第9話 異界の理Ⅵ

「奈落教か……噂には聞いとったが、こんなところでも活動していたか」

 銀色の顎髭をじょりじょり摩りながら、ドノンが難しい顔で唸った。

 “奈落の魔域”シャロウ・アビスを攻略してから二日。ラージャハ帝国に帰還し、一夜の休息をとったハニーたちは、報告のために玉座の間を訪れていた。一緒に作戦に出たルドガーも一緒だが、イロハの姿はない。愛刀を折られたショックで、今も客間でふさぎ込んでいるのだ(傷が深かったのもあるが)。

 しばらくの黙考の後、皇帝は重たげに口を開く。

「異国の装束を纏った男――ドゥーシェ、だったか? そいつが何者かは分かっておらんのか?」

「不明だ。あのドレイクは何か知っていたか?」

「ただ雇われただけだから分からんそうだ。嘘をついている様子はない」

 そうか、と無表情で頷くハニー。想定どおりの答えだったため、落胆はなかった。

「奈落教の背後に隠れる組織、各地で暗躍する謎の男、そして意図不明の実験……分からんことだらけだが、我々人族に仇なす存在であることは確かのようだ」

 話を締めくくるためか、ドノンは髭から離した手で、右膝を勢いよく叩いた。外の日差しが嘘のようにひんやりした空間に、乾いた音が木霊する。

「今後は、我々も奈落教の動向に注意していこう。何かあればハーヴェス王家とも連携していくから、そちらも伝令があれば遠慮なく飛ばすといい」

「了解した」

「ああ、もちろん今回の件も伝えておくぞ。『そちらが贈ってきた冒険者は実にいい働きをした』とな」

 茶目っ気のある笑顔で言うドノンに、ハニーらの背後からルドガーが付け加えた。

「『衛士隊二番隊隊長』の名前も入れておけよ」

「お前は儂の指名で来たんだろうが。ちゃっかりボーナス狙ってんじゃねぇ」

 ちぇ、と唇を尖らせるルドガー。力強い指示を飛ばしていた時と、まるで別人のようだ。

「此度は本当にご苦労だった。帰りの旅も過酷なものになるだろうが、健康と安全に気をつけて帰るといい」

「こちらこそ、たいへんお世話になりました」

 折り目正しく一礼するアリエッタに続き、全員で頭を下げて辞去しようとすると、

「……ところで、アリエッタ嬢」

 ごほん、と咳払いしたドノンが呼び止めた。

「ウチの軍師が、魔神について知りたいことがあるそうでな。出立の準備に忙しいところ悪いが、ちと顔を出してやってはくれんかね?」

「もちろんです! 軍議室でしょうか? すぐに伺いますね!」

 滅多にない類いの頼まれごとなのだろう。表情を輝かせたアリエッタは、小走りで王城の奥へ向かった。

 そういえば、彼女だけ皇帝との間のが低い気がする。自分たちの知らないところで何かあったのだろうか。

「あー、それとな、お前さんら」

 想像していると、再びドノンが口火を切った。忙しなく泳ぐ目も、歯切れの悪い言葉も、威圧的な強面に似つかわしくない。

「アリエッタ嬢は、何だ、ハーヴェス王国の出身なのかね?」

「……育ったのはハーヴェスだが、生まれについては明瞭ではない」

 真意は分からなかったが、答えても問題はないと判断して応じる。首を傾げるドノンに、ウィリアムが補足した。

「子どもの頃の記憶がないそうです。“奈落の魔域”の跡地で倒れてたところを拾われたとか」

「そう、か……」

 うわごとのように呟き、固まっていたドノンは、

「ああ、何でもない。聞かなかったことにしてくれ」

 周囲の怪訝な目に気づくや否や、そそくさと玉座の間を立ち去った。

 らしくない慌てように、ハニーたちはもちろん、近衛兵たちも目を丸くしていたが、

「……年下に目覚めたか?」

 ルドガーの独り言は聞き逃さず、肘鉄を入れていた。


 ***


「何はともあれ、無事に帰還できそうですね」

「うむ……」

「イロハちゃん、暑くありませんか? 水はたくさんありますから、遠慮なく言ってくださいね?」

「うむ……」

「……お腹空いてませんか? 干し肉、召し上がります?」

「うむ……」

「…………」

 保存食を差し出しても、イロハは気のない返事をしただけで、見向きもしなかった。常の彼女ならあり得ない態度に、とうとう閉口してしまう。

 ラージャハ帝国を発ったアリエッタたちは、砂上船でカスロット砂漠を渡っている。太陽は西の地平線に沈もうとしているが、船室に吹き込んでくる風は一向に涼しくならない。

「こんな暑ぃところにいられるか! 俺は抜けさせてもらうぜ!」

 などと(物語の登場人物のようなことを)のたまい、ルドガーが甲板へ飛び出していったのも、無理からぬ話であろう。

 もっとも、イロハが上の空であることと、この部屋の気温が高いことは無関係だが。

(大事なもの、ですものね……)

 彼女が抱き枕さながらに抱える愛刀を見る。気絶してなお手放さなかった柄はともかく、砕かれた刀身は回収できなかったため、鞘の中は空も同然だ。これまでの旅を支えてくれた相棒が急に軽くなってしまった喪失感は、アリエッタでは想像もできないほど大きいだろう。

 ハニーは大刀の手入れに、ウィリアムは物思いに、それぞれ集中しているため、自然と沈黙が漂うが、

「なあ」

 そのウィリアムが不意に口を開いた。その場の全員が顔を上げた先で、

「その、何だ……ありがとな」

 彼は立ち上がり、うなじを掻きながら言った。すかさずハニーが鉄面皮のまま尋ねる。

「急にどうした」

「いや、ネリーのことでさ……俺一人じゃ、あんなところまで行けなかったし、あいつとも会えなかっただろうから」

 一つ一つ、花を摘むように言葉を選んでいたウィリアムだったが、気恥ずかしさをごまかすためか、急に声を張り上げた。

「けど! 俺の仕事はむしろここからだ! 必ず約束は守るし、あいつを取り戻す! だから、その、何だ……」

 わざとらしい咳払いの後、耳まで赤くなりながら、それでも深々と腰を折る。

「これからも、よろしくお願いします!」

「「「…………」」」

 蒸し暑い船室が沈黙に満たされる。巨大な船が砂を裂き進む、乾いた音だけが響き渡る。

 ただ、そこには嫌味も虚しさもない。言葉にできない微笑ましさに、アリエッタは自然と頬をほころばせる。

(良かった……)

 いつも一歩離れて、着かず離れず気遣ってくれて、しかし深くは踏み込ませない――そんな彼が、心から感謝した。信頼を示してくれた。

 笑みを浮かべる以外何もできない(それ以外の言動も行動も不要のような気がする)アリエッタの前で、す、と立ち上がったハニーが、ウィリアムの肩を優しく叩く。

「諦めない、というのはいい啖呵だった。これからも気兼ねなく行こう」

「いつかお前が大事な奴に言うセリフの参考にでもしやがれ」

 皮肉のように聞こえてならない発言のおかげで、色々と台無しになった気がしたが、それもまた自分たちらしいのかもしれない、とアリエッタは思った。


 ***


「お邪魔します」

 ドゥーシェの朗らかな声が、薄暗い研究室に木霊した。

 縦にも横にも広い部屋だが、大部分が魔動機に占拠されているせいで、かなり狭苦しい。壁や床を大量のコードや配管が這い、その合間を埋めるように、魔導書や術式の設計書が散らばっている。足の踏み場もないとは、こういう部屋のことを言うのだろう。

 前回入室した時と同じ感想を胸に、飛び石のように覗く床を踏んで、目当ての人物に近づく。

 部屋の中央の机で、一心不乱に魔動機――スレイヴスフィアの改良品のようだ――をいじっているのは、一人のタビットだ。顔のほぼ中央を縦断する縫い跡を境に、左右で体毛や瞳の色が異なっている。その異様な容貌に加え、片方が中ほどでちぎれた耳や古傷まみれの四肢が、いやがうえにも異質さを際立たせていた。

「マナライトを使用なさっては? 目を悪くしますよ」

「説教より用件を言え、暇人」

 返ってきたのは、棘だらけのしわがれ声。彼女はたいてい不機嫌だが、今日はいつにも増してご機嫌斜めのようだ。苦笑しながら羊皮紙の束を差し出す。

「例の術式の実験結果をお届けに参りました。値などは実測値ではありませんが」

 ドゥーシェが言い終える前に、彼女は手にしていたマギスフィアを置き、レポートをひったくった。ぱらぱらと流し読みした後、机の隅に投げつけるように置く。所作は乱暴だが、床に捨てていないのを見るに、後でじっくり読むつもりのようだ。

「ご満足いただける結果でしたか?」

 高司祭の顔を思い出しながら尋ねる。知識も能力も十分だったが、プライドの高さゆえに、己の未熟さと愚かしさを自覚できない男だった。彼が目を輝かせて提唱した術式――人族と魔神の強制的な融合による半魔神デミ・デーモンの創造も、失敗するに違いないと確信していた。半魔神の発生には、魔神からの働きかけが必要不可欠なのだから。

 しかし、高司祭の術式に興味を持ったらしい彼女が、実験の実施と、データの共有を求めてきたのだ。滅多に頼み事をしない彼女の頼みとなれば、俄然その結果にも興味がわくというものである。

 はたして、彼女は風邪でも引いているかのように枯れた声で、

「凡夫の成果に満足しろ、なんて冗談が過ぎるぞ、青二才。そもそも満足するために実験させた訳じゃない」

 苦笑を懸命に飲み込む。なんとなく、そういう答えが返ってくる気はしていた。

「では、何のために?」

「数字をとるためだ。大した成果が出ないと分かりきった実験など、ボク自ら手がける必要はない。情報だけ吸い上げられれば十分だ」

 素っ気なく言いつつ、手放していたスレイヴスフィアを再び手にする。

「他に用がないなら出ていけ。次に来る時は、ボクのテンションが上がりそうな話を持ってこい」

「かしこまりました。タチアナ様も、何かご用命がありましたらお声かけください」

 丁寧にお辞儀して踵を返し、入り口で振り返った。

 スレイヴスフィアの開発者たる秀才――タチアナは、ドゥーシェが訪問する前と寸分たがわぬ姿勢で、スフィアに刻まれた術式をチェックしている。

(……無茶ぶりが過ぎませんかね?)

 タチアナのテンションが上がった瞬間など、疑似人格システム搭載型マギスフィアに関するリークを耳にした時以来、見たことがないのだが。

 肩をすくめて笑いながら、ドゥーシェは研究室を後にした。

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