第10話 剣の國Ⅴ
里の北にそびえる山は、里の住人の生命線だ。川の水源があるだけでなく、野生動物や山菜、木材などの資源が豊富に採れる。ハルーラ大神殿(シズクが暮らしている場所だ)や、地形をそのまま活かした訓練設備など、里の主要施設が揃っていることもあり、職業や性別に関係なく、多くの者が出入りするのだ。
イロハが連れてこられたのは、そんな御山のふもとだ。前述の施設や修練場から離れた、人気のない一角である。
「これは……」
遠くで鳴くヒバリの声を背に、目の前の像を見上げる。
グレンダール神の石像だ。苔むしたそれの足元には、半ば地面に埋まる形で、細長い棺が安置されている。ウタが錠前と蓋を外すと、うわっ、と鉄と錆の臭いが立ち上った。収められているのは、折れた刀や砕けた槍――使えなくなった、あるいは使い手を失った武器たちだ。
「刀塚、でござるか」
「ああ」
「こんな場所があるなど知らなかったでござる」
「当たり前だ。むやみに見せるもんじゃねぇ」
素っ気なく言い放つと、ウタは担いでいた袋から一振りの刀を取り出した。【仁王】だ。
「弔え。お前がこいつにしてやれる、最後の手入れだ」
「……承知」
受け取り、抜刀。三分の一しか残らなかった刀身に、改めて自責と慙愧の念を捧げながら、棺の中にそっと横たえる。足元の香炉に線香をあげ、手を合わせていると、
「勘違いしてるようだから言っとくがな」
ウタが沈黙を破った。その視線はイロハではなく、宙に溶けるように消えていく線香の煙を追っている。
「こいつらが折られたのは、使い手がヘボだったからじゃねぇ。作り手が未熟だったからだ」
「…………」
「刀折られたくらいで、この世の終わりみてぇな顔で帰ってくんじゃねぇ。いいな」
「……うむ」
それでも、と喉まで出かかったが、懸命に飲み込んだ。言葉のうえであっても、彼女の気遣いを跳ねのけるような真似はしたくなかった。
互いに言葉を探すような沈黙は、修練場の方から響いた音に破られる。竹製の模造刀で、標的代わりの人形を叩く音だ。打ち込む角度を目まぐるしく変え、不定のリズムで突いては払う――十中八九、リュウガの闘法だ。朝稽古を始めたのだろう。
図らずも出遅れてしまったことに、言語化できない敗北感を噛みしめるイロハだが、
「まあ、こいつは折れねぇから安心しろ」
ぽい、と刀を放りつけられて我に返った。泡を食って受け取った得物を見て、首を傾げる。
漆塗りの鞘も、磨き上げられた鍔も、先ほど弔ったばかりの【仁王】とまったく同じだ。違いといえば、せいぜい鞘に飾り帯が巻かれている程度である。まさか魔法で同じものを作った訳でもあるまい。思いながら抜刀する。
瞬間、全身の毛が逆立つ心地がした。
鍔が鞘から離れた瞬間、剣気が立ち昇った気がした。生唾を飲み込み、切っ先まで引き抜くと、それだけで空気を寸断するような感触があった。朝日を浴び、まばゆく煌めく刀身は、【仁王】であって【仁王】ではない。
(真打……!)
同じ銘の刀を二本打ち、出来がいい方を「真打」と称して神に奉じ、劣る方を「影打」と呼んで戦士に与える。そんな風習があると、ウタから聞いたことがある。現代では誰も行っていない、儀礼めいた古い作法だと。
しかし、確信がある。目の前の一振りは真打だ。刀身が持つ覇気と鋭さが、以前の【仁王】はもちろん、並みの刀の比ではない。
「いつまで呆けてんだ」
ウタの素っ気ない声が、イロハの思考を現実に引き戻す。
「話は終わりだ。さっさと朝稽古にでも行ってこい」
言いたいことだけ言うと、祖母は工房の方へ歩き出した。炉に火を入れるつもりなのだろうが、言わねばならないことはこちらにもある。
「お
去ろうとするウタの、小さな背中に飛びついた。少しぐらついただけで倒れない彼女に、込み上げてくる想いをぶちまける。
「一生! 大事にするでござる! もう誰にも折らせはしないでござるから!」
【仁王】真打の刀身は、ここ数日の間に研ぎ直されたばかりのようだ。鍔は丁寧に磨かれているし、鞘の漆も塗り直されて間もない。イロハたちが魔域討伐に臨んでいる間、ウタはずっと整備してくれていたのだろう。最高の一振りを、最上の状態で手渡すために。
それが嬉しくて、誇らしい。喜びと感謝を爆発させるイロハに、
「……暑苦しい、っつってんだろ。ガキが」
ウタは険のある声をかけるが、振りほどこうとはしなかった。
***
ハーヴェス王国の穀倉地帯が見え始めた辺りで、サイバースパイダーを降りる。今のギルドの評判を考えると、目立つ動きは控えた方がいいと判断してのことだ。
「にしても、サイバースパイダー本当に速ぇな。あの距離を往復で一週間足らずなんだから」
『鉄騎シリーズの栄えある一号機ですからね! 言うなれば、そう! 原点にして頂点!』
「おしゃべりはそこまでだ、
『ちぇ~。了解しましたー』
「イロハちゃんも、立派な刀をいただけて良かったですね」
「うむ! やはりお婆の刀は鞘からして違うでござる!」
思い思いに言葉を交わしながら東門を抜け、大通りから狭い路地に入る。朝晩は日差しが入りにくい小路も、もうじき正午になろうかという今では、空高く上った太陽に明るく照らされていた。今日も今日とて蒸し暑い。肌にまとわりつくかのような熱気から逃れるように、ウィリアムから酒場に踏み込む。
客はおらず、マナライトも点いていないが、前者はいつも通り(というのも空しいが)、後者は日差しがあるから不要と判断されただけだろう。ぬるい風が吹き抜ける空間を、ネサレットが足早に歩み寄ってくる。心なしか、表情が固い。
「おかえりなさい。帰って早々悪いけど、今すぐお城に行って」
「城?」
「そう! 詳しいことは行けば分かるから急いで!」
常にない勢いと早口に圧倒される一行は、その背に、街の雑踏を感じて振り返った。なにやら外が騒がしい。大通りに近いとはいえ、民家が多く建ち並ぶこの路地では珍しい状況だ。
「遅かったか……」
額に手を当て、観念したように息をついたネサレットは、ウィリアムたちを店の奥の方へ手招きする。スペースを空けろ、ということだろうか。何が何やら分からず、全員で顔を見合わせてしまったが、とりあえず指示に従って入り口から離れる。
ややあって、ドアベルを鳴らして入店したのは、
「失礼いたします」
清楚な白いドレスと、美しいアクセサリーで着飾った、アイリス・ハーヴェスその人だった。
***
「長旅から帰還したばかりでお疲れのところ、連絡もなしに訪問する無礼をお許しください」
大声ではないのに不思議と響く声で述べながら、アイリスはふわりと頭を下げた。語調も所作も、ワンピース姿で街を行くときの彼女とは似ても似つかない。文字通り王家の者として来訪したようだ。
その証拠といえるのが、彼女の背後に付き従う兵士たちだ。ラージャハへの派遣要請を届けに来た女性(キサラといったか)と同じ制服――すなわち、皇宮近衛隊である。店の中までついて来たのは三人だが、外にも数人、もしかしたら十数人が控えているかもしれない。騒がしくなって当然だ。
「畏れながら
と、ネサレットが軽く目を伏せて言う。こちらも、一ギルドマスターとしての顔と声だ。自然とハニーたちの背筋も伸びる。
「ええ。ですが、私から謝意を述べるのですから、私自ら伺うのが道理と思いまして」
(周りも大変だな……)
長旅から帰ったばかり、と彼女は言った。つまり、自分たちの帰りを今か今かと待っていたということだ。急に出立を決めたアイリスに、馬に鞭打つように急かされる近衛兵たちの心労は、察するに余りあるものがあった。
唇を結んで立つ兵士たちを眺めていると、ネサレットは軽く咳払い。こっちを見ろ、と言外にたしなめられた気分だ。
「では、改めて……先日は、ラージャハ帝国への派遣要請に応じていただき、誠にありがとうございました。挙げていただいた成果について、陛下はたいへんお喜びです」
「仕事をしただけだ。大層なことじゃない」
深々と頭を下げるアイリスに、ハニーはいつもの調子で応じる。途端に、ウィリアムとイロハが声にならない悲鳴を上げてうろたえるが、当のアイリスはどこ吹く風だ。
「こちらは、その戦果に対する報酬です。お受け取りください」
淑やかな微笑みを湛えたまま、す、と左手を挙げる彼女に応じて、近衛兵の一人が木箱をテーブルに置いた。分厚い魔導書を二冊、横に並べた程度の大きさだが、その中身を見て、さすがのハニーも目を丸くする。いくつかの金塊と、王家の紋章が入った勲章だ。
「僭越ながら――」
ここで言葉を切ったアイリスは、ハニーと視線を交差させた。とんとん、と自身の胸元を人差し指でつつき、微笑みに意味ありげな色を混ぜてみせる。
「私から。どうぞお受け取りください」
にこやかに言い、妙にゆっくりとした所作で、一人ずつ勲章を配って回ろうとする彼女の意図を察し、念話を繋ぐ。
『用件は?』
『ありがとうございます。取り急ぎ、非公開情報をお伝えしたいと思いまして』
アリエッタに勲章を手渡し、微笑みかけながら答えるアイリス。体で別のことをしながら、ここまで明確に念話に応じられる人間を、ハニーは他にほとんど知らない。
『回収していただいたスレイヴスフィアについて、面白い解析結果が出ました』
『術式を解読できたのか?』
『いいえ。判明したのは、使用されている特殊な素材です』
念話を返しながら、彼女は次に、ウィリアムの眼前に移動した。動きがぎこちない彼に会釈しながら、
『少量ではありますが、活性アーキタイトが検出されました。マナの伝導効率に優れる鉱石で、魔動列車の部品などに使用されます。採掘可能な地域が限定されている、非常に希少なものでもあります』
『産地に出入りする奈落教の関係者がいれば、そこからスレイヴスフィアを製造している施設を追える、という訳か』
『はい。現在、皇宮近衛隊の諜報部隊が調査にあたっています』
続けてイロハに渡そうとしたものの、あまりの緊張からか、彼女は勲章を受け取り損ねて床に落としてしまった。軽くパニックに陥るイロハには申し訳ないが、おかげでもう少し会話を続けられそうだ。
『特定し次第、施設を制圧するための軍事作戦が行われるはずです。みなさんにも、再び声をかけさせていただきますね』
『俺たちが依頼を断ったら?』
『ふふっ。心にもないことを』
ここでようやく、アイリスはハニーの正面に立った。念話を切断し、満面の笑みを浮かべて勲章を差し出してくる。
「期待を裏切らないでくださいね。これからも」
「……ああ」
念話で内緒話をしていたとは思えない、平然とした声と態度。その演技派な一面が、裏がないはずの笑顔に圧力を感じさせるのだろうか。
意外と小心者だったらしい自分に、内心で苦笑しながら受け取ると、アイリスは踵を返した。細かく模様が編み込まれたドレスが、優雅に空を撫でる。
「お疲れのところを失礼しました。またお会いできる日を楽しみにしております」
一礼し、しずしずと酒場を後にする彼女に付き従い、近衛兵たちも外に出る。扉が閉じ、静寂が戻ったのも束の間。馬や馬車が石畳を行く音が聞こえてくる。
想定外の人物の来訪に疲れたのか、誰もが深く息をつく中、
(……期待、か)
ハニーは受け取ったばかりの勲章を見下ろし、ぼんやりと固まっていた。
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