第7話 女房たちの噂
帝からの命で皇子の病気の看病としての任務を任された綾は中務卿の遠縁として承香殿へ潜入するため中務卿と承香殿へ向かった。
あの後、中務卿が私の身代わりを作りアリバイ工作の準備をしてくれ、東宮妃は風邪をひいて寝込んでいることになった。
香奈は麗景殿に残り綾の身代わりと一緒に中務卿との連絡係になった。
「承香殿女御様と侍女頭の清佳殿は貴方の身分を知らせています。私に連絡するときは侍女頭の清佳殿にお伝えください」
「分かりました。皇子様の周辺を探ればいいのですね」
「そうです。陰陽師は皇子の病気は呪詛ではないと言っています。誰かが手を下していると思われます」
中務卿と承香殿へ行き、一通りの挨拶をして御前を辞そうとしたとき承香殿女御は声をあげた。
「あの……」
綾は振り返りもう一度座りなおしてお辞儀をする。
(何か伝え忘れたことがあったのだろうか)
次の言葉を待っていると侍女頭の清佳が女御に何か話しかけていた。
「ごめんなさい、何でもないの。皇子のことをよろしくお願いします」
「はい」
綾は短めに返事をして、もう一度立ち上がる。几帳の奥の承香殿女御はかなり弱っているようにも見えた。綾はもう一度お辞儀をして部屋を退出した。
「高子さんはずっと中務宮でお勤めしているの?」
ここに来るにあたり、中務卿と相談して名前を高子と決めた。以前、中務卿の屋敷にいた侍女の名前だと言っていた。
「いえ、二年ほど前に母の体調が悪くなりお屋敷を辞していました。その母も半年前に亡くなり、仕事を探していたところ中務卿からこちらのお話をいただきお世話になることになりました」
ここ数日、承香殿女御の皇子、柾良親王の容体は安定しているらしい。その為、中務卿の屋敷から侍女が来ると聞いて興味津々の侍女たちに色々探りを入れられていた。
綾は出来るだけボロを出さないように、中務卿と決めた高子の身上を何度も繰り返していた。
「柾良親王様は一年程前から体を壊されていると中務卿様からお聞きしていますが、それ以前はお元気だったのですか?」
綾は皇子付の侍女の一人、冬香に探りを入れる。状況が分からなければ動くことも出来ない。
「お元気でした。ところが、一年程前に急に倒れられて、それからはほとんど寝たきりになってしまったの。皮膚もただれてお可哀そうに。薬師も色々な薬を試してみたけどなかなか治らなくて。もう、呪詛ではないかとみんな、噂しているわ」
「そうでしたか」
綾は柾良親王の顔を見る。皮膚の色は悪くない。だが腕を見ると、ところどころ皮膚が爛れている。それが、治りかけているところと新たに出来たところとあった。
これは呪詛ではない。誰かが何を皇子にしているのだと確信した。
中務卿が言っていた、皇子周辺の者を探れと言うことかと納得する。
今は穏やかな表情で眠っている。冬香の話だと、一日の大半は寝ているということだった。
健康な体ならこれだけ眠れば自然と目が覚めて、起きだすはずだが柾良親王は誰かに声をかけられないと起きることはないらしい。
眠り薬でも飲まされているのか……。
綾は更に何かないかと柾良親王を観察する。
「でね、東宮妃様にお手紙を貰ったらと話しているの」
へっ?
綾は自分の話題が出てきて思わず声を出しそうになった。
「東宮妃様に手紙をもらってどうするのですか?」
話を聞いていなかった綾は慌てる。
「高子さん知らないの?東宮妃様の手紙は幸運の手紙だと噂があるの」
「そうだったのですね。私はそういった話に疎くて、もっと教えていただけると嬉しいです」
自分の噂を聞くのは恥ずかしさが出てくるが、ぐっと堪えて情報収集のために笑顔を見せた。
「ここだけの話、華の宮様のところは物の怪が出たそうよ。それも華の宮のご寝所に現れたって」
「ご寝所に?」
「そうなのよ。藤壺でも直貞親王がお生まれになってから華の宮様もお元気がないと噂があったのよ。それが今度は物の怪でしょう。後宮は呪われているのではないかとみんな噂をしているのよ」
「何か呪われているようなことがあったのですか?」
「それが、登華殿の庭先に呪詛札が落ちていたらしいのよ」
呪詛札の話など中務卿から聞かされていない。思わず顔を顰めてしまったがそれが冬香には綾が怯えていると勘違いさせたようだ。
「ここは皇太后様が祈祷師にお祓いをしてもらったので大丈夫。ほら、あのお札」
冬香が指さす方を見ると天井近くの柱にお札が貼り付けてあった。
後宮にお札を貼るのは帝の許可が必要だ。中務卿はこれも綾には伝えていなかったのかと目を細める。
「どんな呪詛札だったのですか」
綾は情報収集に気持ちを切り替えた。
冬香の声が小さくなるのを受けて、綾の声も抑えて、二人で顔を突き合わせてひそひそ話になっていた。
「東宮様を呪うようなことが書かれていたらしいわ。だから、東宮様は幸運の女神と言われる大納言家の綾姫様を東宮妃にしたって噂よ」
この話も知らない!
中務卿は一体どれだけの話を自分に伝えていないのかと怒りがふつふつとわいてきて、袖の中で握りこぶしを作っていた。
今度会ったときは中務卿を殴ってやる。不敬だと言われてもそんなこと知ったことではない!
綾は何度か息を吸い、気持ちを落ち着かせた。
東宮の呪詛、柾良親王の病気、藤壺の物の怪騒ぎ。すべてが一つにつながるには無理がある。偶然が重なっただけだろうか。
綾は今夜、中務卿に確認してみようと頭の中で整理した。
その後、柾良親王の食事の時間になり、柾良親王の侍女の美和が食事を持って部屋にやってきた。数人の侍女たちに起こされ柾良親王は食事を始める。
綾と冬香は部屋の隅に移動して、美和が柾良親王の食事の世話をしているところを見ていた。
「ほとんど召し上がられないのよ。それで、どんどん瘦せられてしまって」
冬香が小声で教えてくれた。
布団から出た柾良親王は綾が思っていたより痩せていた。
薄い体からは生気が感じられない。何とか命を繋ぎとめているような感じで呼吸も苦しそうにしていた。
美和から食べさせてもらっていた食事を柾良親王は戻していた。それはいつものことのようで侍女たちは特に驚く様子も見せずに、後片付けをする者、柾良親王の衣を着替えさせるもの、寝床を新しく整えるものとテキパキと動いていた。
柾良親王は侍女たちに手伝ってもらいながら着替えをしてまた体を横たえた。その様子は痛々しく、見ている綾も辛くなるものだった。
原因を早く見つけないと柾良親王の命に関わるようだ。
綾は冬香に気づかれないように柾良親王の食事を記憶した。
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