第63話 譲位
護衛たちは十分な働きをみせた。
綾から護衛の任を解かれてから東宮の指示で詳細を調べていくと、私たちが調べた偽文を書いた人物の 文を手に入れることに成功した。検証の結果、やはり睨んだ通りの者と筆跡が一致する。
その間、麗景殿では皇太后派の残党が襲撃の機会を狙っていたようで何度か殿舎に忍び込んでくる者がいた。
襲撃者と格闘すること数日、兄の左近中将が調べた皇太后と関係のある者の中から右近中将の母君が浮上し、その周辺を調べると右近中将は藤壺の物の怪騒ぎの張本人である常茂が持っていた文を書いたのが右近中将であると判明した。
右近中将の母は正妻ではなく、本妻の子と比べられていた。左近中将自身が幼いころからそのことを感じ取っていたため、高官の娘との縁談を望んで息子にもそれを強要した結果が綾と試合をして負けた。
また、自分から出家したといわれていたのは嘘で、家の恥を考えた父と本妻から謹慎を言い渡されて本人とその母は納得していなかった。
虎視眈々と還俗するタイミングを狙っていたとき、皇太后の陰謀を知った右近中将が邪魔な兄を陥れ自分がその地位に就く算段を交換条件に皇太后と密約していたことも判明した。
その密約書を左近中将が手に入れた後、適当な理由をつけて右近中将に文を書かせて検証した結果、偽文は右近中将が書いたものとして立証された。
そこからは早かった、東宮は右近中将の証言から皇太后が後宮を騒がせた張本人として証明し皇太后に付きつけ罪を認めさせた。
流石にここまでの証拠を突き付けられては帝も庇うことも出来ず、皇太后は処罰されることになった。
「どんな罰がいいだろうか」
護衛たちが戻ってきたため、綾たちもいつもの通り書類の整理を再開した。
そして、その隣で違和感なく仕事をしているのは東宮本人で、皇太后の処罰を何にしようかと聞いてきた。
「被害に遭われた方の不満のないように、この国の法に則って決められればいいのではないですか?」
答えたはいいが、被害に遭ったのは亡き方たちも含まれるのではないかと心の片隅に浮かんでくる。それでいくと、生易しい処罰ではダメなような気がする。今後の牽制にもなるような処罰となると何があるのかと考えてみるがどこまでの処罰が正しいのか分からない。
東宮は既にいくつかの候補を決めているようだが、それを口にすることはなかった。
罪を認めた皇太后は住まいである常寧殿から出されて牢屋に入れられていると聞く。
罪を認めるときも常寧殿から出されるときも暴言を吐いて暴れたようだが、牢屋に入れられてからは大人しくなったようだ。
長い間、後宮で暮らしていた者からしたら牢屋での生活は厳しいだろう。だが、今まで皇太后がやってきたことを考えれば同情すら感じない。
暫くすると、帝は公務に復帰したと噂が聞こえてきた。
帝から皇太后の処罰が発表される予定なのだという。重臣たちの審議後に出ると思われていた処罰は思ったより早くでた。
斬首。
帝の口から出たものは重臣たちも驚く内容だった。
皇太后の首は都の外れの地にさらされ、体は近くの山に捨てられて獣などの餌になるようにさらされた。
皇太后の亡骸が形を止めないくらい朽ち果てたころ、帝の口から譲位という言葉がでた。
先太政大臣と現太政大臣がずっと説得し続けた結果というより、帝自身その地位にいることが辛くなったようだ。
東宮が帝のなることに反対する者がいないこともあり、あっさり決まると思ったが先帝の遺言通り、帝は暫定とされ一旦は帥宮が帝の地位に就くことが決まった。
帥宮が帝の地位にいるのは半年、その後速やかに東宮に引き継がれることになっている。
皇太后に苦しめられた重臣たちは現帝を正式な帝と認めたくなかった。その為、帝が使った譲位という言葉はないものとして処理された。
宮中が慌ただしく新帝にむけての準備が進められる中、私は女御を訪ね歩いた。
帥宮は後宮を持つことはないと言われたので、東宮が帝に就くまでに今の後宮を閉じることが決まっている。帥宮と東宮から後宮のことを任され、今後のことを話し合うためだった。
「弘徽殿女御様はどうされるのですか?」
帝は宮中を離れると決めた。出家して吉野山の中腹にある寺に隠居する。その為、女御たちは今後のことを考える必要に迫られた。
承香殿女御はご実家に戻られて、柾良親王は元服後、宮中に出仕することが決まっている。
藤壺女御はご実家が既に代替わりをしているため、帰っても居心地が悪いのではと考えられ、式部卿宮が引き取ることになった。
式部卿宮には後継者がいないため、直貞親王を後継者としたいと東宮に願い出ていた。
他の妃たちもほとんどが実家に戻るか、出家して尼寺に入ることが決まった。
「本来なら帝について行くことがいいのだろうけど、私はあの方と離れたかったのよ。それに敦成のことも気になるからもう暫くここにいることにするわ」
「あの、離れたかったとはどういうことでしょうか」
弘徽殿女御は晴れ晴れとした表情だが、話す内容は少し怖い。離れたかったというのは離縁でも考えていたのだろうか。一旦、後宮に入ってしまえば死か罪人、もしくは帝が亡くならない限り出られない。帝が亡くなっても未亡人となるだけで自由とは程遠い。
「私は帥宮様と婚約していたのよ。それが、いつの間にか東宮位から遠ざかってしまって、宮中での勢力を伸ばしたかった父は私に頭を下げて頼んだの。あの男の妃になってほしいと」
あの男は帝のことだ。
皇太后が重臣たちの意見を無視して帝に押し上げたため、弘徽殿女御は別に婚約者がいたのに入内したのだ。
聞くところによると、当時別の宮様との縁談があった姫たちもその宮様たちが亡くなって仕方なく帝に入内した姫もいたらしい。ただ、宮中の争いの中で病気になったり他の者へ下賜されたりしていなくなっていったという。
偽善でも帝や皇太后に誠意を見せていなければ自分や親王の命すら危ぶまれたのだ。
弘徽殿女御の心の内がどうであれ、これからの時間を幸せに暮らしてほしいと願った。
一か月後、帥宮が新帝として立ち、同時に帝はひっそりと御所を去っていった。
帥宮が帝になってから東宮も自室で仕事をするようになり、綾の部屋も元に戻り急に寂しくなった。そして、先帝の妃たちも次々と後宮を出ていき、それを綾は見送った。
承香殿女御が後宮を出る数日前、挨拶のため訪れたとき帥宮の考えを知った。
帝が帝位を降りたとしても、それまでのことがすべて綺麗になくなるわけではない。残務処理がまだ残っているのだ。
皇太后に追随して悪事を働いていた者達の処分や後任人事、更には帝から下賜された荘園なども不正に売買されていて、もっと酷いものでは税収が通常の倍近く徴収されている農民たちもいた。それらの処分を帝の命で執り行う。その為、東宮が帝位ついてしまってはその名に傷がつくと考えて帥宮が残務処理の担い手として名乗りを上げてくれた。
実際、毎日処罰の発表がなされていた。
皇太后派として権力を集めていた者達やそれに隠れて悪事を働いていた者達が次々と処罰され空位となった役職には新たに任命されていく。
すべては新帝と東宮がすべての書類に目を通し、証人にも直接話を聞き処分を決めていた。
「私は後宮に来るつもりはなかったのです」
承香殿女御からも爆弾発言がでた。
承香殿女御は後宮に入る前、文を取り交わしていた公達がいた。ところが、先皇太后は帝位に執着するあまり、先右大臣に娘を入内させるよう迫ったという。
ここにも皇太后に振り回された人物がいた。代替わりをして承香殿女御の弟が右大臣になっても更に多くの要求をしてきたと言っていた。
本来なら、皇太后の一族とみなされて処罰の対象になるところ、東宮はしっかりと調べて右大臣がしたことはそれほど多くないことや先皇太后と距離を置いていたことで最小限の処罰となり位が正二位から従二位の階級を落とされただけですんだ。
先日は藤壺女御が後宮を去っている。あの方も先皇太后の犠牲者だ。後宮には人を不幸にする何かがあるのかもしれない。
柾良親王は中務省の役職が用意されていると聞いた。少しだけ明るい話題が出て安心した。
中務卿宮は処罰の対象に上がる前に責任を取って出家したいと新帝に伝えていた。空位となった中務省の上位は柾良親王の為に残されている。
「このような形で後宮を出られるとは思ってもいませんでした。これも東宮様、東宮妃様のおかげです。私に出来ることがあれば何でも言ってください」
後宮を出ていく承香殿女御を見送るときそう言われた。いつにもまして表情は明るかった。
帥宮が帝になって二月ほど経った頃、先帝が亡くなったと聞いた。
先帝が亡くなる前に弘徽殿女御が会いに行っていたと噂が流れたが綾は聞き流すことにした。きっと、何か事情があったのだろう。そこまで詮索するつもりはなかった。
現帝と東宮が目指すのは皆が幸せを感じる治世だ。悪はみんなの中から消え去ればいい。
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