6.草谷薫々(くさたにくんくん)ストリートにて(5)
ここは、激安スーパー『東友』の店外に設置してある自販機コーナー。
その奥のベンチに一人の男が腰かけ、天を仰いでいる。
男の目の端には、きらきらと輝くものが見え、今にもこぼれ落ちそうである。
そう、ご存知の通り、自ら紡ぎ出した掌編『名もなきものの落とし子の生涯』の結末に涙する阿呆こと伊集院 修太朗(いしゅういん しゅうたろう)その人である。
(オレは・・・オレは、なんと罪深いことをしてしまったのか。
偉大なる哲ウンの・・・これからのウン生を踏みにじってしまったのだ!)
嗚呼、ついに・・・修太朗の目の端から輝くものがこぼれ落ちた。
修太朗は、ベンチの上に置いてあるポケットティッシュを一つ取り上げると、それを開封し、何枚かティッシュを取り、小さく折り畳んだ。
それで涙をぬぐい取り、再び広げると、ついでに鼻もかんだ。
「偉大なる哲ウンよ、すまなんだ・・・この阿呆が、お前を踏み殺したのだ!
出来るだけのことはする。だから・・・許しておくれ。」
修太朗は、助けを求めるかのようにはみ出ているウンに話しかけると、大仕事にとりかかり始めた。
すなわち、偉大なる哲ウン『名もなきものの落とし子』の遺骸回収作業である。
修太朗は、ティッシュをまとめて何枚か取り出し、それらを地面に敷いた。
こうしておけば、たとえ『名もなきものの落とし子』の遺骸の断片が落ちたとしても、ここの地面を汚すことはないであろう。
今さらのような気はするが、修太朗のちょっとした配慮である。
次に、ティッシュを一枚引き裂くと、それを丸めて鼻の穴に突っ込んだ。
『名もなきものの落とし子』の死臭から鼻を守るためである・・・。
修太朗は、確かに『名もなきものの落とし子』に憐憫の情を抱き、まるで人間であるかのように扱っている・・・が、所詮『ウンはウン』。
その死臭は嗅ぎたくもないし、じかに触れることなど・・・言語道断だ!
修太郎は、右足のスニーカーを脱いで、左手をその中に突っ込むと、右手で多すぎるくらいのティッシュを取り、遺骸の回収作業を始めた。
『名もなきものの落とし子』の遺骸が手につかないよう、注意深くティッシュで包みこむと、ゆっくりとスニーカーから剥がし始めた。
遺骸は、死後硬直からかなりの時間が立っているからだろうか、意外なほど、簡単に剥がすことができた。
さらにティッシュを取り出し、剥がした遺骸を丁寧に包み込み、地面に敷いてあるティッシュの上にそっと置いた。
残るは、スニーカーにへばりついた遺骸の痕跡である。
成人用おしりふきを多めに取ると、手につかないよう、細心の注意を払って遺骸の痕跡をふき取り始めた。
この作業は難儀するだろうと思われたが、おしりふきのほど良い水分のおかげで、それほど手間ではなかった。ボディシートだったら、こうもうまく事が運ばなかったかもしれない。
修太朗は、再びティッシュを多めに取ると、『名もなきものの落とし子』の遺骸と一連の作業で生じたウン廃棄物を地面に敷いてあるティッシュごと包みこみ、一つにまとめた。
そして、目を皿のようにすると、スニーカーをいろいろな角度から眺め、ふき残しがないか確認した。
(これで良しとするか・・・しかし、アッパーにまで及んでなくて良かった。
・・・いや、まさか『名もなきものの落とし子』が配慮してくれたのか?)
そう、『名もなきものの落とし子』は、『紙』に救いを求め、その手を天高く伸ばしていたが、アッパーに至る手前で、その手を止めていたのである。
もし、その手がアッパーにまで及んでいたら、修太朗はこのお気に入りのスニーカーを廃棄する憂き目にあっていただろう。
(しかし、悪い冗談のようだ・・・オレのジョーダンがこんな目にあうとは。)
またもや、面白くもない老害ギャグを一発かました修太朗だったが、少しもニヤリとしない。それだけ、このお気に入りのスニーカー『ジョーダン』が、ウンで汚れてしまったことに強い衝撃を受けているのだ。
ここで、「えっ、『ジョーダン』を履いている? それっ、冗談でしょ!」と、思われた読者諸君。
正解である・・・そう、修太朗は『冗談』を履いているのだ。
既製の安物スニーカーをベースにした、修太朗オリジナルのスニーカー『虚無シリーズ』の第一弾『虚無冗談』を履いているのである。
安物スニーカーのサイドマークを丁寧に剥がし、修太朗自らがフェルトで作製した『冗』マークをボンドで貼り付けた、カスタムメイドの一点ものだ。
修太朗渾身の力作である『冗』マークは、なんとなく『N』に見えなくもない。
さらにもうひとつ。これは、実にどうでもいい話であるが、修太朗は、現在、第二弾を鋭意作製中である。
第二弾は、アメコミ調の虚無僧がアルトリコーダーを吹き鳴らしている絵柄の
『座☆KoMSo』もしくは『La☆ComSou』である。
「どっちの名前にしよう、それとも別の名前にしようかしらん」と、楽しい時間を満喫している最中だ。
さて、どうでもいい話はこれくらいにしておこう。
一仕事終えた修太朗は、ティッシュに包まれた哲ウンの遺骸に話しかけた。
「『名もなきものの落とし子』よ、本当にすまなんだ。
しかし、安心しろ・・・これから、安息の地へと送り出してやるからな。」
ついに・・・偉大なる哲ウン『名もなきものの落とし子』は、『紙』に厚く厚く抱擁され、安息の地へと旅立つことと相成った。
修太朗は、おしりふきで手をふくと、右足のスニーカーを履き、ティッシュに包まれた哲ウンの遺骸を拾い上げた。
そして、それを大事そうに、人目から隠すかのように、そっと両手で包み込むと、自販機コーナーに備えつけてある可燃ごみのごみ箱の前へと足を運んだ。
これから行う行為は、『決してやってはいけないこと』である。
それは、よくわかっている・・・よくわかっているが・・・。
しかし・・・哲ウンを・・・哲ウンを安息の地へと送り出さねばならない。
これは・・・これは・・・善行なのだ!
修太朗は、意を決するかのように目を固くつぶり・・・そして、ごみ箱の上で両手を開いた。
ドサッ・・・哲ウンは、今、安息の地につながる扉の前に降り立った。
その音を聞いた修太朗は、両手を合わせ、何度も何度も心の中で呟いた。
(さらば、哲ウン・・・無事、安息の地に辿り着き、安らかに眠りたまえ!)
数日もすれば、哲ウンの遺骸は焼却され、その魂は煙とともに安息の地へと旅立つことになろう。
こうして、修太朗は、無事、哲ウンを安息の地へと送り出すことが出来た。
哲ウンのウン生を踏みにじったという罪悪感は、これから数分間、修太朗を悩ますかもしれない。だが、それも煙のように消えていくことだろう。
「ふぅっ」と、大仕事を終えた修太朗が一息ついた、まさにその時だった。
背後に・・・何者かが、近づく気配を感じたのだ。
そして・・・次の瞬間、甲子園のウグイス嬢のような声が、修太朗の脳天を突き破ったのである。
「もしかして・・・修ちゃん?」
(こ・・・この声は・・・まさかっ!?)
その声には、聞き覚えがあった。
忘れることなど・・・あろうはずもない。
可憐なる一輪の花・・・修太朗の自らの過ちで失ってしまった可憐なる花の声。
しかし、その声の主は、今や、遠く離れた地で生活しているはずである。
こんなところで聞くことなど、あろうはずがない。
ましてや、オレに話しかけてくることなど、決してない・・・はずだ。
修太朗は目をつぶると、まぶたの裏に思い描いた。
可憐なる一輪の花を・・・。
その花は、風車のようにくるくると回り、女の子の顔に次第に変化していく。
やがて、その女の子の顔は、修太朗に明るく笑いかけた。
あまりにもまぶしすぎる笑顔に修太朗の目がくらむ・・・。
修太郎は、そんな光景をまぶたの裏に描きながら、後ろを振り返り、ゆっくりと目を開いた。
修太朗の目の前には、可憐なる一輪の花が咲いていた・・・いや、一人の成人女性が立っていた。
全身を緑色の服でコーディネートした色白の女性。
その女性の顔には、修太朗がまぶたの裏に描いた女の子の面影が残っている。
修太朗の可憐なる一輪の花は、美しく成長をとげ、ますます某キャラクターそっくりになったようだ。
そう、甲子園 鶯子(こうしえん ようこ)、あだ名は「ヨッシー」が、今、修太朗の目の前に立ち、微笑んでいるのであった。
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