第9話 異界の理Ⅱ

 最後の一匹の足を射抜き、動きを封じたところへ肉迫。牙を剥いて威嚇する怪物の顔面へ、畳んだ大弓を打ちつける。折れた牙と涎をまき散らし、目を白黒させる獲物に、しかし女性は容赦せず、流れるように回し蹴りを見舞った。

 首から嫌な音を立てて動かなくなる怪物に、女性は腰のナイフを一刺し。反応がないことを確認してから、ようやく息をついて弓を背負う。

「ふ~~~。お疲れ様。サポートありがとね!」

「いえ、大したことはしていませんから」

 謙遜ではない。女性が披露した的確な射撃と、軽やかな体さばき、そしてエルフとは思えない力強い格闘技は、思わず見惚れてしまうほど鮮やかだった。アリエッタの援護がなかったとしても、彼女なら問題なく対処できていただろう。

 そんなことないけどな~、と独りごちた後、女性は柏手を一つ打って、

「移動しよっか。こいつら普通に共食いとかするから、死体のそばに長居するのは危ないよ」

「はい……っ……!」

 踏み出そうとして、足を怪我していることを思い出した。鋭い痛みに顔をしかめると、それを見た女性もはっとする。

「あ~……そっかぁ、ごめんね。はい、じゃあ背中っ!」

 何を思ったか、彼女はアリエッタに背を向けて膝をついた。言わんとしていることを察したがゆえに、驚きと困惑であたふたしてしまう。

「へ!? いや、あの……大丈夫、ですか?」

「? ああ、大丈夫! 私、こう見えて力持ちだから! あなたをおんぶしながら、そっちの鞄を持つくらいできるわよ!」

 氏素性も知らない相手に不用心すぎないか、と言いたかったのだが、女性には通じなかったらしい(善人だと確信できたので、良しとしたが)。


 ***


「そういえば、まだ名前も言ってなかったね」

 女性に背負われて、川を南下すること十分。崖の上へ登れそうな坂道に出たところで、彼女はアリエッタを下ろし、足の治療を始めた。軟膏を塗り、包帯を巻く傍ら、女性は人好きのする明るい笑顔を見せてくれる。

「私は、ぁ~、ヴィクトリア! あなたは?」

「はい。アリエッタ・ノーランドと申します」

「へぇ~、いい名前ね。何ていうか、響きが可愛い」

「ありがとうございます」

 女性――ヴィクトリアにつられるように、アリエッタもはにかむ。ただ話しているだけで周りを笑顔にしてしまう、なんとも素敵な人柄だ。

「アリエッタ、一人で来たの?」

「いえ。他にも仲間がいるのですが、魔域に入る際にはぐれてしまったようで……」

「それじゃあ、足の痛みが引いたら、この坂を上っていくといいよ。岩場に出るんだけど、そっち方面に三人入ってきたから」

「? はい」

 外から入ってきた者がいることを、彼女はどうやって感知したのだろうか。しかも人数まで正確に。

 首を傾げそうになるが、それより先にヴィクトリアが話題を変えた。

「それと、さっきの奴らだけど……アリエッタ、あれが何なのか分かった?」

「いえ。それなりに勉強はしてきたつもりですが、見たことも聞いたこともありません」

「まあ、そうだよね~」

 包帯を巻き終えたヴィクトリアは、途端に苦笑を引っ込める。

「あれは、この魔域で奈落教がやってる、半魔神デミ・デーモンを作り出そうという実験の失敗作よ」

「…………半魔神!?」

「ああ、良かった。そっちは知ってたのね」

 衝撃的な単語に、反応するのが二拍遅れてしまった。思わず素っ頓狂な声を上げてしまうアリエッタに、ヴィクトリアは胸を撫でおろしながら言う。

 奈落や“奈落の魔域”シャロウ・アビスは、ラクシアよりも異界のルールが強く作用する世界であるため、魔神が人族に干渉しやすい。その環境を利用し、気に入った人族と融合したり、心身を乗っ取ったりした個体のことを、魔術師ギルドでは半魔神と呼んでいる。

 しかし、そんなことを自力で行えるのは一部の上位魔神に限られるし、それほど強力な個体なら、そもそも人族との融合など考えもしないだろう(どう考えても単独で実体化した方が強いからだ)。よって、半魔神の目撃例は大陸全土を見渡しても数えるほどしかない。師匠であるノーランド教授が召異科の重鎮という立場でなかったら、アリエッタも知る機会はなかっただろう。それほどのレアケースだ。

「奈落教の人たちは、どうしてそんなものを?」

「彼らからすれば、半魔神は『大いなる奈落に近づいた存在』だからじゃない? 本当のところはどうだか知らないけど」

 肩をすくめるヴィクトリア。目も口調も冷めたものだ。

「この魔域の奥地――北の方角に、奈落本体と通じる祭壇があってね? 定期的に外から送り込まれてくる人族を使って、実験を繰り返してるみたい。今のところ全部失敗してるっぽいけどね。出来上がった化け物みんな、谷に突き落として処分してるし」

 言いながら、彼女が肩越しに後ろを一瞥したのが分かった。先ほど魔物と対峙した谷こそ、失敗作を大量に廃棄した場所なのだろう。それはつまり、自分たちが討伐したのはすべて、元人族ということに他ならない。

「…………」

「一応言っとくけどさ」

 閉口するアリエッタの顔を覗き込むヴィクトリア。萌黄色の美しい瞳が眼前に迫って、少しどきっとしてしまう。

「あれはもう人じゃないよ。アリエッタが何かを背負う必要なんてないからね」

「……はい。ありがとうございます」

 本当に優しい人なんだな、と思う傍ら、彼女が妙に詳しいことが引っかかる。一体何者なのだろうか。

「あの、ヴィクトリアさんは、どうしてここに?」

「私? あ~、私はね~……いわゆる賞金稼ぎってやつでね? 申し訳ないけど、アリエッタと一緒に行くことはできないかなぁ。ほら、私ってどっちかっていうと単独行動が好きな一匹狼タイプだし?」

「……そう、ですか」

 明らかにはぐらかされたが、アリエッタは何も言わなかった。信用できそうな人だから、というだけではない。さらに答えに窮する質問を重ねるのは、彼女に申し訳ないと思ったからだ。

 口を閉ざすアリエッタの真意を察したか、ヴィクトリアは温かな眼差しを向けてくるが、

「…………あ、そうだ!」

 唐突に声を張り上げ、腰のポーチをあさり始めた。何事かと目を剥くアリエッタに、手作りらしい靴を差し出す。素材は小動物の毛皮だろうか。

「この靴あげる! 履き心地はイマイチかもだけど、けっこう頑丈にできたと思うから!」

「い、いいんですか?」

「靴づくりは狩人の基本よ? もし何かあっても、私は自分で作れるから!」

 賞金稼ぎじゃなかったのか、というツッコミを飲み込んでいる間に、ヴィクトリアは慣れた手つきで革靴を履かせてくれた。確かに少々けば立った感触はあるが、靴底が厚めに作られているので、小石程度ならものともしないだろう。

 感嘆を声に出そうとした矢先、その相手は勢いよく立ち上がる。

「じゃあ、さっきの連中もしばらくは来ないだろうし、私はこれで! 痛みが引いたら歩いてもいいけど、あっちの森には行かないでね? さっきの失敗作がうじゃうじゃいるから」

 アリエッタに勧めた岩場とは反対方向――西を指さして警告すると、自らそちらへ踏み出すヴィクトリア。その背に大慌てで問いかける。

「あ、あの! ヴィクトリアさんは、この後どちらへ!?」

「ん~~~…………内緒っ」

 愛らしいウィンクで拒絶されてしまっては、どうすることもできなかった。


 ***


「――ということがありまして」

「…………そうか」

 やや長い沈黙の後、ハニーは淡泊に答えた。

 ヴィクトリアの勧めに従って坂道を上ったアリエッタは、程なくしてイロハと再会した。合流成功の合図である狼煙を焚き、集合場所に決めていたという岩陰のキャンプに移動して、現在に至る。

 ロームパペットが命令待機状態のまま仁王立ちする傍らで、イロハが首を傾げながら、

「ひょっとして、夢でも見たのではござらぬか?」

「言わないでくださいよぅ……おかしな話をしている自覚はありますから……」

「失敬。どうにも奇っ怪に過ぎて」

 こほん、と咳払いする彼女に代わって、I:2アイツーがサイバーリザードの目を点滅させながら疑問を提示する。

『そのヴィクトリアさんは、奈落教の信徒ではないのですよね? 一体どうやってこの魔域に入ったのでしょう?』

「それは……聞けませんでした。深入りしたら、会話を打ち切られてしまいそうだったので」

「敵ではない、と考えていいか?」

「はい。もし彼女に害意があるなら、私を助ける必要はないはずですから」

 ハニーの確認には自信を持って頷く。ヴィクトリアが完全な善意で自分を助けたのは間違いない(そう信じたいだけ、と言われれば否定できないが)。

「では、ひとまずその女の言葉を信用するとして……奈落教が信徒を送り込んでいる理由には、おおよそ見当がついたな」

「うむ! でみ、でーもん? だか何だか知らぬが、とんだ非道にござる!」

 幼さの残る顔を思い切りしかめ、怒りを吐露するイロハ。イーヴを信仰する身としてはもちろん、一人の人族としても怒っているのが伝わってくる。当然アリエッタも同意見だ。

 しかし、同時に不思議にも思う。半魔神の作成が至難の業であることくらい、ドゥーシェらも分かっているはずだ。にもかかわらず、“奈落の魔域”を蛮族たちに守護させてまで実験にこだわっているのは何故なのか。いまいち目的が見えてこない。

 考え込むアリエッタを他所に、ハニーは立ち上がりながら音頭をとる。

「敵の拠点を探すぞ。目的が何であれ、そんな実験を続けさせる理由はない。万一成功されても面倒だ」

「そうですね。ヴィクトリアさんが言うには、奈落教の祭壇は魔域の北方にあるようです」

「分かった。ウィリアム、北上できそうなルートは?」

「…………」

「ウィリアム?」

 呼びかけを追うに、アリエッタもウィリアムに目を向けた。ここまでまったく会話に参加していなかった彼は、ハニーの言葉で初めて我に返ったらしい。深い緑色の目を丸く見開いている。

「ああ……悪ぃ、聞いてなかった。どうした?」

「……北に向かうルートを知りたい。先導を頼めるか?」

「ああ、北ね。分かった、着いてきてくれ」

 常とは違う歯切れの悪い応答の後、そそくさとキャンプ地を抜けるウィリアム。怪訝そうに眉を寄せるハニーの後ろで、アリエッタとイロハも思わず顔を見合わせた。

「どうしたのでござろう?」

「さあ……?」

 分からない。分からないが――彼はアリエッタの足を凝視していたような気がした。

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