第8話 密会

 夜、後宮のとある場所で綾は中務卿と待ち合わせをしていた。

 人に見つからないように木の陰に隠れて中務卿を待つ。

 新月なので月明かりもないが先日の夜盗の影響か、所々に松明で周囲を明るく照らしている。遠くに登香殿の屋根が見えた。


(あそこで呪詛札が見つかったのよね)


 考え事をしていると背後で人の気配がした。

 恐る恐る振り返ると、麗景殿の庭先でいつも警護をしてくれていた護衛が立っていた。


「あっ!」


 思わず声が出てしまった。


「侍女殿、夜分にこのような人気のない場所にいては危険です」


 近くで見ると思ったより若く、護衛は綾のことを侍女だと勘違いをしていたので助かった。


「少し外の風にあたりたくて、もう戻ります」


 綾はお辞儀をして帰るふりをした。護衛から見えないところまで来ると建物の陰でしばらく隠れていて、護衛が立ち去るのを確認してから元の場所へ戻る。


 先程まで綾がいた場所にはすでに中務卿が来ていた。

 綾に気が付いていないようなので足音を忍ばせて近づき、中務卿の腹に拳を一撃お見舞いした。


「ううっ」


 うずくまる中務卿の前に立ちはだかり綾は中務卿を見下ろした。


「いろいろ、聞いていた話と違うのだけど。説明してくださいます?」


 涙目になりながら顔をあげた中務卿は綾を見て驚愕していた。


 綾の母は『女でも自分の身くらい守れなければいけません』と常日頃から言っていて、綾も実家にいたころほぼ毎日のように母から護身術や薙刀、弓などを習っていた。


 その母様は、大納言家に押し入った夜盗を捕らえたことがあった。ただ、外聞がよろしくないと言って父は、武術の心得のある侍女が捕まえたことにしていた。

 母様の教育がこんなところで役に立つとは母様が知ったらどう思うのだろうかと考えながら、この後どうしようかと中務卿を睨みつけた。


 ごほっ。ごほっ。


 お腹を押さえ咳き込みながら中務卿は立ち上がった。顔はまだ引きつったままだが背筋を伸ばした立ち姿はいつもの中務卿の姿と遜色ない。さすがと言うべきか。


「ここでは警護の者に見つかります。私の局に行きましょう」


 綾が歩き出そうとすると中務卿がそれを止めた。


「流石に東宮妃様とお二人でとは憚りがあります。部屋を用意していますのでそこへ行きましょう」


 中務卿が歩き出した。抜かりがないところが憎らしいが綾は後ろをついて行く。その先を見て綾は顔を顰めた。

 向かった先は承香殿女御の部屋だった。


「どうぞ」


 出迎えたのは、承香殿女御の侍女、清佳だ。

 常に控えめだが、夜も遅い時間なのにしっかりと身なりを整えて出迎えてくれる。

 中務卿と綾が部屋に入ると、案の定、部屋の奥には承香殿女御がいて、清佳は中務卿と綾の前に素早くお茶を出してくれた。


「人払いはしてあります」 


 清佳の言葉を聞いて中務卿は話し始める。


「今日一日いて、どんな感じでしたか?」

「あの……」


 綾は承香殿女御にチラリとみて言葉を濁した。


「どうかお気になさらずに」


 清佳から言われて綾は諦めた。


「まず、お聞きしたいのは、柾良親王はいつから、どんな状態だったのですか?それと登華殿で呪詛札が見つかったという話も聞きましたが、それはどのようなことでしょうか?」


「もう、そんな話があなたの耳に入ったのですね」


 中務卿は少し驚いていたが、想定内のことだったようだ。


「一年程前、呪詛札は登華殿の床下から見つかりました。当時、登華殿にいた更衣がなくなり新たに更衣を迎えるための準備をしていた時に発見されました。その呪詛札には東宮を呪うような内容が書かれていたのです。しかし、その呪いは東宮だけにとどまらなかったようで、柾良親王は病に倒れ、藤壺では物の怪が度々出るようになりました」


「前の更衣が東宮様を呪う意図は?」

「それが分からないのです。誰か別の者が更衣に罪を着せるつもりでやったのではないかと調べさせましたが結局分からないままでした」

「その方がお亡くなりになったのはご病気か何かですか?」

「風邪を拗らせて肺炎になっていたようです」


 東宮を狙う理由がない。やはり、誰が別の人物の仕業だろうか。


「更衣というからには帝のお子様がいらしたのでは?」

「更衣には内親王がいましたが、母である更衣がなくなり、ご実家に引き取られていきました」


 内親王では東宮争いに加わることも出来ない。


 あっ!


 嫌なことを思い出した。藤原成彰が確か内親王を妻にと望んで試合を申し出たと言っていたような。


「もしかして、その内親王様があの弓の名手が望んだお相手ですか?」

「そういえば!」


 それまで静かに聞いていた承香殿女御が声をあげた。


「以前、宴を開いたときにあの者が沙羅内親王様をいただきたいと言い出して」

「それはどういうことですか?」


 綾が聞いていたのは新年の宴で大臣たちの集う場でのことだった。

 私が説明しますと清佳が名乗り出た。


「夏の涼を楽しむための宴を行いました。帝もご臨席で右大臣様もいらっしゃり、庭先の池に船を浮かべて涼を楽しみ盛大なものでした。その余興で藤原成彰が弓の演武を披露したのです。お酒が入っていたのもあったのですが、帝が褒美を遣わすと仰って、それに藤原成彰が更衣の産んだ沙羅内親王様をと言い出したのです。さすがに、周囲も驚いて帝も返事をしかねていた時に、左大臣様がそういうことは手柄を立ててから言うものだと窘めていました」

「それで、納得したのですか?」

「納得しませんでした。その翌年の新年を祝う宴で東宮様に試合を申し込み、勝ったら沙羅内親王様をいただきたいと言い出したのです」

「東宮様と試合?」


 東宮に試合を申し込むだけでも普通ではありえないのに、更に勝ったら内親王を求めるとはやはりあの藤原成彰はとんでもない奴だと改めて思った。


「東宮様は試合をしてもいいが、内親王を賭けの対象には出来ないとはっきりと断っていました」


 綾はそれを聞いて安心する。仮に政略結婚であっても自分の夫が内親王を賭けて勝負をしようとする人物だと思いたくなかった。


「それで?」

「その場は収まりました。その後は、あなたが一番ご存じのはずです」


 中務卿に言われて、納得する。

 私が彼の自尊心を打ち砕いたのだ。母様の教えに則って、賊を追い払うかのように。

 あの時、藤原成彰は兄、良智と勝負をしたいと言い出した。賭けの対象は綾。良智は勝負しないと断り続けていたが諦めない成彰は良智を馬鹿呼ばわりし始めた。

 部屋の奥からその様子を見ていた綾は我慢がならなく、気が付いたら庭に飛び出ていた。


「帝は感謝しています。あのままでは逃げ切ることも出来ずに沙羅内親王様をあの者に降嫁させるしかないと悩んでいましたから」


 中務卿の話を聞くにつれ、そんなにも追い詰められていたのかと返って驚く。


「その少しあとです。更衣がなくなり、呪詛札が見つかり、こちらの柾良親王が突然倒れて寝込まれたのは」


 綾は話の内容を整理する。一年前には成彰はすでに出家して宮中に参内していない。それなら柾良親王とは関係ないと思う。ただし、東宮を呪うというのは少しだけ可能性として残しておこうと考えた。


「実家に文を出したいのですが」


 綾は今出来ることをしようと思う。


「すぐ、準備します」


 清佳が部屋を出ていく。


「このことは内密にお願いします」


 中務卿に言われた。しかし、綾は自分の考えを止めるつもりはない。


「柾良親王様の病状に気になることがあります。私の母ならそれを知っているのではないかと思いまして」

「分かりました。私が直接届けましょう」

「ありがとうございます」


 清佳が用意してくれた紙に症状だけを書き記し、中務卿に渡した。


「あの……」


 そろそろと近づいてきた承香殿女御は綾の手を取った。床に額が付きそうになるくらいに頭を下げる承香殿女御。


「文を、私にも文を書いてください」

「えっ?」



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