第52話「本屋の親父」
本屋の親父Aが話し出した。
「『孫子』を読んだことがあれば、だいぶ違うんだけどね」
Aさんは、「孫子は『兵は拙速を尊ぶ』と言いますよね」などと聞かれると、少しがっかりするという。
「そんなこと言ってたら、政治家はやっていけないの。いまはもう『速さ』の時代ではないの。『巧遅は拙速に如かず』だよ。『ゆっくりやればいいじゃないか』ではなくて、『早くやるべきだ』ということ。『速い』ことが重要なのであって、『遅い』ことは問題にならないの。それがわかっている人が少ない。私は1週間のうち50冊以上の新刊をチェックしているかな。毎日違うジャンルの本を1冊は読む。国会図書館に通って古い文献を読むこともあるけど、最近は国会の電子化で、国会図書のデータベースから借りることが多くなった。国会が閉会中だと、どうしても『速く動く』必要があるの。いまの政治に必要なのはスピード。この意味がわかる?つまり、スピードが遅くても、しっかり勉強して、知識を蓄えておくべきだということ。本はそのために必要だということです」
「政治家は、いろんな人から話を聞いてくるだろう。だけどそれを鵜呑みにしちゃいけない。それは新聞も同じだよ。テレビなんかの情報も、そのまま信じてはいけない。特に若い人はね。政治に関するニュースを自分の頭で考えて判断していかなくっちゃ」
Aさんは、永田町で生まれた。家は神保町の老舗の書店だったが、長男だった父親は、戦後すぐの物資不足の折、商売よりも政治の道を選んだ。親父さんによると、政治家としての知識、見識を身につけるためには、まず書物を読むことが不可欠だったという。父親譲りの政治好きが高じて、親父さんは高校を卒業と同時に政治の世界へ。当時すでに政治結社に入っていたが、父親の反対を押し切って、B大学商学部に入学。政治学を学び、卒業後は父の経営していた書店を継ぐはずだったが、父親が急死したため、やむなく政治の道を進むことになった。親父さんは学生時代、政治思想研究会に所属していた。当時の会誌は国会図書館に保存されているが、その巻頭論文のタイトルが、〈一億総投票者となるべし〉 である。
…………。
はぁ~。
ため息をつく若手編集者C。年寄りの武勇伝を聞いて本にする日々にうんざりしている。スマホを取り出す。
「今夜会わない?」
彼女とホテルに行く約束をする。政治で最後にものをいうのは金だろ!Aは心の中で毒づいた。
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