第70話 懐妊

「そっとしておいて」


 内大臣の件も落ち着いて芽衣の教育も佳境に差し掛かった時、懐妊が分かった。

 少し前からその兆候はあったのだが、間違いがあってはいけないと慎重に判断して時間がかかっていた。


 懐妊が確実と分かると帝が飛んできて、世話をする女房の選抜から食事内容、生活空間の変更などに指示を出していった。心配だからと時間が空くと私のところに来て世話を始める。


 食べたくても食べられないと伝えても分かってもらえず、女房達に体を支えられながら脇息に項垂れている自分の口元にせっせと食事をさせようと匙を持ってくる。

 もう、体が受け付けない。そこで出たのが先ほどの言葉だ。


 ゼイゼイと息をしながらなんとか体を起こしているのだが、出来れば眠りたい。


「だが、食べないと死んでしまうのではないか」

「だいじょぶです」


 何とか声を絞りだし答えるが、帝の方が悲壮感を漂わせている。


「体調がよくなればしっかり食べられるようになりますから」


 女房が何度も帝に諭すが食べないことが心配のようで、とにかく食べるようにと世話を焼いてくる。侍医にも説得してもらい帝にはご退出願った。


 脇息から体を起こし、今度は壁に背をあずけた。少し、気分がよくなった気がした。腹は少しずつ膨らみ始めて周囲にも懐妊したことが分かるようになると大臣たちの安心する噂が聞こえてきて、心配させていたのだと分かった。


 帝自身は後を継ぐのは自分の子でなくてもいいと思っていたが、大臣たちは帝の子を望んでいたのだ。兄の話だと私の懐妊が遅れていれば、側室の話も出ていたかもしれないと言っていた。それでも、男児でなければ同じことなのだが。そっと、腹を撫でる。

 男児でなくてもいいのだ。元気に生まれてきてくれたらいい。それが私と帝の願い。だが、政を考えるとそういうわけにはいかない。

 そこで、帝は柾良親王の元服を早めるよう指示を出した。芽衣の教育が上手く言っていたため柾良親王が童殿上で宮中に参内しても大丈夫だろうと判断したようだ。


 そして、もう一つ問題が発生していた。


「女御様。宮内省の者が来ています」

「通して」


 流石に桶を傍近くに置いているので几帳で隠してもらい対面する。

 宮内省の大輔の地位にいると言っていた目の前の男、橘定良にとやかく言うつもりもないのだが、彼が担当している案件が面倒なのだ。


「女御様。先日、ご説明させていただきました件、候補者が決まりました」


 女房が定良から受け取った書類を私の元へ持ってくる。自分で書類を持つ気力すらないので女房に持ってもらい内容を確認する。


「八人もいるのね」

「希望者はもっといるのですが、帝がまずはこの八人でとおっしゃって」


 もっといるってどれだけいたのだろうか。


 右大臣家の姫、芽衣が後宮に女房として入っていることは周知の事実として隠されてもいない。ただ、芽衣が後宮にいる本当の理由は隠されていた。

 その為、周囲からは先皇太后の縁戚であるにも関わらず大きな処分を免れたのは姫を後宮に人質にして右大臣への牽制だと思われていたようだ。

 ところが、内大臣の姫の件で芽衣が後宮にいる本当の理由がバレてしまった。


 先皇太后やその周辺の貴族たちの悪行を調べ上げたのは綾とその女房たちだということはみんなが知っていたが、その知識を芽衣に教えていると知った公達からは自分の娘にもと帝に頼み込んだ。


 先皇太后を擁護していた公達は直接不正を働いていた者達だが、同時に処分された者の中には家人が横領をしていたことが判明した者もいた。

 今、宮中ではかなり厳しく取り締まられるようになっていることから公達の間では対策などの話題は常にあった。


「この八人にした理由はなにかあるの?」

「すべて未婚の総領姫と聞いています」

「待遇は女房だと理解しているのよね」


 美月のようなことがあってはいけないのでここはしっかりと確認しておく。


「はい。お父上と姫君両方にしっかりと確認して念書も作成してあります。問題行動があればすぐに処分対象となります」

「分かったわ。部屋は常寧殿を使ってください」


 姫たちの局と勉強をする場所に常寧殿を当てた、後は香奈たちがすべて取り仕切ってくれることになっている。八人が勉強を終えて後宮を出ても次の候補者がやってくるらしい。


 帝は私の母様が考えていたことを実現させようとしている。もはや後宮は令嬢たちの養成機関になっていく。


 定良が帰っていくのと入れ違いに中納言がやってきた。


「体調が思わしくないと帝が心配されていましたので、左大臣様の北の方から香を預かってきました」

「母様から?」

「心が落ち着き、よく眠れようになるそうです」


 母様にも心配かけてしまったようだ。

 女房が受け取った香を少し嗅いでみると気持ちが落ち着いてくるのが分かった。早速今夜から使ってみよう。


「大臣たちの姫君が来月から後宮に入ることになって、香奈にも負担をかけてしまいました。中納言様との婚礼もなかなか進まず申し訳ないと思っています」


 講師として香奈が先導しているため、しばらく宮中に残ることになるだろう。そうすると中納言との婚儀もいつになるのかわからない。それが一番気になっている。


「そのことですが、本日は女御様の許可をいただきにまいりました」


 中納言の話は香奈の婚儀を今月中に行うというものだった。すでに帝の許可ももらっているようで、香奈は婚儀の後は中納言邸から通いで宮中に参内することになるという。

 その為、自分にも許しを請いに来た。反対する理由すらないのですぐに許可をした。


 みんなが幸せになってくれるといい。私が後宮に来た時は、後宮は安心できる場所ではなかった。それが後宮は今、とても平和な場所になっている。生まれてくる子がどちらの性別でもきっと幸せな世の中になっているはずだ。

 早く顔を見せてほしいと腹を撫でた。


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