第11話 解き放たれた毒蛇Ⅰ

 交易が盛んなハーヴェス王国には、様々な国や地域の文化が流入している。人々は昔から、それらを自分たちの暮らしに取り入れ、自己流にアレンジして楽しんできた。他国では厳かな儀式とされているイベントが、ハーヴェスに渡った途端、華やかなお祭りとして定着した事例も少なくない。

 そんな祭事の一つに「ベリー・デイ」がある。病気に強い果樹の実を食べ、子どもの健やかな成長を祈念する祭日だ。ここ数日、青空市場バザールにはベリーを使ったお菓子や花輪などの飾りが並び、住民たちがこぞって買い求めている。由来も意味合いも関係なく、ひたすら楽しもうとする気概こそ、この国最大の文化なのかもしれない。

 その片隅――シーン神殿に併設された孤児院の一室で、

「……出来た」

 アリエッタは自作の花輪を目の高さに掲げた。青々とした葉の合間から、ちょこんと顔を出す赤い実と、白い花が可愛らしい。少々緩い気もするが、手作りゆえのご愛敬ということにした。

「上手に出来ましたね。流石です」

「いえ、まだまだです」

 隣に座るチェスター・ノーランドは、心からの笑顔とともに褒めてくれたが、アリエッタははにかみながら自嘲した。彼も花輪づくりの担当なのだが、その作業ペースはアリエッタより二歩くらい早く、しかも出来がいい。

「…………」

 彼女らの向かいでは、ハニーが黙々と同様の作業を進めている。こういった作業には慣れているのか、彼も非常に手際がいい。一つ作り終えるたびに、ベルトに提げられたI:2アイツーが振動しているのは、拍手のつもりだろうか(ノーランド教授の前ではしゃべらないと決めたらしい)。

 初夏の日差しが燦燦と差し込む中、せっせと花輪を編むこと二時間。ちょうど予定数を作り終えたところで、

「失礼いたします」

 アイリスが現れ、優雅に一礼した。今日はラフなワンピース姿の彼女に、ノーランド教授が微笑みかける。

「お疲れ様です。こちらは完了しました」

「ありがとうございます。ウィリアム様とイロハさんも、一通り作業を終えて休憩なさってます」

 そういう訳で、と言葉を切ると、アイリスは懐から紙片を三枚取り出した。色とりどりのクレヨンで「しょうたいじょう」と書かれている。

「こちらが、今回の依頼の報酬となります。お納めください」

 茶目っ気たっぷりの笑顔は、先日とは打って変わって、歳相応の可愛らしさに満ちていた。


 ***


 ハーヴェスの孤児院は、名を「白月院はくげついん」といい、シーン神殿が管理と運営を任されている。弱者救済を教義に掲げるシーン神殿らしいが、主たる財源が寄付金であるため、財政は常に火の車だったそうだ。

 しかし、数年前からアイリスが私費を投じ始めたことで、状況はかなり改善した。ノーランド教授が無償で講義を請け負ったり、ハニーが建物の修繕などを手伝ったりしていることもあって、現在の暮らしぶりは安定している。ゆくゆくは就職の支援も行っていきたい、とアイリスは語るが、彼女の人脈を活かせば、実現はそう遠くないだろう。

「それでは皆さん。いただきましょう」

 そんな姫の号令に続いて、

「「「いただきます!」」」

 子どもたちが一斉に手を合わせた。すかさず目の前のご馳走に食らいつこうとするイロハの首根っこを、ウィリアムが苦笑しながら引っつかむ。

 今日の依頼――と言える規模ではないが――は、白月院をベリー・デイ仕様に飾りつけることだ。報酬はランチパーティーへの招待券。アイリス直々の誘いを断れないのはもちろん、地元に貢献するのも大切だからと、ネサレットに送り出されたのだ。

「おや。こちらのパエリアは『和禅わぜん』の……」

「はい。店長のジンさんに相談したところ、無償で提供してくださいました」

「相変わらず気風のいい御仁ですね。お店が繁盛する訳です」

 義娘に笑顔で応じたノーランドは、パエリアを口に運んで顔を上げた。穏やかな眼差しは、年少組のテーブルに掛けるアイリスを捉えている。彼女は食事にほとんど手をつけず、子どもたちの面倒を見ているようだ。

「こうして見ると、アイリスさんは本当に母君に似ておられる。生き写しとはこのことですね」

「姫様のお母様、ですか?」

「知り合いなんです?」

 アリエッタとウィリアムに問われた教授は、深い緑の瞳に寂しそうな色を混ぜた。

「う~ん、マリー・ゴールド・ハーヴェスといえば、ブルライトに知らぬ者はいない名女優だったのですが……逝去なさってから十四年も経っていますし、仕方ないのでしょうか」

「? 姫さんの母親ってことは、前の王妃さんですよね? まだ健在じゃ……」

「アイリスの母親は王妃じゃない」

 事情を呑み込めていないウィリアムの言葉に、つい口を挟んでしまった。ちょっとびっくりする彼に、すかさずノーランドが補足する。

「おっしゃる通り、先王の妃殿はご存命です。アイリスさんの母君は、先代皇帝の妾――いわば愛人でした」

「そう、なんスね……すみません、何か」

「いえいえ」

 ウィリアムはバツの悪そうな顔になるが、ノーランドはむしろ笑みを深めた。

「マリー様は、演劇界のトップでありながら庶民的で、少女のような愛嬌があって……先王のご寵愛を受けた後も、積極的に市井と交わり、多くの方に愛されました。この院での慈善活動も、もとはマリー様がなさっていたことなんですよ」

「ひょっとして、おじ様はマリー様と、こちらでお知り合いに?」

「いえ、劇場で。大好きだったんですよ、彼女が主演の喜劇。『チャティの嘘泣き』とか最高でしたね」

 古典喜劇のタイトルを挙げ、急に鼻息荒くなるノーランド。ただのファンの顔だ。

「グラス、空いてますよ」

 と、不意に死角から声をかけられた。振り返るまでの間に、声の主であるアイリスが、ハニーのグラスを取り上げる。

「果実水でいいですか?」

「ああ」

 頷くと、彼女はベリーのジュースを注いでくれた。それまで一言も発さず食事に集中していたイロハが「なんと恐れ多いッ……!」とおののいているのが視界の端に見えたが、ハニーは気にせずグラスを受け取る。

「本日もありがとうございました」

 そのままの流れで、アイリスは隣に腰かけ、自分のグラスを差し出してきた。彼女がそれまでいた場所に、世話係の女性が座っているのを確認しつつ、チン、と乾杯に応じる。

「今日は依頼をこなしただけだ。改めて言われるほどのことじゃない」

「ふふ、そうでした。では……大儀であった、でいかがでしょう?」

「その服装でなければ良かっただろうな」

 愉快げに微笑むアイリスの後方で、黄色い声が轟く。数人の男児が席を立ち、フォーク片手に走り回っているのだ。世話係が必死に止めようと追いかけるが、軽い身のこなしで逃げてしまう。

「元気だな」

「ハニー様は子どもがお好きなのですね」

「そう見えるか」

「はい。そうでなければ、孤児院の運営に関わるなんてできませんよ」

「…………それだけじゃない」

 現実時間で三秒、体感時間で三十分ほど考えて出した答えらしきものが、口を衝いて出る。


「お前のことが気になったからだ」


 ぱちくりと、大きな目を瞬かせて固まるアイリス。見たことのない表情に、さらに言葉を重ねていく。

「この場所も……うまく説明できないが、居心地がいい。以前暮らしていた場所に似ているからかもしれないが」

「ぁ……そう、ですか」

 二人の間に横たわりかけた沈黙は、けたたましい音で吹き飛ばされた。走り回っていた男の子が、グラスを床に落として割ってしまったようだ。

「すみません、あの、行ってきます」

「ああ」

 珍しくしどろもどろに言いながら、そそくさと席を立つアイリス。早足で現場に急行しながら、ぱたぱたと両手を振り、頬に風を送っている。開け放たれた食堂の窓から、外の蒸し暑さが入ってきたのだろうか。

「ウィリアムさん、ウィリアムさんっ……今のは脈ありと見てよろしいでしょうかっ!?」

「アリエッタも好きだねぇ、相変わらず」

「いや、どうだろ……少なくともハニーにその気はないんじゃね? あのハニーだぞ?」

「二人とも異なことを。脈がなかったら死んでしまうではござらぬか」

 仲間たちが声をひそめて何か話しているが、食堂の喧騒に紛れてしまい、よく聞こえなかった。


 ***


 ベリー・デイの祝宴から三日後。イロハたちは、ギルドの応接間で一人のタビットと向き合っていた。

「魔術師ギルド真語科のカティ・キャンティよ! あなたたち、新興ギルドのパーティの割にいい腕してるんですってね! アイリス姫から聞いたわ!」

 席につくや否や、甲高い声でまくし立ててくる。怒っている訳ではなさそうだが、いかんせん圧が強い。

「その実績と信頼を見込んで、遺跡の調査依頼よ!」

「依頼書には『調査』としか書かれていませんが、具体的には、どのようなことを調査すればよろしいのですか?」

「決まってるじゃない! 全てよ!」

 思い切り胸を張り、答えになっていない答えを返すカティ。困り顔ではにかむアリエッタに、ネサレットが苦笑しながら説明する。

「今回の遺跡は、あるスプリガンの氏族が守り続けてきた場所でね。入り口に近づくことすらできなかったから、中に何があるのか、そもそも何の遺跡なのかさえ分かってないの」

「すぷりがん?」

「巨人形態に変身する能力を持った人族です。古代の魔法王が、自身の宮殿や宝物庫を守らせるために作り出したといわれていて、現代でも本能的に何かを守りながら暮らしていると聞いたことがあります」

 アリエッタの補足説明に、なるほど、と頷く。言うなれば今回の調査は、よそ様の聖域に入らせてもらうようなものなのだ。調査の機会が限られているなら、「全て調べろ」などと無茶を言いたくもなるだろう。

「そちらから人員は?」

「悪いけど出せないわ。向こうの族長さん、魔術師ギルド――というか、真語魔法や操霊魔法の使い手を嫌ってるらしいの。今時珍しい偏見だけど、今回は向こうの心象を優先するわ」

「そうか」

「その代わりぃ……」

 と、何やらもったいをつけるような間を挟んだカティは、鞄から一台の魔動機を取り出した。両手に乗るくらいの直方体で、中央に丸いガラスのようなパーツがついている。

「このマナカメラを預けるわ! 十枚しか撮れないのが玉に瑕だけど、史料として使えそうなものがあったら、どんどん撮影してちょうだい!」

「助かる。そちらが求める情報について、いくつか具体例を教えてくれ」

「ありがと! もちろん提供させてもらうわ!」

「すみません。私からもいくつか伺いたいのですが……」

 と、控えめな態度とは裏腹に、雑紙の束を隠そうともしないアリエッタを見て、これは長くなるな、と覚悟を決めるイロハだった。

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