第10話 剣の國Ⅳ

「なるほど、この石のおかげか」

 ディーラから受け取った宝石を弄びながら、ウィリアムは合点がいったように言う。アリエッタも首を縦に振って応じた。

「所持している人の周りに、瘴気を寄せつけない力場のようなものを作っているようですね。ウィリアムさんが不意打ちできたのも、たぶんこれのおかげです」

「? どういう意味だ?」

「推測ですが、あのアンデッドたちは、瘴気を介してこちらの動きを把握していたのだと思います。魚が水の振動から外敵の位置を知るのと同じように」

 あるいは、そのような能力とともに、身体機能を強化する類いの瘴気だったのかもしれない。そう考えれば、あの機敏さの説明もつく。こちらの攻撃のタイミングや方法が分かっただけで対応できるほど、グラッジワイトの身体能力は高くないはずだからだ。

「瘴気を遮断してる俺を、奴らは感知できなかった、って訳か」

「お待たせいたした!」

 頷くウィリアムの言葉に覆いかぶさるように、イロハが元気な声を飛ばしてきた。集落を探索していた彼女は、ハニーやサイバーリザードとともに歩み寄ってくる。

「どうでしたか?」

「何もござらぬ。魔域の固有種すら生えていない有様でござる」

「まあ、こんだけ瘴気が溢れてちゃあな」

「長居は無用だ。脱出するぞ」

 大剣を大上段に構えるハニーの視線を追って、アリエッタも“奈落の核”アビスコアを見やる。見た目はかなり大きいが、強度はサイズに関係なく低い。彼の膂力なら一撃で粉々にできるだろう。

 はたして、振り落とされた大剣の切っ先が、大太刀状の核を粉砕した。ガラスのように飛び散った破片が再結集し、円形のゲートを形作る。同時に、青空にはヒビが入り、魔域そのものの崩壊が始まった。

「あのディーラさん、気づいてくれますよね?」

「こんだけ派手に崩れてりゃ大丈夫だろ」

 無事に攻略に漕ぎつけた安堵から、肩の力を抜き、談笑する。


 だからだろう。

 ズダン、と背後で響いた音に、飛び上がらんばかりに驚いてしまった。


 総員、慌てて振り返る。地面を軽く震わせる勢いで着地した何者かは、全員の視線の先で、ゆらりと立ち上がった。

 体長三メートルに迫る、二足歩行の怪物だ。顔につけたいかめしい鬼面と、その後ろから突き出た二本の大角、両手に一本ずつ握る抜き身の刀が目を引く。纏う衣服は粗末なものだが、腰にもう一振り佩く刀は、精緻な装飾が施された鞘に納められていた。蛮族とも魔神ともつかないが、間違いなく人族ではないし、友好的な雰囲気も感じられない。

 こちらの反応を窺うような沈黙の後、バキリ。

「 ぅオオおおおおオオオォぉぉァぁぁぁぁ! 」

 鬼面の口の部分を割るように開くと、魔物は天に向け、おぞましい咆哮を放った。同時に、手首や足首から黒いマナが吹き出し、まるで腕輪や足輪のように燃え盛る。特に手首からは派手に漏出し、彼(?)が手にする打刀にまで到達。刃にまとわりつき、固まり、大振りの太刀へと変貌させた。

 明らかな臨戦態勢、そして圧倒的な強者のオーラに、ウィリアムは打って変わって語気を強める。

「逃げるぞ!」

「ああ、急げ!」

「アリエッタ殿!」

「はい!」

 口々に声をかけ合い、イロハに手を引かれるままゲートへ踏み込む。

 刹那、振り返った先で、

「 【異界の理デモンズコード:―― 」

 敵――半魔神が武器を構え、帯状の魔法陣を纏うのを一瞬だけ見たのを最後に、アリエッタの五感は黒く塗りつぶされてしまった。


 ***


「以上が、魔域攻略の顛末だ」

 ハニーが締めくくると、ゴウガは口を閉じたまま、鼻から深く息を吹いて唸った。同席するリュウガとシズクも、彼の言葉を待つように閉口している。

 魔域を消滅させてから丸一日。ゴウガ邸に戻ったウィリアムたちは、里長たちに報告していた。たまたま居合わせていたシズクも交え、和やかに出迎えてくれたのも束の間。今は想定外の報告に面食らっているようだ。

 やがて、ゴウガは顎髭をさすりながら、

「その半魔神デミ・デーモンとやらは、“奈落の魔域”シャロウアビスか、あるいは奈落そのものに転移したのか?」

「過去の事例から考えると、そういう能力を持っている可能性が高い」

「おじいは半魔神と会ったことはないのでござるか?」

「噂だけは聞いていたがな。直接見たことはねぇし、こうして報告として聞くのも初めてだ」

 だろうな、とウィリアムは思う。イーヴ神殿に保管されていた記録にも、半魔神に関するものは一つもなかった。

「それ以上に、拙者はかの者の構えの方が気になったでござる」

「構え? 見様見真似でいい、やってみろ」

 ゴウガに促されたイロハは、腰の二刀を鞘ごと抜いた。左右の刀を逆手に持ち、一方を中段に、もう一方を下段に。その姿は、どことなくカマキリを彷彿とさせる。

「確か、こんな感じだったでござる。これを大刀二本でやるのは、かえって戦いづらいと思うのでござるが」

「…………」

「お爺?」

 急に口をつぐむゴウガは、怪訝そうなイロハの声にも無反応だ。代わりにリュウガが答える。

「そいつは『蟷螂払い』――旧コウゲツ国の二刀流剣術で使われた、防御と反撃の型だ」

「なんと。初耳でござるな」

「古い文献にも目ぇ通しとけ、赤点」

「満点だからって威張るのは格好悪いでござるよ」

「二人とも、そこまで」

 ぴしゃりとたしなめられた途端、冷や汗を流して押し黙る二人。おっとりしているように見えて、ヒエラルキー的な最上位はシズクなのかもしれない。

「そいつが何者かは知らんが、人知れず魔域に乱入されちゃあ敵わんな」

 ぱん、と膝を叩いたゴウガは、立ち上がりながら指示を飛ばしていく。

「脅威度の測定頻度を見直そう。具体的な間隔や回数は、血盤の在庫なども含め、浅かれ立案する。リュウガ、訓練終わりにでも知恵を貸してくれ」

「了解」

「シズクは引き続き、ハルーラ神官の育成と訓練を頼む。【レスキュー・フロム・シャロウアビス】を行使できる者は、一人でも多い方がいい」

「かしこまりました」

 てきぱきと指示した後、彼はウィリアムたちに向き直り、朗らかな笑顔を見せた。

「皆、ご苦労だった。報酬などの支払いは後でするから、今は休んでくれ。イロハの刀が仕上がるまでは、ウチに泊まっていくんだろう?」

「厄介になれると助かる」

「孫が世話になってる礼でもあるんだ、厄介なもんか。あと二、三日で上がりそうだしな」

「ずいぶん早いでござるな。奈落炉を動かすにしても、あと一週間はかかると踏んでいたのでござるが」

 目を丸くするイロハの発言に、ゴウガはあからさまに慌てふためく。

「ああ、その、何だっ……ウタの奴、あの歳になってもまだ腕上げてるようでなぁ。こないだなんか目ぇつぶったまま刀一本仕上げてたんだぞぅ」

「さすがおばあ! 目を閉じて刀を打つことに何の得があるかは分からぬが、流石でござる!」

 クオリティの低すぎる嘘にあっさり騙されるイロハを、冷めた目で見つめるリュウガと、慈愛に満ちた目で眺めるシズク。

(たぶん、ガキの頃から変わんねぇんだろうな……)

 イロハの天真爛漫さも、この関係性も。そう思うと微笑ましかった。


 ***


 靴を履き、爪先を土間に打ちつけながらゴウガ邸の戸を開け放つ。城壁と平原の遥か向こう、山の端が白み始めているのを認めつつ、力いっぱい腕と背筋を伸ばす。建物の合間から覗くハーヴェスの朝日も味わい深いが、この雄大なロケーションに望む太陽の方が、やはり自分は好きだ。

「鍛錬か」

 と、不意に背後から声をかけられる。振り向いた先には、浴衣の乱れを気にせず、大あくびするウタがいた。ボリューミーな銀髪もぼさぼさで、寝起きであることは一目瞭然だ。抱えている細長い袋を一瞥してから、

「お婆、早いでござるな」

「挨拶」

「おはようございまする!」

「声でけぇよ、何時だと思ってんだ」

 ぼやくウタも挨拶はしていないよな、とイロハは思ったが、何も言わなかった。

「貸した刀は」

「? 研ぎ場に返したでござる」

 続く問いに小首を傾げる。工房を取り仕切るウタなら、イロハが刀をメンテナンスに出したことくらい把握しているはずだ。そんな暇もないほど、別の作業に没頭していたのだろうか。

 疑問符を浮かべるイロハに、そうか、と淡泊に頷いたウタは、髪を雑に結わえながら草履に足を入れた。

「付き合え」

「どこにでござるか?」

「着いて来りゃ分かる」

 相変わらず横暴な後ろ姿に、思わず苦笑してしまった。

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