第8話 砂塵の都Ⅰ

「流出元は、絶っ対ウチの上層部よ」

 差し出された果実酒を一息に飲み下すと、ケイティ・ロックは早口でまくし立てた。カウンターの向こうで、ネサレットが(かなり薄めに)二杯目を淹れる間にも、不満げな表情と言葉は収まらない。

「衛士隊の取り調べのことは周りに黙っとけとか、ここに来るなとか、とにかく念を押してばっかり。あんな必死に火消しに走るの初めてよ。やましいことがあります、って言ってるようなもんじゃない」

「まあまあ。お気持ちは分かりますけど、もう少しゆっくり飲んだ方が――」

「これが落ち着いていられるかってーの! 一番頑張ってるあなたたちが一番損してんのよ!?」

 ぐいっ、と二杯目もあおり、グラスをたたきつけるように置いたケイティは、

「本当にごめんね、ウチの馬鹿な誰かさんが……あたしも顔出すのこんなに遅くなっちゃって……」

 急に勢いを萎ませた。感情の振れ幅が激しいのは、酔いが回ってきた証拠だろうか(まだ午後六時を回ったところだが)。

「そこは気にしないでください。ケイティさんも大変だったんですから」

「あんな形だけの取り調べなんて屁でもないっての」

 ふん、と鼻を鳴らしてお冷をぐびり。腹の中が水分で大変なことになっていないだろうか、と眉をひそめながら、ハニーはミルクティーを啜った。他の仲間たちも、自分と同じテーブル席に掛け、ケイティの様子を窺いながらカップやグラスを傾けている。

 魔動死骸区から帰ってきた後も、『十字星の導きサザンクロス』では閑古鳥が鳴き続けていた。「危険な冒険者ギルド」というレッテルは、だいぶ強固なものになってしまったようだ。唯一、店への嫌がらせが止んだのは良いニュースと言えるが、とうとう興味すら失われたのだとすると、喜んでばかりもいられない。

「ハニーくんもI:2アイツーもごめんね、メンテナンスしてあげられなくて」

『目立った不具合はないので大丈夫です! 簡易的なチェックなら、接続のたびにしていますし!』

「騒ぎも落ち着いてきたところだ。近いうちに寄らせてもらう」

「本当はね、今すぐにでも診たいのよ? なんなら解体して事細かに! 構造すべてをつまびらかに! でも上がうるさいわ目ざといわで嫌んなっちゃうわよね、ほんとに~!」

『……マスター、しばらくマギテック協会に近づくのはやめませんか?』

 酔った勢いで、言わない方が良さそうな本音を漏らし始めたケイティに、打って変わって小声になるI:2。もし人間の顔があったら冷や汗をかいているのだろうな、と思わせる素振りを示す彼女に、軽い皮肉で返してやろうと口を開いた時、

「お忙しい時間に失礼いたします」

 ドアベルの乾いた音色と、床を鳴らす軍靴の音とともに、凛とした声が響いた。


 ***


 その場の全員の視線を集めるのは、徽章つきの制服に袖を通した男女だ。先頭に立つ女性は、透き通るようなブロンドの合間から、陶器の飾りがついた角を覗かせている。ナイトメアだ。胸元の聖印と腰の細剣、服の上からでも鍛え抜かれていることが分かる肢体を見るに、ミリッツァの神官戦士だろう。

 観察されていると気づいたのか、一瞬イロハと目を合わせるも、彼女はそれ以上のリアクションを見せなかった。後ろに従う部下たちとともに姿勢を正し、改めて一礼する。

「お初にお目にかかります。皇宮近衛隊こうきゅうこのえたい第六席、キサラ・オルコットと申します」

(皇宮近衛隊……?)

 思わずきょとんとしてしまったらしい。隣のアリエッタが、声をひそめて教えてくれる。

「王家直属のエリート部隊です。騎士団の団員の中でも、特に武勇や功績を認められた方しか入れない、と聞いたことがあります」

「なるほど……」

 相当な猛者ということか、と大ざっぱに把握するイロハたちへ、ネサレットが席を立ちながら目配せする。ついて来い、という意味だろう。仲間たちとともに、ぞろぞろとギルドマスターの小さな背に続く。

「ギルドマスターのネサレット・ハウよ。彼らは所属の冒険者。ご用件は?」

「アイリス王女殿下より、貴殿らへ出立依頼が発行されましたゆえ、私が名代として持参いたしました。どうぞ、お納めください」

 キサラが言い終えると同時に、後ろの男性が封筒を差し出した。受け取るネサレットの肩越しに見えたのは、複雑な印璽いんじ――王家の紋章が捺された封蝋。以前、アイリスに下賜されたハンカチに刺繍されていたものと同じだ。

「ここで拝見しても?」

「どうぞ」

 承諾を聞くやいなや、ぱきりと封蝋を割るネサレット。取り出した便せんを、周りの者にも見えるように広げてくれる。

 記されているのは、ブルライト地方の西の要衝・ラージャハ帝国への派遣依頼だ。そちらの皇帝から、魔神に詳しい冒険者の派遣を要請され、アイリス姫が自分たちを推薦したのだという。

 あの姫ならギルドの風聞は気にしないのだろうな、などと思いながら報酬金の欄を見て、両の目が飛び出た。

「ひ、一人8000ガメルぅ!?」

「気持ちは分かるけど落ち着け。行儀悪ぃぞ」

 などと口を塞いでくるウィリアムも、手を小刻みに震わせている。大金とは無縁の生活を送ってきた自分たちには、少々刺激の強すぎる金額だ。

「申し訳ございませんが、こちらも急務ですので、返答は二日後の正午までとさせていただきます。正門の詰所に封書にて――」

「いえ、受けさせていただきます。王女殿下へ『光栄です』とお伝えください」

 ネサレットの即答に、その場の全員が目を丸くしたが、キサラは軽く咳払いして、

「かしこまりました。では、三日後の午前七時、王国西門まで集合願います。砂漠を越えることになりますので、水の用意は入念にお願いします」

 簡潔に言い残すと、足早にギルドを後にした。マナライトの灯りに包まれた店内に、静寂が帰ってくる。

「いいんですか? 依頼がないとしても、所属冒険者が一人もいないのは……」

「まったく問題ないわ。こっちは私に任せて行ってきて」

 懸念を示すアリエッタに、ネサレットは瞳に闘志を燃やしながら言い放った。

「アイリス姫がくれた汚名返上のチャンス、逃してなるものですか」


 ***


 ハーヴェスから馬車で三日。砂上船に乗り換えて二日。ラージャハ帝国の大通りに降り立ったアリエッタたちは、爆ぜんばかりの熱気と活気に迎えられた。

 通りの両脇にずらりと並ぶ、石やレンガでできた家々。食堂の軒先で、湯気と芳しい香りを放つタジン鍋の列。それらの間を忙しなく行き交う人の波。地方語が多分に交じった喧騒は、時たま防砂壁を乗り越える砂塵も、強烈な日差しもものともせず、雲一つない青空に響き渡る。ハーヴェスの青空市場バザールにも劣らない賑わいだ。

「すごいですね……」

「見惚れるのは勝手だが、スリには気をつけろよ」

 口を衝いて出た感嘆に、隣の男性――ハーヴェス王国衛士隊二番隊隊長ことルドガー・オークスが、ぶっきらぼうに忠告した。

 彼も自分たちと同じ任務に参加するそうだが、こちらと違い、ラージャハの皇帝直々の要請を受けたのだという。一国の長が声をかけるほどの実力者ということなのだろうが、覇気のない目で煙草をふかす姿からは貫禄を感じられない。装備を確認しようにも、一式を巨大な木箱に詰めて背負っているので、観察することは叶わなかった。

「てめぇで呼んどいて迎えもなしかよ、あの大砲ジジイ」

「大砲ジジイ?」

「ここの皇帝だよ……まあいい、行くぞ。この道をまっすぐ行けば王城だ」

 ウィリアムの反芻に、不遜極まりない発言をして荷物を背負いなおすと、ルドガーは人混みに踏み出した。やはり皇帝とは顔見知りのようだ。道順を知っているということは、ここを訪れたこともあるのだろう。想像しながら、アリエッタも鞄の取っ手を握りなおす。

 大通りを進むと、人族に交じって、少なくない数の蛮族が目に留まった。コボルドやウィークリングならハーヴェスでも見かけたことはあるが、蛇の下半身を堂々とさらすラミアや、ドレイクとおぼしき青年(魔剣を失った個体だろう)を目にすると、思わずぎょっとしてしまう。

「何つーか……混沌っぷりがすげぇな」

「ここの皇帝の信条は『力こそすべて』だ」

 アリエッタと同じ感想をこぼすウィリアムに、ルドガーが前を向いたまま告げる。

「国の利益や軍事力として使えるなら、種族も身分も考えねぇ。それが大砲ジジイだ」

「…………」

 まだ見ぬ皇帝の、清濁併せ飲む器におののいていると、ルドガーは肩越しに振り向いた。どこか皮肉っぽい笑みが投げかけられる。

「面倒事が嫌いなら、あのジジイには好かれねぇようにしろよ。報酬に見合わねぇ仕事をさせられるに決まってるからな」

 実体験としか思えない一言の後、再び早足で歩きだす。慌ててついていこうとしたアリエッタは、二名ほど声を発していない仲間がいることに、ようやく気づいた。

「そういえば、ハニーさんとイロハちゃんは?」

「いるぞ」

「ほほにいぅでおあぅ」

 振り返った先で、ハニーは普段通り淡々と応じ、イロハも口いっぱいにケバブサンドを頬張りながら返す。

 いつの間に買ったのかは知らないが、芽生えかけた緊張はほぐれたので、良しとした。


 ***


 案内された謁見の間は、驚くほど開放感に満ちた場所だった。壁も窓もない広々とした空間が、テラスまで延々と続いている。日差しが差し込まない分、やや薄暗く、大通りほどの暑さは感じない。むしろ、吹き抜ける風のぬるさが心地いいくらいだ。

「思ったより快適だな」

「その分、夜は冷えるだろう」

 隣のハニーと、ぼそぼそと言葉を交わす。小声になってしまうのは、周りに仁王立ちする近衛兵たちのプレッシャーゆえだ。

 数は四人と少なく、武器は長柄の槍一本のみ。鎧も簡素なもので統一されており、特段いかめしい格好ではない。しかし、鋼のような筋肉と鋭い眼光、何より狼藉を許すまいとする覇気が、死地を乗り越えてきた猛者であることを示している。この緊張感の中、平然と煙草をふかしてあくびを繰り返すルドガーは、確かに大物かもしれない。色々な意味で。

 肩をすくめていると、

「待たせたな」

 ずん、と重い音を立てて(心なしか床も揺らして)、一人のドワーフが姿を現した。

 ドワーフだけあって小柄だが、身に纏う金属鎧と風格のせいか、とんでもない大男のように見える。純銀を固めて作ったような髪の下で、左右で色の異なる瞳が鋭く光り、こちらを品定めするように睨んでくる。

 しかし、最も目を引くのは風貌ではなく、彼が担いでいる黒塗りの長銃――否、大砲だ。マギテック協会で販売されている一般的な品々とは、銃身の長さも口径の大きさも比べ物にならないほど大きい。こんな代物を作り上げ、しかも堂々と城の中を持ち歩くのは、ルドガーが言うところの「力こそすべて」を体現するためなのだろうか。

 唖然とする一同の前で、どかっと玉座に腰かけた男は、

「むぅ…………!?」

 素っ頓狂な声を上げて固まった。黄金色の右目と砂色の左目は、どちらも大きく見開かれ、アリエッタを捉えている。見つめられている本人はもちろん、仲間や側近たちも、何事かと訝しんだ。

「陛下?」

「む……ああ、すまん。何でもない」

 兵士の一人に声をかけられ、我に返ったように咳払いすると、

「遠いところ、よく来てくれた。当帝国の第四代皇帝、アルベルト・J・ドノンだ。『陛下』でも『四世』でも、好きな方で呼んでくれ」

 ドワーフ――ドノン四世は、先ほどの不自然な狼狽を消し、威厳たっぷりに名乗った。

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