7.草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートにて(6)

 ここは、激安スーパー『東友』の店外に設置してある自販機コーナー。


 このコーナーに設置してあるごみ箱の前で、今、ロマンティックな光景が繰り広げられていた。二人の若い男女が、無言でお互いの顔を見合っているのである。

 しかし、二人は顔を見合ってはいるが、決して見つめ合っているわけではない。


 その証拠に、女性は、男性の目ではなく、鼻を見ながら微笑みかけているし、男性の方はというと、目の前の光景に驚いているのであろう、驚きのあまり、驚く顔すらできず、無表情のまま、目を白黒させている。

 それも文字通り、女性の顔を見ては白目をむき、また黒目に戻しては女性の顔を見るを繰り返しているのだ。


 もちろん、男性の名は『伊集院 修太朗(いしゅういん しゅうたろう)』、この小説の阿保公(あほのこ)いや主人公である。

 そして、女性の名は『甲子園 鶯子(こうしえん ようこ)』、あだ名は「ヨッシー」、修太朗の元カノである。


 二人の仲は、中学生の時に破局した。

 初めてのデートの日、出会ってわずか数秒で破局したのだ。

 すべては、修太朗自らが招いた災厄だった。

 それからというものの、二人はまったく口を聞くこともなく、中学を卒業し、別々の道を歩んでいった。二人は別々の地元高校に通い、卒業後、修太朗は地元の大学に入学したが、ヨッシーは遠く離れた大学に入学した。

 それを機にヨッシーは、この『草谷』から去っていったのだ。


 それ故、二人のウン命が再び交差することなど、考えられもしなかった。

 それが、予想だにしなかったことに、ヨッシーと出会った・・・しかも、ヨッシーから話しかけてきたのである。

 修太朗にしてみれば、驚きのあまり、驚きのあまり、無表情となり、目を白黒させるのは致し方ないことであろう。


 さて、まぶたの裏に映し出されたヨッシーと目の前のヨッシーを見比べ終えた修太朗は、再び黒目に戻すと、声を上ずらせながら、ヨッシーに話しかけた。


「ヨ、ヨッシー・・・なんで・・・ここに?」


「よかった・・・やっぱり、修ちゃんだ! 久しぶり。

 大学、休講中だから帰って来たんだ。

 それに、『ノコノコ』が『たまには顔を見せろ』ってうるさいから・・・。」


「『ノコノコ』?・・・だれ、それ?」


「あ・・・ごめん、ママのこと。ママ、『ノリコ』って言うんだ。

 昔は歌がうまかったから、『ノッコ』って呼ばれてたとか自慢げに話してたけど、わたしは『ノコノコ』って呼んでる・・・だって、このほうが可愛いもん。

 ママったら、ちっとも娘離れできないんだよね。

 はっきり言ってウザいんだけど、だからと言って冷たくもできないんだよね。

 それに・・・心配してくれるの、ちょっと、うれしかったりもするし。」


 と言うと、少し恥ずかしくなったのか、ヨッシーは舌をペロっと出し、修太朗に笑いかけた。


 ここで、修太朗の頭にひとつの疑念が湧いた・・・これは、どうでもいいことであり、わざわざ聞くことではない。だが、修太朗は、その疑念を解消したいという欲求を抑えることが出来なかった。


「ねえ・・・お父さんのことは・・・なんて呼んでるの?」


「え・・・パパ? パパは『クッパ』!

 パパの名前は『クニオ』。だから、初めは『クニオくん』て呼ぼうとしたんだけど、パパが嫌がって・・・高校時代、『クニオくん』て呼ばれて、イジラレたことを思い出すから嫌だって言うの。

 パパは、転校生でね、一人だけ制服が白だったんだって・・・そのせいで、『クニオくん』て呼ばれたとか・・・ワケわかんないよね。

 だからね、『クニオパパ』を縮めて『クッパ』って呼んでるけど・・・それがどうかしたの?」


「う・・・ん・・・べ・・・別に・・・ちょっと気になっただけ。」


 修太朗は、ほんの少しだけ、残念な気持ちになった。

 もしかしたら『マリオ』ではないかと、内心思いこんでいたせいである。


「ねぇ、修ちゃん・・・。」


 ヨッシーは、自分の鼻を指さすと、笑いながら修太朗に話しかけた。


「うふふ・・・鼻にティッシュ、詰めたままだよ。」


「えっ・・・ああ、いけね。」


 修太朗は、哲ウンの遺骸回収作業に着手する際、鼻にティッシュを詰めていたことを、すっかり忘れていた。

 ヨッシーは修太朗に微笑みかけていたが、あれは、鼻にティッシュを詰めた修太朗の顔を見て、笑っていたのだ。


 修太朗は、ごみ箱の方に向き直ると、鼻に詰めたティッシュを取り除いた。

 その途端、鼻の穴から大量の鼻水があふれ出てきた。


「い・・・いかん。」


 修太朗は、慌てて腰かけていたベンチに戻ると、ティッシュで鼻をかんだ。

 ヨッシーも修太朗についてきて、そんな修太朗のことを見て笑っていたが、ベンチの上に置いてあるポケットティッシュを見るなり、笑うの止めた。


「うん? どうしたの・・・ヨッシー?」


 鼻をかみおえた修太朗は、ヨッシーが『マダム運娘の館』のポケットティッシュを食い入るように見つめていることに気がついた。


「ねぇ、修ちゃん、ちょっといいかな・・・話が・・・あるんだ。」


 ヨッシーは、何か思いつめたような顔をしながら、修太朗に話しかけた。

 

「あっ・・・ウン・・・じゃあ、向こうのベンチで、ちょっと待ってて・・・このゴミを捨てたら、すぐに行くから。」


 修太朗は、ゴミをごみ箱に捨てると、ベンチの上のものをボディバッグに片付け、ヨッシーの待つベンチへと向かった。


 ヨッシーは、ベンチの右端に浅く腰かけていた。

 修太朗は、その隣に座りたいという欲望を抑えながら、左端に腰かけた。


「話って・・・なに?」


「ねぇ、あのポケットティッシュ・・・もしかして、『マダム運・の館』の?」


 修太朗は驚いた・・・。


 なぜ、ヨッシーが『マダム運娘の館』のことを知っているのだろうか?

 だが、本当に驚いたのは、そこではない。

 『娘』の部分を発音する際、ヨッシーは一瞬ためらい、恥ずかしそうにした。 

 そして、『娘』の部分を、不明瞭な発音でごまかしたのだ。

 よく聞き取れなかったが、一音であったことは間違いない。

 残念ながら、ヨッシーの品性は良くないことが証明されてしまったのだ。


「ほらっ、わたしもそのポケットティッシュ、もらったの。」


 ヨッシーは、背中に背負っていた赤い甲羅のようなリュックから一つのポケットティッシュを取り出し、修太朗に手渡した。


 それは、確かに『マダム運娘の館』のポケットティッシュだった。

 しかし、その広告は、修太朗が持っているものと同様、『幸運の娘』とキャッチコピーから構成されていたが、『幸運の娘』の姿とキャッチコピーがまったく異なっていた。


 その広告の『幸運の娘』は、修道女のようなコスプレをし、お祈りのポーズをしながら、上目づかいでこちらを見つめている。

 上目づかいの目尻力は破壊的で、修太朗をすぐさま『しわわせ』な気持ちにさせ、ヨッシーの目の前にもかかわらず、その視線を『幸運の娘』の目尻から離せなかった。

 キャッチコピーは、漫画のようにふきだしの中に書かれており、『キミに届け! 小盛のウンちゃまのメッセージ』とあった。


「その写真の人、わたしにそれを渡す時にね、こう言ったの。

 『小盛のウンちゃまが、あなたをウン命の人のもとへ導きます』って。

 ねぇ・・・ちょっと・・・聞いてる?」


 ヨッシーは、ホクホクしながらポケットティッシュを眺めている修太朗から、ポケットティッシュをひったくると、赤い甲羅のようなリュックに戻し、再び、リュックを背負った。


 そんなヨッシーを見ながら、修太朗は自らの行いに反省しつつ、内心思った。


 なぜ・・・わざわざリュックを背負うのだろう?

 ベンチの背もたれにリュックが当たって座りにくいだろうに・・・。

 そうか・・・ヨッシーは、きっとあの赤い甲羅のようなリュックを片時も背中から外したくないのだ。きっと、あの赤い甲羅は、ヨッシーの力の源に違いない。


 赤い甲羅のようなリュックを背負い直したヨッシーは、口から炎を噴くかのように顔を紅くした。


「や・・・やっぱり、修ちゃんが・・・わたしの・・・なんだ。」


 そうひとり呟くと、地面の一点を見つめながら、黙り込んでしまった。

 その姿は、自分の中で、何かを自問自答しているようにも見える。


 修太朗は、そんなヨッシーを見ながら考えていた。

 ここは・・・修太朗から話しかけるべきなのだろうか?

 しかし、恋愛経験値のなさが災いし、なんと話しかけていいか、まったくわからなかった。それに・・・今は、黙っていた方がいいような気もする。

 なんとか、自分のふがいなさを正当化するのに成功すると、修太朗はヨッシーの視線の先を目で追った。


 ヨッシーの視線の先には、黒くて長い行列があった。そして、その行列の行き先には、小さな黒い球が転がっていた。蟻が、飴玉か何かに群がっているのだろう。

 はたして、ヨッシーは何を想い、それをじっと眺めているのだろうか・・・。


 修太朗は、視線をヨッシーの顔に移した。

 ヨッシーの口元が、もごもごと小刻みに動いていた。

 もしかしたら、あの蟻の行列を見て、本能的に舌を出したくなったのかもしれない。あのチビヨッシー『テツロウ』がしていたように・・・。


 突然、ヨッシーの口が開いた・・・修太朗は、思わず、期待した。

 ヨッシーの舌が伸びていき、蟻たちをからめ取り、口の中に戻っていく様を。


 しかし、さすがにそのようなことは起きるはずもなく、ヨッシーは、修太朗の顔に穴をあけるかのように見つめると、たたみかけるように話を始めた。


「ウン、やっぱり・・・そう、修ちゃんが、わたしのウン命の人なんだ。

 あの人、『マダム運・の館』の人が言った通りなんだ。

 修ちゃんが・・・わたしのウン命の人なんだ。

 

 だって・・・そうとしか考えられないんだもの。

 あのポケットティッシュをもらった後ね、別にここに来る目的なんかなかったけど、なんとなく、行ってみようかなって思ったの。

 何かに引き寄せられるような感じっていえば・・・いいのかな?

 そう、彗星が地球に引き寄せられるように、わたしも修ちゃんに引き寄せられたんだ!」


 ヨッシーはここまで話すと、修太朗の顔から視線をはずし、夕焼けに赤く染まる空を見上げた。ヨッシーの瞳が、まるで一番星かのようにキラキラと輝いた。 


「わたし、修ちゃんと別れてから、星の数ほどの男たちを眺めてきた。

 でも、修ちゃんほどの輝きを持った男は・・・一人もいなかった。

 わたしにとって、修ちゃんはきっと、ウン命の星、そう・・・彦星。

 そして、わたしは・・・織姫。


 だから・・・だから・・・わたし達二人は・・・決して結ばれない。

 スカシ川が・・・わたし達を引き裂いた。あのスカシ川がわたし達の前にある限り、わたし達は・・・決して・・・結ばれないの。」


 ヨッシーは、夕空から修太朗の顔へと、再び視線を戻した。

 その瞳の輝きは先ほどよりも陰り、涙という真珠の輝きに変わっていた。


 その瞳をみつめながら、修太朗は、今さらながら、自分の犯した罪の大きさに気づいた。


 オレは・・・なんと、なんと非道いことをしてしまったのだろう。 

 ヨッシーは、『オレのスカシ』というスサノオを恐れ、『オレへの想い』というアマテラスを岩戸の中へ閉じ込めてしまったのだ。 

 しかし、今のオレは・・・あの頃のオレではないのだ。

 もう、スサノオが悪さをすることはないのだ。

 そのことをヨッシーに伝えなければならぬ。


「オレ・・・スカすの・・・辞めたんだ・・・ヨッシーのために。」


「えっ?」


「辞めたんだ! オレ・・・アノ後、誓ったんだ。

 アレ以来、スカシは辞めたし、外で放屁もしてない。」


「本当? 本当にスカシを辞めたの?」


「ああ、本当・・・ウッ。」


 突然、修太朗の腹部に激痛が襲いかかった。

 あまりの激痛に、修太朗は両手で腹部を押さえた。


「どうしたの? 大丈夫? 修ちゃん!」


 今までいろいろなことがありすぎて、修太朗は、放屁のことを失念していた。

 屁の充填率が、ついに百パーセントに到達したのだ。

 修太朗の腹の中で成長した屁イリアンが、唯一の脱出口が閉ざされていることに腹を立て、外に出ようと、修太朗の腹を引き裂こうとしているのだ。


 放屁を我慢する限界点が近づいていた・・・残り二十パーセント。

 時間にして、約三十分が限界であろう。

 それまでに放屁しなければ、屁イリアンは、修太朗の腹を無残にも引き裂くか、閉ざされた脱出口を無理やりこじ開け、歓喜の声を高らかに上げながら、外へと飛び出すであろう。


 修太朗は、腹の痛みに顔を歪ませながら、ヨッシーの輝く瞳を見つめると、ある考えを巡らせた。


 そうだ、これは・・・きっと、ウン命なのだ。

 今日、オレは芋を喰い、放屁を我慢し、ウンを踏み、そしてヨッシーに出会った。

 これをウン命と言わずして、何をウン命と言うのだろうか!


 あの眉なし女性『メーたん』が言っていたではないか!

 『きっと・・・いいことがありますわ。ウンがついただけに・・・』と。


 『幸運の娘』が言っていたではないか!

 『これを受け取る宿ウンだったのです。』と・・・いや、この言葉じゃなかった。

 ヨッシーに『小盛のウンちゃまが、あなたをウン命の人のもとへ導きます』と言ったというではないか・・・。


 そして、ついに・・・修太朗の心は決まった。

 これがウン命でなければ、再び、ヨッシーとこの場で別れ、二度と会うことはないだろう。しかし、もし、ウン命であるのならば・・・。

 

「ねぇ、修ちゃん・・・わたし、何か手助けできること・・・ある?」


 ヨッシーが、心配そうな顔をしながら、修太朗に聞いてきた。

 修太朗は、勇気を振り絞って、次の言葉を発した。


「ヨッシー・・・オ、オレの・・・オレの『屁助け』をしてくれないか?」


「屁っ?」

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