第9話 異界の理Ⅳ

 その場の全員が、一斉に声の主を見る。

 肩と足を射抜かれ、悶絶していたはずの高司祭が、膝立ちになって身をよじらせていた。胸を、喉を、掻きむしるようにのたうっていたのは五秒足らず。腕から、足から、背中から、鋭利な両刃が飛び出して服を破り、鮮血をしぶかせる。

「痛、いッ……痛い痛い痛い痛イ、痛イ痛イぃぃぃィィィ!」

「ッ、まずい……!」

 舌打ちしたネリーは、手にする大弓に矢をつがえ、素早く撃ち出す。半裸になった男の頭部を正確に狙った一矢だったが、肩口から突き出た新たな刃に阻まれてしまった。

「違う! 絶対に違う! 私たちが求めたのはッ……こんなものじゃな――!」

 天に吠えきる前に、ぶしゅり。

 まっすぐ、口から刃が突き出たのを最後に、男は動かなくなった。膝立ちのまま、だらりと腕を脱力させ、悪趣味なオブジェであるかのように固まる。

 異様な光景に、どれほど目を奪われただろうか。

「 つれないこと言うなよ 」

 ぐちゃ、と男の唇が吊り上がるのと同時に、全身から飛び出していた刃が引っ込んだ。ゆらりと、沸き立つ陽炎のように立ち上がる。

「 聞こえてたぜェ? 毎日毎日、あ~んなにラブコール送ってくれてたじゃねェか。ばったばったと35人、俺たちに捧げながらさァ 」

 肩から指先が真っ二つに裂け、びくんびくんと蠢いたのも束の間。四本になった腕の先端から長大な両刃が生え、異形の四刀流と化す。血を垂れ流していた全身の傷口には、無数の臼歯と舌が生え、べろりと舌なめずりしてみせた。

「 けっこう嬉しかったんだぜェ、俺ってばモテないから。だからさァ 」

 体中に無数の口を持つ、四本腕の怪人と化した男は、


「 これからはずぅっと一緒だぜェ! 嬉しいよなァ、ッハハハハハハ! 」

 顔と、全身。すべての口腔を大きく開き、残忍な大笑いで空を震わせた。

 まるで、自身が誕生した事実を、世界に叩きつけるように。


 ***


「みんな構えて。絶対に油断しないで」

 狂気の塊を前に硬直するアリエッタらに、ネリーが固い声をかけた。表情も強張っている。

「人造でも、ましてや失敗作でもない。正真正銘、本物の半魔神デミ・デーモンよ」

 言う間にずるりと、高司祭――否、半魔神・キルバイゼンが背後の鏡から魔神を呼び出す。ティキラとアルガギスだ。増援の登場に、ウィリアムが声を張り上げる。

「厄介なのは!?」

「ッ……飛んでいる小悪魔を優先してください! 神聖魔法の使い手です!」

 答え終わるより先に、ネリーが矢を連射した。片翼の根本を射抜かれ、たまらず墜落するティキラの小さな頭を、賦術で強化されたウィリアムの太矢が貫く。

 残るは二体。半魔神と、彼を守るように陣取るアルガギスだ。

「臥薪嘗胆――」

「かかれ、I:2アイツー!」

「我が声に応じて来たれ、黒衣纏う暗殺者よ!」

 獣変貌したイロハと、サイバーリザードを駆るイロハ、そしてアリエッタが呼び出したダルグブーリー。軽重そろった刃の数々を、アルガギスはことごとく防いでみせる。当然、その外殻は傷だらけになってしまうが、

「 俺だけ除け者とかナシだぜ、おォい! 」

 半魔神は歯牙にもかけない。げらげらと下品に笑いながら、細い四本腕を鞭のようにしならせる。アルガギスの向こうから無軌道に襲い来る刃に、ハニーもイロハも後ずさった。敵の能力が未知数であるがゆえに、迂闊に近づけないのだろう。

 睨み合いが始まりそうになった、その時だった。


「 何だ、来ねぇのか? ならこっちから行くぞオラァ! 」

 楽しそうに、犬歯を露わに笑った半魔神の体を囲むように、帯状の魔法陣が展開した。


 アリエッタは驚き、困惑した。初めて見る術式だったから、ではない。

(……読、める…………?)

 見たことのない言語で構築されているにもかかわらず、なんとなく意味が分かってしまったからだ。遠い昔に呼んだ童話を、知らない言語で、しかし挿絵つきで眺めているような――とにかく不思議な感覚だった。

 もっとよく見ようと、目を凝らした矢先、

「 【異界の理:呵々大笑】デモンズコード:ヴォルガノイズ! 」

 半魔神の全身に開いた口が、一斉に高笑いした。耳障りな大音声とともに、大量のマナと呪詛が降りかかってくる。

「くうッ……!」

 前衛を張るハニーたちともども、思わずひるんでいる間に、

「 【異界の理:臨機応変】デモンズコード:マルチプルソード!」

 半魔神は再び魔法陣を展開。先ほどと異なる術式を、四本腕の先でギラつく刃に宿す。それらはミシリと鳴き、鋭く尖った錐状、あるいは分厚い斧状へ変形した。標的に応じて刃の形を変え、威力や命中精度を高めているのか。

「ロームパペット!」

 泥人形を突撃させ、イロハのカバーに回すが、

「 邪魔だァ! 」

 半魔神は一刀で斬り捨てた。まるでバターのように呆気なく両断されたゴーレムを押しのけ、さらなる追撃をイロハに見舞う。彼女は咄嗟に脇差を抜き、いなそうと構えたが、一歩遅い。錐のような切っ先が腹に突き立つ。

「ぐぅッ……!」

「イロハ!」

「 テメェの心配しておけ、よォッ! 」

 ハニーとサイバーリザードにも、嘲笑と斧刃が叩き込まれる。分厚い金属の装甲を割られ、前者は血を、後者は火花をしぶかせた。

 強烈な搦め手で隙を生み、膂力と手数で圧倒する。半魔神の名に恥じない強さだが、いつかのように、途方に暮れて混乱するような無様は見せない。彼らを助ける手段を、アリエッタはすでに持っている。

 ポーチから大きめの魔晶石を取り出す。腰に提げた宝石飾りの中心に据えられたダイヤモンドに、そっと指を添えて声をかけようとするが、

「アリエッタ」

 その直前、呼び止められる。声の主であるネリーは、なぜか矢筒を地面に捨てていた。

「私のを見てて。あいつのと比べれば、どう作ればいいか分かるはずだから」

「? ネリーさん、何を……」

「さっきのあいつの術式、読めたんでしょ?」

 何ということもない一言が、妙にずしりと心の底に滑り込んできた。

 反応に窮するアリエッタに、ネリーは花のような笑顔を見せる。これまでと違うのは、鮮やかな萌黄色の瞳に、悲壮なほどの覚悟が燃えていることだ。

「なら、この場で作ってみせて。あいつにも私にも負けない、すっごいヤツを!」

 信頼とも挑戦ともとれる一言の後、双眸からぬくもりを捨てて、


 十重二十重、帯状の魔法陣を展開し、その全てを体に纏った。


 ***


 抵抗がない訳ではなかった。怖がられるのはつらいし、気味悪がられるのはもっとつらい。しかし、ここで本気を出し渋り、大切な彼とその仲間たちに危険が及ぶのは、何よりもつらいに決まっている。だから、腹をくくるのに時間はかからなかった。

「 【異界の理:堅忍不抜】デモンズコード:アンブレイカブル 」

 瞬間、全身の骨が急速に伸長した。皮膚や服を貫いて表出し、体を鎧のように覆ったところに術式が定着。あらゆる攻撃を阻んで弾く、絶対守護の装甲と化す。

 鎧を纏った二秒後には、大弓を手に乱戦へ突っ込んだ。アルガギスが進路を塞ごうと踏み出すが、スピードは緩めない。野太い爪をステップでかわし、お返しとばかりに振りかざしたブレード状のリムで、その首を切り落とす。

 いきなり過激なことやりすぎたかな、などと考えていると、半魔神がわずかに目を見開いて問うてきた。

「 何だ、お仲間かァ? 」

「 いいえ、敵よ。がっかりした? 」

 返す声に、重く低い響きが加わる。身体機能のうち、魔神の部分が活性化した影響だ。

 もっとも、目の前の敵にとって、そんなことはどうでもいいらしい。

「 いいや、最高だなァ! 」

 殺せる相手が増えたからだろう。実に楽しそうな笑顔に、内心辟易してしまう。

 そのままカミソリのように薄く変形させた刃で斬りつけてくるが、遠方から放たれた矢に牽制された。はっとして目を向けた先から、ウィリアムが荒っぽく気遣ってくれる。

「寄りすぎだ! いったん退がれ!」

「 ごめん、ありがと! 」

 いつも通りの語調を聞いただけで胸がいっぱいになってしまうが、感じ入る暇はない。最大の脅威は健在なのだ。

「I:2、攻め手を繋げ!」

『お任せを!』

 大刀を掲げたハニーが、騎獣とともに再び突進を仕掛ける。

 巨竜の強面は、可愛らしい声に似合わない迫力に満ちているが、半魔神はひるまない。楽しそうに牙を剥き、分厚い斧刃を振り下ろす。

 しかし、

『っとぉ!』

 衝突の直前、サイバーリザードが大きく右へ跳び、陰に潜んで疾駆していたイロハに道を譲った。空振りして隙をさらした腕を、容赦なく斬り捨てる。

「 へぇ……やるじゃねェかァァァ! 」

 どす黒い血しぶきの向こうから、狂気と狂喜がない交ぜになった咆哮と、槍と化した腕が三本襲いかかった。防御のためだろう、イロハは咄嗟に刀をかざしたが、怒涛の連撃で突き割られたうえ、肩や腹に穴を穿たれる。

「イロハ!」

「っ…………!」

 砕け散る愛刀の破片を追っていた目が、力なく閉じた。そのまま地面に倒れ伏す彼女をカバーするため、ネリーは再び半魔神に肉薄するが、すぐに足を止める。

 不意に吹きすさぶ突風に乗って、尋常ならざる寒気と瘴気がやって来た。

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