流星の剣士〜濡れ衣で魔王軍から追放された元幹部、最強の剣技と付与魔術により勇者パーティの要になる。俺を嵌めた奴が許してほしいそうだが、もう容赦はしない〜

コータ

流星の剣士

「タイガよ、貴様の所業は目に余る。今日をもって魔王軍から追放する」


 魔王城十二階、幹部達の作戦会議室に重苦しい声が響いた。


 声の主は竜達を統べる魔王軍幹部ヘルメス。短い金髪と凛々しい顔立ちをした美青年であり、長身を黒いローブで覆っている。


「俺が追放だと? なぜだ」


 漆黒の空間に円形の光が照らされ、戦士を統べる幹部と呼ばれるタイガが姿を現した。全身を漆黒の甲冑に包み、フルフェイスの兜をかぶっている。背中には一本の魔剣が預けられていた。


「ふん! 貴様の悪事が明るみになったからさ。これを見るがいい」


 自信満々なヘルメスの一声で、会議室中央の円卓に映像が流れ始めた。そこには一人のエルフが、草原に崩れ伏している姿が淡々と映し出されている。


「あれは……リリアじゃないか!」


 タイガは思わず叫んでいた。彼女は仲間であり、同じくして魔王軍幹部。互いに腕を磨き合った仲でもある。そんな彼女が、無惨にも切り倒されているなんて。


「あらあら、随分と白々しいわねえ。自分がやった癖に」


 今度はタイガの向かい側に光が当てられ、虫を統べる幹部ジェーンが現れた。長い黒髪を除けば、切れ長の瞳や口紅、更にはコートまで血で染めたような赤色をしている。


「俺がやっただと?」

「ええ、あの子の体には、その魔剣と同じ切り傷があったの。つまり、人間に殺されたのではなく、味方である魔王軍幹部から殺害されたということになるわけ」

「馬鹿な! 俺はやっていない、絶対に」


 普段はどんな批判や嘲りも流していた彼だったが、今回ばかりは声を荒げずにはいられない。何が悲しくて、仲間を手にかけなくてはいけないのか。


 苛立ちが垣間見える魔剣士を見下し、ヘルメスは楽しそうに頬を緩ませた。


「ハハハ! 間違いなくお前の持つ魔剣アインスによるものだ。照合はもう済んである。その刃と一ミリの誤差すらないのだ。貴様が所持している魔剣は、世界でもただ一つ、つまり犯人は決まったようなものだ。言い逃れはできんぞ」


 続いて映像は、魔王軍鑑識の調査結果に変わっていた。無惨に切られた柔肌が拡大描写され、刃の形状などを予想作成した映像に変わり、最後に魔剣アインスが一致しているという結果が表示される。


「嘘だ。それに、魔剣アインスには兄弟とも言える剣があったはずだ。あれを」


 必死の弁解に噛みついたのはジェーンだった。


「バカ言ってんじゃないよ。大昔に盗まれたもう一本の魔剣を持った奴が、偶然にも魔王軍の領土に忍びこみ、そしてリリアを切ったっていうの? 見苦しい弁解はやめなよ」

「く! だが俺ではない。本当に」


 魔王軍幹部タイガは、他の幹部とは明らかに気質が異なることで有名だった。ほとんどの魔王軍が騙し討ちや計略を用いることに重点をおいているのに対し、彼が率いる部隊は正面から戦うことを好む。


 その姿勢は、現魔王から高い評価を受けている。更には十七歳という異例の若さで、剣も魔法も伸び盛り。嫉妬している幹部達は数えきれない。その一人であるヘルメスが、勝ち誇ったように笑い声を上げる。


「クハハハ! もう貴様の言い分など通らんのだよ。本来ならば仲間である幹部を殺害するなどということは、極刑を受けて然るべき所業だ。だがなぁ、我らが慈悲深き魔王様は、貴様を追放処分だけで済ませると、そうおっしゃったのだ」

「魔王様に感謝しなさい。そもそもアンタみたい使えない奴、魔王軍幹部なんて過ぎた器だったのよ」


 ヘルメスに続いてジェーンの笑い声が室内に響き、釣られるように他数名の魔王軍幹部が笑い出した。何がそんなにおかしいのか。タイガはやり場のない怒りを、拳を握りしめることで抑える他なかった。


「違う! これはきっと誰かが仕組んだに違いない。俺がリリアを殺害するなどあるものか! 魔王様に誓ってそのようなことはない!」

「いつまでも女々しい男。アンタさぁ、そんなんだから役立たずなのよ」

「さあ、話は終わりだ。本日中に魔王島から出ていけ。それと、貴様は既に部外者。今後一切、魔王軍関係者と言葉を交わすことを禁じる」


 ◇


 力ない足取りで、彼はただ魔王城の廊下を歩いていた。あれから自らの潔白を主張しようと試みたが、決して覆されることはなく、ただひたすらに誹謗中傷を受けるだけだった。


 自らが濡れ衣を着せられ、仲間だった幹部まで殺害されてしまった。事実を受け止めきれない彼は、まるで幽霊のようにただ自室へと向かう。

 途中、魔族や魔物達とすれ違うことが何度もあった。恐らく新たな戦が始まるのだ。しかし、タイガにとってはもう他人事でしかない。


(そうだ。俺の部隊の奴らは……)


 彼が指揮を執っていた部隊は、既にヘルメスとジェーンの部隊に吸収される手筈になっている。良い噂を聞かない連中だけに心配だった。


 しかし、もう会話自体が禁じられてしまっている。悩んだ末、そっと去ることに決めた。


 だが、もう一つ寄り道をしなくてはならない。魔王城から出て川を挟んで歩いた先に、戦いによって散った魔族や魔物達の墓地があった。見渡す限りに広がる墓の中、彼はようやく見つけたとばかりに足を止める。


「リリア。今回のことはなんと言うべきか。残念だったな……」


 魔王島と呼ばれるリスホルン島は、世界でも例を見ないほどに大地が荒れ果てている。だから花や作物がなかなか育ってはくれない。死の大地とされ例えられる島において、花を手向けることすら容易ではなかった。しかし、タイガはどうにか見つけてきた花を、戦友だったエルフの墓に添えた。


「君の仇は俺が取る。どんなに時間がかかろうとも、必ずだ。約束するよ」


 しかし、犯人を探す手立ては見つからない。唯一の手がかりといえば、自らが持つ魔剣と全く同じ形状をした剣を使っていたということ。タイガが知る限り、彼と同じ剣は世界にたった一つしかない。それを持っていればリリアの仇だということだ。


 剣士は魔王軍のトレードマークであった黒い甲冑から、銀色に輝く甲冑へと着替えていた。既に自分は魔王軍ではない。魔族側でも人間側でもない、ひどく中途半端な立ち位置になってしまった。つい先日までは、想像もしなかったことだ。


 不満も憤りもある。しかし、今はリリアを供養することに集中していた。しばらく永眠した友に語りかけた後、静かに魔王島を後にする。


「しかし、探すのは時間がかかるだろうな。とりあえず俺は初心に帰ることにする」


 彼にとって、軍に所属するというのは本来の目的ではなかった。元々はただ、あくなき強さを求め修行していた剣士に過ぎない。日々の仕事に忙殺され、剣も魔法も修練の時間が削られていた。でも、これからは使い放題だ。


 自分の腕を磨く旅に出る。勿論、リリアの仇も探しながら。甘くはない道だが、それ以外の生き方をタイガは考えられなかった。


 まずは、人間達が腕を競い合っているというコロシアムに行くとしよう。世界地図なら持っている。ペリアーノという町のようだ。本来ならば、二、三日で着くはずの旅路となるはずだった。


 だが、彼には一つ大きな欠点があった。


 ◇


 タイガが魔王城の正門から出ていく姿を、窓から観察していた者達がいた。

 魔王軍幹部であり現在のリーダー格と称されるヘルメスと、彼と最も協力関係にあるジェーンだ。


 ここはヘルメスの部屋の中であり、ジェーン以外は誰もいない。


「上手くいったみたいね」

「ああ、奴はようやく分相応の身になったということさ。多くの部下や名声、住む家すら与えられるほどの男ではない。身の程を知れと言ってやりたい」

「あははは! さっき思いっきり虐めたじゃないの。まあ、あのボンクラには効き目がなかったようだけど」


 キングサイズのベッドで横になっているジェーンは、手にした赤いワインに自分を映した。全てが血で染まったようでぞくぞくと震え、これからの出世を想像しただけで興奮を覚える。


「リリアのこと、誰にも話していないな?」

「ええ、そこはご心配なく。だってあいつをやっちゃったことが知れたら、この私だってタダじゃ済まないでしょう」

「ふん……ならば良い。上手くあのエルフを人気のない所に誘い出してくれたのは、お前の協力なくしてはできなかったからな」

「うふふふ。リリアを手にかけて、タイガを追放する。そしてどちらの部隊も自分達が吸収するなんて、ほんとえげつない事したものよね」


 ヘルメスはベッドまで歩いて腰を下すと、ブーツのかかとを床に引っ掛けるようにしてずらした。床の一部分がスライドし、中からボタンが姿を現している。そのままブーツの裏で踏みつけると、側にあった壁が両開きになり、一つの剣が顔を出した。


「本当に、あの剣士が使っていたのとそっくりね」

「ああ。同じ名工が作ったものだからな。クク……クククク! タイガめ。あの間抜け面を思い出す度、おかしくて堪らん。奪ってやったぞ。貴様から何もかも奪ってやった! そして俺達はこのまま成り上がるのだ。次の魔王候補などもう決まったようなものだ! ハハハハハ!」

「そう、ね。うふふふ」


 二人はしばらく笑いが止まらなかった。タイガとリリアが台頭してきたことにより、二人は魔王軍幹部としての評価が落ちていたのだ。


 なんとしても自分たちの株を上げるべく必死だった彼らは、一つの計画を思いついた。


 それはここ数年出世著しい二人の幹部を潰し、その軍勢を貰い受けること。さらには手にした軍勢の力を持って、大きく魔王軍の領土拡大に貢献することだった。


 ヘルメスとジェーンの計画は、半分は成功していた。残りの半分……領土拡大の為に侵攻する件については、まだ計画の途中である。


 ◇


 美しい浜辺で血みどろの死闘が繰り広げられている。

 複数のゴブリン達と必死に戦っているのは、たった一人の少女だった。


 彼女の名はシンディ。つい先日神からの信託を受け、勇者となった十五歳の少女。故郷から大陸へ渡った矢先の出来事だった。長い金髪を後ろに纏め、白い布服の上に赤い軽量プレートメイルを纏っていた。


「はあ……はあ……」


 息を荒くしながらも、ゴブリン数匹に囲まれている彼女は懸命に剣を振り回していた。一斉に取り囲んで集中攻撃すれば勝てる、そう踏んでいた草色の魔物達は、想像以上の粘り強さに驚きを隠せない。


 しかし、戦いではやはり数が物をいう。少しずつ海辺に追い詰められつつある勇者は、体のあちこちに打撲や切り傷ができ始めている。


「う……あぁ!」


 ゴブリン達は残すところ五匹程度。初めての戦闘だったが、既に十匹以上は仕留めている。その様子を遠間から眺めている者がいた。銀色の甲冑を装備している闇の剣士、タイガである。


(ペリアーノの町に向かうところで、こんな場面に出くわすとは。しかし、気に入らない)


 とうとうゴブリン達が完全に片膝をついたシンディを包囲した。このまま地面に這いつくばらせ、集団でなぶるつもりなのだろう。そう思った時には、彼はシンディの前に立っていた。


「……え」


 背後に聞こえるか細い声を無視しつつ、剣士は振りかぶってくる棍棒をラウンジシールドで弾き飛ばし、横から払ってくる剣を紙一重でかわす。

 未熟な女勇者には視認すらできないその剣は、流れるように五匹の魔物を切断していく。


 一通り悲鳴が終わった時、浜にはシンディとタイガだけが残されていた。


「す、すみません。助けていただいて、ありがとうござい、」


 立ち上がってお礼をするつもりが、前のめりに崩れ落ちてしまう。咄嗟にタイガは彼女を受け止めた。


「気にするな。俺は気に入らないほうの敵になる。ただそれだけだ」

「は、はい」


 彼女にしてみればよく分からない理屈だったが、今はそれどころではない。座り込んで魔法の詠唱をすると、打撲や切られた傷が完全に消え去っていく。


「君は魔法剣士なのか」

「いえ、その。あたしは勇者です。あんな情けない姿を見せておいて、恥ずかしいですけど」


 剣士は兜の奥で目を見開いていた。魔王軍幹部だった頃なら、天敵に出会ってしまったようなものだ。


「勇者か! しかし、なぜたった一人で?」

「じ、実はなんですけど、その。私の故郷はほとんど戦いに出れる人がいないんです。大抵は農家で、武器を持っても全然弱くて。それで、一人で来ちゃいました。いやー、最初の戦いでこんな目に遭うなんて、思ってなかったんですけどね、えへへ」


 彼女の答えは、タイガの心を微かに動揺させた。たった一人でこの集団に立ち向かうあの姿は、何処か輝いていた。あの戦いぶりで初戦ということは、かなりの才能を秘めている。


「逃げようとは思わなかったのか」

「あ、はい。それなんですけどぉーええ!? 剣士さん、なんか来ます!」


 タイガは特段動揺しない。既に気配はずっと前から察知している。恐らくゴブリン達の頭をしていたのだろう。身の丈にして四メートルはある巨大なトロルが、棍棒片手にのしのしと歩いてくる。


「あれは気にしなくていい。それより君、逃げようとは思わなかったのか?」

「え、え!? はい、そうですね。逃げたほうが良かったと思ったんですけど、先に襲われていた人達を逃さなくちゃいけなくて。もう無我夢中でした」


 トロルは全身が黒く染まっている。魔王城で見かけたこともある、トロル達のキングだ。怪物はゲヘゲヘと汚い笑い方をすると、一気に目前まで駆けてくる。巨体に似合わず俊敏そのもので、シンディが気づいた時には棍棒が真っ直ぐに落とされようとしていた。


「あ、危ないー!」

「君は本当に勇敢なんだな」


 しかし、等の剣士は全く動揺した素振りを見せない。勇者は信じられない光景を目の当たりにして固まってしまう。トロルキング全力の振り下ろしを、剣士はまるで軽く添えるように、左手で受け止めたからだ。


 身を強張らせる勇者の瞳には、ゆっくりとこちらを振り返る剣士の姿が反射している。彼が剣を脇にある鞘に収めるのと、トロルキングが全身を切断されて倒れるのは同時だった。シンディには切った瞬間が分からない。


「え、えええー! ど、どうやったんですか今の?」

「ん? 剣で切った」

「いえ、それはそうなんでしょうけど。でも、その前も! こんなデッカイ魔物の棍棒を、片手で受け止めてましたよね?」

「筋力低下の魔法をかけたんだ。奴が棍棒を振り上げた時には、力は十分の一以下にまで落ちていた」


 シンディは次から次へとくる情報に混乱している。これは俗にいうバフ・デバフという概念の魔法で、彼女にも知識自体はあった。だが、あまりにも規格外なその効果と、目で捉えることすらできない剣技。目前にいる剣士は、只者ではない。


「凄すぎますよ。あの、どちらの冒険者さんですか? あ! 申し遅れました。私、シンディって言います」

「……冒険者ではない。俺はタイガ。ただの剣士だ。素晴らしい才能だが、仲間を集めて安全な旅をしたほうがいい。それでは」


 人のことは言えないなと思いつつ、タイガは背を向けて浜辺を去ろうとする。早くコロシアムに行ってみたかった。だがその背中を軽い足音が追いかけてくる。


「待ってくださいタイガさん! あの、もし良かったらですけど、私と一緒に旅してくれませんか」


 ◇


 白銀の鎧に身を包んだ男は、兜の奥で困惑していた。

 今は女勇者と二人、この大陸で最も栄えているという王都フォルニアへと向かっている。深い森をいくつも抜け、草原から舗装された道に入る。既に城や背の高い建物がうっすらと見えていた。


「へええー。タイガさんは、ひたすら自分を鍛えるためだけに、旅に出ていたんですね」

「まあ、そんなところだな」

「でもでも、ビックリしちゃいましたよ! ペリアーノの闘技場って、この大陸とは真逆のイプスター大陸にあるんです。まあ、私も地元が近いから知ってたんですけどね。地図の見方とか知らなかったんですか? どうやったらこっちに辿り着くのか不思議です」


 タイガは返答に困った。自分が方向音痴であることは自覚していたが、最近では直ってきた自負があったのだ。それがこの有様である。


「見方はわかっているんだけどな。なぜかいつも道を間違えてしまうんだよ。王都には、君の目的とするギルドがあるのか」

「はい! 私はそこで仲間を見つけて、本格的な魔王討伐の旅に出るんです。タイガさん、これからよろしくお願いしますっ」

「いや、よろしくと言われてもな」


 仮にも元魔王軍幹部である。積極的に元仲間達とやり合うなんてことにはなりたくない。しかしそんな本音は決して話せないタイガは、なんだかんだでシンディに引っ張られている。


「ダメですか? じゃあ剣術と魔法と、カッコいい鎧の着方を教える先生になってもらえませんか」

「最後の三つ目がよく分からないが。先生なんて腕じゃないんだ」

「じゃあ、友達になりましょう」


 唐突に満面の笑みで握手を求めてくるシンディに、全身を鎧で固めた男は苦笑する。どうも彼女はすれていないというか、驚くほど真っ直ぐな何かを持っている。


「いや、ライバルってことにしよう。君が強くなって、いつか戦うという前提だ」

「ら、ライバルですか!? む、無理ですよ。私なんかがタイガさんと戦うなんて。あ! 見てください。今日はお祭りみたいです」


 気がつけば王都に足を踏み入れていた二人は、街中に溢れる人混みと活気に飲まれていた。ガーランドや風船がそこら中にあって、どこにいても子供の歓声が聞こえる。


「今日は建国記念日なんです! いつもはお菓子とかケーキとか全部割高なんですけど、今日だけはサービスで半額にしてる店が多いんですよっ。ああ、来て良かったぁ」

「冒険よりお菓子やケーキのほうが大事みたいだな」


 隣を歩くシンディは、町行く子供と変わらない目の色をしていた。いつも戦闘に身を置いていたタイガには、この奇妙なほどおおらかな世界が不思議でしょうがない。


「うわー。凄い凄い! ワクワクしちゃいますね。あ! あれです! あの酒場がギルドですよ」


 レンガ通りを進んだ先に大きな酒場がある。強い奴の匂いがするな、とタイガは期待に胸を躍らせていた。


 ◇


 ギルドに入るなり、シンディはすぐに受付の女性に声をかけに行った。社交的の高さに羨ましさを覚えたタイガは、しばらく成り行きを見守ることにする。


 受付嬢は慣れた進行で勇者をサポートし、いくつかの紙をテーブルに差し出してた。


「旅に出る仲間を求めているのですね。今でしたら、この方達はいかがでしょう」


 昼間だと言うのに、冒険者ギルドの酒場フロアは人で溢れかえっている。誰が戦士で、誰が魔法を扱う者達なのかは、服装と空気で大体察しがつく。


「んー」


 困り眉になりつつ、次から次へと在籍メンバーの情報を調べていくシンディは、ちらりとギルドの壁に寄りかかって見守っているタイガに声をかける。


「タイガさん! 攻撃の魔法とか、回復の魔法ってできますか?」

「俺にできるのはバフ・デバフだけだ」

「そうですか。まあ、あたしが攻撃魔法も超強いのをこれから覚えるとして、回復魔法ができる人は欲しいなー。でも……高い」


 冒険者ギルドで仲間を紹介してもらう際は、紹介された本人にスカウト料を、冒険者ギルドには紹介料を支払うことになっている。紹介リスト右側にはそれぞれの料金が記載されているが、どれも裕福とは言えないシンディには厳しい者だった。


「回復専門の人はー。あ! いたいた……げげ!?」


 相当値段が張るらしいな、とタイガは彼女のリアクションで察してしまう。


「どうしよー。あ! ま、待って下さい。この上級職の聖女さん。値段が書いてませんけど」

「え、ええ。そちらの方は、今ワケありでして」

「ワケあり? この人にお会いできませんか」

「教会なら存じておりますので、そちらに行けば会えるかと思います。では、地図をお渡ししておきますね」


 冒険者は職業によってスカウトできる金額が大きく異なり、聖女ともなれば普通の町民には決して払うことができないほど高額になるのだが、なぜかたった一人、値段表示がない者がいた。


 希望を抱いたシンディと、少しばかり心配になるタイガだったが、とにかく二人は教会に向かうことにした。


 ◇


 王都フォルニアは大きく分けて三つの地区に別れている。富裕層区と中等区、それから貧困地区である。

 タイガ達が向かったのは貧困地区からほど近い、大きくも小さくもない、これといった特徴を持たない教会だった。


 扉を開けて中に入ると、中には聖女と思わしき人物だけがおり、祭壇付近で祈りを捧げている。長い紫の髪と白い肌、黒いロングワンピースにより全体的に細く見えるのだが、胸部だけは膨らみが目立っていた。年はタイガより少しだけ年上で、大人になったばかり。


「ご、ごめんください! セナさんはいらっしゃいますか!」


 勇者の鈴の音を思わせる声を背に受け、彼女はゆっくりと振り返った。


「セナは私ですけれど、何か御用でしょうか」

「あああ! 本当にいましたぁ。聖女様、聖女様ですね!」

「きゃあ!?」


 瞬時に目前まで駆け寄ってくるシンディに驚き、身をこわばらせるセナ。タイガは少々呆れてしまっていた。


「いきなりすまない。俺は剣士タイガ。そちらは勇者シンディ。共に旅をしてくれる仲間を探していたんだ」

「そうなんです! ちょうど回復役の方が欲しかった時、セナさんのお名前を知りまして。是非と思って教会まで来ちゃいました!」

「は、はあ……そうだったんですの」


 しかし、聖女の反応は芳しいものではない。


「嬉しいお誘いですけれど、今の私では、お二人のご希望には添えないと思います」

「え? どうしてですか」


 セナは悲しげな微笑みを浮かべる。


「私にはもう、治癒の魔法が使えなくなってしまったのです」

「治癒の魔法が、使えない? な、なんでえ?」


 聖女にとって、それは申告したくない恥でもあった。


 十二歳の頃聖女としての力に目覚めた彼女は、天井知らずに多くの聖魔法、治癒魔法を習得していった。魔力も伸び盛りで、もしかしたら世界中の聖女達の中でもトップクラスに成長するかもしれない、そう期待されてもいた。


 だが、数年間に渡り多くの人々を魔法によって救い続け、いつしか自らの体の不調に気がつく。そしてその不調は、時が経つにつれて明確になっていった。彼女は治癒魔法を発動させても、すぐに効果が切れるようになってしまったのだ。


「魔法を使ってすぐに、効果が切れちゃうんですか」

「正確には少し異なりますわ。恐らく、魔力が極端に少なすぎて、ほんの僅かにも継続させることができないのです。今では子供が転んだ痣すら治癒できないのです。私はもう、引退すべきなのかもしれません」

「えええ! そんなぁ。まだまだこれからなハズじゃ……」


 タイガは遠間からみていても、薄々彼女の魔力が機能していないことは分かっていた。静かに彼女の元に歩みを進める。


「恐らくだが、君の不調はすぐに治る」

「……え?」

「まずは、」


 言いかけた時、教会の扉が力強く開かれた。外から息を切らせて入ってきたのは、貧困街で暮らす女性で、背中には幼い男の子が担がれていた。


「聖女様! お助け下さい」


 倒れそうなほど疲労の表情を浮かべた彼女は、よろよろとセナの元へとやってくると、背中におんぶしていた男の子をおろして見せた。


「息子が酷い熱で。でも誰も診て下さらないんです。どうか治療をお願いできますでしょうか」

「そ、それは……その。私では、難しいので、代わりの方を呼んできますわ」


 本来高熱程度なら、聖女の治癒魔法ですぐに治せるはずだった。しかし、彼女にはできない。焦って助けを呼ぼうとする彼女の手を、タイガは掴んだ。


「待てセナ。君なら治せる」

「し、しかし私は」

「君を治した後、すぐに少年を治してやればいい。すぐに終わる」

「すぐに……って」


 シンディもまたセナの手を掴む。


「大丈夫ですよ! タイガさんはかなり強い方で、あたしの命の恩人でもあります。きっと何か方法を知っているんです」

「本当、ですか?」


 背中を押されるような勇者の言葉があっても、まだ聖女は剣士を疑っていた。今までこの謎の魔力欠乏を解消させようと、多くの人を頼った。それらの行動は全て、多くの失望に変わった。今回もまたぬか喜びに終わるのではないかと、心の奥がざわついている。


「あまり時間をかけると、そちらのお子さんが辛いぞ。両手を前に出すんだ」


 あまり期待はできない。そう思いつつも、セナは言われるがまま両手を前に出した。その手にタイガの手袋が重なり、二人を中心に白い光が発せられる。


 タイガはセナの魔力経路を調べていた。血を行き渡らせる為の血管と同じように、多くの生物には魔力を循環させるための経路がある。


 意識を集中し、全身に存在する魔力経路がどう流れているかを読み取る。しばらくして、セナの体は白い巨大な光に包まれ始めた。


「こ……これは……」


 聖女は自身の体に、感じたこともないほどの暖かな何かが注がれていることに気がつく。それはタイガから発せられた魔力を増強させる付与魔法だった。


「魔力経路に詰まりがある。魔力を注ぎ続けて取り除くことにする」


 淡々と語る剣士に、聖女は驚きを隠せなかった。これほどまでに強い付与魔法を体感したことは、人生で初めてだったから。少しして、自らの体に魔力が溢れていくことを実感する。それは数年前、魔法が使えなくなる少し前まで感じていたものと同じだった。


 やがて光は徐々に収まり、完全に消え去っていった。静寂に包まれた教会の中で、聖女はいつしか涙を流していた。


「ど、どうなったの!? セナさん、大丈夫?」

「ええ……ええ。大丈夫ですわ。それでは、治癒してみます」


 呆然とするシンディに微笑み、セナは高熱にうなされる子供のそばに跪いた。白く細い両手のひらを向け、翡翠のような色の治癒魔法を穏やかに放つ。


「ええー。こんなに凄い回復魔法、初めてみる」


 勇者はあまりの神々しい光に尊敬の念を覚える。剣士はただ黙って見ていた。他の聖女達よりもずっと多くの時間、彼女はたくさんの人を救い続けた。そのせいで衰えたということは決してない。ただ、魔力の循環が滞っていたと言うだけ。


 男の子はしばらく苦しそうにもがいていたが、やがて静かな寝息を立てるまでになっていた。母はみるみる顔色が良くなっていく息子を見て、喜びの涙を流していた。


「ああ、良かった! もしかしたら助からないかもしれないって、ずっと不安でした。聖女様、ありがとうございます。ありがとうございます」


 セナは優しく女性に一礼をした。もし彼女のような者が魔王島にいれば、リリアは助かったのだろうか、そんなことをタイガは一人考えていた。


 ◇


 母子が去り、一度三人は教会から出た。カフェのテラス席で話をすることになり、すぐさまシンディがセナに身を乗り出す。


「セナさん! 是非是非、あたし達の仲間になってください!」

「お、おいおい。もうちょっと前置きとかしてだな」


 勢いがあり過ぎるのも考えものというか、新人勇者は情熱だけで突っ走り、他の人間を置いてけぼりにしてしまうところがある。


「……かしこまりました。それではシンディさん、タイガさん、これからしばらくの間、ご一緒させていただきます」

「や、やりましたー! タイガさん、二人目の仲間が誕生ですよっ」

「そうか。わか……え? ちょ、ちょっと待て。いいのか、本当に?」


 店員から届けられた紅茶を一口飲み干してから、セナは穏やかな笑みを向けた。


「はい。元々私は旅の聖女だったのです。ここには成り行きで長居していたに過ぎませんから。それに」


 紫の長髪が午後の陽光に反射して煌めく。その姿には、先程までの憂鬱な女性とは別人だった。


「私を元に戻していただいた恩を、タイガ様に返さなくてはなりません」

「大袈裟だな。大したことじゃない」

「いいえ。世界中の高名な魔術協会の方々、神聖魔法協会の皆様でも治せなかったのです。タイガ様の魔法は、恐らく誰も到達したことのない高位であることは間違いありませんわ」

「やっぱり! タイガさんを誘ったあたしの目に狂いはなかったんですね」

「買い被り過ぎじゃないか」


 タイガからすれば、自分が高位の使い手だという自覚はない。しかし、剣も魔法も、彼は幼少の頃から激しい修行を続けていた。


「決まりですね! みんなで魔王を討伐しましょう」

「まあ、頑張ってくれ」

「なんか他人事じゃないですか!? 私達はもう一心同体ですよ」

「まだ知り合って一日だぞ。そもそも俺はコロシアムに行くのが第一の目的だし」

「っていうかタイガさん、ご飯の時は、兜は外したほうがいいんじゃ?」

「……そういうものなのか」


 魔王軍幹部にまで上り詰めた男は、ずっと魔族達の中で育った。だから人間の常識が分かっていない。しかし彼は、気にせずそのまま兜を被り続けていた。

 兜の奥にある素顔をシンディ達が知ることになるのは、少し先のことである。


 聖女は終始落ち着いていたが、これからの新しい生活に内心希望を抱き始めていた。自分という存在を復活させてくれたタイガにも、この旅でできる限りお礼をしたい。そして世界中の人々の傷を癒す旅を再開できることが嬉しくてたまらなかった。


 ◇


「負けた……? 撤退しただと。こ、この馬鹿者がぁ!」


 魔王軍作戦会議室で、ヘルメスが大声を張り上げながら、跪いていたダークエルフの頭にワインを投げかけた。


「ドックトン王国はどうしても落とさねばならぬ。三日後には陥落している計算だったのだぞ。竜どもが攻めあぐね、おまけに貴様ら元タイガの部隊も役立たずとはな! 使えない奴ばかりだ!」


 ダークエルフの女は、銀髪に降りかかった酒を気にしつつも、ただ項垂れるように床を見ている。


「もう良い! 次の作戦は追って指示する。とっとと消えろ」

「失礼します」


 タイガを追放した後、ヘルメスは成果を急いだ。今まで積極的に侵攻することをためらっていた他幹部に先んじて、世界有数の大国ドックトンを攻め落としにかかったのだ。


 戦いは一週間以上続き、ヘルメスの目論見では国の半分近くまで攻めおおせているはずだった。何故なら自分とタイガがいた部隊だけではなく、ジェーンの虫部隊も動員しての集中砲火だったからだ。


「どうなってるわけ? アンタがどうしてもって言うから、大事な子達を貸してあげたっていうのに! 敗走したなんて信じられないんだけど」


 当然、ジェーンもまた焦っている。ドックトンへの勝利に貢献すれば、前例のない大偉業だ。もはや揺るがない地位を確立できることは間違いない。


 しかし、敗退したのならば話は全く異なる。他の幹部達はせせら笑い、軍内での地位すら危うくなる。それだけではない。下手をすれば実際に領地を奪おうと画策する魔族も出てくることだろう。


 そんな時だった。あらゆる不安要素を頭に思い描き、苦い顔になっているヘルメスの元に、黒いローブを目深に被った魔物がやってきたのだ。


「ヘルメス様、ジェーン様。魔王様がお呼びでございます」


 瞬間的にヘルメスとジェーンは目を合わせ、同じように青ざめた。脳内で想定していたよりも酷い事態に、今から陥るのかもしれない。

 彼らはすぐに魔王の元に向かう他なかった。


 ◇


 謁見の間にやってきた二人は、一眼で魔王が苛立っていることを察した。白髪を全て後ろに撫で上げ、漆黒の鎧に身を包んだ男は、見た目こそ若いが年齢は中年に差し掛かっている。


「お待たせ致しました。我々に、何かご用でしょうか」


 ヘルメスに続きジェーンが挨拶をしたが、魔王は特に反応しない。


「お前達二人を呼んだ理由は二つだ。まず一つ、此度のドックトン侵攻の失敗について」


 やはりか。ヘルメスは額に汗が浮かび始めていた。


「お前達が束ねる部隊は、我が軍有数の猛者達ばかりだ。報告にあった数で襲撃していれば必ず殲滅、支配までつつがなく済ませることが可能だった。しかし、今回それは実現しなかった。なぜだ?」

「は、はい……。私としても、完全に成功する計画を立てておりました。しかしながら、今回部隊の中核を担わせていた、戦士団のリーダーが失敗ばかりだったのです。私の指示を聞く耳も持たず、勝手な行動ばかりでした。奴らには厳罰、いや極刑が必要でしょうな」


 戦士の部隊に責任を押し付けようというヘルメスの考えを知り、すぐにジェーンが後に続く。


「わたくしも聞いておりました。魔王軍有数の強者として噂されていたタイガの部隊とは思えぬ迂闊さ、そして間抜けさ。此度の落ち度は、全て彼らにあると言っても大袈裟ではございません」

「ほう。なるほどな。あくまで責任は戦士部隊にあると。しかし、お前達の話には矛盾がある」


 てっきりすぐに納得してくれると思っていた魔王が、先ほどよりも鋭い眼光になった。ヘルメス達は動揺が隠せない。


「戦士団の幹部達に、直接作戦指揮について確認と調査をした。その内容は間違いなく貴様が指示し、戦士達は忠実にこなしていたぞ。ヘルメスよ、お前の指示通りに動いたが故に失敗し、そして結果的に敗走したのだ」

「ば、馬鹿な! それは何かの間違い、」

「証拠は記録書類としてはっきり残っている。それとも、我が直属の部下が調査した内容がデタラメだと抜かすか」

「いえ……決してそのような……」


 魔王は、気に入った存在を貶めるような発言や行動を許さない男である。今回の調査は彼の直属の部下が行なっていた。二人の魔王軍幹部は、背筋が冷たくなるのを感じた。


「さて、一旦この話は置いておこう。重要なのはもう一つだ。先程の話にも名前が上がっていたが……一人の幹部が姿を消したな」

「は……はい」

「おかしい話だ。幹部クラスの者が辞めるというのに、我が後から知ることになるとは。タイガを追放したのは、お前達二人によるもので間違いないな?」


 ヘルメスは前のめりになりつつ、思わず叫んでいた。


「あの男は魔王軍の面汚しです! 魔王軍幹部リリアを手にかけ……かけ……」

「どうしたヘルメスよ。言いかけて止めるなどお前らしくもない。いやはや、全く驚かされたぞ。タイガがリリア殺害の犯人であるとして、追放処分にしたそうだな。我に許可一つ取ることなく」


 魔王は静かに玉座から腰を上げると、散歩でもするように二人に近づいてくる。ヘルメスもジェーンも、恐怖で全身が震え始めていた。


「不確かな証拠だったそうではないか。更には、我がタイガを追放処分とすることを決めた、などと嘘を吐いてたそうだな」

「そ、それ……は……」

「魔王様、わたくしは今回の件とは無関係、」


 ジェーンが言い終える間もなく雷は落ちた。魔王の全身から発せられた黒き稲妻が、二人に地獄のような時間を与える。


「ぐあああああ!」

「ぎゃあああああー!」

「ふん! この愚か者どもめが。貴様らの舐めた行為には、到底我慢ならん。更に許せんのは、我が最も期待していた幹部であるタイガを追放したことだ! あやつは素晴らしかった。正面から戦いぬく度胸。魔族達から慕われる飾り気のない心。欲まみれのお前達とは比較にもならぬ」


 二人の幹部は床に這いつくばり、雷が消え去ってもなお苦しみ喘いでいた。ふと、上から何かが擦れたような音がする。ヘルメスが必死に顔を上げると、目前に魔王の剣が迫っていた。


「ひぃ! ま、魔王様。お許しを」

「聞け。愚かな幹部どもよ。貴様らは失敗を犯し過ぎた。本来ならば首を跳ねるところだが、あと一度だけチャンスをやる。確かな成果を我に捧げよ」

「確かな、せい、か……」


 ジェーンは呟くように、魔王の言葉を繰り返していた。


「ドックトンとの敗戦、我の名を語った追放、タイガを失ったこと。この三つが帳消しになるように、我に何かしらの成果を見せよ。もしまたすぐに失態を犯したならば、今度こそ命ないものと思え。良いな?」

「ははっ!」


 ヘルメスは必死になって地面に頭を擦りつけ、魔王の命に従う意思を示した。ジェーンもまた、掠れた声で同じように返事をし、二人はよろめきながらも逃げるように扉を出ていく。


 帰り道の廊下で、二人の幹部は必死に次の手を考えるしかなかった。


「成果を上げろと言われても、どうすればいいのよ」

「うるさい! 今考えておるのだろうが。貴様こそ俺に頼ってないで自分で見つける努力をしろ」

「なによその言い方。く……とにかく確実に、魔王様にアピールできる何か。弱っちい人間達を鴨にするしかないよ」

「弱い連中か……弱い連中。そうだ! いたぞ。丁度良い鴨どもがな!」


 追い詰められていたはずの男は、逆転の手段を思いつく。彼の話に耳を傾けたジェーンは、思わず口角が上りほくそ笑む。


「素晴らしいじゃないの。挽回どころじゃないわ。むしろ一発逆転できるくらいよ」


 二人の行動は早かった。その日のうちに部隊を呼び集め、目的の地を告げ進軍を開始した。彼が乗り込んだ竜車の荷台には、一本の魔剣がひっそりと隠されていた。


 ◇


 晴れ渡った青空の下、タイガは無心で剣をふり続けていた。

 新たな町に着いた三人は宿で一泊し、今日は冒険者ギルドで依頼を受ける手筈になっている。


 人間の暮らしとは、なんとも変わっている。タイガにとっては全てが新鮮だった。実際、人間からすれば彼のほうがずっと変わり者なのだが。


「ふわぁー。あ、タイガさん、おはようごじゃいますぅうう」

「おはよう。どうだ? 稽古でもしないか」

「えええ。まだ朝なのにぃいい」


 半分寝ぼけ気味になっているシンディは、そのままよろよろと宿へ戻ろうとする。二度寝するようなら起こさなくてはいけないなと思いつつ、そういえば朝から市場に向かっていたセナが戻っていないことに気づいた。


 朝なら安く食材が手に入りますから、と節約することが上手な聖女は、冒険初心者の少女とずぼらな男にとって救世主だ。彼女がいなくては、きっとパーティの家計は燃えまくっているに違いない。


 しみじみ思いつつ、タイガは空を気にしていた。鳥達がやけに慌ただしく飛んでくる。まるで何処かから逃げてきたようだ。


 少しすると、慌てたようにセナが駆けてきた。


「た、大変ですわ! タイガ様! ルズベリー国が魔物達に襲撃を受けているそうです」

「ルズベリー国? どこかで聞いたな……」


 何か既視感のある、嫌な感覚があった。リリアを失ったことを知った時のような、取り返しのつかない何か。ただ、今回は自分ではなく、勇者にとってではあるのだが。


 ◇


 王都の中央広場に配られていた新聞を見て、勇者はただ固まっていた。


「う、嘘……どうしてあたしの故郷が、」


 愕然とするシンディの細い手を、セナは優しく包む。一行はすぐに旅用の服装に着替えたが、ここから彼女の故郷までは船で何日もかかってしまうほどに遠い。


「理由は分かりません。ですが、皆さんが無事であることを信じるしかないでしょう」


 聖女が必死に勇者を宥めようとする中、剣士は考えを巡らせていた。ルズベリー国は魔王軍の侵攻優先度としては最低クラスに入る国だったはず。

 他に攻めなくてはいけない国はいくらでもあったはずなのに、なぜ今なのか。


 おかしいと彼は思う。魔王島からも遥かに離れ、優先度としても低すぎるあの土地を狙うのは、よほど愚かな行為としか考えられない。


 そんな愚行を犯す連中といえば……。

 考えた末に自然と首を横に振っていた。まさかあいつらとて、そこまで愚かではないはずだと。


「どうしよう……助けに行っても、今からじゃ絶対間に合わない」


 シンディの声が掠れている。見れば瞳は普段よりも煌めいて、大粒の涙を流していた。釣られるようにセナもまた泣き始める。


 だが、タイガは二人のように悲観してはいなかった。


「世界地図を見せてくれないか」

「え、は、はい」


 セナは言われるがままに地図を手渡した。現在地と、シンディの故郷であるルズベリー。なるほど、確かに船であれば運よく天候に恵まれたとしても、四日か五日はかかってしまうだろう。


「すぐに辿り着く方法ならある」


 唐突な剣士の一言に、勇者と聖女が目を見開いて固まる。


「え! ほ、本当ですかタイガさん。あたしの故郷、すっごい遠いんですよ?」

「船より早いとなりますと、竜車でしょうか。ですが、海を超えることは叶いませんし」


 二人の疑問は当然だった。タイガは疑問には答えず、静かに意識を集中する。次第に鎧の隅々から白い炎のような何かが湧き上がり、ついには全身を覆い始めた。


 そしてタイガは、ゆっくりと二人に近づくと、片手で一人ずつ腕に抱えた。


「ひゃああ!? え、ええー。なに、何してるんですか?」

「た、タイガ様! ご乱心されたのですか」

「しっかり捕まっているんだ。もし落ちたら助からないぞ」


 白い炎のような何かは、さらに勢いをまして巨大化していく。これはタイガの付与魔術であり、身体能力をひたすらに高め続けていたのだ。


「行くぞ」

「え、ちょ、ちょっと、えええー!?」

「お待ちくださぁああああ!?」


 唐突なダッシュからの跳躍。ただの人間には決して体験することができない異常なまでの加速に、勇者と聖女は訳も分からず悲鳴を上げる。


 タイガは飛んだ。彼が跳躍した広場の床は巨大な穴が空いてしまっている。そして、まるで現実離れした飛距離で空を飛ぶように進む。

 近くを飛んでいたカラス達が驚き、鳴きながら逃げていった。


「凄いー! あたし達、今空を飛んじゃってます」

「は、はひぃいい。怖い、怖いですぅうう」

「大丈夫だ。心配はいらない」


 シンディはまるで自分が鳥になったような気分だった。既に町を遠く離れ、確かに故郷へと近づいている。このまま雲すら越えるのでは思うほど、彼の跳躍は勢いが落ちない。

 反対にセナは体を丸め、ずっと瞳を閉じている。あまりの高さに怖くて堪らない。


「タイガさんは、本当に何者なんですか? こんな魔法? なのかな……見たことも聞いたこともないです」

「ただの付与魔法だ。それより、もうすぐだ。二人とも、戦う準備をしておいてくれ」

「わ、わっかりましたぁ!」

「この状態で、どう準備をすれば良いのですか!? こ、怖いいい」


 セナに悪いことをしてしまったかな、とタイガは少しだけ後悔した。だが、背に腹は変えられない。見ればルズベリーの城下町の所々に、黒い煙が上がっている。


 ◇


 石畳の上に死体がいくつも転がっていた。城下町は突如現れた魔物の大軍に蹂躙され、既に国土の半分以上まで侵攻を許している。


 多くの巨大な虫が飛び交い、竜が炎を吐き、鋭い歯で人を咬み殺す。街中では最も高い位置にある時計塔の屋根に立ち、ヘルメスとジェーンは満足げな笑みを浮かべている。


「この調子なら、一日とかからず落とせるわねえ」

「ああ。全くたわいもない。まずはこの一手で、魔王様もお許しになるだろうよ」

「次の手も考えてあるわけ?」

「ククク! ああ。次はこの大陸を中心に……」


 得意げに今後の計画を語ろうとする矢先、ヘルメスは遠くの空に映る何かに気づいた。最初は小さな星程度の大きさだったが、やがて月を思わせるほどに膨らんでくる。ジェーンもまた白く輝くそれを見つけた。


「あれは何だ。まるで……」

「ね、ねえ。もしかしてあれ、こっちに近づいてるんじゃないの?」


 白く光るそれは、何か炎を思わせるゆらめきを持ち、更に大きさを増して行った。炎の中心に人が見えた時、間一髪のところでヘルメスとジェーンを掠めて広場に突撃していた。


 まるで巨大な流星が、唐突に自分達に襲いかかったかのような衝撃だった。


「うおおおお!? ぐ! な、何者だ!?」

「ひいい! 今の、もしかして人間じゃないの」


 広場からは爆発とともに煙が湧き上がり、周囲の魔物達は唖然としている。ようやく視界が晴れた時、そこには金髪を後ろで束ねた少女と、紫髪の聖女が現れた。


 だが、魔物の軍勢が最も驚いたのは、少女達の真ん中に立っていた全身に甲冑を纏う剣士。虫達は怯えて周囲に逃げ回り、地を這う竜達は虚勢を張って睨みつける。


「き、貴様は……タイガか!」

「なんでアイツがここにいるのよ」


 タイガは着地する前から、幹部達に気がついていた。しかし、すぐに話しかけることはしない。シンディはすぐに剣を構え、セナは杖を前に出していつでも詠唱ができる体勢を取る。


「勇者、どうやら危機的状況のようだ。どうする?」

「え? そ、そうですね。でもまずは、周囲の魔物達を倒して、あと住民の皆さんを避難させたいです」

「でも……この数は余りにも。危険過ぎますわ」


 タイガは愛用の剣である魔剣アインスを抜いて、のんびりとした仕草で歩き出す。


「二人は住民を避難させつつ、虫を倒せばいいんじゃないか。俺はその他をやる」

「え、えええ! それって分担的に差がありすぎじゃないですか!? 竜ですよ、竜がいますっ」

「大丈夫だ」

「で、でも」


 シンディはタイガを信じていたが、それでも竜相手では心配だった。だが、その肩を優しくセナが触れ、無言で促そうとする。少しばかり悩んだ後、シンディは意を決した。


「死なないで下さいね! 師匠」

「分かった。……それと、勝手に師匠にするな」


 ツッコミつつ、タイガは街中で暴れていた竜を斬り倒し始める。


 炎を吐き、噛みつき、踏みつけ、尻尾で払い、爪で鷲掴みにするといった多くの攻撃手段を持つ地竜達は、突如として光のような速さとなったタイガに一方的に斬られていく。


 彼の全身には白い付与魔術が常に発動しており、飛竜に跳躍して一気に斬り倒すさまは、やはり流星のようだった。

 元仲間であった追放者にいいようにやられ、ヘルメスの頭に血が上り始める。


「おのれ……おのれタイガ! 貴様という奴は、とうとう人間に与するようになりおったか」


 周囲の魔物達をあらかた討伐した剣士は、今になって思い出したかのように顔を上げる。


「ヘルメスか。こんなところで再会するとはな。まあ、俺のほうは成り行きだ。とはいえ、これは愚かな侵略だと思うが」

「ふん! 何を分かったようなことを抜かすか。弱い国から攻め滅ぼすのが定石というものだろうが。強き者は全てを奪い、弱き者はただ糧になるしかない。それが世界の常だ」

「あなた如きが、いつまでも私達の邪魔をしないでほしいわ。あの小娘幹部みたいに、情けない死に様を晒したくなければ」


 タイガは兜の奥で眉をひそめる。


「リリアが情けないだと。よく死んだ仲間にそんなことが言えるな。いや……それよりもだ。ヘルメス、お前が腰に刺しているそれは何だ」


 冷静さを失っているヘルメスは、分かりやすく顔に焦りの色を浮かべる。


「心配いらないわよ。どうせこの甲冑マニアはここで死ぬんだから」

「そ、そうだな。ふん! タイガよ、貴様ならよく存じているだろう。これは魔剣ツヴァイ、貴様の剣の弟だよ」


 得意げに鞘から引き抜かれた魔剣は、鍔の装飾を除けばタイガの持つ剣とそっくり同じだった。


「やはりそうだったか。つまり、リリアを殺したのはお前だったんだな」

「あはははは! 随分とまあのんびりしたことね。自分が死ぬ直前になって気がついてどうするのよ。全く呆れちゃうわ」

「ふ、ふん! あの綺麗事ばかりの小娘など、そもそも魔王軍に必要ないのだ。私が手間を省いてやっただけのこと。すぐに貴様も奴の元へ送ってやろう」


 堂々と自らの罪を自白した魔王軍幹部達を見上げ、元幹部はただ黙っているようだった。その静寂には不穏さが漂い、周囲にいた魔物達も恐怖を覚え、前に出ることができない。


 ただ静かに、男は心の中で怒りの炎を燃え上がらせる。そして魔剣の切先をゆっくりとヘルメスへと向けた。


「ヘルメス……お前を切る」

「は! 自惚れるなたわけめが! お前達、ぼーっとしているんじゃない。相手はたかが一匹だ。殺せ!」


 竜を統べる者は、その声色に多くの魔物を従わせる洗脳力があった。怖気づいていた魔物達は急激に闘争心を取り戻し、たった一人の剣士に突っ込んでいく。


「もし生き延びれたなら、相手をしてやっても良いぞ! ハハハハ!」

「あらあら、相手してあげないの? 意地悪な男ねえ。私は城の攻略を優先させてもらうわよ」

「一日以内、いや半日で仕留めろよ。もはやこの国は虫の息だ」

「いいわよ。その代わり分け前は弾んでもらうけどね」


 ジェーンはふわりと体を浮かせ、そのまま城へと飛び去って行く。ヘルメスは魔物達を消しかけている間に、自分は剣士から遠ざかるように民家の屋根から屋根へと移動を始めた。


「貴様など、この俺が相手をする価値などないわ。噛みちぎられ、竜の胃袋に溶かされて終わりだ」


 ◇


 戦場は混沌としていた。兵士達が剣に槍、弓に投石器などで応戦している中、シンディとセナは民間人を守りながら戦いを続ける。


 勇者が剣と攻撃魔法で戦い、聖女が回復魔法でサポートするというシンプルな戦法ではあったが、敵対する毒サソリやジャイアントリオック、鎧ムカデといった魔物達は徐々に数を減らしていく。


「なんとか住民の皆様は避難できたようです。ですが、このままでは」

「うん! ちょっとキリがないよね」


 魔物は順調に減っているとはいえ、大陸の奥から次々と湧いてくるように出現してくる。まさかここまで無尽蔵とは想像もできなかった。だがどうにかしなくてはならない。


 そんな時だった。苦しい戦いの中で、セナは禍々しいオーラを纏う女が飛行していることに気がついたのは。


「シンディさん! あれを見てください!」

「え? えええ! 何あの人」

「あのオーラは、相当に高位の魔族でしょう。城に向かっていますわ。追いかけましょう! きっと国王様や、国の中心となっている方々が狙いです」

「わ、分かった!」


 シンディとセナは全力で駆け出した。兵士達と魔物との交戦は激化の一途を辿り、町全体が血で染められているかのようだ。


 そんな危機せまる状況の中、彼女達はまたしても強敵と出くわしてしまう。リザードマンの上級種と思われる赤色の剣士達。黒い甲冑に身を包み、馬に跨った騎士達。六本もの腕にさまざまな武器をこしらえた骨だけの戦士達。


 もうすぐ城門に突入するところだった。シンディは自分達が城に到着することはおろか、ここで殺されてしまう自分を予感した。同じくセナも自らの死を感じずにはいられない。


 だが、魔物の戦士達はどうにも様子がおかしい。シンディ達を相手にすることはおろか、すぐ近くをすれ違うように走り抜けていく。


「え? ええ! なんでえ?」

「襲ってこない……ですわね」


 なぜか自分達を無視するかのように、彼らは一つの方向へと全速力で向かっていた。向かっている先は住民達が避難している場所ではなかったため、シンディは一旦彼らのことを考えることをやめた。


 とにかく城門を抜け、騒音や兵士達の動きをヒントに階段を登っていく。既に二人は息も絶え絶えになっていた。階段を登りきり、渡り廊下に差し掛かった時、兵士達が大量に倒れている現場を目撃する。


「ああうざい! うざいったらないわぁ。さっさと通しなさいよこの雑魚」

「ぐああああー!」


 魔王軍幹部ジェーンは、力もないのにしぶとく食い下がる騎士と兵士にうんざりしていた。


 国王が籠城している部屋に続く扉を、彼らは必死に護衛しているようだ。屋上やそのほかの通路には更に多くの兵達が駆けつけていた為、侵入するのはここが一番楽だと考えたのだろう。


「待ちなさい! そこのお……お姉さん」


 ピクリ、とジェーンの耳が動いた気がした。彼女は静かに振り向くと、妖艶な笑みを浮かべる。


「なーに? お嬢さん。今もしかして私のこと、おばさんって言いかけなかった?」

「いえ! そんなこと……ないです」

「あなたは魔王の手下なのでしょう。残念ですがそこから先には行かせませんわ」


 セナが勇敢に言い放ったので、シンディは少しばかり気まずくなった。


「そ、そうだ! 覚悟しろ魔王の手先」

「あらあら。小娘さんが二人で、私に何ができるっていうのかしら」

「はぁあああ!」


 余裕のジェーンに、シンディは唸りながら正面から突っ込んでいく。計算も何もない、真っ正直な斬撃。上段から振り下ろされる剣を、黒髪の魔法使いは紙一重で横にかわす。


 すぐに体勢を立て直そうとした勇者だったが、なぜか全身が縄で縛られたかのように動けなくなっていることに気づいた。見ると、魔法使いの右掌から伸びた長い茨が身体中に巻きついていた。同じくして左手から放たれた茨が、セナを絡め取っている。


 動けなくなってしまったのは二人だけではない。気づけばジェーンは身体中から茨を伸ばし、多数の兵士達にも巻きつき始める。


「うううあああ!」


 シンディは締めつけられ、棘が全身に刺さり始めて悶絶していた。流れでた血が、少しずつ本体であるジェーンに吸い取られていく。


「うふふふ。ミイラになるまで搾り取ってあげるわ。あなたも、この国のお馬鹿さんみんなもね」

「これは……搾取の秘術……ああ!」


 聖女であるセナには、多くの魔法や秘術に関する知識があった。これは魔族のみが扱うことができたと言われる、搾取の秘術と呼ばれるもの。自らの体を半分植物化させて、多くの生命を吸収する。


 しかし、成功した者は僅かな高位の魔法使いしか存在しなかったと伝えられている。セナはそんな秘術を、まさか自分が体感するとは想像もしていなかった。黒いワンピースを貫通した棘がいくつも突き刺さり、意識が朦朧としてくる。


「あはははは! わざわざ安い正義感で駆けつけてきて、この私にすすられて終わる人生って惨めね。ねえ、今どんな気持ちなの? ねえ! あはははは!」

「ぬ……ぐううう」

「ははは、は? ちょっと、あんた」


 ジェーンの高笑いが止まった。誰もが抵抗ひとつできない中で、シンディだけが茨を全力で外そうともがいている。軋むような音が聞こえ、徐々にちぎられはじめている。


「はああ!? な、なんで。あり得ないわ!」

「ううあああ!」


 叫び声と共に、とうとうシンディは茨を自力で引きちぎった。刺さった後からは血が流れているが、彼女は気にせずよろけながら前に進む。満身創痍になった彼女を見やり、ジェーンは余裕を取り戻した。


「は、はん! 既に虫の息じゃないか。だったらこの手で引き裂いてやることにするわ」


 悪女の指先にある爪が異様に長く伸び始める。魔法や特殊秘術だけではなく、接近戦においても武器を隠し持っていた。明らかに勝負は不利であり、気絶しかけていたセナは神に祈るしかなかった。


 勇者の持つ剣は震えていた。力が入らず、このまま倒れてしまいそうだ。ニヤニヤと笑う黒髪の悪魔は、その剣が触れるか触れないかの距離まで近づいてから、ゆっくりと爪で———


「……あ? あああああ、あ」


 細く滑らかな肌を貫こうとしていた矢先、どういうわけかジェーンは全身から力が抜けるのを感じた。兵士やセナを縛っていた茨は消滅し、貫く寸前だった爪は元に戻っている。全身が重い。まるで重りを付けられたまま水の中に入っているような、抵抗し難い感覚。


「もしや、デバフ?」


 全てが徹底的に落とし込められている。力も、速さも、魔力も、耐久力も、知力も。きっと他にも下げられているに違いない。これほどまでに、一度にあらゆる力を落とせる者といえば。


「ま、まさか———っ!?」


 あいつしかいない。

 そう直感で気がついた時はもう遅かった。


 勇者がふらつきながらも前に押し出した剣が、ジェーンの胸を貫通していたのだ。


「ぐあ! こ、この小娘……小娘がぁああああ!」


 既にこの場で立っているのは勇者と魔王軍幹部のみだった。勝負は決した。剣が抜け、流れ出る血を抑えることもできない女は、それでも敗北を喫することを拒む。


「私は貴様如きに負けたのではない。あの、不愉快な鎧……の男……に……」


 畜生と何度も心の中で叫びながら、ジェーンは吹き抜けの通路から落下した。遥か下の石畳の床に叩きつけられ、果てなき野望ごと粉々になってしまった。


 ◇


「どうなっているのだ! お前達は、我が精鋭の竜達だったはずだぞ!」


 逃げても逃げても下から追いかけてくるタイガに、ヘルメスは怯えの色を隠せない。もうひとつ気がかりなことがあった。それは竜や虫達が、明らかに弱体化していること。


 どう見ても本来の力が発揮できず、魔剣の露にされてしまっている。側から見ても明らかに動きが鈍っているようだった。


「無駄だ。俺はこの目、肌で感じられる敵全員にデバフをかけている。ジェーンにもだ。こいつらはもう、ただの人間でも勝てるほど力を落とされている」

「な、なんだと!? 一体いつの間に」


 いや、突っ込むべきはそこではなかった。バフ・デバフを広範囲にかけられる者は星の数ほどいる。しかし、この街中で、何千と押し寄せる魔物達のほとんどにデバフをかけるなど、普通に考えてありえないはずだ。


「タイガ貴様……何か汚い真似を使いおったな! この外道めが」

「外道はお前のほうだろう。待っていろ、もうすぐ行く」

「く! 調子に乗るな腐れ剣士風情が!」


 もはやヘルメスの姿は、ただタイガから逃げ続けているようにしか見えなかった。ぐるりと市街地の民家を飛びながら逃げ、追いつかれそうになるとまた逃げる。どうやっても距離は離れず、徐々に詰まってきている。


 地獄の追いかけっこが続く中、他の魔物達とは一線を画す集団が彼の前に現れた。


「タイガ様」

「む……お前達は」


 この時ばかりは、冷静だったタイガも動揺してしまう。竜達を薙ぎ倒していた矢先に駆けてきたリザードマンやスケルトン、黒騎士の集団には見覚えがある。かつて自らが指揮していた、戦士の部隊だったからだ。


「お久しぶりでございます。タイガ様」

「………」


 集団は規則正しく列を組み、彼の前に立っていた。その中心にいた長い銀髪のダークエルフが、重々しい口調で話しかけてくる。彼女は元々はタイガの右腕であった。


 どうしよう、と彼は悩んだ。流石に元々親交のあった仲間と戦う気にはなれない。


「久しぶりだったな。ニアミーナ」

「ええ、本当に。タイガ様が追放処分になったと聞き、私達戦士部隊は混乱の極みに陥りました」

「すまない。一言もなしに出て行ったのは、悪かったと思っている」


 焦りに焦っていたヘルメスは、自らにチャンスが訪れたとばかりに、にんまりと笑う。


「はははは! 謝ったぐらいで済むはずがなかろう。さあ戦士部隊よ。そこの元仲間に思い知らせてやれ。自分達を裏切った報いがどれほどのものかをな」


 勝利を確信した男がここぞとばかりに後押しをするが、両者は押し黙っていた。


「いいえ。タイガ様は悪くありません。我々はあなた様が追放された後、事の経緯について調査を進めたのです。リリア様が暗殺されたこと、タイガ様が疑われ、追放処分を受けてしまったこと……。実のところ、我々は初めからあそこにいる男を疑っておりました。魔王様にも秘密裏に言伝を行いました」

「そうだったのか。え、魔王様に?」


 元魔王軍幹部は呆気に取られる。自分よりも冷静に、部下だった戦士達は調べ続けていたのだ。


「き、貴様だったのかぁー! 引き取ってやった恩を仇で返しおって!」


 必死になって叫ぶヘルメスを黙殺し、ニアミーナは話を続ける。


「魔王様はタイガ様の追放をご存知なかったとのことです。つまり、今そこにいる男は、初めからタイガ様に嘘をついていました。そしてこの戦いのおり、リリア様を切った魔剣を持ち合わせていた。既に殺したのは誰か、我らが長を嵌めたのは誰か、明白であります」


 元上司だった剣士は、ただ静かに首を縦に振る。どうしてここまで優秀な彼女が、自分の右腕だったのかが不思議だった。


「君の言うとおりだ。そして俺は、今やただの剣士に戻った」

「いいえ! 今でも我々の主は変わりません。追放されたとしても、我らを束ねられるのはタイガ様だけです。どうかお戻り下さい」


 唐突に頭を下げてきたニアミーナに合わせるように、後ろに控えていた戦士達も一斉に礼をする。今でも戦士達は、自分と一緒にやっていきたいと考えている。そのことが衝撃だった。


 時間にして数秒ではあったが、タイガは深く悩んだ。しかし、とにかく今は他にするべきことがある。


「とりあえず、一つ頼めるか」

「は、はい! なんなりと」

「奴がこれ以上逃げないように、囲んでほしい」

「はっ!」


 戦士の部隊はすぐに行動に移した。一斉に駆け出して、針一つ通せないのではないかと思うほどにヘルメスを包囲する。


 そしてとうとう、タイガは屋根の上に跳躍してきた。怒りと焦りと悲観。ヘルメスはありとあらゆる感情がない混ぜになり、気が狂う寸前まで追い詰められている。


「お、おのれ! おのれこの裏切り者どめが! ただで済むと思うなよぉお!」

「ヘルメス、お前の番だ。剣を抜け」


 目前に立つ甲冑の男は、直視できないほどの威圧感がほとばしっている。どう考えてもこの男に勝利することはできない。そう観念したヘルメスは、歯を食いしばりつつ俯くばかり。


「剣を抜けヘルメス。その魔剣、まさか女を斬るだけのものか」

「ぐ……」


 タイガが挑発している。高いプライドが一気に加熱しかけたが、奥歯が割れる勢いで噛み締めて堪える。ここで剣を抜けば一瞬で首を飛ばされる。


 もはや仕方がない。これだけはと思っていた最後の手段を、彼は実行することにした。両手を上げて無抵抗の姿勢をとりつつ、ゆっくりと片膝をつける。


「何の真似だ」

「た、タイガ。いえ、タイガ様。この度は大変、無礼かつ最低な行いをしてしまい、申し訳ございませんでした」


 寡黙だった戦士部隊の中から、ざわざわと騒ぐ者が現れる。それだけ信じられない光景である。


「わ、私がリリアを切ってしまったのは。あの娘が無礼にも魔族……その。タイガ様を侮辱していたからなのです。あなたは奴が慕っていると思われていたのでしょうが、ああ見えて感心するほど嘘の上手い女狐でしてね。しかし、私はその。切ってしまったことに猛烈な罪悪感が生じてしまって、冷静な判断がつかなくなってしまい。結果的に、誰かに罪をなすりつけるという最低なことを考えてしまった。それは事実です」


 更にざわめきが広がる。しかしニアミーナが左手を水平に伸ばし、沈黙を促すと一斉に静かになった。


「今はこれ以上ないほど猛省しております。タイガ様、本当に……本当に申し訳ございませんでした! 投降します。命だけは何卒」


 ぐっと頭を下げて懇願するヘルメスの姿は、今まで誰も見たことがない貴重な光景だった。タイガはしばらくの間黙っていたが、ふっとため息を漏らして剣を下ろす。


「そうかそうか。リリアが俺のことを……分かったよヘルメス。よく分かった」


 ヘルメスは歓喜に満ちた顔を上げ、


「お前の投降を拒否する。剣を抜いて戦え」


 続いて真っ白な表情へと変化していった。


「……は?」

「剣を抜けと言っている。抜かないのなら、このまま切る」

「ちょ、ちょっと待った。なんで」

「亡くなった者だと思って、いい加減なことばかり言うな。リリアがそんな奴じゃないことは、俺が充分に分かっている。殺した挙句に侮辱、そしてこの醜態。もはや生かしておくつもりはない。最後にもう一度言う、剣を抜いて戦え」


 タイガはヘルメスの言葉を微塵も信じてはいなかった。最後の懇願を拒否され、とうとう崖っぷちに立たされてしまった男は、呻きながら立ち上がり、震える手で剣を抜いた。


 卑怯な手ばかり使って成り上がってきた男に、正面から戦える実力などない。なんとか構えたものの、魔剣の切先はふらふらと揺れている。

 タイガは嘆息せずにはいられない。そして、何を思ったか指先から発した白い光をヘルメスへと飛ばした。


「うお!? な、なんだ。これは……」

「お前に付与魔術をかけてやった」

「付与魔術だと? 貴様ぁ! どこまでも舐めた真似を。おのれ、おのれタイガァああ!」


 ハンデを与えているつもりなのかと、怒りによってヘルメスは自らを奮い立たせ、その勢いのまま走り出した。思いきり正面から突きを繰り出したが、なぜか切先が鎧に届かない。


「どうした。もう少し踏み込んで来い」

「く! 舐める、」


 言いかけた瞬間、タイガの動きが消えた。すれ違いざまに軽く太ももに刃を走らせる。


「うっぎゃあああああ!」


 耐え難い痛みと熱がヘルメスの足を襲い、思わず屋根の上で転げ回ってしまう。



「言い忘れた。さっきかけた付与魔術は、お前の感覚の一部を鋭敏にするものだ。つまり、今お前の痛覚は本来よりも非常に敏感になっている」

「な、なぁんだとお! ぐううう」


 必死に立ち上がったヘルメスは、痛みと恐怖で戦意が消し飛んでいた。続いて剣を持つ指先を、かすり傷程度に切りつけられた。


「ぐあおおおおお! や、やめろおお」

「お前がやったことは、ただの一撃で償われるものじゃない。リリアも、ここにいる人間も魔物も。ただの思いつきでどれだけ死んだ? 地獄に行く前に、地獄を味わえ」

「わ、私は潔白ぅうううううああああ!」


 既に魔剣ツヴァイは彼の手を離れ、屋根から下に落下してしまっていた。タイガは何度も切り続けた。虐げられていた自分、殺されてしまったリリア、圧政のもと苦しんだであろう戦士部隊、戦う必要がなかった竜や虫、ルズベリー国の人々。


 多くの犠牲を痛みとともに味わわせた末、ようやく胴体を斜めに深く切りつけた。魔王軍幹部筆頭だった男は、既に悲鳴をあげることもできず、ただ崩れ落ちる。


「終わったぞ。リリア」


 いつの間にか落ちかけていた夕日を眺め、タイガはただ虚しく剣を納めた。


 ◇


 ヘルメスとジェーンの襲来から一ヶ月が経過した。

 ルズベリー国はようやくいつもの活気を取り戻し、勇者シンディと聖女セナは国王より特別な徽章を授かり、多くの報酬を貰った。


 褒章授与式で国王の元へと向かうことになり、シンディはどうしてもタイガを出席させたかったが、彼は頑として拒んだ。昔から、そういった堅苦しい式は好きではないらしい。


 シンディの傷は跡も残らず全て消えた。セナは復活した治癒魔法の力で、容易く勇者を含めて多くの人々を全快にするまで癒したのだ。


 そして今、一行はルズベリー国から出て、徒歩で北に向かっている。しばらく進んだ先に、ようやくタイガが求めるコロシアムで賑わう○の町があるからだ。太陽は燦々と輝き、草原すら輝いているようだった。


「あたしずっと気になっていたんですけど、どうしてタイガさんってそんなに強いのに、もっと強くなろうとするんですか?」

「言われてみれば私も気になりますね。もう充分でしょうに」


 勇者と並んで歩く剣士は、少しだけ首を傾げる。


「俺は自分の強さに納得していないんだよ。いつかは、歴史に残った英雄や魔王達のように、もっと圧倒的な力を手にしてみたいと、そう思っている」

「えええ。でも、タイガさんは歴史上の人よりも強いような気が……っていうか! 今更ですけど、あたしもお城で超頑張って戦ったんですよ。覚えてます?」

「ああ。話は聞いていたよ。良くやったな」

「でしょでしょっ。今更な感じですけど、ちょっと撫でてくださいよ」

「ん?」


 突然隣で頭を寄せてくるシンディに、彼は少々困惑した。撫でてどうなると言うのか。


「どうすればいいか分からん」

「こうやるんですよ。ちょっと手を貸してください。って痛い!」


 勇者が剣士の右手を触ろうとしたところで、彼女の手を叩く者がいた。魔王軍で右腕を務めていたニアミーナである。


「汚い手でタイガ様に触るな」

「ひっどーい! あたしちゃんと手洗ってるよ」

「そうではない」

「まあまあ、お二人とも。落ち着いてください」


 一ヶ月前の戦い後、戦士部隊はそのまま魔王軍から離脱することになった。理由はタイガが魔王軍に戻らないことと、ヘルメスに反旗を翻したことで、裏切り者の集まりと認定されてしまったからである。


 戦士達はタイガを長として、新たな魔王軍を作ることを熱望しているが、彼は今はやりたくないのだと言う。腕を磨く気楽な旅に、すっかり乗り気になってしまった。


 仕方なく新魔王軍結成は保留となり、元戦士部隊は拠点を探してルズベリー国から離れていった。だが、ニアミーナだけは離れず、彼と旅をともにすることになった。


「また風のようにいなくなられては困りますから」


 と、最近ではいつも隣から離れようとしない。

 それともう一つ、自分達が元魔王軍であることは、シンディとセナには秘密にしようと決めている。


「とにかくペリアーノが楽しみだよ。今度こそ強い相手と戦えそうだ」

「あたしも頑張っちゃいますよ。なんと言ってもリーダーですからねっ」

「シンディさんはほどほどにして下さいよ。治癒するのが大変なのです」

「こらシンディ! タイガ様に触れるなと言っている!」


 この後、彼らはペリアーノの町へ着いた後も同行することになる。

 気がつけば最強の勇者パーティとして、世界中で知らない者はいないほど有名になっていくのだった。


 誰もが恐れ、誰もが憧れるパーティの要。

 剣士タイガの魔剣を止められる者は、現在のところ現れていない。

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流星の剣士〜濡れ衣で魔王軍から追放された元幹部、最強の剣技と付与魔術により勇者パーティの要になる。俺を嵌めた奴が許してほしいそうだが、もう容赦はしない〜 コータ @asadakota

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