第93話「締め切りまであと20分」

締め切りまであと20分。なんとか文章をひねり出して編集者のパソコンに原稿を送らなければならない。

「うーん、なかなかいい言葉が浮かばないなぁ……」

そんなことを言いながらキーボードを叩いていると、ふいに後ろから声をかけられた。

「ねぇ、ちょっと」

「えっ?」

驚いて振り向くとそこには見知らぬ女性が立っていた。

「あの……どちら様でしょうか?」

そう訊ねると女性は少し驚いたような表情をして、それからこう言った。

「私はあなたです」

…………はい? 一瞬、何を言っているのか分からなかった。しかし目の前の女性は冗談や嘘を言ってる様子はない。真剣そのものだ。

(僕が僕自身だって?)

どういうことだろう? この人は一体何者なんだ?

「話の前に原稿書きますよ」

女性はそう言うとあっという間に原稿を書き上げ編集者に送ってしまった。

「はい、これでOKですよ」

「あ、ありがとうございます……」

僕は呆気に取られながらもお礼を言うしかなかった。すると彼女は言った。

「じゃあ話をしましょうか」

「はい……」

そして僕の前に座ると彼女は口を開いた。

「さて、まずは何から話しましょうかね……。そうだ、自己紹介をしましょう」

「じ、自己紹介ですか?」

「そうです。お互いに名前も知らない相手と話しても何も分からないでしょう?」

確かに彼女の言う通りだ。僕たちはお互いのことをほとんど何も知らない。だからと言って初対面の相手に自分について語るというのはなんとも奇妙な感じだった。でもここで断るわけにもいかないのでとりあえず従うことにした。

「分かりました。ではどうぞ」

「私の名前は『佐藤』と言います」

「下の名前は?」

「それは内緒です」

「そっか、じゃあ僕も同じ風にします」

「それなら私もそうしようかな」

そうしてしばらく沈黙が続いた後、彼女が再び口を開いた。

「それで私のことについて話すんですけど、実は私ってあなたの一部なんですよね」

「一部?」

「そう、私はあなたの心の中に住んでいるもう一人のあなたなんです」

「僕の心の中に……もう一人の僕がいるってことですか?」

「そういうことです。信じられないかもしれませんが本当なんです」

「ここにいたのか!」

突然男が入ってきた。

「さあ帰るよ!」

女性を腕を取りその場から立ち去ってしまった。

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