チャンスは向こうからやってきた。食器を下げに来た佳央に、今しかないと思った。


「あの……、佳央ちゃん、じゃない、ですか?」


 たった今、気づいたかのように声をかけた。たまたま偶然、再会したかのように。


 オーナーの人の援護もあり、なんとか佳央に時間をもらうことができた。関門は突破したようなものだった。


 近くにあるカフェに移動した後、少しだけ近況について話した。


 わたしはここでも小さな嘘をついた。だけど、意識不明で病院に運ばれたことと、病気で入院して手術をした、というのは大まかには大差ないと思う。


 向かいに座った佳央は仕事中の凛とした雰囲気とは違い、どこか控えめで、わたしの記憶の佳央と重なった。


 わたしが異世界に転生して聖女になったと言うと、隠しきれない戸惑いを浮かべた。だけど昔のように興味をしめした。


 こんなふうに、誰かに話を聞いてもらうのは久しぶりだった。佳央にしか、したことがないのだから当然だけど。


 佳央は黒い瞳をまっすぐにこちらに向けて、ときに目を見開き、ときに揺らがせながら耳を傾けてくれた。


 話しながら、わたしの原点はこれなのだと心が震えた。佳央に、誰かに、こんなふうにどきどきしてほしい。


 わたしは、佳央が夢中になってくれるような、そんな物語を書きたいのだ。


 だから、夢の結末も嘘をついた。


 佳央は拍子抜けしたようだったけど、夢に壮大な結末を求めても仕方ないと思ったのだろう。わたしがあの世との境界だったのではないかという推測を伝えると、佳央は意外な反応をした。


 「雪乃ちゃん、昔から不思議な体験、よくしてたもんね」


 わたしはなんのことかわからなかった。だけどきつねのお囃子のことを言われてようやくわかった。同時に、ずっと消化不良だったことが、唐突に腑に落ちた。


 佳央にとって、わたしの語ったお話はみんな、わたしの体験だったのだ。その非現実的な話を、佳央はわたしの嘘として聞いていたのだ。


 わたしが嘘つきだということは、佳央の中では真実だったのだ。だから否定はしなかった。でも、嘘を理由に離れていくこともしなかった。


 わたしがかつて佳央に伝えた童話作家の夢も、考えた話を聞かせたことも、佳央の中ではなかったことになっているらしかった。もしかしたら、わたしを嘘つきにしたときに、佳央の中で記憶が塗り替えられてしまったのかもしれない。


 佳央の記憶を訂正しようとは思わなかった。今さら佳央を自身の嘘で傷つけて何になるだろう。


 そうだね、とわたしは佳央に頷いた。そうして、またひとつ嘘を重ねた。


「そろそろ戻らないと」


 残っていたコーヒーを飲み干した佳央は立ち上がった。わたしは立ち上がらなかった。


「じゃあね」


「うん、バイバイ」


 あのときの別れとは反対で、わたしが佳央の背中を見送った。わたしがそうだったように、佳央はきっと振り返らないだろうと思った。


 わたしたちはあの頃、あんなに一緒にいたけれど、少しもわかりあえていなかった。だけどそれが、お互いにとって大事ではなかったことにはならない。


 少なくともわたしにとっては。


 佳央に出会えて、今日佳央に会いに来て、よかった。道しるべをつくってくれた彼女に、心の底から感謝した。


 だからこそ、本当は終わりではない夢の続きを、佳央には言わなかった。


 あのとき祈りはじめたわたしは、目が覚めることなくずっと祈っていた。時間の流れを感じることなく、祈っている間ずっとあたたかくてふわふわして心地よかった。


 すっと地に足のついた感覚になると、時間だと声をかけられる。休憩をとってまた祈る。その繰り返しだった。


 そんなことを何度かしているうちに、景色が変わってきたのを感じていた。モノクロなことに変わりはないけれど、その白黒の中にうっすらと色味を帯びているように感じられた。


 これが世界を浄化するということなのだろうか。わたしの中で、にわかに使命感や達成感が芽生えはじめていた。


 この世界の人たちは色彩の変化を感じていないようだったが、わずかに光が差しているように感じているらしかった。


 休憩を終えて再び祈りを捧げようとしていたときだった。


「その人は聖女なんかじゃない!」


 わたしを指さして、鋭く叫ぶ声があった。わたしを見守る人たちの後ろから出てきたのは、少女だった。


 それは、佳央だった。


 わたしの知っているポニーテールの、どこか少年ぽさを持つ、記憶の中の佳央。白黒の世界で、圧倒的に黒い、まっすぐな強い瞳がわたしを貫いた。


 強い視線にたじろいた瞬間、足元が揺らいだ。そのまま、地面が消え、体が浮いた。


 ーー落ちる!


 そう思った次の瞬間、わたしは横たわっていて、見慣れない白い天井が見えた。そこはわたしの知る、色彩のある世界だった。


 目が覚めた瞬間は何がなんだかわからなかったけど、夫や医師の話を聞いたり、自分の体のおもだるさを感じるごとに、理解していった。あの、色のない世界のことも、それが夢だったのだと実感した。


 それでいてあの場所のすべてはやけに現実のようにリアルで、とりわけあの佳央の黒いまっすぐな瞳はずっと忘れられなかった。今でも、あの世界は本当に存在していたのではと感じることもある。


 佳央にはこの話はしなかった。夢の話とはいえ、佳央がわたしを追放したかのようだから、不快に思うかもしれないと思ったから。


 でもわたしは、佳央がこの世界に呼び戻してくれた気がしていた。佳央に話したように、あそこはこの世界との境界で、あのまま祈り続けていたらここに戻ってはこれなかったのではないかと思う。


 あの頃自分のところへわたしを繋ぎ止めようとしていた佳央は、わたしをこの世界に繋ぎ止めてくれたのだと思う。


 だから、わたしは佳央のためなら何度だって嘘をつこう。彼女の思う嘘を、彼女の望む嘘を。


 たとえ、ずっと一緒にいたあの頃でさえ、少しも同じものを見ていなかったとしても。永遠にわかりあうことがないとしても。


 佳央と二度と会うことはないかもしれないけれど、いつかわたしの物語うそが佳央のもとに届くような奇跡が起きたらいいと願った。

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転生聖女は甘い嘘をつく りお しおり @rio_shiori

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