第8話 砂塵の都Ⅱ

 互いに自己紹介を終えたところで、兵士たちが大きなラウンドテーブルを運んできた。卓上のスペースいっぱいに、粘土で地形図が形作られている。何の変哲もない山のようだが、ふもとから中腹にかけて、外周をぐるりと一周するように、山道らしきものが整備されているのが特徴だ。

「ここから北東へ一昼夜、砂上船で移動した先に、ディガッド山脈まで続く山岳地帯があってな。お前たちに討伐を依頼したい盗賊団は、その一角の、もともと鉱石採掘場だった山を根城にしとる。これはその模型だ」

 ドノンの説明に、なるほど、と頷くハニー。山道だと思ったものは、掘り出した鉱石をふもとへ運ぶための運送路だったようだ。

「この岩山は、中腹に三つの横穴が開いとる。坑道の入り口だが、連中はここに住み着き、奪った金品の保管庫にもしとるようだ」

「現在、斥候部隊が先行し、相手の動向を監視しています。あちらの目もあるため、あまり奥深くまで調べられてはいませんが、敵の数と配置は、おおよそ掴めています」

 兵士の一人が補足しつつ、模型にピンを刺していく。上層に六本、中層に四本。下層には一本だけ、他より太いピンをぶすりと立てた。

「これらの半数は魔神です。蛮族と交代しながら、周辺を哨戒しています」

「この、下の方のデカいのは?」

「とりあえずの目印です。一団のリーダーにあたる蛮族がいると睨んでいますが、斥候部隊が姿を確認できていませんので」

「相手の姿や能力、あるいはそれらの特徴についての情報は?」

「はい。こちらをどうぞ」

 ウィリアムに続いて問いかけたハニーの前に、兵士はいくつかのスケッチを並べた。蛮族が二種と魔神が二種。隣に立ち、それらをじっと見つめるアリエッタへ聞いてみる。

「どう思う?」

「上層のザルバードとフーグルは、どちらも空を飛べますから、空中からの見張りを担当しているのだと思います。中層のジヌゥネとマノダノリュは……奪った荷物の運搬と、戦闘時の主力としての配置でしょうか。ふもとからの道を登れば、まずここにたどり着きますから」

 道理だな、と首肯した顔を、ラージャハの兵士たちに戻した。

「今回の任務目標は、こいつらの全滅か?」

「無論そうしてもらえると助かるが、最優先目標は、未だ姿の見えんリーダー格の討伐だ」

 答えたのはドノンだ。豊かな銀色の顎髭を、じょりじょりと摩っている。

「見ての通り、連中は種族がバラバラだ。強大なリーダーを旗頭に、好き勝手に暴れたい奴が大半だろう。頭さえ墜とせば、留まろうが逃げようが烏合の衆。追うも討つも楽にできるだろうさ」

「なあ、これ俺がいる必要あるか?」

 と、ここまで一歩離れた場所からやり取りを眺めていたルドガーが、煙草をふかしながら言った。その眉は、不機嫌そうに歪んでいる。

「こいつらと、そっちの精鋭が何人か行くってだけで戦力過剰だろ。数が増えりゃ、それだけ隠密行動も厳しいぜ」

「ずいぶんなサボり願望じゃねぇか。“天眼てんげんの竜”の名が泣くぞ」

 対するドノンは、ルドガーの表情をいっそう渋くさせるも、構わず不敵に笑ってみせる。

「兵士が多けりゃ多いほど輝くのがお前の指揮だろうが。せいぜい気張れ。煙草で萎んだ肺に喝を入れる絶好の機会だぞ」

「……ったく」

 大げさに肩を落とすも、ルドガーは呆れているだけで、怒っているわけではないようだ。単なる知己ではなく、気の置けない仲なのだろう。

 他に疑問や確認事項はないと見たか、兵士の一人がスケッチを回収しつつ締める。

「では、さっそく行動を開始しましょう。皆さんには、この城の二階に部屋を用意いたしましたので、荷物はそちらへ。その後、アリエッタ女史は作戦会議に出席し、敵拠点攻略作戦の立案にご協力ください」

「かしこまりました」

「他の皆さんは、修練場へ移動を願います。一時間後に合同訓練ですので」

「「「え゙」」」

 のうち、イロハ、ウィリアム、そしてルドガーが固まる(ハニーだけは無反応を貫いた)。信じられない、という顔をする三人に微笑みかけるドノンだが、その目は笑っていない。

「作戦まで三日しかないんだぞ。この辺りの気候に慣れるにせよ、儂の兵と動きを揃えるにせよ、鍛錬と訓練は必須だろうが」

「な、なるほど……一理あるでござるな」

 割とあっさり受け入れるイロハと、完全に言葉を失うウィリアム。二人の背後で、こっそりフロアを脱出しようとしたルドガーが、周りの兵士たちに取り押さえられていた。


 以降三日間、夕食の席につくたびに、

「……俺、もう大概の仕事はやれる気がするわ……」

 と、ウィリアムが口から魂を吐き出しながらこぼすのだが、それは余談であろう。


 ***


 ふと、アリエッタは目を覚ました。

「…………」

 よっこいせ、と布団を払う。この地方で使われている掛布団は、熱を逃がさないよう、幾重にも布や綿、植物のツルを編み込んでいるのが特徴だ。ずしりと体を包むような感覚は、慣れれば意外と悪くないものの、見た目以上に重いのが難点か。

 隣のベッドでイロハが熟睡しているのを確認しつつ、柱時計を見る。月明りに照らされた文字盤は、午後十時すぎを示していた。敵拠点への出立時刻まで、まだ八時間近くある。明日に備えて早めに床に入ったのだが、完全に目が冴えてしまった。

(お水、もらってこようかな……)

 上着を羽織って廊下に出る。隣の部屋のウィリアムとハニーは、ちゃんと眠れているだろうか。そんなことを考えながら、所々かがり火が焚かれたテラスを進んでいると、

「眠れんのか」

 不意にかけられた声に、肩を跳ねさせて振り返る。立っていたのは、ドノン四世その人だ。やはり大砲を持ち歩いているが、今夜は空いた左手にバスケットを提げている。中身は酒とグラスのようだ。

「や、夜分にお騒がせします! その、ちょっとお水をいただきたくて……!」

 原因不明の焦りに突き動かされ、早口で弁明すると、ドノンは愉快げに大笑した。

「そう力むな。余計に眠れなくなるぞ」

「は、はい……」

 呆気にとられる。彼が自分の前で笑うのは初めてではないが、眼光に鋭さや険しさのない、心からの笑顔を見たのは初めてのような気がしたからだ。

 固まるアリエッタの顔を暫時眺めると、ドノンはひょいとバスケットを持ち上げ、

「眠れんなら、一杯どうかね? 酒が苦手なら、北から取り寄せたチャイもあるぞ」



 王城のテラスは、謁見の間に程近い一角が、ガラス張りの休憩所になっていた。備えられたストーブに火を入れ、チャイを沸かしたドノンは、カップをアリエッタに手渡しつつ言う。

「作戦会議では世話になったな。お前さんの知識と経験則のおかげで、兵の動きをだいぶ具体化できた」

「恐縮です。こちらこそ、柔軟に意見を取り入れていただけて、感謝しています」

「こっちの都合で呼んどるんだ。聞き入れん馬鹿たれがいるようなら、拳骨をくれてやらねばならんよ」

 からからと笑い、ウォッカをストレートであおるドノン。見た目の印象に違わず、酒には強いようだ。皇帝としての顔を引っ込めてくれているので、とても話しやすい(こんな時間にまで大砲を持ち歩いているのはどうかと思うが)。

 だいぶ肩の力が抜けたところで、もらったカップに口をつけた。ハニーがよく淹れてくれるミルクティーとは違う、複雑な甘みと苦みが舌に心地いい。香辛料でここまで変わるものなのか、と唸らされる。

「一昨日はすまなかったな、じろじろ見ちまって」

 と、ドノンが不意に頭を下げた。

「お前さんが昔の知り合いにそっくりだったもんで、ついな」

「お知り合い……どんな方だったんですか?」

 尋ねてみると、ドノンは難しそうに眉を寄せ、ほろ苦い微笑みを返してくる。

「もう五十年も前の話だ。聞いたって面白かねぇさ」

「…………」

 何か、悲しいことがあったのだろう。

 そう察するに十分な空気が流れかけたが、すかさずドノンが払ってくれる。

「それより、作戦会議や訓練の合間に、街を見て回ったんだろう? どうだった、儂の国は」

「とても楽しかったです。あまり広く回れたわけではありませんが」

 今日までの三日間、アリエッタは一人で、あるいはイロハと連れ立ってラージャハの街を巡り、食事や買い物を楽しんだ(ハニーは騎獣の調整、ウィリアムは合同訓練の疲れから同行できなかった)。その中で感じたことを、自然と笑顔になりながら伝える。

「どこもかしこも活気があって、大路を歩いているだけで楽しかったです。お店の方々も親切で。あれほどフレンドリーに接していただいたのは初めてです」

「そうかそうか。北からの観光客が増えた影響だろうな」

「北からの……ひょっとして、北区の魔動列車のターミナルですか?」

 うんうん、と目を細めて頷いていたドノンは、アリエッタの問いにも首を縦に振る。

「この国は資源に乏しいが、魔動列車の架線が通っておる分、北方との繋がりが強くてな。大征伐がおおむね成功したのもあって、何年か前から観光に力を入れることにしたのさ。どこまでも続く砂漠なんざ、儂らにとっちゃ当たり前の光景だが、北の金持ち連中からすりゃあ見ごたえのあるモンらしい」

 大征伐というのは、ディガッド山脈北西部の蛮族たちを放逐すべく、五年前に行われた大規模反攻作戦のことだろう。軍の中核は、北のエストア地方の国々が担ったそうだが、ラージャハ帝国も参加し、目覚ましい戦果を挙げたという。

 おそらく、ドノン自ら前線に出て、この大砲で敵を蹴散らす場面もあったのだろう。無造作に置かれた黒塗りの兵器を見ながら想像していると、彼は不意に頭を下げた。

「貴重な感想、ありがとよ。皇帝になってからこっち、他所の民と直接話す機会がなくてな」

「滅相もありません。私が感じたことを申し上げただけなので」

 はにかむアリエッタに、ドノンは緩く微笑みながらウォッカを舐める。その優しい眼差しに、養父のそれに似た何か――リラックスしているがゆえの穏やかさとは異なるものを感じ、思わず首を傾げてしまった。

「あの、何か?」

「ああ、いや。何というか……やってやったぜ、という心地でな」

 曖昧に応じたドノンは、言葉を選ぶような間の後、グラスに四分の一ほど残った酒を一息に飲み干す。

「儂が王位を継ぐまでも、継いでからも、この国は戦いに明け暮れていた。蛮族やアンデッド、魔神に幻獣、飢えと渇き、疫病、天災……およそ人が経験し得る戦いは、すべてこなした気さえする」

 そこには人族同士の戦いも含まれるのだろうな、とアリエッタは想像する。多様な少数民族が乱立するカスロット砂漠では、古くから幾度となく、オアシスをめぐる争いがあったという。大破局を経て、ラージャハ帝国が地方の要衝となった現在でもなお、彼らとの軋轢は残っているはずだ。

「こうしてテラスで晩酌しとるのも、半分は異常がないか見張るためだ。我ながら臆病なもんだよ」

「…………」

「だからな、お前さんがこの国を楽しんでくれたことが、儂は嬉しい」

 まさか同意する訳にもいかず、じっと顔を見つめるしかないアリエッタに、ドノンが向ける笑みは力強い。

「どうやら儂らの戦いは、この国をきちんと豊かにできたみてぇだ。教えてくれてありがとよ」

 感謝されるようなことはしていない、と言おうとして、あくびが出た。慌てて飲み込むアリエッタを見て、ドノンは愉快げに肩を揺らす。

「年寄りの話は退屈だったな」

「い、いえ! 決してそういう訳ではっ……!」

「冗談だ。眠れそうなら、もう部屋に戻れ」

 新たな酒を注ぎながら言う。語調は孫を見守る好々爺そのものだったが、目は鋭く燃えていた。

「これは勘だが、今回の仕事は忙しくなりそうだ。休める時に休んどけよ」

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