第89話「現代日本」

引退した某大企業の元社長がインタビューに応じた。

「だいたい天下のことはすべて、めいめいが一致することによって成功し、めいめいが離ればなれになることによって失敗するものだ。つまり関係者が自発的に心を一つにすることだ。今の日本はどこもみんなバラバラじゃん」

「なるほど……」

と私は思った。しかし、その後この元社長のインタビューを目にする機会はなかった。私がその雑誌を手に取ったのは、別の人物の記事を目当てにしていたからである。

その記事とは『戦後日本の教育』という題で、戦後の日本の学校教育について論じているものだった。その論旨の要点は次のようなものであった。

「戦後の日本では、親から子へと道徳教育が受けつがれてきた。その教育の成果として、わが国には清く正しい心を持つ国民が数多くいる。したがって、われわれの教育制度もまた、その精神に従って運営されなければならない」

私もその文章を読んだとき、「なるほどなあ」と思った。そして、同時にこうも考えた。

「それなら、どうしてこんなにも多くの人間が自殺するんだろう?」

もちろん私の考えが正しいかどうかは分からない。しかし少なくとも、私自身はそう思うのだ。人は、自分の生き方や考え方を他人に強制することはできない。それは憲法で保障された基本的人権であるはずだ。にもかかわらず、多くの人間は他人の価値観を押しつけようとする。「もっと勉強しろ」「ちゃんとしなさい」などと説教したり、「お前はバカだから」と言ってみたりして、他人の行動をコントロールしようとする。しかもそれは多くの場合、相手の人格を無視した命令の形で行われることが多い。相手がどんな人間なのか、何を望んでいるのかを考えようとせず、ただ上からの命令を下すだけである。

新聞を読むと現代日本の貧困の特集記事を目にした。この10年で治安が悪化したと感じる人が5割以上いるという。それは貧しくなったことが大きな要因だろうと。しかし私は違うと思う。貧しさの原因は別にあるのではないか。それは人間関係の希薄さに起因するものではないだろうか。人と人とのつながりが薄くなり、互いに関心を失ってしまったことではないだろうか。その結果、人は誰からも必要とされなくなることを恐れて生きている。いやむしろ、必要とされるために生きているといってよいかもしれない。「誰かが自分を必要としている」と考えることは、人間の心のよりどころになるからだ。その気持ちこそが、人間にとって生きる力となるのだろう。だからこそ人々は「死にたい」と言いながらも死ねないのだと思う。

もし仮に、ある人物が自殺しようとしたらどうなるか考えてみたことがある。おそらく周囲はその人物の死を止めにかかるだろう。そして説得を試みるに違いない。なぜ命を捨てるのか? そんなことをしても何もいいことはないではないか……。しかし残念ながら、この人物は周囲の人々の思いに応えることができないだろう。

そんなことを考えながら、私はおっパブに行った。

「うおーっ!うおーっぅす!」

女の子の胸を全力で揉んだ。

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