第81話「カネの記事」
とある政治家が政治評論家や記者に金を配って自分を褒める記事を書かせていた。それをスクープした新聞記者がいた。彼は、その後自殺したという。この話は事実だそうだ。また、ある芸能人が大物作家に頼まれて彼の小説の宣伝文を書いたら、それが新聞雑誌に掲載され、その出版社の社長からお礼に現金50万円もらったという話もある。彼らは罰せられないばかりか、その後も堂々と生き続けている。そして、彼らこそ、真のジャーナリストの風上にも置けない連中だと言わざるを得ない。このような話を聞いて、心穏やかでない読者の方も多いと思う。
しかし、考えてみてほしい。例えば、今、あなたがある有名人と食事に行ったとする。すると、相手はあなたのことをどう思うだろうか? おそらく、「あの人、オレのこと好きなんだよなあ……」とか「あいつはきっとオレに気があるに違いない……」などと勘違いをするのではないかと思われる。そう考えることは、決して恥ずかしいことではない。むしろ健全な感覚であり、人として当たり前の行動である。なぜならば、人は誰かと食事をしたり、一緒に遊んだりする時には、自分のことを好いてくれる相手に好意を抱くものだからである。逆に言えば、もし相手が自分に気がないとわかったなら、それを相手に告げるのは失礼なことだし、相手を傷付けることになる。
ところが、もし、相手があなたに対して「金目当て」で近付いてきたとわかっても、その人はあなたを責めることはできまい。だって、それは仕方がないことだからね。もし、あなたがそんな立場だったとしても、やはり「金目当て」だと思うはずだ。では、仮に、あなたが本当に相手のことを好きになったとしたら、どうなるであろうか。「金目当て」の人とは付き合えない。だが、それでもなお、あなたはその人を好きでいられるか。あるいは、その人がどんなにお金を持っていても、自分はその人のことが好きだと言えるか。答えはノーである。もし言えるとすれば、よほど自己評価の高い人間だけだ。
では、これが「恋愛」であった場合、どうか。この場合、相手のことを好きであればあるほど、相手のことを疑ってしまう。なぜならば、そこには「愛している」という思いがあるからだ。これは、ごく自然な感情である。
では、なぜ、人は「金目当て」とわかるような人に対しても、平然と「愛する」ことができるのか。その理由は簡単である。人は、自分が持っているお金よりも、自分を愛し、尽くしてくれる人に魅力を感じる生き物なのだ。だから、お金を持っているかどうかに関係なく、人は相手を愛する。
お金は確かに大切かもしれないが、お金には代えられないものは必ずある。お金だけあればいいなんてことはない。お金がなくても、あなたを大切に思ってくれている人がいたら、たとえそれが「金目当て」であっても、それに気付かないふりをして、一生懸命に尽くすべきなのだ。これは、お金の問題ではない。人は、お金をたくさん持っていても、自分を大事にしてくれなければ、愛してもくれない。
さて、ここで思い出してほしいのは、先ほどの「よきにはからえ」という言葉である。この言葉には、一見、「よきにはからえ」という美しい言葉とは裏腹に、実はもう一つの意味が込められている。
それは、「何もかも、よきように計らえ」ということである。つまり、何か問題が起きた時、政治家や官僚たちは、メディアを通じて国民をコントロールしようとする。つまり、「何もかも、よきように計らえ」とは、メディアを通じた政府の方針に……。
ここで編集者の梅宮はこの原稿を読むのをやめた。
「これは掲載できるレベルじゃないよ」
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