第11話 解き放たれた毒蛇Ⅳ

「なるほどねぇ。そりゃ災難だったな」

 苦笑交じりに労うジンは、果実酒のグラスを揺らした。自分の店を早じまいして遊びに来た彼は、ネサレットが出かけていると聞き、いくつか酒のつまみを作ってくれたのだ。

「難敵と遭遇するのは冒険の常だ。災難というほどのことでもない」

 ハニーは応じつつ、感謝の念とともに酒瓶を差し出すが、ジンは手のひらを見せて辞退した。

「そーそー。むしろ本当に災難だったのはその後ですよ。ドラゴンの内蔵が破裂して毒ガスが湧くわ、そのせいで遺跡が立ち入り禁止になるわ、挙句あっちの族長さんに巨人形態で詰め寄られるわ、散々でしたからね」

 と、ウィリアムが赤い顔で愚痴る。ジンに付き合っているうちに酔いが回ったようだ。普段より早口なうえ、声もやや大きい。

「まあ、ケビン――俺たちを手引きした子がかばってくれたから、小言をもらう程度で済みましたけど」

「そういえば、結局トミー・ゲスラーはお縄になったそうじゃねぇか。陛下がお触れを出してたぜ」

「陛下が?」

「ああ。規模が小せぇとはいえ、一部族の長を怒らせた野郎だ。公に対応してるところを見せねぇと、外交的にまずいっていうか、格好がつかねぇんだろ」

「なるほど」

「王侯貴族サマも大変だねぇ」

「ていうか、お前らもそれくらい把握しておけよ。この国に住んでるんだろ」

「興味がない」

 正直に言うと、ジンは苦笑いを浮かべた。心なしか、先ほどウィリアムに向けていたそれより乾いている気がする。

「奴は向こう三年、ハーヴェス領内で冒険者として活動することを禁止された。噂じゃ実家からも縁を切られて、街を出てったらしいが……まあ、その先は知らん」

 そこには俺も興味ないからな、と素っ気なく言ったジンは、果実酒を一気にあおる。

「ただいま~!」

 彼がグラスを置くのを待っていたかのようなタイミングで、ネサレットが帰ってきた。


 ***


「あれ、ジンさん? お店はどうしたんです?」

「今日は早じまいだ。こんな時間まで女三人で散歩か? 危ねぇぞ」

 彼女の後ろにイロハとアリエッタもいるのを見たジンは、壁の柱時計を一瞥しながら言った。文字盤は午後九時を示している。

「大丈夫です。衛士隊の一個小隊くらいなら相手にできる女三人ですから」

 余裕の笑みで返したギルドマスターは、持っていた封筒の中身をテーブルに広げる、というよりぶちまける。書類の束と数枚の写真だ。

「何だこれ?」

「例の遺跡の調査報告書です。ウチが撤退した後、改めて調査隊が入ったんですよ」

 ほーん、と相槌を打ったジンは、空いたグラスを手に席を立った。

「何か食うか? 余ったもん使っていいなら、何か作るぜ」

「そんなぁ、お客さんにそこまでやってもらうなんて悪いですよぉ」

「ニヤニヤしながら席に着く奴のセリフか、それが。別にいいけどよ」

「ジン殿。拙者、甘味があると非常に嬉しいでござる」

「はいはい。ハニー、飲み物はお前が用意してやりな」

「ああ」

 歳の離れた妹を見るような眼差しで微笑んだジンは、ハニーに言い置いて厨房に入っていった。内部資料を見すぎないよう気を遣ってくれたのだろうが、客が進んで厨房に立つ酒場というのはどうなんだろう、と思わなくもない。

 もっとも、彼は「好きでやってるんだから気にすんな」と押し切ってしまうだろうから、それ以上は考えないことにした。全員分の飲み物の用意に取りかかる。

「遺跡は毒ガスに飲まれちまったのに、魔術師ギルドはどうやって調べたんだ?」

「マギテック協会と協力したそうです。【エアタイトアーマー】があれば、しばらく毒を無視できますから」

 そう言ってアリエッタが示した資料には、遺跡の来歴や、そこに封印されていた竜の正体について記されていた。

 魔法文明時代後期、ブルライト地方北東部を荒らしまわった一匹の邪竜がいた。ミラージュドラゴネットと呼ばれたそれは、多様な毒と呪術を操り、いくつもの集落を壊滅させた。これに対抗すべく、周辺諸国は同盟を結んで討伐隊を結成。聖地――後の遺跡となるあの場所に、邪竜を封印したという。

「その封印も、長い年月で弱まっていたんでしょうね。奴は結晶体の中から毒や幻術を放って、トミー・ゲスラーを最下層まで誘導した……と、魔術師ギルドは見ているわ。あいつの証言を信じるなら、『族長が利用しようとしている邪竜を殺してくれ』とか言われたみたいね」

 魔術師ギルドの結論を代読したネサレットは、注がれたエールをぐいっとあおった。そこに懐疑的な目を向けるのは、緑茶をすするイロハだ。

「むぅ……竜種とはいえ、そのようなことが本当にできるものでござろうか?」

「封印される前は、実際にやってたみたいよ? 半径数十キロにわたって毒物をばらまいて、一帯の集落の住人全員を錯乱させて殺し合わせた、とか」

「…………」

 血の気を失うイロハ。ハニーも心中では同感だった。現代より神秘が色濃かった時代だけあって、話のスケールが桁違いである。

「そんなにヤバい奴には見えなかったけどなぁ。体中ぼろぼろだったし、毒っつってもブレスを吐くくらいだったし」

「推測ですが、無理やり封印を破って出てきた反動ではないでしょうか? 私たちがトミー・ゲスラー氏を取り押さえたことで、悠長にしていられなくなった、とか」

 もはや確かめようのない仮説を立てるアリエッタを数秒見つめてから、ネサレットに念話を繋ぐ。

『ネサレット』

『うわ、びっくりした。急にどうしたの?』

『アリエッタの例の変調について、何か分かったことは?』

 気を失っている間のことを、アリエッタはまったく覚えていないようだった。かといって、ウィリアムたちが見た光景――異形の影の件を、そのまま本人に伝えるのも躊躇われる。三人で話し合った結果、ネサレットにだけ報告し、対応を仰ぐことにしたのだ。

 ちなみに、トミーに目撃された心配はない。彼とハニーは邪竜を押さえるのに手いっぱいで、アリエッタの方を振り返る余裕がなかったからだ。

『申し訳ないけど、何も分かってないわ』

 はたして、ネサレットはジョッキをゆっくり傾けながら答えた。

『本国の魔術師ギルドにも問い合わせてみたけど、手ごたえはなし。心身に影響が出てる様子もないから、とりあえず見守るしかないわね』

『了解』

 およそ予想どおり(といったら失礼かもしれないが)の答えに、ハニーは短く感謝して念話を切った。自分の紅茶を手に席につくと、ウィリアムがほう、と息をつきながら、

「まあ色々あったけど、万事丸く収まったってことでいいんじゃねぇか? エースを失くした『闇を討つ銃弾セイント・ブリット』には、ちょっと気の毒な結果だろうけど」

「この程度、レイス・メイスンは何とも思わないわ。真っ当な冒険者が台頭しやすくなったんだから、むしろ小躍りしてんじゃない?」

 相手のギルドマスターの名を出し、棘だらけの言葉を吐くネサレット。以前ここをレイスが訪問した際も、普段見せない形相を見せた彼女だが、何があったのだろうか。

「あの……以前も気になりましたが、ネサレットさんはどうして、『闇を討つ銃弾』を警戒しているのですか?」

「…………」

 同じことを思ったか、アリエッタがそっと尋ねる。ネサレットは迷うような間を置いたが、

「……まあ、そろそろ話しておこっか。自衛にもなるし」

 うん、と頷き、その場の全員に向き直った。


 ***


「知っての通り、この支部はみんなが来るまで、所属の冒険者が一人もいなかったわ。けど、最初からそうだった訳じゃないの」

 当初、『十字星の導きサザンクロス』には十余名の冒険者が集っていたという。いずれもハーヴェス王国とその周辺の出身者だ。他国のギルドではあるが、貢献するのがハーヴェス王国周辺である以上、現地の人材を登用した方がモチベーションに繋がるだろう、という本部長の意向である。

「でも半年前、主力メンバーが全員『闇を討つ銃弾』に引き抜かれたのよ。それから依頼が来なくなって、経営が苦しくなって……残っていた人たちも、他所のギルドに移っちゃったの」

「そうだったのか」

「ハニーも聞いてなかったのか?」

「依頼を遂行するうえでは、不要な情報だからな」

「お、おう」

 きっぱり言われておののくウィリアムだが、考えてみればハニーはこういう奴だった。

「引き抜かれた者たちは、今も『闇を討つ銃弾』にいるのでござるか?」

「ううん。みんな別の支部に飛ばされた」

 思わず目を見張るイロハたちに、ネサレットは怒りを顔に滲ませて続ける。

「辺境の新興支部の発展のために、ですって。他にいくらでも人はいるだろうに、ご丁寧に引き抜いた人だけを派遣したの。こっちにご家族を残して行かなきゃならない人もいたのよ、ひどいと思わない?」

 矢継ぎ早にまくし立て、残ったエールを一息に飲み干すと、彼女は声のトーンを落とした。

「そんなことがあったから、あっちのマスター――レイス・メイスンには注意してるの。黙っててごめんね」

「いえいえ。話していただいて、ありがとうございます」

「うむ! もしまた顔を出すようなことがあったら、菓子折りだけもらって蹴飛ばしてやるでござる!」

「菓子折りはもらうのな」

「食べ物に罪はござらぬゆえ」

 都合のいい理論に笑みで返しながら、しかしウィリアムはレイス・メイスンの顔を思い出していた。トミー・ゲスラーを野放しにしている時点で心象は良くなかったが、今はあの顔に明確な嫌悪を抱いてしまう。

(……ここを潰そうとしてんのか? あのおっさん)

 行動を聞いた限り、そう捉えるのが自然だろう。『十字星の導き』は、アルフレイム大陸の冒険者ギルドのネットワークに属していないから、閉店したところでレイスにしわ寄せが行くことはない。ここに来るはずだった依頼、あるいは冒険者が『闇を討つ銃弾』に行く可能性が高まる、というリターンもある。

 しかし、ギルド一つを破綻に追い込んでまで得たいような、大きな利益ではない。あちらがハーヴェス最大級のギルドであることを思えばなおさら、『十字星の導き』は無視するのではないか。

(何だって、そんなこと……)

 酒が入ったからか、上手く頭が回らない。ともすれば感情的になりかけた思考は、

「出来たぞ~。スペース空けな」

 ジンの柔らかな命令にかき消された。振り返るより先にテーブルに置かれたのは、トマトと白身魚のスープだ。イロハの前には、カリカリに焼かれたパンケーキも配膳される。

「もう遅いから、量は控えめにな。イロハ以外」

「美味しそ~! 本っ当にありがとうございます!」

「ごくっ……イロハちゃん、そちらのパンケーキ、ちょっといただいても?」

「もちろんでござる! ともにいただきましょうぞ!」

 それまでの空気から一転、和やかな食事が始まる。普段は鉄面皮のハニーも、こういう時は少しだけ顔の筋肉が緩むのは、少し前から知っている。

(……ネリー)

 この場所に、早く彼女も加えてやりたい。

 そんなことを思ってしまう程度には『十字星の導き』を気に入ってしまった自分に、内心で苦笑しながら匙を手にした。

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