⑤八咫上実隆

 泰彦の言葉を切り捨ててみたものの、何かが引っ掛かる。

 信介自身がクトゥルーの声を聞いたのは事実だ。それに、悪夢に悩まされているタイミングで、夢の調査をしている泰彦が現れたことも気にかかっていた。

 そんな信介の葛藤に気づいてか、泰彦はニッと笑いながら声をかけた。


「まあ、行ってみようぜ。何もなけりゃ、それでもいいしさ」


 自分の心情を見透かされているようで、どうにも気に喰わないが、このまま引っ掛かりを抱いたままだというのも面白くない。

 信介はその申し出を忌々しげに、受けることにした。


「危険がありそうなら、すぐに引き返す。それが条件だ」


 こうして、信介と泰彦のパーティが結成される。

 だが、今回の山行において、泰彦はもう一人誘うつもりがあったらしい。


「山岳部部長の八咫上やたかみ実隆さねたかって人、知ってるかい?」


 信介も山岳部の部員なのだ。当然、知っている。

 しかし、部に顔を出さなくなって久しい。実隆に会うのは気まずいものがあった。

 だが、泰彦が誘うというのであれば、自分も会いに行かなくてはならないだろう。


 信介は泰彦に同行して、山岳部の部室に向かうことにした。


「信介はさ、部室じゃ捕まらないみたいだったから、わざわざ客室に呼んだんだよ。

 八咫上君は部室で待っててくれるって話になってんだよ」


 道すがら、泰彦はそんなことを言う。


 彼らは部室棟に入りいくつもあるサークルや部の個室を通り過ぎて、山岳部の部室に辿り着いた。

 扉を開くと、むわっとタバコの煙が立ち込めてくる。


「うわっ、なんだ!」


 信介は煙を払いのけながら、部室の奥に進んでいく。

 部屋の中には、登山靴やザック、ピッケル、テント、クッカーなど、使い古された登山用具が山積みになっている。しかし、目を引くのは、ひしめき合う登山用具の間に所狭しと置かれた酒ビンの数々だ。テーブルの上には登山雑誌もあるが、競馬雑誌やパチンコ・パチスロ雑誌の方が目立っている。

 そして、その奥にいる男――八咫上実隆の目の前には、大量の吸い殻で埋め尽くされた灰皿が置かれている。目立つ品々はすべて実隆の主導で置かれているのだ。


 その実隆ではあるが、酒、タバコ、ギャンブルを好む山男というイメージに反して、どこか線が細いと思わせる男であった。

 信介ほどではないものの長身でありつつ、どこか華奢で、スリムな印象を受ける。神経質そうな鋭い目つきで信介を睨み、口元はヘラヘラとした笑みをたたえていた。


「おいっ、今どき禁煙じゃねえのかよ! せめて空気清浄機を作動させておけ」


 信介は罵声を上げつつ、空気清浄機の電源コードをつなげ、スイッチを付けた。

 それに対して、実隆は冷ややかな視線を送る。


「お前さあ、どうして部に顔も出さないんだ? それで、今頃、急にやって来て、どういうつもりなんだよ」

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