第二章 丹沢行
①バカ尾根
信介が待っていると、どんぐりハウスの横にあるトイレから実隆が出てきた。
「なんだ、また腹でも痛かったのか?」
信介の問いかけに、実隆は涼しい顔で答える。
「ああ。だが、気にしないでくれ。もう問題はない」
その返事に信介は頭を抱える。
信介の問いかけの意図には気づかれなかったようだ。
「俺が気にしてるのは、お前の体調管理の仕方だよ」
この時、信介は赤いアウトドアジャケットに赤いボトムズを履いていた。全身が赤というべき服装で目立つものであったが、当然、それを目論んでのことである。万が一、遭難することになったなら、発見されるかどうかの一つに、どれだけ目立つかがある。それを考慮しての赤い装いであった。
それに対し、実隆は全身を青で決めていた。赤ほどではないが、青もまた目立つ。信介との対比でそれぞれの存在感が上がっている。
彼らは大倉を出発し、登山口を目指す。登山口までは舗装された道を歩くことになった。秋も深まりつつある季節であり、晴れているが涼やかで歩きやすい。
田舎の風景というべき牧歌的な景色が続く。時折、農家の人が設営したと思われる野菜の無人販売所がある。しかし、信介も実隆も食材は十分に持ち込み済みであった。素通りで通り過ぎていく。
やがて、
しばらくはコンクリートの道が続くが、やがてコンクリートはゴロゴロとした石に変わる。石の上を歩くのは体力を消耗することであるが、普段人の歩かない道を歩く信介にはどうというものではなく、登山慣れした実隆にとっても悠々と歩けるものであった。
そうして、何度となく山道はその様相を変えていく。木の根の剥き出しになった地面もあれば、土が露わになりツルツルと滑らせることもある。そのどれもが信介と実隆の足を止めさせることはなく、彼らは平然と乗り越えていった。
そして、ついに大倉尾根は牙を剥く。大倉尾根は通称「バカ尾根」。バカみたいにひたすら登りが続くのが特徴で、休まるような場所はほとんどない。その象徴は木の板で作られた階段だ。
筆者はかつて新聞の投書欄で、このバカ尾根に関する記述を読んだ記憶がある。自然を求めて丹沢に足を運んだにも関わらず人工的な木の板の道、階段が続くのは如何なものか、という内容であった。当時の私は愚かであったので、そうかもなとも思っていた。
しかし、実際にはこの人工的な道は自然を守るためにある。丹沢で自然に芽吹く植物を踏み荒らさないために、この道は作られているのだ。それを知らず、ただ面白半分で道を進むものが、自然と向き合い、保護するために活動するものをなんとはなしに攻撃する。人間とは如何に愚かなものであろうか。
とはいえ、このバカ尾根も信介と実隆を疲労させても、その足を止めるようなものではない。適宜、休憩を取りながらも、着実に足を進めていく。そのスピードは驚異的で、軽装で山を走るトレイルランナーとそう変わらない時間で登っていた。
「
「ああ。昨日は
「なんだそりゃ。完全に観光気分じゃねえか」
「みやま山荘の飯は美味いからね」
そんな会話をしつつ、難なく塔ノ岳を登り切った。それで足は止めず、そのまま丹沢山に進んでいく。丹沢山への道のりもアップダウンの激しい困難なものだが、二人にとっては問題にならない。信介も実隆も食料やテントを背負った重装備であるが、事もなげに進んでいった。
そして、丹沢山もまた通過点である。彼らはさらに蛭ヶ岳に向けて先を急ぐ。
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