第11話 解き放たれた毒蛇Ⅲ

 岩山のふもとに開いた横穴に、体をねじ込むように侵入。中腰のまま一分ほど進むと、広い空間が見えてきた。獣変貌した目で周囲を窺い、誰もいないことを確認してから穴を脱する。

「イロハちゃん。たいまつを出してもらえますか?」

 居住区に程近いということで、アリエッタは声をひそめている。対するイロハも、小さく短く応じた。

「ここに」

「ありがとうございます……【ティンダー】」

 イロハが手にするたいまつに、小さな橙色の光が集まる。さながら小麦粉のようなそれは、アリエッタが宝石を介して呼び出した妖精たちだ。彼女が提供したマナの見返りとして火種を起こし、たいまつに火を灯す。

 件の遺跡は、地表付近のエリアが居住区として使われ、地下の深層部が未踏査のまま放置されているらしい。たいまつで照らし出されたのは、その未踏査区域の入り口だ。壁一面に描かれた紋様は、経年劣化で消えかかっているが、広場の石柱と同じ意匠が多用されていることは、専門知識のないイロハでも分かった。

「魔法文明時代後期のものでしょうか。事前情報のとおりですね」

『マスター。この広さなら、サイバーリザードも問題なく動けそうですよ』

「そうだな。ウィリアム、足跡は追えるか?」

 問われたウィリアムは、片膝をついて地面を観察し始める。固い石畳では無理だろう、とイロハは思っていたのだが、

「土の塊――それも、草や苔がついた新しい奴が落ちてる。たぶん野郎のだ」

 ウィリアムはさらりと言って、前方の階段を顎で指した。あっさり見抜いた眼力に感服したイロハは、獣変貌を解いて目を輝かせる。

「流石でござる、ウィリアム殿!」

「お褒めにあずかり光栄、ってな。それにしてもあの野郎、一体何しにこんな場所に……」

「一緒にいたという側近の痕跡は?」

「そこまでは分かんねぇな。脇道がないか注意しながら追うしかねぇだろ」

「了解です。あ、カメラは私が持ちますね。皆さんは手が塞がりがちですし」

 立ち上がって帽子を直すウィリアムに応じると、アリエッタは嬉々としてマナカメラを構えてみせる。持ち前の好奇心ゆえに、最新鋭の魔動機に興味が尽きないのだろう。


 その背後で蠢く何かを見つけ、イロハは全力で地を蹴った。


 たいまつの日に照らされたのは、煌びやかな黄金色に光る蛇、それも三匹だ。うち一匹の、威嚇のために目いっぱい開かれた口へ、素早く短刀を放りつけた。口内から喉を貫いたのを横目に確認しつつ、今度は譲り受けたばかりの白刃を抜刀。美しくも凶悪な一閃で、一息に頭と胴を切り離す。

 残る一匹が、音もなくイロハの足に飛びかかるが、ウィリアムがその頭を撃ち抜くのが先だった。

「……ふぅ。お疲れさん」

「アリエッタ殿、お怪我は!?」

「だ、大丈夫です! すみません、アルケミートゥースがいたとは……」

「いいってことよ。これから用心すりゃいいだけだし」

「隊列はいつも同じだ。行くぞ」

 騒動の間にサイバーリザードに跨ったハニーが、淡々と指示を飛ばす。彼に頷いて応じたイロハは、【仁王】を鞘に納め、周囲を見回しながら後に続いた。


 後日。

 アリエッタが衝動的にシャッターを切ったことで撮れた、アルケミートゥースを一刀両断するイロハの写真が、一部界隈で「格好良すぎる」と話題になるのだが、それはまた別の話である。


 ***


 幸いなことに、遺跡は分かれ道のない単純な造りだった。書庫や武器庫といった部屋はいくつかあるが、痕跡を見る限り、トミーはそれらを無視して下へ進んでいるようだ。アリエッタたちも探索を後回しにし、階下を目指すこと三十分。ようやく(というほど経っていないが)最下層とおぼしき場所に出た。

 広さでいえば、先日パーティーをした白月院はくげついんの食堂とほぼ同じだろうか。天井が高く、たいまつの光が届いていない。さながら巨大な牢屋のような部屋の中央には、アリエッタの腰の高さほどの台座がしつらえられ、淡い紫色に光る結晶体が安置されている。

 今まさに、それに大剣を振りかぶる男がいる。トミー・ゲスラーだ。

「何をしているでござるか!」

 泡を食って羽交い絞めするイロハにハニーも加わり、一息に床に押し倒す。顔と腹をしたたかに打った彼は、軽くうめいたものの、すぐにこちらを睨みつけてきた。

「痛ッてぇな! つーかてめぇら、何でここにいやがる!」

「野暮用でな。ちょっと話を聞かせて――」

「答えになってねぇぞ、モヤシ野郎! ぶち殺すぞ!」

 眼前にしゃがみ、柔和に語りかけるウィリアムにも噛みついてくる。やれやれ、と首を左右に振る彼にその場を任せ、アリエッタは結晶体に歩み寄った。床のたいまつ(トミーが持ち込んだものだ)を拾い上げ、しげしげと観察する。

 形も大きさもダチョウの卵そっくりだが、色や質感はアメジストに似ている。あちこち欠けたり割れたりしているのは、トミーが何度か斬りつけたからだろう。それでも砕けていないのを見るに、本物の宝石ではないようだ。

(どうしてこれを壊そうと……?)

 彼にメリットがあるとは思えない行動に首を傾げながら、さらに結晶体に顔を近づけ、気づく。

 きらびやかな輝きの奥――結晶体の核とでもいうべき場所に、小さく術式が刻まれている。目を凝らして解読を試みようとするが、直後、結晶体の傷が強烈な光を発し始めた。

「伏せてください!」

 反射的に叫び、その場に伏せた次の瞬間、部屋全体がまばゆい光に包まれた。


 ***


 軽い揺れとともに響いた、ぺちょっ、という粘っこい水音に、ウィリアムはそっと目を開く。

『…………』

 目と鼻の先に、竜がいた。

 竜とはいったが、その姿は一般的なドラゴンとは似ても似つかない。凹凸のないのっぺりとした頭は魚のようだし、鱗の合間から腐りかけの体組織を垂れ流す姿は、アンデッドと呼んだ方が自然なほど痛々しい。まるで墓石の下から這い出てきたかのようなおぞましさに、足がすくんでしまう。

 が、死んだ魚のごとく白濁した目に見据えられ、我に返った。

「アリエッタをカバーしろ!」

 叫んで横っ飛びしつつ、虎の子の魔力の太矢を装填する。結晶体を観察していた都合上、アリエッタは竜の足元にいる。前衛としての技能を持たない彼女が標的になったら、たちまち殺されてしまう。できる限り注意を引くしかない。

 焦りを飲み込み、太矢を射出。【クリティカルレイ】を纏った一撃は、貧相な尻尾を根本から吹き飛ばした。耳に突き刺さるような甲高い絶叫とともに、どす黒い体液をまき散らす竜の顔が、恨めしげにウィリアムに向く。

「ッ、どけ!」

 続いて動いたのは、意外にもトミーだった。イロハを跳ねのけて立ち上がると、手から炎を放射する。地面にこぼれる血肉に引火した炎は、敵の体表を駆け上り、所々剥がれた鱗を露出させた。すかさずトミーは長剣を振るい、血をしぶかせる。

 自分たちと同じように唖然としていたのを見るに、この事態は彼にとっても予想外だったはず。にもかかわらず、この流れるような連携である。『闇を討つ銃弾』最強の名は伊達ではないということか。

 彼の後に続くように、イロハとハニーも刃を叩き込んだ。もんどりうつ竜の悲鳴に、アリエッタの詠唱が重なる。

【異界の理/磨穿鉄硯】デモンズコード/エクスノレッジ!」

 変質した“異界の門”に血を捧げて呼び出したのは、三つの頭を持つ巨大な狼。魔物に明るくないウィリアムでも、それがケルベロスであることは一目で分かった。六つの赤い瞳を爛々と輝かせて飛びかかり、竜の片翼食いちぎる。

 このまま数で押せば行ける。そう思った矢先、竜の胸元が急激に膨れた。

「! 退がれ!」

 吠えた時には遅かった。ぐん、と首を振りかざした竜は、自身の足元に藍色のブレスを吐き出した。距離をとっていたウィリアムは直撃を免れたが、下水道の比ではない悪臭に思い切り顔をしかめる。

「みんな無事か! 返事しろ!」

「どうにか、げぼっ!」

 応じようとした途端、イロハが咳き込んだ。長着で口元を覆う彼女に、竜が平手打ちをお見舞いしようとするが、サイバーリザードが割り込む。魔動機である彼女(?)はもちろん、操縦するハニーも、咳き込むついでに痰を吐き捨てるトミーも、大事には至っていないようだ。

 しかし、アリエッタは反応がない。手のように変形した“異界の門”に力なくもたれている。【異界の理】で体力を削っていたところにブレスが直撃したのだから無理もないが、このままでは格好の的だ。

「イロハ、アリエッタを治療だ! 俺も」

 回復に徹する、という旨のことを叫ぼうとして固まる。

 たいまつの火に照らされたアリエッタの影が、生き物のように動き出したからだ。


 ***


 【アウェイクン】を唱えようとしたイロハも、ウィリアム同様に硬直してしまった。蠢き震えたアリエッタの影は、やがて歪な人形に落ち着く。

 タコに似た形の頭部。枯れ木さながらの細い腕。変形した“異界の門”の影と合わさっているため、細部は見て取れないが、明らかに異形のシルエットだ。まるで貧乏ゆすりをするように揺れているのは、たいまつの炎が揺らめいているからでは決してない。

「イロハ!」

「っ、我が先達にして勇猛なる大師よ!」

 名前を叫ばれて我に返り、イーヴ神へ詠唱とマナを捧げる。

「我が同胞に、いま一度立ち向かう力を与え給え!」

 祈りを受け、アリエッタの足元に魔法陣が展開。神の奇跡を「意識の回復」という形でこの世に呼び起こす。

「っ!」

 うなだれていた頭を勢いよく上げるアリエッタ。同時に、彼女の影も元通りになった。ひとまず安堵の息をつく。

「アリエッタ殿! 大丈夫でござるか!?」

「はい! ありがとうございます!」

 自分が気絶していたことを理解したのだろう。大声で返事をした彼女は、自身以外の全員に【ファイア・ウェポン】を行使した。それぞれの得物が炎を纏い、たいまつに負けじとフロアを照らす。

「ナイス!」

「二発目が来る前に仕留めるぞ!」

 快哉を挙げるウィリアムに、ハニーの檄が重なった。イロハも愛刀の柄を握りなおし、敵の濁った眼を見据える。

 対する竜も、ここが正念場と察したか、咆哮を上げながら両腕をばたつかせた。滅茶苦茶な乱打を掻い潜り、炎を纏った白刃で左腕を斬り裂く。半ばまで食い込んだ傷口に、トミーがダメ押しを入れ、強引に切断してみせる。

 苦悶に吠える竜の胸が、再び風船のように膨張するが、

「行って!」

 アリエッタは見逃さず、ケルベロスをけしかけた。三つの頭すべてが首に食らいつくのを見て、ウィリアムとハニーも躍動。射撃が右肩に、大上段からの一閃が頭蓋に、それぞれ穴を開ける。

 それらを辛うじて耐え、倒れまいと踏ん張る竜の頬を、

「トドメだ!」

 サイバーリザードの野太い尻尾が打ち据え、吹き飛ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る