第64話 悪政、世に蔓延る

 帥宮が帝になって早四か月が過ぎていた。


 都では先帝の御代は悪政で先皇太后は鬼女だと噂が広まっている。先帝の葬儀はひっそりと執り行われ、通常の生活に戻っていった。


 帝と東宮は昼夜を問わず罪人たちの処分を決めていき、その護送や空位となった役職の人員配置で時間を取られていた。

 通常の政がおろそかになると心配する重臣たちがいたため、審議を遅らせることなく進めるためにも、処罰の判断や書類の確認などは深夜に行われていた。

 帝も東宮も毎日睡眠時間が一刻くらいしか取れていないと、紅葉から連絡が入っていた。


 初めのころは一日に一回は東宮が麗景殿に訪ねてきたが、忙しいと聞いたので無理をしないように言っていた。その為なのか一か月以上東宮に会っていない。おそらく紅葉なりの気遣いなのだろう。


 それならと栄養のある夜食を毎日届けさせている。その食材も弘徽殿女御や先承香殿女御の一華殿からも届けられ毎日違った食事を届けることが出来ている。


 処罰内容が官位はく奪や左遷から謹慎や厳重注意などに代わっていくと宮中の中も少し落ち着きを取り戻し始めた。


 後宮は先帝の妃たちはすべて出ていき、自分は見送り続けた。今は弘徽殿女御と綾だけになった後宮はとても静かで、現帝が後宮を持たないと言ったことから、住人のいないところは封鎖されている。


「暇ね」


 やっとのんびりできると部屋で寛いでいると次の帝、東宮のための後宮を期待する公達が探りを入れてくるようになった。面倒なので女房姿で渡殿に座っているとチラチラとこちらを覗き見る公達がいた。

 渡殿の先では女房達に体よく帰されていくのだが、それでも隙あらばやってくる。


 護衛の一人と目が合う。


「誰?」


 公達に気づかれないように小声で聞く。


「新内大臣様です」


 護衛の責任者だった男。新右近中将がまたかとあきれ顔で答えてくれた。

 処罰され空位となった役職に麗景殿を護衛していた者達が就いた。その一人がこの右近中将だ。


「姫君はいらっしゃるのかしら?」

「三人ほど。上から二十五、二十一、十三」

「いきなり三人は難しいわね。取り敢えず一人かな」


 年齢的に東宮より年上二人にかなり若い一人。東宮が気に入るかどうか難しい。

 東宮はどういった方が好みなのかさっぱり分からない。適当な理由をつけて後宮に入ってもらおうかしら。


「本当にそう思われていますか?」

「えっ?どうして。帝には世継ぎを産むための後宮は必要でしょう」

「東宮様も後宮を持つ気はないと仰っています」


 なぜ?

 真剣な顔で新右近中将をみた。


 帥宮が後宮を持たないと言ったから気遣っているのか?

 東宮がお可哀そうだと呟く新右近中将はどこかへ行ってしまった。先程までいた公達もいつの間にかいなくなっている。


 以前部屋に積まれていた書類はすべて確認が終わり元の部署へ戻した。その為、特にすることもなくなって、急に暇になってしまった。

 あんなにのんびり暮らしたいと願っていたのにいざ、その状況になるとどうしていいのか分からない。

 綾はその場に寝そべった。陽は天中にある。

 面倒なことは周りに任せよう。やっとのんびり暮らせるようになったのだから。瞼はゆっくり落ちてきた。眠くなってきた。よし、このまま寝てしまおう。


「姫様。何をしているのですか!」


 香奈の声が聞こえて慌てて起きる。

 両手に書類を抱えた香奈が立っている。その後ろにも数人の従者が同じように書類を持っていた。


「それ、なに?」


 嫌な予感がして後ずさりするが両脇を別の女房に掴まれて引きずられるように部屋に連れ込まれる。


「帝と東宮様からの依頼です」


 再び部屋に積み込まれた書類は各地の荘園の作物の収穫量が記されているものだった。

 役職を罷免されたものや左遷なので所有していた土地などを手放したものは朝廷で管理することになり改めて税収などを見直すことになった。

 正しい税収の算定を綾に頼んできたのだ。


 嫌だとは言いにくい。もう一度以前の女房達を招集して書類の確認を始めた。


 東宮が帝位を継ぐまでにあと二か月を切っている。急がなければと綾たちも夜遅くまで書類の確認をした。


「どうしてこんなに多いの!」

「姫様。時間がありません!」


 どれだけ調べても積み上げられた書類は一向に減る様子もない。香奈たちに追い立てられながら書類の確認をしてその結果を逐一、帝と東宮に報告する。すると頭中将と左近中将の指揮のもと各地に役人を派遣して確認作業後、正式な税収が通達されていく。

 残り一か月を切ったとき最後の書類の報告書を作成して提出した。


「やっと終わった!」


 もう動く気力すらない。暫く誰も来ないでほしい。

 残っている力を振り絞り部屋の一番奥まで行き、壁にもたれかかり外の景色を眺めた。

 

 後宮に来て既に一年が経っていた。

 いろんなことがあった。


 先帝の御代は約十年だった。

 その十年でかなりの悪事が行われていた。それを正していくにはまだ時間がかかるのだろう。今は、その為の第一歩に過ぎない。

 粗悪な環境で働かされていた者達や過剰な税収に悩まされていた者達すべてを救うまではいかないまでも、かなり改善されたはずだ。


 東宮にはほとんど会っていない。

 忙しいのは分かっている。今は、帝位を継ぐための引継ぎを始めたと紅葉から連絡があった。落ち着いたら会いに来てくれるらしい。

 私たちの関係はどう変わっていくのだろうか。東宮が帝になったらこの後宮にも再び帝の妃たちが集まってくるはず。私はどれだけの寵をいただけるのかな。

 出来れば忘れられない程度には思ってもらえたらいい。そうしたら今度こそのんびり後宮生活を満喫してやる。それを心待ちにもう少しだけのんびり昼寝でもしていよう。

 きっといい夢が見られるはずだから。

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