第10話 剣の國Ⅰ
お
奈落炉、と呼ばれるそれは、
しかし、あれは成形するだけ。刀身を叩き、密度を高める作業は、人の手で行わなければならない。
「それでいい。どっちが道具か分からなくなっちまうからな」
お婆はいつもそう言っていた。それでいい、という意見には賛成だが、理由は違う。
究極の一刀を求め、懸命に鋼を鍛えるお婆の横顔は、絵巻に登場する武士たちに負けないくらい格好いい。そうして打ち上げられた刀は、刃の煌めき、峰の反り、なかごの無骨さ――どこを取っても息を飲むほど美しい。
だから、お婆の手が加わるべきだ。
鼻息荒く告げると、お婆は無表情のままきょとんとして、
「ったく、世辞なんて誰に教わりやがった」
ため息交じりに言った。口調も表情もいつも通りだったけれど、とても喜んでくれているのは雰囲気で分かった。
だから、ちょっと調子に乗っておねだりしてみた。
「だから、ばあばっ。せっしゃが大きくなったら、とびっきりのおーわざものを作ってほしいでござるっ!」
「生意気言うな、ちんちくりんが」
こちん、と優しい拳骨をもらった。
里の剣士に課せられる試験を突破し、一人前と認められ、外の世界へ旅立つ資格を得た夜。お婆から一振りの刀を贈られた時、そんなやり取りがあったことを思い出した。
思わず抱きつく自分。暑苦しそうに顔をしかめるお婆。二人に挟まれる形となった名刀は、漆塗りの艶やかな鞘で、月光を反射していた。
なかごに刻まれた銘は【仁王】。
五十年前、魔神の軍勢に滅ぼされたという旧コウゲツ国にて、東方の守護神と崇められていた神の名である。
***
「突然すみませんが、イロハを里帰りさせてやっちゃあくれませんか?」
開口一番、ギンジは深々と頭を下げた。
ラージャハ帝国で任務にあたっている間に、ハーヴェス王国は初夏を迎えたようだ。鋭さを増した日差しも、酒場を満たす蒸し暑い空気も、この国で育ったアリエッタにとっては夏の風物詩ともいえるものだが、山奥で育ったウィリアムは辛そうだ。向こう一、二ヶ月はこんな日が続くと知った時の、彼の絶望的な顔が忘れられない。養父に倣い、妖精たちと氷菓子を作ってみようか、などと考えていたところに、イロハがギンジを伴って帰宅して、今に至る。
頼まれたネサレットはもちろん、その場にいる他の面々も固まってしまうが、イロハの力なく垂れた耳や、干しブドウのようにしおれた顔を見れば、工房でどんな話があったかは想像できた。代表してネサレットが尋ね返す。
「イロハちゃんの刀の件ね。ギンジくんには直せない?」
「あそこまで壊れちまっちゃあ、俺じゃなくても無理っス。さりとて、イロハの馬鹿力に耐えられる業物となると、俺のお師さんにしか打てねぇんスよ」
ギンジが作る刀は、見た目の美しさもさることながら、切れ味や耐久性でも評判を呼んでいると聞く。そんな彼の力作をもってしても耐えきれないとは、普段そう見えないだけで、イロハの膂力は相当なものなのだろう。
ふむ、と少々黙考したネサレットは、
「分かったわ。今後のことを考えると、早めに打ちなおしてもらった方がいいわね」
「ありがとうございます。里には手紙を出しておきますね。“鳩”に頼めば、明後日には届くでしょう」
ギンジの言葉に頷くと、間髪入れずにアリエッタたちに向き直った。
「できれば、ハニーくんやみんなにも行ってほしいかな。向こうで何かあっても困るし、サイバースパイダーなら四日もあれば着けると思うし」
「了解した。お前たちも、いいか」
「ま、他に用事もねぇしな。付き合うぜ」
「はい。問題ありません」
即答するハニーとウィリアムに続き、アリエッタも承諾する。王家の依頼を解決したとはいえ、次々依頼が舞い込むほどギルドの風聞は改善していない。しばらく離れても大丈夫だろう。
「かたじけのうござる、皆の衆っ!」
「お前、掃除はしたけどやめとけって」
勢いよく床に額をこすりつけるイロハと、その頭を呆れ顔で上げさせるウィリアム。
魔神討伐を使命とするイーヴの神官剣士と、半魔神となった家族を取り戻そうと誓った男が、こうして仲良く共同生活しているというのは、実は奇跡的な光景かもしれないな、とアリエッタはぼんやり思った。
***
サイバースパイダーで野を駆けること四日。ハニーたちはコウゲツの里にたどり着いたのだが、
「……小せぇ集落って話じゃなかったか?」
目の前にそびえる丸太製の城壁の威容に、ウィリアムと同じ感想を抱かずにはいられなかった。
コウゲツの里は、ブルライト地方の東端に位置する集落だ。険しい山と、そこから流れる川を中心に、民家や田畑が広がっている。それらを囲む城壁や門は、大量の丸太で作られた頑強なものだ。近隣の王国や貴族の領地に属していないだけあって、防衛に対する意識が高いのだろう。
そんな堅牢きわまる門を守っているのは、揃いの鉢巻きと羽織を纏う人族――人間とリルドラケンの戦士だ。片や刀、片や槍で武装しており、剣呑とした雰囲気を滲ませる。
どう声をかけたものか思案していると、
「セイハク殿! ザッケン殿! お久しゅうござる!」
イロハが嬉々として手を振り、駆け寄っていった。フレンドリーな挨拶に、門番はどちらも相好を崩す。
「おう、イロハ! シズク嬢から話は聞いてるぜ! 元気だったか?」
「よく、帰ったな」
「うむ。お
直後、イロハの頭頂部に人間(セイハクといったか)の拳骨が振り下ろされた。
「痛っ、たいでござろう!」
「馬鹿たれ! 『お爺』じゃなくて『里長』だろうが!」
「恐れ、多いぞ……!」
どこか納得いかなそうな顔はしたものの、きちんと「里長」と言いなおしたイロハは、ハニーたちのことも簡単に紹介し、門を開けさせた。遠慮なく物を言い合える仲であることが窺える。
「イロハちゃん、色々な方と親しいんですね」
「別に普通でござるよ」
さらりとした答えの通り、イロハが里の奥に向かって歩くだけで、実に多くの人が話しかけてきた。畑を耕す男性、洗濯に勤しむ女性、木製の剣でごっこ遊びをする子どもたち。誰もが手を止め、時には駆け寄り、親しげに声をかけては去っていく。ハーヴェスではなかなか見ない光景だからだろう、アリエッタは目を丸くしていた。
(……本国に似ているな)
妙な懐かしさと既視感を覚えながら歩いていると、漆喰の塀に囲まれた邸宅に着いた。門の左右には、石の灯篭が配置されている。
「ここがお爺の家でござる。里を出歩いている様子はなかったでござるから、いると思うのでござるが」
と言いながら、イロハが門を開け放った。石畳と砂利が敷き詰められた庭の向こうに、立派な木造家屋が横たわっている。
その軒先に、二人の男女が腰かけていた。片方は、白髪に似合わない屈強な体が目を引く偉丈夫。もう片方は、イロハと同い年くらいの華奢な少女だ。二人の間に広げられているのは地図だろうか。
「む」
と、男性もこちらに気づいて立ち上がった。その目はまっすぐイロハを捉えている。
対するイロハは、抱えていた荷物をその場に下ろすと、
「ッ――!」
力強く砂利を蹴り、弾丸のように飛び出した。男性が突き出した拳に、応じるように右ストレートを叩き込む。
ズガン、と拳を打ち合わせた姿勢のまま、石化したように固まる二人。静寂を埋めるように、一陣の風が吹き渡るが、
「ただいまでござる、お爺!」
「うむ。首を長くして待っていたぞ。また一段と力をつけたようだな」
「お爺こそ、相変わらず岩でも殴っているような心地でござるな!」
「イロハ~、久しぶり~」
「シズク! 元気だったでござるか?」
「元気だよ~。イロハがお手紙たくさんくれたから」
やがてどちらからともなく大笑し、ハニーたちを置き去りにしたトークが始まった。
(色々な意味で)衝撃の挨拶から一分後、改めて軒先に並ぶハニーたちに、里長は礼儀正しく一礼した。
「初めまして。俺は、この里の長をしているゴウガだ。孫が世話になっているな」
「え、孫なんスか?」
「何だ、イロハ。話してないのか」
「? 何をでござるか?」
きょとんとするイロハに肩をすくめると、ゴウガはウィリアムの問いに答える。
「イロハは、ウチに住んでる鍛冶衆の頭領が引き取ったみなしごでな。我が家の孫も同然なんだ。この通り、大事な部分が抜けがちな子だが、これからも仲良くしてやってくれ」
「この通りとは何でござるか、お爺」
「まあまあ、イロハ」
膨れるイロハをなだめながら、今度は少女の方が一礼する。
「ハルーラ神殿の大司祭を務めさせていただいております、シズクと申します。イロハとは小さい頃からの馴染みです。以後よしなに」
「シズクはすごいのでござるよ! 魔域が出現した場所を、いつもぴたりと言い当ててしまうのでござる!」
えっへん、と我が事のように胸を張るイロハの隣で、シズクは照れ臭そうに笑っている。イロハの発言の真偽は不明だが、決して誇張ではないのだろう。十五歳で大司祭にまで上り詰めた非凡さが何よりの証拠だ。
目を見張っていると、今度はイロハがメンバーを紹介する。
「お爺、シズク。こちらは順にハニー殿、アリエッタ殿、ウィリアム殿でござる」
「突然の訪問、失礼する」
「構わんよ。他所から客が来るってぇのは、隠居したジジイにとっちゃ貴重な楽しみだ」
自然と求められた握手に応じる。大きいというより分厚い手のひらが、ハニーの手をしっかり握ってきた。隠居を自称しているが、今なお鍛え続けているのだろう。
「空き部屋がいくつかあるから好きに使いなさい。晩飯は午後七時、消灯は午後十一時だが、他の時間は自由に過ごしてくれ。分からないことがあったら、俺や小間使いのコボルドに聞くといい」
「分かった。世話になる」
「それと、イロハ。荷物を置いたらウタのところに行きなさい。今日帰ってきたのはそのためだろう」
「っ……」
途端に、まるで悪事を暴かれた子どものように肩を震わせるイロハ。その顔に浮かぶのは、恐怖ではない。申し訳なさと緊張だ。里帰りでテンションが上がっていたために、頭から抜けていたのだろう。
見かねたか、ゴウガはため息をつき、彼女の肩に優しく手を置いた。
「ウタはそのくらいで怒る奴じゃねぇだろ。さっさと行ってやれ。あいつもお前が来るのを楽しみにしてんだから」
「……うむ。かたじけない」
頷く表情は、まだ固いながらも柔和に笑っていて――ノーランド教授と接するアリエッタに近いものを感じた。
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