第11話 解き放たれた毒蛇Ⅱ

 サイバースパイダーを降り、鬱蒼とした森を進むこと三時間。太陽が西の山際に沈み始めた頃、アリエッタたちはようやく開けた場所に出た。

 あちこちに立つ白い石柱や、わずかに残る石畳の跡から察するに、大昔の街の遺構だろう。柱に施されている装飾は、ハーヴェス近郊の遺跡にもみられるものだ。現在は街道一つ通っていない僻地だが、かつては他の街や地域と交流があったと考えられる。

「ここか?」

『はい。マスター、皆さん、お疲れ様でした!』

「どうにか日が暮れる前に着けたな」

「急ぎましょう。これ以上遅くなる前に、集落の方にご挨拶を――」

 夕空に伸びるウィリアムを横目に提案しようとしたアリエッタは、

「だから、悪かった、っつってんだろうが!」

 荒々しい怒号に跳び上がった。目を丸くする仲間たちとともに、広場の奥に視線を投げる。

 そびえる岩山に埋もれるように、遺跡の入り口が口を開けている。件のスプリガンたちが暮らしている場所に違いないが、その前で罵声を浴びせ合う二人がいるのだ。

「さっさと返しやがれ、コソ泥が!」

「私は『謝れ』と言ったのではない、『恥を知れ』と言ったのだ! 言葉の意味くらい分かるようになってから出直さんか、痴れ者め!」

 片方を見て、全員が眉を寄せる。トミー・ゲスラーだ。今日も今日とて激昂する彼を、パーティメンバーらしき男女数人が懸命になだめようとしているが、ボルテージが下がる気配はない。

 その怒号を一身に受けているのは、年端もいかない子ども――のように見える種族・スプリガンである。尊大な物言いや、トミーの威圧にまったく動じない胆力を見るに、相応の立場にある大人だろう。腕を組んで仁王立ちする彼の背後にも、はらはらと様子を見守るスプリガンの男女がいる。側近だろうか。

「……トラブル起こす以外できねぇのか、あの馬鹿?」

「いっそここで斬って捨てるのはいかがか?」

『柱の陰から行きます? 身を隠すのにちょうどいいポジションが複数ありますよ』

「イロハちゃん。I:2アイツーさんも」

 がなり声の応酬に飛び込めるはずもなく、遠巻きに見守りながら言葉を交わしていると、スプリガンの方が手にする杖で地面を叩いた。

「とにかく! これ以上ボガード風情と話すことはない! これ以上まだ騒ぎ立てるなら、貴様が丸腰だろうと容赦はせん! 肝に銘じて失せるがいい!」

 一方的に怒鳴りつけ、憤懣やるかたないといった足取りで遺跡に入っていく。小さな背を、トミーは拳を握りしめながら睨んでいたが、

「野営だ! 行くぞ!」

 仲間たちに吐き捨て、大股でその場を後にした。取り巻きたちも慌てて着いていったため、スプリガンの男女だけが取り残された形になる。

「あの! すみません!」

 ある意味では好機と見て、駆け寄りながら声を張る。遺跡に戻ろうとしていた二人は、足を止めて振り返るや、目を丸くした。

「はじめまして。冒険者ギルド『十字星の導きサザンクロス』の者です」

「冒険者……もしかして、ハーヴェスの魔術師ギルドの、遺跡調査の件でしょうか?」

「はい。こちら、ギルドの証文です」

 アリエッタが提示した書類を確認すると、どちらも深々とお辞儀する。

「ようこそおいでくださいました。私はフリオ、こちらは妻のエリー。ともに族長の補佐をしております」

 やはり子どもに見えるだけで、実年齢はアリエッタたちより相当上のようだ。

「お疲れのところ、お見苦しいものをお見せしました。申し訳ございません」

「謝らないでくださいよ。どうせあの馬鹿が何かやらかしたんでしょう?」

「? 皆様は、先ほどの冒険者と面識がおありで?」

「ないままでいたかったがな」

 肩をすくめるハニーの言葉でおおよそ察したか、夫妻はそれ以上の追及はせず、事情を話してくれた。

 ここから西に五分ほど行った場所に、一族が生活用水を得ている泉がある。そこで武具についた血を洗っていたトミー(依頼を終えた帰りだったのだろう)を、たまたま水を汲みに訪れた子どもが注意すると、彼は逆上。あろうことか、その子を殴りつけたのだ。一部始終を目撃した族長は激怒し、トミーの武器を没収。併せて里への出入りを禁止したため、先ほどの口論に発展したという。

「……余計な真似を」

 小さくため息をつくイロハに、アリエッタも心中で同意する。トミーの人間性が最低なのは今に始まったことではないが、よりによって族長を、そんな身勝手きわまる理由で怒らせてしまうとは。

「今は、私たちからご挨拶させていただく訳にはいかないですよね……」

「それは……はい。難しいと思います」

「すみません、族長は頭に血が上ると止まらない方で」

 アリエッタの問いに、フリオとエリーが揃って頭を下げる。彼らの謙虚さを、百分の一でもトミーに分けてやりたいものだ。

「申し訳ございませんが、二、三日お待ちいただいてもよろしいでしょうか? それだけ間が空けば、族長も落ち着かれると思いますので」

「かしこまりました。近くにテントを張らせていただきますね」

 いいですよね、とハニーに視線で確認すると、彼は首肯で返してくれた。魔術師ギルドが提示した報告期限までは、まだ十日以上の猶予がある。数日の足踏みくらいは問題ないだろう。

「水や食料など、入用のものがございましたら、門番にお申しつけください。こちらで手配いたします」

「ありがとうございます。でも、俺たちも物資は十分持ってますんで、大丈夫ですよ」

 エリーの申し出を、ウィリアムがやんわり断るのを片耳で聞きながら、ふと遺跡の入り口を見やる。左右に石柱を配した大穴は、武装した二名のスプリガンに守られている。

 そこに、こちらをじっと見つめるスプリガンがいた。門番よりも小柄で、どことなく幼げな顔立ちをしている。一族の子どもだろうか。

 反射的に会釈したが、

「あ」

 少年はぷいっと踵を返し、遺跡の奥へ走り去ってしまった。


 ***


(こんな夜は久しぶりだな……)

 木々の合間に覗く星空を仰ぎながら、ウィリアムは思う。ハーヴェスでの暮らしにはすっかり慣れたと自負しているが、昨今の夜の蒸し暑さだけは耐えがたい。深夜に水を求めて徘徊しなくてもいい夜というのは、こんなにも快適だったのかと感動すら覚える。

 ぱちん、と薪が爆ぜた音で視線を戻す。新しい一本を火にくべていると、のそのそとイロハが起きてきた。見張りの交代にはまだ時間があるので、ただ目が覚めてしまっただけだろう。それでも刀を手放さない辺りに、彼女の戦士としての気概を感じる。

「何か飲むか?」

「かたじけない……」

 あくび交じりに頷く無防備っぷりに苦笑しつつ、焚火にかけていたヤカンの中身をカップに注ぐ。鼻(なぜか耳も)をひくつかせたイロハは、ゆっくりと喉を鳴らし、ほう、と息をついた。

「結構なお点前で」

「お粗末様」

「薬湯でござるか?」

「ああ。気持ちがリラックスする薬草を、ほんの少し入れてある」

「ウィリアム殿は物知りでござるなぁ。絵巻の山伏のようでござる」

 エマキのヤマブシとやらは初めて聞く単語だが、褒め言葉であることは伝わった。頬を掻きながら言う。

「ほとんどはネリーの受け売りだよ。俺が見つけたもんじゃ――」

 と、不意に視線を感じてクロスボウを掴んだ。イロハも気づいたのか、カップを置いて立ち上がる。

 背後の茂みの向こうに誰かいるようだが、敵意や殺気は感じない。カップを放り捨てず、命より飲み物を粗末にしないことを優先したイロハも、それは分かっているはずだ。顔を見合わせて頷き、武器を下ろしながら声をかける。

「どちらさん? 撃ちゃしねぇから、顔見せてくれよ」

 にわかに風が勢いを増し、木々の葉をざわつかせるなか、

「…………」

 木立をかき分けて現れたのは、一人のスプリガンだった。


 ***


 イロハに起こされ、目をこすりながら焚火までやって来たアリエッタは、その前に腰かけるスプリガンを見て覚醒した。

「先ほど遺跡の入り口にいた方、ですよね?」

「……ああ」

「名前はケビンだとさ」

 ウィリアムに紹介されたケビンは、しばらくカップを傾けながら押し黙っていたが、やがて意を決したように顔を上げた。

「あんたら、遺跡の調査に来たってことは、あの馬鹿の仲間じゃないんだな?」

「断じて違う」

 トミーを指しているであろう質問に、珍しく強い言葉で否定するハニー。アリエッタを含めた他の面々も、頷いたりはにかんだりして同感を示すと、ケビンは身を乗り出すように言った。

「俺、見たんだ! あいつが遺跡に入っていくのを! 何とかしてほしいんだ!」

「……どういうことだ」

 問いかける形で促すハニーに、少年は早口でまくし立てる。

 一時間ほど前。いつものように居住区を抜け出し、夜の散歩に出ようとしていたケビンは、族長の側近であるフリオに連れられ、遺跡に向かうトミーを目撃したのだ。驚いて門番を問いただすも、彼らは誰も通していないという。同時刻、フリオにアリバイがあったこともあり、ケビンの見間違いということで片づけられてしまったのだ。

「おかしいこと言ってるのは分かってる! でも、弟の顔ぶん殴った奴を見間違えるほど、俺だって馬鹿じゃねぇさ!」

「俺たちに、トミー・ゲスラーを止めろと?」

「ああ! あの野郎が何を考えて遺跡に行ったかは知らねぇけど、きっとロクでもねぇ理由に決まってる! 俺は戦えねぇし、みんなは信じてくれねぇし……あんたたちしか頼れねぇんだ! この通り! お願いします!」

 身振り手振りを交え、ついには腰を直角に折るケビン。その懸命さと必死さを見届けてから、ハニーがこちらに顔を向け、念話で意見を求めてきた。

『どう思う? 嘘をついているようには見えないが』

『う~ん……すみません、方法は分かりません』

 トミーは操霊魔法に通じている。となると、真っ先に挙がるのは【イリュージョン】で他人に変装するという手だが、それでは辻褄が合わない。門番が「誰も通していない」と断言している以上、トミーは彼らの目に触れない方法で侵入したはずなのだ。

 しかし、そうなると今度は、一介の少年にすぎないケビンに目撃されたことがあり得ない。フリオ(らしき人物)を連れていたというのも気になる。不可解というよりちぐはぐな事態に、傾げた首が戻らない。

「別にいいんじゃねぇの? 協力しても」

 流れかけた沈黙は、すぐにウィリアムが破ってくれた。

「あの馬鹿の目的とか、侵入した方法は置いといてさ。放っといたらあいつ、また族長さんの機嫌損ねることしでかすぞ」

「言われてみれば! 癇癪を起して遺跡を壊されでもしたら、拙者たちの依頼にも響くでござるな!」

「それは、さすがに……」

 ない、と言おうとして言えなかった。相手がトミー・ゲスラーであるがゆえに。

 途切れた言葉の間を埋めるように、乾いた笑いを漏らしていると、ハニーがケビンに向き直って頷いた。

「引き受けてもいいが、条件がある。このことが明るみになった場合、族長への説明はお前がするんだ」

「え?」

「要するに、バレたら俺らをかばってくれ、ってこと。できるか?」

 さらりと、しかし厳然としたウィリアムの要約に、一瞬だけ躊躇うような沈黙が流れたが、ケビンはすぐに頷いてくれた。なかなか芯の強い少年である。

「うしっ。じゃあ忍び込めそうな道を探すか」

「ああ、それなら大丈夫! 俺が抜け道知ってるから!」

「俺でも――金属鎧を着た大人でも通れそうか?」

「う~ん、行けんじゃね? 巨人化した俺たちじゃ、さすがに無理だけど」

 あれよあれよと話が進んでいく様に、自分たちは冒険者なんだなぁ、などと意味不明な感慨を覚えてしまうアリエッタであった。

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