第196話「霞のたつ春の長い一日」

霞のたつ春の長い一日に、子どもたちと手毬をつきながら今日を送ったことだ。この遊びはたしかにおもしろいものではあるが、子どもが遊ぶのにむいたものではないかと思ったりもした。私の家でも弟たちが小さい時分はよくこの遊びをしたものだったし、近所の子供たちともよくやっていたものだが、今ではめったにしない遊びになってしまった。手毬をついている子を見ると微笑ましくて声をかけたくなってしまう。そして、つい自分の知っている歌を唄ってみたくなるのだ。私はもう何年も唄うということを忘れていたのだが、今年の初めにそのことを思い出し、それから時々口ずさんでいるうちに何とはなしに思い出すままに唄っている。すると、子どもらも私に合わせて唄いだすようになった。私が唄えば、それを真似して唄う。そんなことが楽しいらしく、二人は夢中になって遊んでいた。

そう言えば……。私にはその頃のことがよく思い出されるのだ。「雪舟の画より美しいものがあるか」「雨月の夕暮より風情のあるものがあろうか」などという言葉があった。そしてそれは今でも忘れられない。こんな言葉をふと思い出すということは、この頃何かにつけて淋しい気持ちになっているからであろう。しかし、この歌だけは忘れることが出来ない。なぜだろう? あれは昭和六年(一九三一)の冬だったと思う。私はまだ中学生だったが、そのころ、学校帰りに友達の家へ寄ったことがあった。そこへ突然、雪が降ってきた。私は急いで帰ったが、外はすでに真暗で、道にも屋根の上にも一面に雪が降り積もっていた。そこで私は思いついて、庭先にあった大きな石を持ち上げて、その上に立って雪を踏みしめながら帰って行った。その時のことを思うと胸が痛くなる。あの頃のことはよく覚えているからだ。

私には妹がいた。その妹のことを思うと胸が苦しくなる。病弱でよく寝込んだものだ。小学校四年生くらいまでは元気だったが、五年生の夏ごろから病気がちになった。顔色は青ざめていて、頬骨が高くなり、手足が長くなった。それがだんだんひどくなって、とうとう起き上がれなくなった。医者へ行くと結核だと言われた。私は母と一緒に病院に通った。母は毎日のように泣いていた。私も悲しかった。どうしていいかわからなかった。そのうち、私たち家族は、妹をどこか遠くの町の大きな病院に入院させようという話になった。私たちはそのことをとても心配していた。

父は、

「もし入院させるなら、お前たち二人だけを残して行くわけにはいかない。お父さんは一緒に行くぞ」

と言った。それを聞くと母は涙を流して反対した。

「あんたがた二人が残されてどうするの。この子はもう助かりっこありませんよ。せめてあんたらだけでも生きなさい。あんたらは、お兄ちゃんなんだからね」

そう言って泣いた。父は何も言わずにじっと考え込んでいた。そして次の日になると、またいつものように畑に出かけて行った。

結局、妹の手術は中止になった。それでよかったのかどうかわからない。だが、父があんなふうに言った以上、どうすることも出来なかった。妹はその後まもなく死んだ。

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