第119話「最澄の遺言」

「私は生まれてからずっと、口に荒々しい言葉を発したこともなければ、手にむちを持って人を打ったこともない。私の仲間たちよ、使用人をぶつようなことをしないでくれたら、私にとってこのうえなくありがたい。どうかくれぐれもそのようにつとめてもらいたい……。みなさんも中年と呼ばれる年齢となり、年下の人と仕事などで一緒に過ごすことが多いと思います。この最澄の遺言を胸に励むようにしてください」

住職の法話が締めくくられた。

「これから昼食です。食堂へどうぞ」

「あー、やっとメシだな」

みんなが席を立って移動しはじめたときだった。

「ちょっと待った!」

大声をあげたのは、お坊さんの一人だった。その僧侶は、テーブルの上に置いてあった一冊の本をつかんだ。そして、その本を投げ捨てたのだ。

「こんなもの読まない方がいいですよ! いいですか皆さん、これは『法華経』という経典の一部です。ここにはこう書いてあるんです」

その僧侶は言った。

「『人は、仏になることができます』ってね。こんなものが読めたら、仏教なんていらないんですよ。仏教なんか必要ない。これを読んでるあなたたちは、頭がおかしいんじゃないか? そんなバカな話はありませんよね。もしそうなら、どうして私たちには、釈迦如来や菩薩といった高徳の者が現れて、教え導いてくれないのか?」

「…………」

みんなの顔に緊張の色があった。僧侶は続けた。

「それはなぜか? 仏教を信じている人たちがいるからだ。信じていない人たちは救われなくても仕方がない。そういうことじゃないでしょうかねえ。だから私たちは、これから先も一生懸命に修行して、仏様のような心になろうと思うわけですよ。しかし、それでもまだ足りないかもしれない。だから私は、毎日のように『般若心経』を唱えようと思っているんです」

僧侶は、そこで言葉を切ってみんなを見回した。

「いいですね、皆さん。『般若心経』を唱えると、心が落ち着くでしょう。心を落ち着けるために、お経を読むというのは悪くないことだと私は思います。でも、それじゃあダメなんですね。私が言いいことは、つまりこういうことです」

一同は呆然とした。

「君! 何をしてくれてるんだ!?」

住職が怒鳴ると

「どうしたんです? 荒々しい物言いをして……」

坊さんはにやりと笑った。

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