第116話「お香」
この寺では年中お香を焚いている。沈香、白檀、伽羅、蘭奢待……。慣れていないときつく感じるかもしれない。香炉に手を伸ばすと、煙がふわりと上がった。その匂いも慣れてしまえば気にならなくなるのだろうか? 俺は少しだけ眉間に力を入れてみた。そして、一礼してから線香に火をつけ、手を合わせる。まずはご先祖様に感謝だな。それから……えっと……。何を思うべきか迷った結果、ありがとうございますとだけ念じた。これでいいだろう。
振り返ると、いつの間にか隣にいたはずの先輩の姿がなかった。どこに行ったんだろうと思った瞬間、視界の端で何かが動いた気がした。視線を向けると、そこには俺と同じように手を合わせている先輩がいた。どうやら俺より先にお参りをしていたらしい。先輩って意外と信心深いのか。それとも、俺に合わせてくれたんだろうか。どちらにせよ、ちょっと嬉しい気分になる。
俺はもう一度お辞儀をして、その場を離れた。さて、次はどこに行こうかな。そんなことを考えながら、境内の中をぶらりと歩く。途中にあった屋台で買ったリンゴ飴を食べつつ歩いていると、あることに気が付いた。さっきから同じところをぐるぐる回っているような気がするのだ。まあ、気のせいだよなと思いつつも足を止めることができない。いや、止めてはいけないという強迫観念にも似た感情が湧き上がってくる。どうしてなのかわからないけど、止まってはいけないという感覚があった。
やがて、道の先に小さな社が見えてきた。鳥居はなく、古びた木造の建物があるだけだ。賽銭箱もなく、扉もない。まるで神社じゃないみたいに見える。でも、間違いなくここが目的地だった。なぜそう思ったのか自分でもよくわからなかったけれど、間違いない。なぜか確信していた。社は想像よりも小さかった。四畳半くらいの広さしかないようだ。こんなところに神様がいるなんて信じられなかった。
扉のない入り口を通り抜けようとしたところで、背後から声をかけられた。振り向くと、先輩が立っていた。いつの間に現れたんだろう。全然気配を感じなかったぞ。先輩は不思議そうな顔をしてこちらを見つめていた。その表情には、どうしてここにいるのかと問いかけるようなニュアンスが含まれていた。ああ、そっか。先輩も知らないんだな。ということは、やっぱりここは俺しか来られない場所なんだ。俺は微笑んで首を振った。それでも先輩は不思議がっていた。なぜだろうと思っているとあたりがぼやけていって……。
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