第8話 砂塵の都Ⅳ

 ドレイクのジェイクは、羽根ペンを動かす手を止め、卓上の懐中時計に目を落とした。時刻は午後四時。太陽は西の稜線に落ちようとしており、周囲の山の影を長く伸ばしている。

「……遅いな」

 独りごちる。かつて人族の鉱石採掘場だった岩山には、作業場としても倉庫としても利用できる横穴がいくつか開いている。彼がいるのは、そんなスペースの一つだ。奥の壁の穴は坑道に続いているが、入ったことは一度しかない。暗く狭いうえ、途中で崩落しているからだ。

「ベティエ。見張りはまだ戻らないか」

「まだだ」

 横穴を出て、上層の蛮族に向かって声を張り上げると、あくび交じりに返された。マノダノリュである彼は、動物や幻獣を調教したり、乗り回したりするのは得意だが、それ以外のことには意欲を見せようとしない。一ヶ所に留まって周囲を見張り続けるのは、ただ退屈なだけなのだろう。雇われているのだから真面目にやれ、と思うが、言ったところで無駄なので不満を飲み込む。

(やはり、何かあったか……?)

 ドゥーシェと名乗る男に、この山に駐留するよう依頼されてから、およそ二ヶ月。見返りとして提供された魔神たちは、ジェイクの命令を忠実に守り、数多くの商隊を壊滅させた。冒険者が護衛を務めていようと、お構いなしに蹂躙してみせる魔神の力には、興奮を越えて戦慄すら覚えたほどだ。

 ところが、最近はのんきに構えてもいられない。とある商隊のメンバーを取り逃がしたことをきっかけに、ラージャハ帝国軍に目をつけられてしまったのだ。魔神が優れた戦力であることは疑いようのない事実だが、大帝国を相手に敵うはずがないこともまた事実。今すぐ逃げるのが賢い選択だ。

 だというのに、

「ご安心を。並みの兵士であれば、この布陣を突破して追いすがることなど不可能ですよ」

 虎の子のラグナカングを影に潜ませながら、ドゥーシェはそう言った。一週間後には、この山を放棄して好きにしていい、とも。

 彼の言葉に同意はしたものの、ジェイクは嫌な予感を拭いきれない。見張りの帰りが遅いことが、心配に拍車をかけていた。

(日没と同時に、ここを放棄して逃げるか……?)

 そんな考えが脳裏をよぎるが、すぐに却下する。ドゥーシェの背後にいるのは、スレイヴスフィアという驚異のアイテムを量産する大組織だ。契約に背いて逃げようものなら、どんな報復が待っているか分からない。

「くそっ……ひとまず偵察に行かせるか?」

「無駄足だからやめときな」

 とん、と肩を叩くような調子の声が、独り言に応じた。

 目を剥いて振り返った先――坑道の入り口から太矢が飛んできた。容赦のない一発が、肩に深々と食い込むまでの一瞬で、敵の数と構成を把握する。騎手、剣士、射手。残る一人はゴーレムを連れている。操霊術師か。

「いざ駆けよ、魂の奔流……【アストラルバースト】!」

(違う!)

 召異術師だ、と思う前に、白く煌めくマナの弾丸が炸裂した。たまらず吹き飛んだ先で受け身をとるが、体勢を整えきる前に鋼鉄の尻尾が襲いかかってくる。攻撃がやまない。太刀打ちしようにも、腰の剣を抜く暇さえない。

「ッ……ベティエ! 迎撃を――!」

「させぬ!」

 命令をかき消すように響いた、獣の咆哮のような声とともに、鋭利な一閃が腹を割った。血とともに意識も体外へ流れるような感覚に、うすら寒いものを感じながら下を見やる。

 山肌に張り巡らされた物資運搬用の山道を、こちらに背を向けて走り去る蛮族たち。拠点に残しておいた魔神たちも、すべて彼らに追従している。自分を助けようとする者はおろか、振り返ろうとする者さえいない。

(…………まあ)

 魔剣を持たない身で、よくやった方だろう。

 そんな自嘲と諦観に身を委ねるように、ジェイクは意識を手放した。


 ***


「……だというのに、なぜ俺は生きている?」

 手足を縛られたまま、じろりと見上げてくるドレイク。目つきも口調も険悪だが、戦意は一切感じない。諦めとも自棄ともとれる眼差しに、ハニーは咳払いしつつ相対する。

 山の北側に坑道の入り口がある。そう気づいたハニーたちは、半ば崩落した坑道に潜り込み、リーダーがいると目されていた下層の横穴に近づいたのだ。崩落箇所を避けつつ抜け道を探すのは骨が折れたが、懸念していた負傷はない。百点満点の奇襲と言っていいだろう。あとは、彼が知る情報を聞き出すだけだ。

「お前に聞きたいことがある」

「断る。メリットのないことはしない主義だ」

「あなたの処遇について便宜を図るよう、ラージャハ帝国の皇帝陛下に掛け合います」

 ハニーの言葉は即座に切り捨てたられたが、続くアリエッタの提案に、ドレイクはぴくりと反応した。腹芸は苦手なのだろうか。

「もちろん、無罪放免という訳にはいかないと思います。ですが、出自より実力を重視するラージャハ帝国なら、奮闘や貢献次第で、安定した生活を送ることもできるはずです。いかがでしょう?」

 アリエッタの提案は、相手が魔剣を失った個体――いわゆるブロークン種であることを鑑みたものだ。蛮族社会では排斥され、通常の人族社会では迫害されるがゆえに、彼らは自分の居場所の確保を優先する。便宜を図る、という提案は(本当に便宜を図ってもらえるかどうかは別として)魅力的に聞こえたはずだ。

 はたして、うつむいて熟考していたドレイクは、観念したようにため息をついた。

「……何を知りたい」

「お前たちがここを守っていたのは、誰の指示によるものだ」

「奈落教の上層部だ。ドゥーシェと名乗っていたが、本名は知らない」

「あいつ、どこにでも居やがるな」

 げんなりした顔で呟くウィリアムに、心中で同意しながら質問を続ける。

「そのドゥーシェは、お前たちに何を命じた」

「奴の要求は二つ。一つ目は、この山の”奈落の魔域”シャロウ・アビスを守ること。二つ目は、定期的に派遣される奈落教の信徒を受け入れることだ」

「魔域があるのでござるか!?」

「坑道の一角に展開している。その手前の、区画整理用の格子戸を施錠しているから、普段は入れないがな」

「ああ、あれか」

 ドレイクが目覚めるまで、坑道をくまなく探索していたウィリアムはもちろん、報告を受けていたハニーにも心当たりはある。鉄格子やその周辺を破壊すれば、解錠しなくても進めそうだったが、崩落寸前の坑道で試みるのは自殺行為だったため、スルーしていたのだ。

「鍵はお前が持ってんのか?」

「その机の、二段目の引き出しにある」

 顎で示されるまま引き出しの中を覗く。彼の言うとおり、マナを帯びた鍵が一つあった。

『様子を見てきてくれ』

『おう。すぐ戻る』

 鍵を渡しつつ念話で伝え、後ろ姿を見送ってから、改めてドレイクに視線を戻す。

「奈落教の連中は、その魔域で何をしている?」

「知らないが、奴らが魔域から出てきたことは一度もない」

「…………」

 腕を組み、アリエッタに視線を合わせた。再び念話を送るためだ。

『生贄、だと思うか?』

『どうでしょう……直接見てみないことには、何とも』

 当たり前の回答に肩をすくめるのと同時に、ウィリアムが坑道から這い出てきた。どうだった、と視線で尋ねると、彼は服の裾を払いながら、

「そいつの言った通りだ。デカさは測れなかったけど、一日二日でこの山を飲み込むほどじゃねぇだろ」

「分かった」

 まだ猶予がある、ということが分かっただけで十分だ。ドレイクから聞き出せる情報も尽きたと判断し、仲間たちに告げる。

「増援部隊の到着を待って、今後の対応を決める。魔域の攻略を依頼された場合は引き受けるから、そのつもりでいてくれ」


 ***


 放った矢が、敵の眉間を正面から貫いたのを見届けてから近づく。獲物から矢を引き抜くと、ほくろのような孔から血が噴き出た。どす黒く濁った色合いを不快に思いながら、近くに自生していた葉で鏃を拭う。このまま矢筒に戻すのは、色々な意味で良くないと判断したからだ。

 立ち上がり、物言わぬ骸を置いて歩き出す。周囲には森が広がっている。今日は晴れのはずだが、折り重なるように茂る葉のせいで、日光はほとんど地面まで届かない。土の匂いや死臭がまとわりつくように吹き抜ける中を、足音を立てないように歩いていく。鳥の鳴き声も、獣の遠吠えも聞こえない不気味な静けさには、もう慣れてしまった。

(この辺までは来ないのかなぁ、奈落教の人……)

 敵の拠点に近づきすぎるのは危険と考え、離れた場所で網を張っているのだが、待てど暮らせど、奈落教の信徒は現れない。場所を変えるべきなのだろうが、自分が姿を見せると面倒なことになると分かっているので、いまいち決心がつかない。どうしたもんかなぁ、と天を仰ぐ。

 その時、梢の合間に覗く空に、暗く輝く星が見えた。

 あ、と思った一秒後には駆け出し、森を飛び出す。見上げた先の青空で、暗い藍色に瞬く光が四つ。”奈落の魔域”に何者かが侵入した証だ。目を凝らして行き先を読む。

 奈落教の聖印を所持していることがトリガーなのか、昨日までの侵入者は全員、魔域の北部――奥地の方へ飛ばされていた。ところが、今回の星はすべて南部を目指している。教団の関係者ではない。数から察するに冒険者だろう。

 どんな人だろうか、と想像を巡らせていると、

「…………ん?」

 星々のうち、一つの軌道が乱れた。ふらりと流星の群れを抜け、他とは違う場所へ落ちていく。谷の方だ。

(あっちはマズいよな~……)

 向かうべきか、向かわざるべきか。

「……行くしかないよね! うん!」

 一秒だけ考えた後、彼女は素早く弓を畳んで背負い、走り出した。

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