第88話「生涯勉強」
「生涯勉強。死ぬまで心を陶冶しなければならない。とは言うがそんなことができるのはほんの一握りの者だけだろう」
「そうですわね。でも、先生はその一握りの方だと思いますよ」
「ありがとう。だがなあ……わしも君のように学問を究めたいと思う時もあるのだがなあ」
と、幸田は少し淋しそうな顔になった。
「でも、先生には先生のお仕事があるではありませんか。私は先生のような学者になりたいと思っておりますけど……」
「そう言ってくれると嬉しいなあ。しかし、君のその志はいつまで続くかな? 君は若いからなあ」
「あら! 私、もう三十歳ですよ」
「いや、それはわかっている。だけどなあ、君は若いんだよ。わしみたいに年を取ってしまうと、どうしても自分の研究より人のことの方が気になるんだ。特に子供を持った親なんかになると尚更だ」
「まあ、先生ったら、お子さんがいらっしゃるんですか?」
「うん。今度六歳になる娘がいる」
「じゃ、先生はお父さんなんですね」
「そうだ。父親なんだ。だから君にもわかるはずだ。もし、わしが死んでしまった後、娘はどうなるんだろうかって思うと心配でたまらんのだ」
「先生……」
「君はまだ独身だったっけ?」
「ええ、まだです」
「早く結婚した方がいいぞ。そして子供を産んで育てるといい。わしの娘を見ていてもよくわかる。あれほどいい子は他にいない。それに、あの子の母親だってとても素晴らしい人だよ」
「はい。私もその点は賛成です」
「そうだろう? 君ならきっと立派な母親になれるさ。だから早く結婚して子供を生んで育てなさい」
幸田は自分の言葉に力を込めて言った。
「それってぇ! 女性蔑視ですよねぇ!?」
「えっ?」
「先生は、私が独身なのに、早く結婚しろなんて!」
「いや、別にそういう意味じゃない。ただ、人間として当たり前のことを言っているだけだ」
「そんなことないでしょう! 女性は家庭を守るものっていう考えは差別ですよ。そりゃあ、今は女性が社会に出て活躍する時代ですけど、でも、まだまだ男性優位の時代です。先生は私のことを馬鹿にしているんじゃありませんか?」
「馬鹿にするもんか! ただ、わしは君のためを思って……」
「嘘ばっかり!」
ここまでくると彼女はもうどうにも止まらなかった。
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