第5話

 卒業式も、私はその姿で出席した。

 アデルハイドは私がそうなってしまってから、ずっと車椅子を押してくれる。

 自分でできる、と言ってもお構いなしだ。

 せっかく山と自分達でよくなった足が、今度は、と思うとやりきれないものがあったのだろう。

 実際今度は体力をつけて、とかではどうにもならないレべルのものだった。

 粉砕骨折に加え、足の神経そのものがやられてしまったのだから。


 その一方でアデルハイドは、国内の器械体操の大会で良い成績を修めた。

 優勝にならなかったのは、彼女の気持ちが沈んでいたせいもあっただろう。

 そしてその大会にはカールもやってきていた。

 アデルハイドは私に言った。


「カールさんはどうしたの? 何か私にあれこれ楽しそうに話しかけるけど、最近、クラーラのところにあまり来ないじゃない」

「そうね」


 先日イレーネが、悔しそうに言ってきていた。


「兄さんったら、貴女が事故に遭ってからずっと放っておきっぱなしって本当? 婚約者を放って休みごとに何処に行っているの?」


 その時に大会を見に行っていたのだ、とイレーネには言わなかった。

 だが彼女も気付いていただろう。

 兄の心変わりを。

 いや、おそらくは、アデルハイド以外の誰もが。


 そしてある日の午後、私はカールに呼び出され、婚約解消を告げられたのだ。


「何故…… 何故なのカール!」


 私はそう言った。あえてそう泣きそうな顔で言った。

 すると私の車椅子を押していたアデルハイドも大声になり。


「そうよ、今さら何ですかカール様っ!」

「そ、それは……」

「ええ知っていますわ、カール様! クラーラがこの様な体になってしまったということでご家族に止められたのですね」


 いやそれはちょっと解釈が違う。

 カール自身も、何を言っているんだ、という顔になる。

 目の前のアデルハイドに心を移したからこそなのに、当の本人にそう解釈されているというのは。

 つまりまあ、男として見なされていなかったということで。

 アデルハイドは私の車椅子に輪止めを掛けた。

 そしてカールの側にずずずい、と近づいていく。


「あなたの愛というのはその程度のものだったのですか?!」

「え…… ちょっと待って」


 カールに詰め寄るアデルハイドの足はどんどん展望台の柵の方へと近づいていく。

 柵は一応きちんとしたものが出来ているが、その向こう側はまともに断崖絶壁だ。

 だからこその景観なのだが。


「待って、ちょっとここは危険だ」

「何言ってるんですか」


 カールはどちらかというと街の人間であり、この高さには決して強くない。

 彼はあくまでスポーツといってもボクシングの選手であって、器械運動ではない。

 だが山育ちのアデルハイドにはそんなことは関係ない。


「クラーラがどれだけ貴方のことをっ!」

「わ、ちょ、ちょっと……!」


 詰め寄るアデルハイトのあまりの迫力に、柵についたカールの後ろ手は、握ろうとしたが――

 その力を逃してしまった。


「あ」


 カールが向こう側に消える。

 アデルハイドもそれにともなって、ふらりと身体を宙に浮かせた。


「きゃああああああ誰かあああああ」


 私はすかさず大声を上げた。

 周囲の人々の視線が集中し、駆け寄ってくる者もある。

 だがそこはさすがに器械体操の選手。

 そもそもアデルハイドは高所に慣れている。

 すかさず手すりを持つと、あっさり両手で掴み、崖にとんとんと何度か勢いつけてジャンプし、落ちずに戻ってきた。


「大丈夫なのか」

「あ、はい、大丈夫です。でも」


 彼女は駆け寄ってきた人々に、崖の方を指した。

 柵の向こうを確かめる一人が、苦い表情になって首を横に振った。

 そうね、ここから落ちたら駄目だわ。

 私は駆け寄ってきたアデルハイドの胸の中で泣いてみせながら、以前彼と眺めたこの場所、この崖の高さを思い描いていた。

 そして思う。

 罪には問えないだろう、と。

 詰め寄ったのはアデルハイド。

 そもそも私は近寄ってもいない。

 あくまでこれは事故。目撃者も多い。

 アデルハイド自身も落ちかけている。


 私はね、カール。

 貴方の婚約解消の理由が「それ」でなかったなら、許したのよ。

 だけど事故で私が歩けなくなったことがきっかけだったとするなら、それは許せないの。

 だって、それを治そうとしてくれたのがアデルハイド達だったのに、貴方はそこで見捨てたんですもの。

 そんなひとに信用なんておけない。


「帰りましょう、アデルハイド」


 私は周囲の人々に、自分の名前と住所を告げると馬車で帰路につかせた。

 横に座るアデルハイドにすがりつきながら、さてイレーネにはどういう顔を向ければいいのかしら、と思いながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さすがにその理由の婚約解消は許せませんのよ。 江戸川ばた散歩 @sanpo-edo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ