるの」

「え、どうして?」


 常識的に考えるなら、自分が本物で相手が偽物と思うのが一番理解出来るのだが。

 そんな僕の心情を知ってか知らずか、変わらない調子で鈴音は僕の問いに答える。


「私は向こうの私と、間接的にではあるけど接触した。それでもどちらかが消滅する、ということはなかったから」

「じゃあ向こうの鈴音は何がしたくて……っていうか、どうやって出現したの?」

「……仮説ならある。多分、ドッペルゲンガー」


 聞き覚えのある言葉に僕は少しの安堵を覚えつつ、頷いた。


「もう一人の自分ってやつ? らしくなくオカルトだね」

「詳しく言えば、化学的に調合されたドッペルゲンガー」

「……ごめん、より分からなくなったんだけど」


 僕の返答に、鈴音は一度目を伏せたが、やがて口を開く。


「そうだと思う。でも、ある物質があれば理論上は可能」

「ある物質?」

「こっちは本物のオカルト。賢者の石って聞いたことは?」


 僕は記憶を探り、思い当たるものがあったので、その意味を考えながら額を指先で叩いた。


「……ゲームで聞いたことはある。万能の物質……だよね?」

「ええ。もし完成されていたなら、世界がひっくり返ると思う」

「それ程のものなの?」

「私が今、研究しているのは正にそれだから。少し、話しても?」

「ん、オッケー」


 どんと来いと構えた僕に対し、彼女はこほん、と咳払いを挟む。


「賢者の石の優れている点は、どんな物質へも変換が可能な点。石を原油に変えることも、黄金に変えることも可能」

「とんでもないな。経済のバランスなんて一瞬で壊されそうだ」

「その賢者の石の調合を目的に行われているのが、私の研究」


 余りに突飛な内容に、僕は慄いてしまう。


「科学なのか、夢なのか分からないことをしてるんだね」

「自覚はある。でもこの研究自体は、ずっと昔からあるものなの」

「え、そうなの?」

「ええ。唯物論と唯心論は知ってる?」


 知らない言葉だったので、僕は首を横に振る。


「ざっくり言ってしまえば、先に目に見えるモノがあって、後に名前があるという考え方が唯物論」

「当たり前じゃないか。目に見えるモノがあって、それに名前を付けるのは順序として正しい」

「そうね。逆に、先に名前があって、後にモノがあるという考え方が唯心論」


 意味が分からず、僕は頭を抱えてしまう。


「……そんなもの、ある?」

「単純なところだと、好きとか、嫌いとか、そういった感情。貴方はそういうものを目で見てから、名前を決めてる?」

「あ、あー」


 なるほど、確かに感情は目に見えない。

 だが確かに存在するモノだ。

 しかし、その存在を確定させる為に、名前を付ける必要があるのも確かだろう。


「唯物論では目に見えるモノが全てだから、化学的アプローチを取ることになる。唯心論は逆に目に見えないモノが全てだから、観念的アプローチ」

「んー、それだと、一般的な化学の在り方が現代の主流って感じだね」


 唯心論は思想と言うか、哲学の話のような気がする。


「そう。だから私は賢者の石を作る為の前提として、媒介となる物質の研究をしてる。『仮説上の物質』ではあるけど」

「理論的には存在するけど、まだ目に見える形で定義されてない……ってヤツ?」

「そう。ないのなら、作ればいいと思ったから。それが私の研究の始まり」

「お、おう……」


 何と言うか、こういうところが僕の彼女はアレだ。

 ……まあ、個人的には淡々としているように見えて、アクセルを踏んだら止まらないところが好きなんだけど。


「話は大体分かった。けど、その賢者の石が鈴音のドッペルゲンガーとどう繋がるの?」

「化学的な賢者の石は、唯物論の産物。何にでも変換可能。勿論、私という存在も例外じゃない」

「……げ」


 思わずそんな声が漏れた。

 それだと理論上は世界の人間全てが、複製可能になってしまう。


「雛形になる物質はもう出来上がってる。……素材は人の血」

「いくらなんでも物騒過ぎない!?」


 大きな声を出してしまった僕へ、鈴音はその白く細い腕に指を沿わせながら、返答を示した。


「血は未だに全てが解明されていない未知の産物。何にも変わる属性を持たせるなら、一番身近で適した物質でしょう?」

「でも、そんな物質だけで人間が調合できるの?」

「だから、唯心論的アプローチが必要なの。魂と呼ばれるモノを付与させ、人間と呼べるモノにする」

「それは、相当難しいんじゃ……?」


 流石に僕の言葉尻が危うくなったが、鈴音の口調ははそれすらも想定済みだったのか、変わる事がない。


「そうでもない。魂を言葉の蓄積だと仮定するなら、複製した脳の言語野に刺激を与えればいいだけ。でも私はこれが一番怖いと思ってる」

「どうして? 魂なんてものを解析できたら大発見じゃないか」

「でも、それによって観念的賢者の石が調合されれば、世界は間違いなく崩壊してしまうから」


 間違いなく。

 強い表現だが、彼女が使うとリアリティがあり、僕は背筋の震えを実感しながら、問う。


「……随分自信を持って、言い切るんだね?」

「だって、人の感情を自在に操れるのよ? 今好きだったものが、次の瞬間、嫌いになる。愛する家族が憎しみの対象へ変わる。……今、ここにある自分の意識が、本当に自分のモノか分からなくなる。世界中が疑心暗鬼になってしまう」


 今の自分が正気かどうかの保証がなくなる……ということだろうか。

 もともとそんなものはないとも思うけど、なくなると言われると正体不明の不安が心に湧き上がって来るのを感じてしまう。

 つまりこれが、疑心暗鬼ということなのだ。


「確かにそれは、怖い……なあ。だから、鈴音は化学的立場から、賢者の石を調合しようとしてるんだ?」

「そう。……私、単純に感情の機微に疎いし」


 思わず、そうだね、と頷きそうになって自重する。

 そこで、ふと思い付いた。


「ねえ、鈴音。賢者の石って、時間には作用しないのかな?」

「え?」

「何かのSFで見たんだけど、物質には未来へ進む性質と、過去へ戻る性質が備わってるって仮説があったんだ。それを考えるなら、時間に特化した賢者の石も作れるんじゃないかな?」

「――」


 あ、固まった。

 やがて、再起動した鈴音は、ぶつぶつと何かを呟き始める。


「でも、もし、そうなら、私はなぜ、そんなことを?」


 そしてそのまま時間が流れ、僕の言葉はすっかり届かなくなってしまう。

 鈴音を一人にすることに不安はあったのだが、落ち着いて考えたいと彼女が訴えたため一旦、それぞれの帰路に着くことにしたのだった。






 だから、不意打ちだった。


「こんばんは、もう一人の私は家へ帰った?」


 全く別の方向へ向かって帰ったのに、僕の家の前に鈴音がいたのだ。


「あー、うん。まあ」


 鈴音は頷く。

 相変わらず淡々としているが。


「少し話しましょう。聞きたいこと、あるだろうから」


 僕は反論できないまま、流されるように公園へ移動する。

 そして一息ついた後、僕は問いを投げかけようと、口を開いた。


「じゃあ、最初にだけど……、どうしたの? 顔、赤いよ?」


 僕の指摘に、鈴音は真っ赤になって、そっぽを向く。


「いいから。で、聞きたいことは何?」

「まず、君は本物?」

「ええ」


 僕はさっき得た知識を総動員ながら、話す。


「ええと、化学的ドッペルゲンガー……で合ってる?」

「違う。私は調合されたモノじゃない。……まあ、推理しようにも材料が足りていない状況だから、そう考えるのは当然だけど」

「?」


 鈴音は何だかよく分からないことを言う。

 煙に巻こうとしていワケではなさそうだが……。


「じゃあ、観念的賢者の石で僕は操作されていて、その錯覚が見せた鈴音?」

「それも違う」

「むぅ……」


 取り付く島もない解答に僕は頭を抱えてしまう。

 化学的にも観念的にも違うと言われてしまったら、何も言えないからだ。

 しかし鈴音はさらり、と答えを口にした。


「正解は一ヶ月後からタイムスリップしてきた、本物の私」

「は?」


 今度は僕が固まった。


「発想は貴方の時間的賢者の石の発言から。有り体に言えば、賢者の石はタイムマシンになり得た、ということ」

「ええ……? そんなのどうやって作ったのさ」

「化学的には出来上がっていた私の血の結晶に、時間的性質を付与させた」


 そこまで言って、なぜか耳まで真っ赤にして俯く。


「時間的って……。それこそ、どうやって」

「……気持ちを込めた、粘膜的接触をすることで」

「?」


 またよく分からないことを言う。

 鈴音は腕時計を見た。


「午後八時二十五分まで、後三分。今しかない、よね。……ねえ、ちょっと、横を向いてくれない?」


 いきなり違う方向からの要望が飛んできたが、僕は戸惑いながらもそれに従う。

 首を横へ向けると、両頬を掴まれた後、強引に前を向かされ、不意に柔らかくて暖かいものが僕の唇に触れた。

 それが、鈴音の唇だと気付くまで、そう時間はかからなかった。


「なっ、何するのさ、急に!?」


 鈴音は首まで真っ赤にして、小さくなる。


「だって、絶対に初めては、私からするって決めてたのに、貴方が先にしちゃうから」

「は? いや、もう何が何だか分からない」

「……結論を先に言うと、私はこの後の八時二十五分に貴方からキスをされるの。でも私は、私からするってずっと前から決めてたから」

「つ、つまり?」


 理解が追い付かない僕に、頬を膨らませて、鈴音は言う。


「私は、過去で先回りして……キス、しよう、と思った。その為に、時間的賢者の石を作ったの」

「――」


 僕は、言葉を失った。

 つまり、それだけの為に、鈴音はタイムマシンなんてモノを作り上げたのだ。

 そんなことを考えていると、未来の鈴音の姿が薄くなっていく。


「もう効果が切れるみたい。今の私には、『公園で待つ』とだけ書いた手紙を出しておいた。……『今』を確定する為に、何が必要か分かるよね? それがないと、時間移動の事実が観測されないから注意して」

「『今』を確定させる為に必要なこと……?」


 その言葉の意味を考え、今度は僕が赤くなってしまう。

 今は八時二十三分。

 鈴音はポケットからルービックキューブのような赤い固体を取り出した。

 あれが、賢者の石なのだろう。


「この石は海にでも捨てるから安心して。それと時間的性質付与の方法はね」


 鈴音は頬を朱に染めて、微笑む。


「出会えて、よかった。そんな気持ちを込めて」


 固体に唇を寄せる。


「キスをすること。大切なことだから、覚えておいてね」


 それだけ言い残し、鈴音の姿はあっさりと消えた。

 きっと、未来へ帰ったのだろう。


「……また、すごい爆弾を置いていったなあ」


 予想もしなかった展開に、僕は呆然と佇む。

 やがて遠くから、今の鈴音が走ってくるのが視界に入った。

 僕は、心臓が強く高鳴るのを感じてしまう。

 ああ、でもこれって、キスをしたのは僕が先だったのか、鈴音が先だったのか分からないな……。

 多分これは卵が先か、鶏が先か、の議論だから意味はないのだろう。

 ……やがて、息を切らした鈴音が僕の目の前に立つ。


「……ッ! 無事!?」


 時刻は午後八時二十四分。

 約束の時はもう目前に迫っており、僕は意を決し、彼女へ向かって大きく一歩を踏み出す。

 未来の鈴音が教えてくれた、何よりも大切な感情。

 ……貴女が好きです。

 結局、その気持ちが一番大切で、全てなんだと思いながら。

 

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ドッペルな彼女 サイド @saido

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