第8話 砂塵の都Ⅲ

 砂上船で北東に進むこと一日。砂漠を越えた先には、広大な草原地帯が広がっていた。

 草原といっても、青々とした草木が生い茂るタイプではない。風通しのいい平地に、背の低い草花と、大木が点在するタイプで、砂漠ほどではないにせよ乾燥している。中天にさしかかった太陽の日差しも、地表をあぶるかのように容赦がない。緑が多い地域で育ったウィリアムにとっては、なかなか新鮮な景色だった。

「ったく、勘弁してくれよ……こちとら重装備だっつーのに」

 汗を拭いながらぼやくのは、隊列の中央を進むルドガーだ。重厚な金属鎧に身を包み、重そうな盾を携えている。腰に小剣を差しているが、明らかに戦闘用ではない。戦いでは盾しか使わないスタイルなのだろうか。

 後に続きながら想像していると、彼はこちらに振り返った。その目はウィリアムを飛び越え、後衛を務めるハニーに向いている。

「お前は暑くねぇわけ?」

「耐えられないほどではない」

「へーへー。若いって素晴らしいねぇー」

 棒読みだが、敵意や嫌味はない。会話することで、少しでも暑さを紛らわせようという思惑が見えた気がした。

 対して、前衛を務めるラージャハの戦士たちは、一言もしゃべらず歩き続けている。砂漠の国の精鋭であれば、この程度の暑さには慣れっこなのだろう。揃いの槍と盾を手に整然と進む様は、六人で一つの獣になったかのようだ。

「斥候部隊のキャンプだっけ? そこまでどのくらいだ?」

「はい。あと数分かと」

 振り返りながら答える若手兵士に、「どうも」と気のない声で応じるルドガー。彼を横目に、辺りを見回しながら進む。大木や小高い岩山、巨大な蟻塚の他に遮蔽物のない平原は、世界の果てまで続いているかのように広い。

「…………」

 生暖かい風に鼻をひくつかせる。土の匂いに混じり、獣や、その糞の臭いはするが、姿が見当たらない。草木の限られる乾燥地帯とはいえ、草食動物の活動は活発だろうと踏んでいただけに、ウィリアムは違和感を拭えなかった。それとも、自分が知らないだけで、この辺りでは普通の光景なのだろうか。

 前を行く兵士たちに問いかけようとした、その時だった。

「止まれ!」

 鋭い号令に、全員がぴたりと足を止める。停止した理由は、前方のくぼ地を見れば一目瞭然だった。

 大木の根本に、テントの残骸が絡みつくように転がっている。表面に精巧な偽装が施されているのを見るに、斥候部隊のものだろう。辺りの草木に付着し、黒々と光るのは血痕だ。不意の襲撃を受けたとおぼしき凄惨な光景の真ん中で、女性が一人、血まみれで大樹に縛られている。

「サティア!」

「待て」

 吠えて駆け寄ろうとするラージャハ兵の肩を掴み、ルドガーが制止する。くぼ地を見下ろす眼差しは、不満を垂れ流していた時から一転、冷徹な戦士の覇気を孕んでいた。

「どう見ても罠だろ。近づくのは俺を含めた三人まで。他は周りを警戒しろ」

「ッ……了解」

 冷静な指示に首肯で返されたルドガーは、こちらにも目配せし、兵士二人を伴って女性ににじり寄る。その背を見送りながら、ふむ、と肩をすくめて顔を上げた。

 確かに、女性の拘束のされ方はあからさまで、ウィリアムの目にも釣り餌のように映る。しかし、くぼ地を狙い撃てそうな位置に蛮族などの外敵は見当たらず、落とし穴やまきびしといった罠が仕掛けられている様子もない。遠目に見ただけで判断するのは早計だが、罠ではなく見せしめではないか、と思えてきた。

 とりあえず、愛用のクロスボウを展開する。にわかに強まってきた風が、雲を東へ押し流していく。

 そうして、再び日差しが届くようになったからだろう。ちか、と視界の端で何か光った気がした。

「?」

 そちらを注視し、何者かの装身具(武具か衣服かは分からなかった)に取りつけられた金属である、と判断した時、

「敵襲! 影です!」

 アリエッタが絶叫した。すかさず振り返り、鏃の先端をくぼ地に向ける。


 そこで、ぬうっ、と。

 木々や蟻塚の影が、起き上がっていた。


 ***


 一説によると、異界における魔神たちは、実体を持たずに暮らす生命体であるという。情報や概念といった形のないものが、嵐のように吹きすさぶ環境を、身一つ――否、魂一つで耐え抜く強靭さを持つがゆえに、ラクシアに呼ばれた彼らは強大で、何より悪辣だ。自然、その力を利用する召異魔法も、強力で狡猾なものになる傾向がある。

 その最たるものの一つが【イミテイトシャドウ】だ。対象を影に擬態させるという限定的な魔法だが、その精度は非常に高い。擬態後の対象は、普通の影とほとんど見分けがつかないので、影や暗闇が存在する場所であれば、待ち伏せや暗殺も容易にこなせるようになる。実に魔神らしい狡猾な魔法と言えるだろう。

 今、その擬態を解除した魔神たちが、くぼ地周辺で次々と起き上がる。アリクイ頭の大男・ゼヌンが二体。全身棘だらけの狼・ワフーシュが一体。そして仁王立ちする巨竜・ラグナカングが二体。数ではこちらが勝るが、体格や配置の面で不利だ。こちらの背丈を軽く凌駕する大型魔神に、緩やかに囲まれている。

 ひとまずジェニーを呼び出し、異界の門を形成したところで、

「『十字星の導きサザンクロス』は狼とドラゴン片方に対処! 他はこっちで処理する!」

 ガツン、と空気そのものを殴るような指示が飛んできた。ぎょっとして目を向けた先で、声の主であるルドガーが大盾を構え、矢継ぎ早に吠える。

「あの狼は寄らせると面倒そうだ、エルフが撃て! サムライ女は三時の方角からこっち見てる蛮族を処理! 仕留められねぇなら齧りついてでも止めろ! 他は目の前の敵に集中! テメェが倒れねぇなら後ろの味方も倒れねぇ、ってことを忘れるな!」

 指示を終えるや否や、ラグナカングがラージャハ兵めがけて突き込む尾を弾いた。他の攻撃も次々さばきつつ、攻めと守りを的確に指揮している。ラージャハ皇帝直々の指名を受けるだけのことはある、といったところか。

 感嘆しているうちに、ルドガーの指示通り、ウィリアムがワフーシュの脳天を射抜いた。イロハも勢いよく地を蹴る。ちらりと一瞥した先にいたのは、フーグルのアサルター種。イロハなら一人で倒せると判断すると、懐から狼の牙を取り出した。

「我が声に応じて来たれ、暗夜駆ける腐獣よ!」

 唱え、門の向こうへ牙を放り込む。一瞬の間を置いて飛び出したのは、全身が腐敗と再生を繰り返す狼のような魔神――テラービーストだ。濁った唾液をまき散らしながら、ラグナカングの翼に食らいつく。すぐに払いのけられたが、傷から打ち込まれた腐敗毒までは打ち消せない。

I:2アイツー!」

 苦痛で動きが鈍る瞬間を、ハニーは見逃さなかった。サイバーリザードの大口から銃弾を放ち、片翼の根本を吹き飛ばす。次いで放つ斬撃も、腹を深々と裂いて致命傷を与える。たまらず苦悶の咆哮を上げたラグナカングは、まるでハニーたちを跳ねのけるように、尾の刺突を見舞ってきた。

 そのすべてを、鎧と大剣で防ぐハニーの背後から、

「隙だらけだぜ」

 ウィリアムが太矢を放ち、敵の右目から脳天を滑り込むように貫いた。


 ***


「昨日の夕方、向こうの拠点に人族が六人やって来たんですけどね? その中の一人が、蛮族と魔神を連れて襲ってきたんです。昨日の23時頃だったと思います」

 こう証言するのは、木に縛られていた女性だ。ラージャハ帝国の斥候部隊の一人で、名をサティアとうい。全身傷だらけだが、アリエッタの治療が奏功したか、意識ははっきりしている。一刻も早く情報を共有したいという本人の強い希望もあって、さっそく聴取に応じてもらっている。

 ウィリアムは負傷したラージャハ兵の治療に、イロハは討伐した蛮族の処理に、それぞれあたっている最中だ。必然、聴取はハニーとアリエッタの仕事になる。

「魔神というのは、先ほどの軍勢のことか?」

 淡々と問いかけると、サティアは神妙な面持ちで頷いた。

「はい。アタシ以外を食い殺した後、影に擬態しました」

「蛮族の方は? それから、そいつや魔神と一緒にいたという人族は何者だ」

「蛮族はドレイクとフーグルでしたけど、人族の素性は分かりません。代わった黒服を着てた、くらいしか……」

「もしかして、こう……体のラインが出ない、ゆったりした衣装でしたか? それから、糸のように細い目をしていて、いつも笑っているような感じの」

「そいつです! 知ってるんですか!?」

「ええ、まあ……」

 言い当てられて目を丸くする女性に、曖昧に微笑むアリエッタ。彼女を横目に見るハニーの脳裏に、先ほどの魔神たちから摘出された装置がよぎる。スレイヴスフィアだ。あれが使われている時点で、彼(ドゥーシェといったか)が関わっていることは想像に難くなかったので、さほど驚かなかった。

「その男と蛮族は、拠点に戻ったのか?」

「はい。でも、男の方は『もう戻る。後は任せた』みたいなこと言ってましたよ。あの連中の元締めなんですかね?」

「……最後に一つ。昨日現れたという人族は、戦闘要員に見えたか? 所感でいい」

「違うと思いますよ。蛮族にも魔神にもビクついてましたし」

「分かった。感謝する」

 必要な情報は揃ったと判断し、アリエッタに目配せした。

「聴取は以上です。横になってください、今度は足を診ます」

「ああ、ありがとうございます」

 彼女が治療を再開したのを見届けて立ち上がる。向かうのは、くぼ地から離れた場所で煙草をふかすルドガーの元だ。イロハとともに、彼女が斬り捨てたフーグルの死体を埋葬し終えたところのようだ(アンデッド化を防ぐための処置である)。

「何か分かったかでござるか?」

「敵のリーダー格はドレイクだ。他の戦闘員は、事前の会議で確認した通りだと考えられる」

「なら、お前ら先に行け。俺は増援部隊が合流するまで、あいつらの護衛に回る」

 白煙を細く空へ吹きつつ指示するルドガーに、イロハは小首を傾げながら、

「増援が到着するのを待って、共に向かえばいいのでは?」

「マトモな頭の持ち主なら、国軍の斥候部隊に見張られてる、って分かった時点で逃げるだろ。連中がそうしねぇで、罠と見張りを置いたのは何でだと思う?」

 不意に質問を投げかけられ、イロハは口を閉ざした。助けを求めるような視線に肩をすくめ、代わりに答える。

「俺たちを殺すため。もしくは、追う足を止めるためか」

「正解だ。理由は知らねぇが、敵が拠点を守るつもりなのは間違いねぇ」

「それでも、見張りの戻りが遅ければ怪しまれる。最悪の場合、逃げられるおそれもある、ということだな」

「分かってんなら早く行け」

 犬を追い払うように手を振るルドガー。仕草とは裏腹に、眼差しは真剣だった。

「俺の仕事を増やすなよ」

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