第10話 剣の國Ⅲ
今回の任務にも、イロハと面識のある部隊が追従してくれた。三日というタイムリミットを設定し、森の真ん中に展開する魔域に踏み入るが、
「ごほっ!?」
地面を踏みしめた、と認識した直後にむせた。慌てて長着の袖で口元を覆い、辺りを見回す。
現在地は、背の高い木が密生する山の斜面だ。近くの川は勢いよく流れ、轟々と音を立てている。上流であることは明白だ。山一つを領域とした魔域なのだろうか。
「けほっ……こりゃひでぇな……」
徽章つきの帽子で口を覆いながら、ウィリアムが眉を寄せる。辺りに毒々しい色の靄が立ち込めているからだ。
「瘴気か?」
「はい、おそらく」
『科学的な毒素の反応を検知。濃度は……ギリギリ人体に影響がない程度でしょうか』
ハニーとアリエッタも、適当な布やハンカチで防護しながら言葉を交わす。唯一毒素を受け付けない
いずれにせよ、このまま屋外に留まるのは良くない。霧と瘴気の向こうに目を凝らし、斜面を下った先に建つ小屋を見つける。
「あそこに山小屋があるでござる。ひとまず避難してはどうでござろう?」
「……中に誰かいないか確認してくれ」
「? ハニー殿は?」
「ここで待機する。もし何かいた場合、俺や騎獣はすぐに感づかれる」
それもそうか、と頷く。一緒に冒険していると忘れがちだが、
話し合いの末、イロハとウィリアムが先行した。件の山小屋は、人ひとり暮らすのがやっとの小さなものだ。外に薪割用の斧が放置されている以外、特に変わった点はない。
目配せの後、ウィリアムが音もなく扉に近寄り、耳をそばだてる。やがて、扉を指さしながらこちらに頷いてみせた。やはり誰かいるようだ。
刀の柄に手を運びつつ、いつでもいい、とアイコンタクトを送ると、ウィリアムは再び一回頷き、勢いよく扉を開け放った。
小屋の中には、簡素な椅子とテーブルと、
「ひっ……!」
本を片手に腰かけ、声にならない悲鳴を上げるディーラがいた。
***
さっと茹でた薬草を布で包み、口に当ててみる。これぞ野草、とでもいうべき強い香りが鼻腔を貫いた直後、喉に巣食っていた痛みが和らいだ。そのまま数度、深呼吸を繰り返してから布を外す。
「ど、どうでしょう?」
「バッチリ。あんたすげぇな。こんな薬草、俺も知らなかった」
「そ、そんなことありませんよ」
へへへ、とまんざらでもなさそうに笑うディーラ。だいぶ警戒を緩めてくれたようだ、とウィリアムは思う。
ディーラは、女性の半身に鳥の手足を持つ幻獣だ。ウィリアムの故郷にも、知識の収集や交易、時には婚活目当てに訪れる個体がいた(ディーラは人間やエルフとしか子を成せないのだ)。たまに浮世離れした行動もとるが、根は温厚で理知的な種族だ。目の前の個体も、そんな印象どおりの女性である。
「それにしても、いきなり魔域に巻き込まれるとは災難だったな」
「ええ、まあ……でも、私は運がいい方です。こんなに早く冒険者さんが来てくれたんですから」
淡い色合いの翼を揺らしながら、ころころと微笑むディーラ。彼女はエルフ語しか話せないようなので、ウィリアム以外の面々には、小屋の外で待機してもらっている(全員が入るには狭いのもある)。
「それに、この辺りは瘴気も薄めで、獰猛な動物もいません。気配を殺してじっとしていれば、危険はありませんよ」
「それなんだが、瘴気の出所は分かるか? あるいは
「う~ん、瘴気は山のふもとから立ち上っていると思いますが、詳しいことは…………あ」
と、何か思い出したように顔を上げると、ディーラは机の引き出しからペンダントを取り出した。細い鎖の先に、透き通るような水色の宝石があしらわれている。石の表面には、文字とも紋様ともつかない記号が彫られているようだ。
「この小屋の近くで見つけたものです。良かったら持っていってください」
「いいのか? 下世話な言い方でアレだけど、高く売れそうだぞ?」
「マナを帯びているので、ただの宝石ではないと思います。魔域の攻略に役立つかもしれませんので、ぜひ」
ずいっ、と差し出してくる両手(両翼?)は、断っても引っ込んでくれなさそうだ。彼女の言い分も否定できるものではない。受け取っておくのがベターだろうか。
「じゃあ、有り難く。俺らは行くけど、あんたも気をつけろよ」
「はい。ご武運を」
ディーラに手を振り返し、小屋を出た。仲間たちは全員、薬草のマスクで口と鼻を覆っている。サイバーリザードが巨大なふきの葉を口に巻いているのは何だろう、I:2なりのジョークだろうか。
「あの方はいらっしゃらないのですか?」
「ああ。魔域が崩壊し始めたら、自力で出口探して脱出するってさ」
「なら、その方がいい。俺たちが守れる保証はないからな」
「だな……ああ、イロハ。ちょっとこれ見てくんね?」
「セミの抜け殻でござるか? あるいは、カタツムリ?」
「そんなガキみてぇなことしねぇよ。俺もいい歳だぞ?」
ツッコミを入れながら、ディーラにもらったペンダント――正確には、ペンダントトップの宝石――を見せる。
「お前がよく手紙に書いてる、カンジだっけ? それに似てるんだけど読めるか?」
ウィリアムの問いかけに、イロハは暫時、彫られた紋様をじっと見つめ、
「む…………かなり崩されているでござるが、『退魔』でござろうか……?」
そんな会話をする一行は、気づかなかった。
急流周辺のぬかるんだ地面に、巨大な足跡がいくつも残っていることに。
***
ディーラと別れてから数時間後。山を下りたハニーたちの前に、集落だったらしい空き地が広がった。
同じような造りの家がまばらに建ち並ぶ合間に、雑草だらけの畑や、傷んだ農具などが放棄されている。敷地の隅には井戸があるが、もう水を汲むことはできないだろう。濃い瘴気も相まって、眺めているだけで気が滅入る光景だ。当然、生物など影も形もない。
しかし、死者はいる。
「あれは何をしているんだ?」
「さあ……? お祈りでしょうか?」
廃屋の陰から先の様子を覗きながら、ハニーもアリエッタも首を傾げた。
集落の中央には、土を盛っただけの祭壇が設けられ、抜き身の黒い大太刀(おそらく“奈落の核”だ)が浮遊している。それを囲むようにアンデッドが集まり、祈祷しているのだ。全身が腐敗した魔物たちが、地面に座したまま上体を上げ下げする姿は、傍目にはなかなか不気味に映る。
「グラッジワイトと、その上位種、そしてスペクターです。グラッジワイトの上位種なら、神に祈りを捧げるのも分かりますが……“奈落の核”を神聖なものだと思っているのでしょうか?」
「何にせよ、あいつら倒さねぇと脱出は無理だな」
大型クロスボウを展開しながら言うウィリアムに、首肯で応じる。彼ならここから“奈落の核”を射抜けるだろうが、その後の脱出を妨害されては目も当てられない。
「ウィリアムの狙撃に合わせて出るぞ」
「承知」
イロハが応じ、獣変貌するのを片目に見つつ、腰の騎獣スフィアに手を運んだ時、
ぐりん、と。
敵集団の一人――インプリシッドグラッジワイトが、ねじ切れそうな角度まで首を巡らせ、こちらを見た。
バレた、と思うより先に、ワイトが練り上げたマナを解放する。
「上です! 避けてください!」
アリエッタの絶叫を受け、思い思いの方向へ跳ぶ四人。半歩遅れて、上空から巨大なマナの塊――【ゴッド・フィスト】が降ってきた。全員で隠れていた民家が叩き潰され、木片と粉塵を豪快に巻き上げる。
そのまま別の民家の陰に滑り込み、周囲を素早く見回した。アリエッタは自分と同じ場所にいる。イロハは別の建物の陰に避難している。ウィリアムだけ姿が見えないが、遺体や血痕は見当たらない。おそらく無事だろう。
安堵し、隣で懸命に息を整えるアリエッタに尋ねた。
「なぜバレたと思う?」
「アンデッドは、ハァ、魔術的な知覚を持っています。それに見つかったのでしょうか?」
「俺とイロハで前に出る。ここから援護してくれ」
「はい!」
「行くぞ、I:2。敵を引きつける」
『かしこまりました~!』
二人の返事を聞きながらサイバーリザードを呼び出し、イロハに念話を繋ぐ。
『俺が引きつける。隙を見て斬れ』
『承知』
長い鼻先を覆うよう、器用に薬草マスクをつけなおすイロハの心の声に、いつもの天真爛漫な色はない。準備はできたと判断し、騎獣に跨って敵の視界に躍り出る。
前衛にグラッジワイトと、その上位種の集団。合わせて四体が、飛び出したハニーを目にするや否や、一斉に駆け寄って来た。スペクターが乱戦に加わろうとしないのを確認しつつ、イロハが敵の背後をとれるよう、位置取りを調整して迎え撃つ。
当然、彼らは毒と呪いを宿した爪を振りかざしてくるが、
「守護を! 【プロテクション】!」
アリエッタの援護を受けたハニーとサイバーリザードにとっては、大した威力ではない。インプリシッド種も、味方が入り乱れている状態では【ゴッド・フィスト】を撃ちづらいのか、肉弾戦に徹している。離れているスペクターはともかく、彼らに後ろを気にする様子はない。
(来い、イロハ!)
念話は繋いでいなかったが、まるで聞こえたかのようなタイミングでイロハが跳躍。瞬く間に距離を詰め、腐敗した体を下段から両断しにかかる。
その直前、グラッジワイトの一体が踵を返し、地を蹴った。
(な!?)
「!?」
驚愕できたのは一秒未満。イロハは斬撃を放つ前に、グラッジワイトの体当たりをもろに受けた。自身のスピードも乗った衝撃に、倒れこそしなかったものの、たまらずよろめく。
その一瞬を見逃さず、スペクターがマナの矢を乱れ撃つ。大刀の腹で防いだが、こんなものが直撃したら怪我では済まない。一刻も早く後衛に斬り込むためにも、まずは目の前の集団をどうにかしなければ。
「I:2! 一掃するぞ!」
『あいあいさ~!』
軽快な返事とともに、サイバーリザードがぐるりと一回転。尻尾と大剣で続けざまに薙ぎ払うが、敵は全員、器用に体をねじって回避した。アンデッドらしからぬ機敏さと反応速度に、疑問が確信に変わる。
(こいつら……こちらの動きを読んでいるのか!)
ならばどう攻めるべきか。全力で思考するハニーを邪魔するように、インプリシッドグラッジワイトの爪が迫る。
たっぷりと呪詛を纏った爪が、ハニーの鎧の届く直前。
多量のマナを帯びた太矢が、その腐り果てた脳天を貫いた。
***
一人前の猟師になるうえで、一番大切なことは何か。きっと多くの猟師が「自分の気配を殺すこと」だと答えるだろう。ウィリアムも同意見だ。
では、二番目に大切なことは何か。こちらは人によって意見が分かれるだろうが、ウィリアムは「獲物がどこに注意を向けているか把握すること」だと思う。確実に、何より安全に狩猟を行うには、獲物の慮外から矢を撃ち込むのが最善だからだ。
そんな彼だから、太矢を装填しながら確信した。
(あいつら、俺に気づいてねぇな)
グラッジワイトもスペクターも、ウィリアム(がいる方向)を警戒していない。あえて意識しないよう立ち回っている可能性も考えたが、そんな高い知能を持っているようには見えないし、ウィリアムを放置することに戦略的な価値があるとも思えない。イロハの不意打ちに気づいた猛者にしては迂闊な気もするが、おそらく間違いない。
装填した魔力の太矢に、【ヴォーパルウェポン】と【クリティカルレイ】を重ねる。狙うのは群衆の頭――インプリシッドグラッジワイトだ。朽ちた民家の陰からわずかに身を出し、動きを先読みして引き金を引くと、太矢は予想どおりの軌跡を描いて命中した。込められたマナが爆散し、首から上を跡形もなく吹き飛ばす。
当然、スペクターが反応して火球を飛ばしてくるが、すでにウィリアムは離脱した後だ。焼き払われる廃屋を背に、古びた農業用の台車の後ろに飛び込む。ちょうどハニーと目が合う位置だ。
『助かった。礼を言う』
『どうやら連中、俺の位置と攻撃は把握できてねぇみてぇだ。崩すからトドメ頼む!』
『了解』
念話が途切れた瞬間、続けざまに矢を二発撃つ。現在地からでは、グラッジワイトたちの足を射抜くのが精々だが、前衛が二人もいる現状では十分だ。ハニーが大上段から、イロハが足元から、それぞれの得物で身動きできない亡者たちを真っ二つにする。
一人残され、狼狽したように後ずさったスペクターは、
「【アストラルバーン】!」
アリエッタが放ったマナの奔流を受け、動かなくなった。
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