第7話 悪徳に染まらずⅣ

 白い月が、夜闇を照らしながら西へ落ちていく。

 病院の入り口前に仁王立ちしたハニーは、ゆっくり息を吸って、吐く。夜の部が開業してしばらく経つが、客は一人も現れない。ただの偶然だろうが、これからここが戦場になることを知っている身としては、必然性を感じずにはいられなかった。

(我ながら非論理的だな)

 こっそり自嘲していると、ひゅいっ、と口笛が響いた。屋上に身を潜めるウィリアムだ。短く一回。意味は「警戒しろ」。懐の騎獣スフィアを撫でつつ、周囲を見回す。

 キオの病院は、広めの路地三つの集合地点に位置している(幸い、周辺の民家は大半が空き家だ)。ウィリアムが合図した対象は、右手の道からやって来た。ウォーハンマーらしき鈍器を装備する二人組の男だが、片方は何か抱えている。

 やがて、月光でも人相が判別できるほど近づいてきた二人を見て、ハニーは目を丸くした。彼らにではなく、彼らが抱えている男に見覚えがあったからだ。

「あんた、先生の知り合いか?」

「ついさっき、そこで見つけてな。治してやってくれねぇか」

 どことなく白々しさを感じるセリフとともに差し出されたのは、血まみれの人間の男性――アランだ。狂気に濡れていた瞳は固く閉ざされ、呼吸は今にも絶えてしまいそうなほど細い。もはや手の施しようがない重傷であることは、医術の心得がないハニーの目にも明らかだったが、

「承った。治療費は後払いで頼む」

 いつの間にか背後に迫っていたキオが、淡々と応じてアランを受け取った。白衣がみるみるうちに赤く染まっていくが、気にする素振りはない。

『……いいのか』

 病院へ歩き去る背に念話を飛ばす。ほぼ間違いなく、彼は生餌いきえだ。キオという医者を病院に留め置くための。

 前もって事情を説明されたキオ自身、そのことに気づいているはずだが、

『俺の仕事だ。口を挟むな』

 彼は鋼よりも強固な答えを残し、まっすぐ医務室へ消えていった。予想していた答えではあったので、肩をすくめて前を睨む。

 アランを連れてきた二人が、遠ざかりながら警笛を鳴らす。それに交じって、ウィリアムの口笛も聞こえた。今度は長めに一回。敵襲の合図だ。

「構えろ、I:2アイツー

『了解です、マスター!』

 サイバーリザードを呼び出し、I:2を装着したところで、三方からぞろぞろと人族が集まり始めた。騎獣のセンサーで把握できる限り、重装のごろつきが六人、火矢を備えた弓兵が九人。数が多いうえに散らばっているが、ウィリアムから追加の口笛はない。いま見えている敵ですべてのようだ。

 サイバーリザードに飛び乗った直後、前方の集団から三人、リーダー格とおぼしき男たちが歩み出てくる。

「こんばんは。我々は、大いなる者の導きのもと、そこなる医師に試練を課すべく参りました」

 口上を述べる僧侶風の男とは初対面だが、他の二人には見覚えがある。昼間、アランを連行していった冒険者だ。先走ったアランを回収するために、偶然を装って現れたのだろう。冒険者ギルド所属であることも嘘かもしれない。

「そこをどきなさい。さもなくば、命の保証は」

「必要ない」

 言葉を遮り、背の大刀を抜いた。魔力炉の駆動音を唸り声とし、大口開けて構える鋼鉄の巨竜に、敵がおののくのを感じながら言い放つ。

「お前たちに保証できるほど、こちらの命は安くない」

「そうですか。では…………かかれ、野郎ども!」

 顔つきも口調も豹変したリーダーの号令に、ごろつきたちは武器を掲げ、喝采で応じる。


 そのうちの、弓を手にする者たちへ、

「【アストラルバースト】!」

 見晴らしのいい屋上から、白い光弾が雨のごとく降り注いだ。


 ***


 封入具の内側で圧縮した魔力を解き放ち、最も厄介な弓兵を狙い撃つ。着弾時の轟音に紛れるように、裏口に控えていたイロハとロームパペットが飛び出した。左右の集団に襲いかかりつつ、病院への侵攻を阻む。

「ロームパペットは前線を維持! ウィリアムさん!」

「分かってる!」

 言うや否や、ウィリアムの太矢がイロハの眼前のごろつきを射抜いた。続いて放たれる二振りの斬撃と合わせ、あっという間に左方の敵を処理してみせる。

 右方の集団はロームパペットが留めているから、ひとまず無視していい。残るは正面に陣取った、リーダー格を含む小集団だけだ。

「おい、魔法使いもいるじゃねぇか! 話が違ぇぞ!」

「知らねぇよ! 昼間はあんな女どこにも――!」

「喧嘩とは余裕だな」

 言い争う二人めがけて、ハニーがサイバーリザードを駆る。途中で重装の二人組に阻まれるが、彼はそれも織り込み済みだろう。鋼の尻尾と大剣の一閃で、瞬く間にねじ伏せる。

「く、そ、がァッ!」

 苛立ちを吐き出すように吠える僧侶と、冒険者風の男二人。どう動くか注視するアリエッタの視線の先で、三人は雄たけびを上げ、文字通り変貌した。

 法衣を脱ぎ捨てた僧侶は、筋骨隆々の巨漢へ。月に向かって吠える二人は、毛むくじゃらの獣人へ。それぞれ変身して――否、変身を解除して、杖や爪を構える。【デモンズセンス】で得た暗視能力のおかげで、アリエッタにもはっきりと見えた。

「ワーウルフとオーガウィザードです!」

「ごめいさ、つゥ!」

 叫びに応じるように、オーガがこちらに火球を放った。真語魔法だ。外壁の一部もろとも、アリエッタとウィリアムが炎に巻かれる。

「アリエッタ殿! ウィリアム殿!」

「ッ……大、丈夫です!」

「問題なし!」

 リカント語で叫ぶイロハに、負けじと大声で返す。ウィリアムも無事だ。炎熱が建物の中まで届いた様子はないから、キオとアランも無事だろう。

 一息ついたのも束の間、

「行け!」

「分かってらァ!」

 ワーウルフが一体、サイバーリザードの脇をすり抜けた。すかさずハニーが追いすがろうとするも、蛮族二人に阻まれる。

「くそッ!」

 ウィリアムが泡を食って照準を合わせる。イロハも刀を鞘に戻して地を蹴るが、ワーウルフはどちらにも追いつかせない。爪と牙をギラつかせて病院に飛び込む。


 その直前。

 待合室から飛び出してきたキオが、大きく広げた白衣をワーウルフに投げつけた。


 ***


 頭部をくるむ感覚で投げた白衣は、予想通りの軌道で獣人の頭部に絡みついた。

「ぅおぶっ!」

 突如として視界を塞がれるも、敵は即座に跳ね除けながら右腕を一振り。鋭い鉤爪をすんでのところで回避しつつ、マジックアイテム「ドーピングマスク」を起動した。フィルター内部で霧散した薬剤が、呼気に乗って体内に侵入。練技の効果量を無理やり高める。

「…………頸椎。喉。鎖骨」

 列挙しながら、両手で膝のピンを引っ張る。

 すると、それまで白衣で隠れていた脚甲がジャキリと鳴き、鉤型の装甲を大量に展開した。不規則に突き出し、複雑に曲がりくねった歪な武装をひと撫で。その一動作と、マスクの薬剤が引き起こす目が覚めるような感覚が、頭の中のスイッチを切り替える。

「砕かれるならどこがいい」

「ッ……舐めてんのかテメェ!」

 なぜか怒髪天を衝き、こちらに牙を剥いて飛びかかってくるワーウルフ。スピードは速いが、直線的で見切りやすい。肩をすくめて回避姿勢をとる。

「研げ、【エンチャントウェポン】!」

 そこに飛んできた支援魔法に、わずかに目を丸くして爪をかわす。一瞬の隙をついて屋上を見上げると、昼間は見かけなかった魔法使いが、禍々しい装飾の門を呼び出していた。あれが撤去できる代物であることを祈りつつ、獣人と距離を置くように跳ねる。

「くそがァ!」

 一秒、なおも迫る敵を観察した。改めて見ても、先ほど挙げた部位がねらい目だ。多くの死体を解体し、構造を学んできたキオには分かる。

 

「では……全部だ」

 ワーウルフの腕が伸びきったタイミングを逃さず、片足を大きく振り上げた。あらゆる方向へ、幾重にも伸びた脚甲の突起を毛皮に突き立てたら、全体重をかけて飛びつく。

 相手の勢いも利用して転倒させると、バキリ、と小気味の言い音。鎖骨と、その下の血管は破壊されたとみていい。瞬時に判断し、体をきりもみ回転。苦悶の声を上げようとした喉に、鋭利なつま先をたたき落とす。

 二度目の破砕音が周囲に響き渡った、三秒後。

 かすかに痙攣するのみとなったワーウルフの首を、ダメ押しの一発でへし折った。


 ***


 戦う術があるとみなし、咄嗟に操霊魔法を付与したが、想像を絶するキオの苛烈さに言葉を失ってしまった。

 しかし、いつまでも呆けている訳にはいかない。一秒で意識を現実に戻し、開いたばかりの異界の門へ透明石を放る。

「我が声に応じて来たれ、這いずり食らうかすみよ!」

 供物を咀嚼するような間を置いて、勢いよく門扉が開く。飛び出したのは、半透明の巨大なトカゲ――シハルスだ。

「消えたい……消えたい……消えたい……」

 今にも消えそうな声で呟いていた彼(?)は、ハニーの移動を阻みながら攻め続けるオーガとワーウルフを視界に入れると、

「消えたい……消えたい……消えたい…………消したぁい」

 急に不気味な甘やかさを孕んだ声とともに、燃え盛る火球を吐き出した。無人のあばら屋の間で、忙しなく入り乱れる戦士たちの中から、正確に蛮族だけを狙って爆炎に包む。

「くそッ……邪魔なんだ、よ!」

 忌々し気に吐き捨てたワーウルフが、サイバーリザードに飛びかかる。まず騎獣を狙うのは戦術として王道だが、相手は頑強な装甲を有する魔動機だ。傷をつけることはできても、亀裂まで入れるのは容易ではない。

『損傷軽微!』

「押し切る! 叩き伏せろ!」

『お任せあれ~!』

 楽しそうな声音で返すと、鋼鉄のトカゲは敵に背を向け、大きく前傾姿勢をとった。月光を遮らんばかりの太い尾が、次の一瞬で振り下ろされ、狭い路地を丸ごと叩き潰す。周囲の粗末な小屋を揺らす一撃に、ワーウルフは絶叫する間もなくこと切れた。

 しかし、オーガは諦めていないようだ。杖を放り捨て、攻撃直後の硬直を狙って尻尾の付け根に飛び乗る。形だけ見れば、サイバーリザードにハニーと二人乗りしているような状況だ。

「死ねェ!」

 吠え、腰の短剣を振り下ろすオーガ。対するハニーは、大刀を盾にして防ぐが、その体勢のまま押さえ込まれてしまった。ほぼ密着した状態で鍔迫り合いが始まる。

『マスター!』

「姿勢を保て!」

「無駄口とは余裕だなァ!」

 下手に動けないI:2の背面で、オーガの刃がハニーの喉元に迫る。ウィリアムの位置からは、サイバーリザードの体躯が邪魔で狙えない。アリエッタの魔法では射程が足りず、それを伸ばそうにも、【アストラルバースト】を乱射した今ではマナが足りなかった。もはや手の出しようがない。


 ただ一人、音もなく空き家の屋根に上った剣士を除いては。


 脇差を抜き、金色のマテリアルカードを噛み砕く。溢れるエネルギーを白刃に纏わせると、イロハは無音のまま跳躍した。鋭く光る月を背負い、まるで雨だれのようにまっすぐ落ちていく。

 ハニーに集中するオーガの、無防備にさらされた首元へ、どすり。

「っ――」

 心臓近くまで抉られ、呻く間もなく息絶えた体が、力なく路地へ滑り落ちた。追うように騎獣の背を飛び降りたイロハは、ぴくりとも動かぬ体から刃を引き抜く。

 赤毛に覆われた獣の頭に、これといって感情は浮かんでいないように見えるが、

「――――百花斉放」

 脇差を一振りし、地面に赤い弧を描く姿は、どこまでも冷徹だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る