第10話 剣の國Ⅱ

 ウタが頭領を務める工房は、村のほぼ中心にある。

 風通しのいい建屋がいくつも並んでいるが、炉を備えているのは一つだけで、他は砥ぎなどのメンテナンスを行う場として使われている。村の軍事力を支える職人は必要だが、武器の製法は簡単には授けない――そんな職人としての矜持を感じさせた。

 すれ違う弟子たちに会釈しながら、建屋の最奥を目指して進む。絶え間なく、そして規則正しく鳴り続ける、鋼をハンマーで叩く音。それを発するウタの小さな背が見えてきた。

「…………」

 この里唯一のドワーフであるウタは、豊かな銀髪を後頭部で一つに結っている。炎をものともしない体であっても、炉が垂れ流す熱は堪えるはずだが、彼女の表情に変化はない。手元の鋼から目を離さず、一定のリズムで鍛え続けている。自分が幼かった頃と変わらない、格好いい後ろ姿だ。

 だからこそ、折れた刀を差し出すのは気が滅入ったが、いつまでも怖じてはいられない。

「おばあ!」

 鍛造の音に負けないよう、声を張り上げる。びたりと動きを止めたウタは、ハンマーを置いて立ち上がり、ゆっくり振り返る。リカントであるイロハは、彼女の背丈をあっという間に追い越してしまったが、こうして相対すると、いつも形容しがたい迫力を感じるから不思議だ。

 頭の中で考えてた挨拶がすべて吹き飛んでしまい、焦るイロハだったが、

「見せろ」

 ウタが左手を突き出したことで我に返った。慌てて(無意識に後ろ手に隠していた)刀を差し出す。

 受け取った瞬間、ウタの眉がかすかに揺れた。あまりの軽さに驚いたのか、痛ましさを覚えたのか。イロハには分からなかったが、慣れた手つきで抜刀し、半ば以上が失われた刀身をしげしげと眺める瞳からは、何の感情も読み取れなかった。

 針の筵に座らされているような心地でいると、ウタは納刀し、おもむろに壁に近づいた。いくつか立てかけられた刀を見つめると、そのうちの一つを手に取り、イロハに放り投げる。

「差せ。武士は二刀を佩くもんだ」

 目を白黒させるイロハにそっけなく告げると、用は済んだ、と言わんばかりに定位置に戻るウタ。彼女が再びハンマーを振り、けたたましい音を奏で始めるまで時間はかからなかった。

「…………」

 受け取った刀を、そっと抜く。美しい白刃が現れ、炉の炎を鋭く反射した。新しい一振りが完成するまでのつなぎだろうが、その美しさは【仁王】にも劣らない。場所も立場も忘れてため息を漏らしてしまったが、いつまでも呆けている訳にはいかなかった。銘も分からない一刀を腰に差し、踵を返す。

 その時だった。

「イロハ」

 決して大きくないが、不思議なくらいよく響く、ウタの声が聞こえた。

 振り向くと、彼女は手を止め、しかしこちらには振り向かないまま、


「おかえり」

 ふわっ、という擬音がぴったりの、柔らかい言葉をくれた。


 まるで照れ隠しのように、やや早いペースで打ち始める家族に、深く一礼して建屋を出る。仲間たちは砥ぎ場を見学していたようだ。イロハに気づき、顔を上げる彼らに提案する。

「お待たせしたでござる! 拙者はこれから修練場に向かうでござるが、一緒にいかがでござるか?」

「そうだな……俺は行こう。せっかくの機会だ」

「俺はパス。それより戦術論とか扱ってる場所はねぇの? そういうのも盛んだろ、この里」

「でしたら、私と一緒にイーヴ神殿にお邪魔してみませんか? これまでの戦闘記録が保管されていると伺いました」

 最近、鼓咆を学び始めたというウィリアムは、アリエッタの提案に頷いた。それぞれの行先は決まったと見て、意気揚々とハニーの肩を叩く。

「ではハニー殿! いざ修練場へ!」

「……ああ」

 機嫌が良さそうだな、とでも言いたそうな間が空いたのは、たぶん気のせいではないだろう。


 ***


 コウゲツの里には、他国から武者修行にやって来た者が十名ほど暮らし、里の民と訓練や実戦を共にしている。彼らの面倒は里長一家が見ることになっているらしく、夕食の席には、種族も性別も様々な戦士たちが集結した。賑やかな食事風景は、冒険者ギルドの酒場に似たぬくもりを感じさせた。

 その喧騒を一足先に抜けたアリエッタは、ウィリアムと縁側で夕涼みをしていた。涼やかな風に乗り、虫の鳴き声が聞こえる。気持ちの落ち着く情景だが、ウィリアムはイーヴ神殿から借りた戦術教本に夢中だ。

「カク、ヨクの陣?」

「敵を正面と左右から攻撃する陣形ですね。翼を広げた鳥のように見えるのが由来です」

「ほーん、サンキュ。俺らくらいの人数じゃ効果薄いよな……いや、魔神やゴーレムが展開してるならアリか……?」

「夜分まで精が出るな」

 ウィリアムの独り言に耳を傾けていると、不意に背後から声をかけられた。振り向いた先から、お盆片手にゴウガがやって来る。

「男湯が詰まっていてすまん。どいつもこいつも、今日は一段と疲れてるようでな。時間がかかってるようだ」

「平気ですよ。教官の、ランさん、でしたっけ? 厳しい人なんスね」

「今日は特にな。あいつ、久しぶりにイロハに指南してやれるからって張り切りやがって」

 愉快げに肩を揺らすゴウガを見つつ、食事の席で聞いた相関図を思い出す。息子を早くに病気で亡くした彼は現在、嫁と孫の三人暮らし。そこにウタ(少し前まではイロハも)が同居している。

 ランというのは、その嫁だ。仏頂面と鋭い眼差し、体中に走る無数の傷跡が印象的な女傑で、少なくともアリエッタは、その風貌の凄絶さに圧されて話しかけることができなかった。とはいえ、イロハたちは和気あいあいと声をかけていたので、慕われている人物なのだろう。

 腰かけたゴウガに勧められ、皿に盛られた菓子――くず餅というらしい――を口に運ぶ。不思議な触感と甘さに、ウィリアムとともに頬を緩めていると、ゴウガが猪口を傾けながら口火を切った。

「イロハは、そっちで元気にやれてるようだな。よく手紙をくれるんだが、楽しそうだ」

「はい。いつも助けられてばかりです」

「そうか。考えなしに散財して野垂れ死んじゃいないか、みんな心配してたんだ」

 アリエッタもウィリアムも、思わず顔を見合わせた。「ギルドの前で行き倒れていた」と教えたら、彼はどんな顔をするだろう。

「あの、少々立ち入った話になってしまうのですが」

「おう、何だ」

「イロハちゃんは、その……孤児だったんですか?」

「うむ。この辺りには貧しい集落が多くてなぁ。人が寄りつかん場所に、口減らしとして赤子や老人を捨てるのは、よくある話なんだ」

 悲しいことだがな、と独りごちたゴウガは、くいっと酒をあおって大きく息をついた。

「まあ、一時期と比べればずいぶんマシだよ。大厄災の直後なんて……ああ、その辺りのことは?」

「存じております。ウィリアムさんやハニーさんにも、道中で話しました」

 ハーヴェス王国の記録によると、コウゲツの里の前身にあたる大国――コウゲツ国は、ここよりもさらに東の地で、製鉄と農業で栄えていたという。しかし、五十年前、突如として発生した大規模な“奈落の魔域”シャロウアビスと、そこから湧き出た魔神の軍勢に蹂躙され、一夜にして崩壊。わずかな生き残りが西へ落ち延び、現在の里を建設したそうだ。

 ゴウガの言う「大厄災」とは、その国家崩壊事変のことである。年齢から察するに、彼やウタは直接経験した世代だろう。

「あの頃は、この辺り一帯が恐慌状態だったからな。それと比べりゃ平和になったもんだよ」

「あー! おじい、一人でくず餅食べてるでござるな!」

 と、背後から怒声がカッ飛んできた。声の主であるイロハは、しんなりした耳から湯気を立ち上らせながら(風呂上りなのだろう)駆け寄ってくる。

「確かに平和っスね」

「だろう?」

「? 何の話でござるか?」

「何でもねぇよ。見つかっちまったんじゃあ仕方ねぇな。ほれ」

「いただくでござる!」

 嬉々として食いついたイロハだが、くず餅を頬張った直後、

「?」

 何かに気づいたように耳を立て、邸宅の門に顔を向けた。


 ***


 がこん、と重い音を立てて開いた門の向こうから、人間の青年が入ってきた。

「…………」

 歳はイロハと同じくらいだろうか。急所のみを保護する簡素な鎧と、大振りの十文字槍で武装した彼は、鋭い瞳でこちらを見据えてくる。敵意や殺気は感じないが、素性を探ろうとするような眼光に、ウィリアムは自然と背筋を伸ばしてしまった。

 しかし、イロハの態度は柔和だ。ごくんと喉を鳴らしてくず餅を飲み込み、のんきな声を出す。

「久しいでござるな、リュウガ」

「どちら様ですか?」

「俺の孫だ。イロハの一つ上だから、ギンジと同い年だな」

(ほ~ん、あいつが……)

 夕食の席でも名前が出た、この里におけるトップランクの剣士を観察する。

 イロハの三人の幼馴染――鍛冶師のギンジ、大司祭のシズク、そして神官戦士のリュウガは、若くして里の要と呼べるほどの技術や才能、武力を持つ才児として名を馳せている。中でもリュウガは、剣術や魔術のみならず、交易などのまつりごとにも精通しており、次期里長の呼び声も高い逸材だという。

 そんな秀才が、こちらに歩み寄ってくる。イロハも草履を蹴るように履いて迎えたが、

「腹出して寝る癖は治ったか、犬ころ」

 挨拶より先に、冷めた苦言を呈された。途端に耳も尻尾も立てて唸るイロハ。

「いつの話でござるか! これでも立派な大人でござるよ、拙者は!」

「そういうのは一丁前に色気身につけてから言いやがれ。見たところ食い気の塊だろうが」

「イロケ? 相も変わらずよく分からぬことを! 拙者にも分かる言葉で話すでござる!」

 色気の何たるかを理解していないイロハに、リュウガはため息を一つついただけで、それ以上は何も言おうとしなかった。

「どけ。里長に報告がある」

 彼女を押しのけ、縁側に腰かけるゴウガの前に膝をつく。

「ただいま戻りました」

「ご苦労。して、成果は?」

「魔域の討伐任務は、無事に完了しました。死者、重傷者ともにいませんが、傷を負った者がいます。ハルーラ神殿と連携し、早急に治療にあたります」

「うむ。大儀であった」

「それから、すでにシズク……ハルーラ神殿が感知しているでしょうが、帰路にて新たな“奈落の魔域”の出現を確認しました」

「確かに、数時間前、こちらでも予兆を捉えた」

 二人のやり取りを聞きながら、ウィリアムは昼間、ここでゴウガとシズクが地図を広げていたことを思い出す。あれは作戦会議だったのだろうか。

「脅威度は『10』。我が隊で十分対処可能でしたが、大事をとって帰還しました」

「懸命な判断だ。他の者に対処を要請するゆえ、お前たちは休むといい」

 一通り報告は終わったと見たか、ゴウガはにやりと笑って、

「それから、門をくぐった時点で、お前は隊長じゃなく俺の孫だ。肩の力抜け、凝るぞ」

「報告を終えるまでが仕事だ。公私混同するほどガキじゃねぇよ」

 リュウガも眼差しの険をやわらげ、頬を緩めた。ただの祖父と孫ではない、戦士の絆のようなものを感じる。

 微笑ましく眺めながら、ふと視線を泳がせると、イロハがリュウガの背後で獣変貌し、思い切り牙を剥いて威嚇していた。ゴウガがあえて触れない辺り、本気で怒っているわけではなさそうだが、話が終わったらすぐ与えられるよう、くず餅にきなこを多めに絡めておいてやる。

「他に報告がないなら、とりあえず飯食ってこい。風呂はちと詰まり気味だが」

「構わねぇよ。空くまでに報告書を仕上げとく」

 頷いたリュウガは、ウィリアムたちにも軽く会釈し、邸宅の玄関へ歩き去った。最後まで言葉による挨拶はなかったが、不思議と無礼には感じなかった。お辞儀が丁寧だったからだろうか。

「イロハ。牙見せてねぇでこっち来い」

 と、ゴウガに穏やかに声をかけられ、イロハはやっと獣変貌を解除した。童顔を思い切りしかめながら、彼の前にやって来る。

「何でござるか、お爺」

「うむ、さっきの魔域の件な。お前らで行ってみるか?」

「! いいのでござるか? 皆を向かわせた方が、里にとってもいいのでは……」

 山菜採りにでも誘うような軽い語調だが、イロハが目を丸くしたのはそこではない。

 外部の冒険者である自分たちに依頼すれば、ゴウガは当然、報酬金や支度金を支払わなければならなくなる。魔域から持ち出した資源も、こちらの取り分になるのが普通だ。つまるところ、コウゲツの里の稼ぎを奪うようなものなのである。

 イロハの懸念はもっともだが、

「ウチの連中に任せたら、お前の腕を見られねぇだろ」

 ゴウガはそれを笑い飛ばすように言うと、急に眼光を鋭くした。

「里を出て三ヶ月。培ったものは多かろう。そいつら総動員して、成し遂げてみせろ」

「…………」

 挑むような一言を受け、イロハは無言でこちらを見やる。「どうしよう?」と目が訴えているが、ぶんぶん力強く振れる尻尾の方に目が行って、思わず笑ってしまった。彼女は受けて立つ気満々らしい。

「とりあえず、ハニーにも相談してからにしようぜ」

 今のイロハを見れば、彼も断りはしないだろうが。

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