骨がつくまで安静に
魔聖暦 前九百五十年
聖を統べる西大陸ウェスタリア帝国と魔を統べるイーストリア帝国の長きに渡る争いは、百二十年を超えついに決戦の舞台へと移った。双方国力は底をつき、なけなしの魔力、聖力を互いの王がその身に集め、よもや相撃ち。世界は再び全てを無に帰し、聖も魔もなく焼野原となるだろう、そう誰もが覚悟したその時だった。昏い天空を、突如大きな光が裂いた。人々の戦争を嘲笑うように、現れた巨大な彗星は、空間に満ちていた魔力も聖力も全てを飲み込み、大地に大きな亀裂を残した。
レヴェストリア伝記 第三巻四章より抜粋――
「……あれ?」
深い深い水の底から、ふわりと浮上するかのように意識を取り戻した私は、思わず小さく溜息をついた。ああ、よかった。やっぱり夢だ。そうだ、だってあんな上空からノーパラシュートで落下して、地面に激突なんてしたらこうして生きているはずがない。全く、なんて嫌な夢を見ちゃったんだろう。
やれやれ、と身体を起こそうとしたその時だった。まるで全身に高圧電流でも流れたかのようなとんでもなく激しい痛みに襲われる。
「うぎゃ!!!!!」
ビキビキビキ、と嫌な音が聞こえて、そのままぴくりとも動けない。涙目になりながら、きょろきょろと視線だけで周囲を確認すれば、そこはどうやら深い深い崖の底のようだった。高くそびえる赤茶色の絶壁は、とてもじゃないがこの状態で這って登れそうにない。
まさかの悪夢の続きで、絶望する。しかも、夢なのにやっぱり痛い。地面に激突した瞬間の記憶はないが(もしくは、あまりの痛みに記憶を失ったのか)、どうやら上空からこの大地へと落下したのは間違いがないようだった。
おそらく全身の骨が折れているのだろうが、あの状態から生きているって、いったい全体、私の身に何が起こったのだろうか。動けないまま、「ううん」と唸った、その時だった。ザ、ザ、と地面を歩く音が遠くで聞こえる。もしかして、こんな崖下に誰か人がいる!? 思わぬ救世主を逃すまいと、私は痛みを我慢して必死になって声を張り上げた。
「お願い、助けてください!」
声が届いたのだろう、足早に足音がこちらへと近づいてくる。ああ、良かった……助かった。ホッと胸を撫でおろして、あまりの安堵にぽろりとこめかみを涙が伝った。早く、救助隊を呼んで、ここから救助してもらおう。そう思ったのも束の間、私の背筋を再びヒヤリと汗が伝った。
「ぎゃあああああっ!」
「貴様、何者だ!!」
「あああああ、あなたこそ、いったい何なの!?」
目の前に現れた青年は、真っ白なコートに美しい金色のラインが入った軍服を身に着け、恐ろしい顔でカチャリと、銀色に冷えた剣を突きつけ、私を睨みつけていた。霞む視界を凝らしてみれば、青年自身も大きな傷を負っているようで、顔を伝う赤い血筋は、そのまま白い軍服を鈍色に染めている。
「イーストリアの人間か! よくもこのようなことを!」
「い、い、イーストリア?」
「とぼける気か!」
語気を荒げる青年に、私は必死になって「違います!」と声を上げる。全く訳も分からぬまま、剣を突きつけられている。左手でぐいっと血を拭いながら、困惑気味に私を見下ろす青年は、辛そうに小さく眉を寄せる。おそらく、かなり出血量が多いんだろう。ふらりと身体が傾いた瞬間、重たそうな剣がするりと抜けてそのまま私の首元へと当たりそうになる。
「ちょ、ちょっとぉ!」
「あ、しまった」
「しまった、じゃない!」
私は、渾身の力を振り絞って、なんとか直撃を避けるために折れている左手を払う。その瞬間、どんっ、という鈍い音を立てたかと思えば、青年の剣が無残にも真っ二つに折れていた。
「……えっ」
思わず自分の拳を見る。刃の部分が当たってしまったのか、薄っすらと手の皮に赤い一本線が刻まれてはいるものの、ジンジンと少しだけ痺れているだけで、特段変わった様子もない。目をまん丸に見開いた青年は、へし折られた愛剣と私とを交互に見遣った後、ごくりと大きく喉を鳴らした。
「ひ、人の皮を被ったモンスター……ですか?」
「なんだと!?」
とんでもなく失礼なことを言ってくる青年に、私は思わず盛大に突っ込んでしまった。こちらが動けないことをいいことに、青年は約一メートルの距離を保ち、地面に倒れる私の周りをうろうろとしながら観察を続けている。そうしてようやく、顎に手を当てながら「ふむ」と小さく唸った。
「……あなた、いったいそこで何をしているんですか?」
「いやいや、それ剣を突きつける前に聞いてよ!」
「その珍妙な格好はいったい……見たところ女性のようですが、膝を丸出しにして、なんて破廉恥なんだ」
この人、全然私の話を聞いてくれない。私の状態から、先ほどの警戒心はやや薄れたようだが、代わりにまるで珍獣でも見るかのような目で見てくるのは何なのよ。こちらから言わせれば、あなたの方がこんな崖下でコスプレしている変人にしか見えないっつーの。
「気づいたら、崖の下にいたのよ」
「もしやあなたも、先ほどの巨大な彗星に巻き込まれたのですか?」
「……彗星?」
「ええ、そうです。突如現れた空を切り裂くような大きな彗星が、大地に激突して大きな亀裂を生みました。おそらくその時の衝撃で多数の人間が巻き込まれているはずなのです」
そう言って、青年は真上からじっと私の瞳を覗き込んだ。まるで深い海の底のような濃紺の瞳だ。外国になどいったことのない私は、こんなに美しい色を始めて間近で見て、思わず心臓がどきりと鳴った。まったくミーハーな性分が嫌になるが、よくよく見れば、この青年は滅多にお目にかかることが出来ないようなとても整った顔立ちをしていた。白皙の肌に、ふわりと柔らかな黒髪、そして宝石のような藍色の瞳。思わずじっと見つめていれば、青年は申し訳なさそうな顔で頭を下げた。
「いきなりの無礼、申し訳ございませんでした」
「……い、いえ……」
「見たところ、骨が折れているようですね」
青年が、そっと私の腕に触れる。その瞬間、びりびりびり! と痛みが走り、「うぐっ」と鈍い声が口から漏れる。すみません、と口にした青年は片膝をつき、ゆっくりと私の身体を抱え上げた。
ふたたび全身が軋み、あまりの痛みにぼろぼろと涙が落ちるも、「ちょっと我慢してくださいね」とさらりと宣った青年は、そのまま私を近くにあった小さな洞穴へと移したのだった。
一体全体、どうしてこんなことに。
私は、全くといっていいほど、自分が置かれたこの状況を理解することが出来ないでいた。だって、記憶がない。激務の末、ようやくたどり着いた金曜日の夜。美味しい焼き鳥とビールを堪能していたはずなのに、気づけばノーパラシュートでスカイダイビング、後に全身骨折で崖下に不時着。そして、コスプレした青年に剣を突きつけられ今に至る。
ちょっと待っていてください、と私に告げた青年は、しばらくするとパンパンに張った革袋を片手に戻ってきた。よく見ると顔がすっきりとしていて、どうやら水浴びをしてきたようだった。
「幸運なことに、近くに水脈を見つけました。これで傷の手当と飲み水は確保出来ますね」
どうやら、私への誤解はすこしだけ解けた様子で、ほんのりと口元に笑みを浮かべながら手に持っていた革袋を掲げて見せた。ずっと緊張状態が続いていたせいで気が付かなかったが、そういえば喉もカラカラだ。私にも水を分けて欲しいです……そう視線で訴えかければ、青年はすぐに気が付いて、私の口元へと水を運んでくれた。ごくごくと喉を鳴らしながら飲む。美味しい、……すごく美味しい。勢いよく飲み過ぎて、ごほごほと咽れば、青年は優しく口元を拭ってくれた。
敵ではないと分かれば、本当は随分と心根の優しい人間のようだ。「ありがとう」と礼を言えば、驚いた様子で目を丸くした後、小さく首を横に振った。
「紹介が遅れましたが、私はレオンハルト=ハネンフースと申します」
「……雨宮光です」
「アマミヤヒカリ?」
「はい。ヒカリ、と呼んでもらえれば」
「わかりました。初めて聞くリズムだなぁ、素敵な名前ですね」
青年……レオンハルトに、にこりと笑いながらそんなことを言われて、思わず頬が熱くなる。洞窟が薄暗くて良かった。おそらく、私の顔は年甲斐もなく真っ赤になっているに違いなかった。
異世界にまでやってきたのにヒロインになれないなんて、私に何か問題でもあるのでしょうか。 夏子 @chloe7821
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