第7話 悪徳に染まらずⅢ

「ここっぽい?」

「住人たちがでたらめを言っていなければな」

『マスター。そこは人の善意を信じてみましょう』

 キオの護衛をイロハとアリエッタに任せ、スラム街西部を探索すること一時間。ウィリアムはハニー(とI:2アイツー)とともに、アランの家にたどり着いた。

 今にも崩れてしまいそうな掘立小屋に、鍵はかかっていない。中から物音がしないことを確認しつつ、軋むドアをそっと開けた。沈みかけの太陽が、刺すようなオレンジ色の陽光を室内に投げ込む。

「……殺風景だな」

「ああ」

 思わずこぼれた独り言に、ハニーが淡泊に応じた。それしか言いようがない、といった様子に、ウィリアムも心中で同意する。

 窓がないせいで薄暗い家の中には、テーブルとベッド、使い込まれたかまどがあるだけだ。スラムの家などそんなものかもしれないが、それだけでは片付けられない物寂しさを、ウィリアムは感じ取っていた。人家に特有の生活感が、この家には欠如しているように思う。

「出てくるかねぇ、奈落教との繋がり」

「出ないならそれまでだ。俺はベッドの周辺を見る」

「了解」

 ハニーに応じてかまど近辺をあさる。汚れた鍋と、塩の入った小さなかめしかない。試しに指を突っ込んでみるが、中に何か隠してある様子もなかった。肩をすくめて立ち上がる。

 そうして、かまどを俯瞰する位置に立ったからだろう。

「…………ん?」

 薪の燃えカスに交じって、紙片のようなものが見えた。膝をついて灰をかき分ける。

 出てきたのは、焼け焦げた便せんだ。どうにか拾い読みできる程度には燃え残っているのを見るに、折りたたんだまま中途半端に放り込んだのだろう。想像しながら、読み取れる単語だけ追っていく(幸い交易共通語だ)。

 まずは今日の日付。「26:30」という時刻。そして、

「おい、ハニー!」

 思わず声を張り、便せんを広げて見せる。ふわふわ漂うI:2のボディから放たれる光が、文面と、末尾に押された奈落教の聖印らしき印を照らし出した。


 あなたの■■どおり、標的に試練を■■■。

 標的はキオ■■■児院に■■■れたナイトメ■■赤ん坊。

 キオについては、■■■と火弓兵で建物を■■しつつ、目標を■■■。

 孤児院は■■■■■数が多いため、少数■■で潜■■■殺■■■■。

 また、注文どおりキオへの■■■はあなたに■■■。■封したナイフ■■■■。


 ***


「それにしても、先生を襲うなんて罰当たりな奴もいたもんだ」

「まったくさ! あの人のおかげで何人が命拾いしたことか! そいつはアタシらみんなを殺そうとしたも同然だよ!」

 しかめっ面の男性と老婆の剣幕に、アリエッタは曖昧にはにかむしかない。

 この二人は近所に住む親子だ。先ほどの騒動を聞きつけ、様子を見に来た人々を代表するように話している。キオが襲われたと聞いた途端、怒り心頭で色々まくし立てているのだが、なんとなく自分が怒られているような気がして居心地が悪い。

 しかし、キオが周辺住民に慕われていることは分かった。アランの家に向かった二人や、病院の入り口に座り込んで警護するイロハ(遠目には眠っているようにしか見えないが)の分も、自分が情報収集しなければならない。気合いを入れなおして尋ねる。

「キオ先生は、皆さんにとって、なくてはならない方なんですね」

「もちろんさ! 不愛想だし、見たことない治療ばかりするもんだから、最初はみんな怖がってたけどね。ほとんど診療費とらないし、タダで薬を都合してくれることもある。おまけに妊婦の面倒も見てくれるんだ、中心街のぼったくり共とは芯が違うよ!」

 「見たことない治療」とは、いわゆる外科手術のことだろう。神官や祈祷師ウィッチドクターの回復魔法、薬師が調合した薬などと比べると、確かにメジャーな治療法とは言い難い。いたずらに人体を傷つける狂人扱いされることすらあるというから、開業当初は苦労したことだろう。

「まあ、先生を悪く言う人がいるのも分かるけどさ。それにしたって、刺し殺そうとするのはどうかと思うぜ」

「? キオ先生が悪く言われる、とは?」

 重ねて問うと、男性はバツの悪そうな顔を見せたが、意を決したように教えてくれる。

「先生は、死体の取引もしてるんだ」

「え――」

「ああ、誤解しないでくれ。患者を殺して売り物に、とかいう話じゃねぇよ」

 思わず絶句するアリエッタに、男性は早口で弁明した。

「こういう街だからな。死体の処分に困る奴も、死体を欲しがる奴もごまんといるのさ」

「そう、なんですか…………」

「……思うところがあるのは分かるよ、お嬢ちゃん」

 何と返すべきか考えていると、老婆が真剣な声音で語りかけてきた。その眼差しには、どこか懇願めいた光が滲んでいる。

「ただ、どうか忘れないでおくれ。アタシらみたいな貧乏人が医者にかかれるのは、先生がそういうことで稼いで、病院を続けてくれてるからなのさ」

「……そろそろ帰るぞ、お袋。もう暗い」

「分かってるよ。じゃあね、お嬢ちゃん。先生のこと頼んだからね」

「あ、はい。お任せください」

 慌てて言葉を絞り出し、手を振り返す。親子を見送り、振り返ったアリエッタの目には、キオの病院が少しだけ大きく見えるような気がした。


 ***


 アランの家で見つかった書状の燃え残りを、フラットはそっと応接テーブルに置く。続いてぎゅっと目をつむり、天井を仰ぎながら深くため息をついた。

「そうですか……」

「驚かないんだな」

「ええ、まあ……」

 曖昧に返事をしながら、頭の中で話すことをまとめていたのだろう。やがて、彼は衣擦れの音もわずかに頭を下げた。

「実を言いますと、アラン氏がキオに恨みを抱いているかもしれないことは知っていました。黙っていて申し訳ありません」

「顔を上げてくださいよ。何か事情があって黙ってたのは、なんとなく分かりますし」

 フォローするウィリアムにフラットが見せる笑顔は、相変わらず儚い。今度はすべて話してくれると判断し、質問を重ねる。

「手紙に書いてある『ナイトメアの赤ん坊』というのは、この施設にいるのか?」

「はい。名をアリシアといいます」

 今朝の食事風景を思い返してみた。言われてみれば、世話係の少女に抱かれて食事を摂っている幼児がいた気がする。群がり騒ぐ子供たちに気を取られて、種族までは把握できなかったが、あれがナイトメアだったのだろう。

「彼女は半年前、キオが連れてきた子です」

「キオ先生が?」

「はい。キオは何も話してくれなかったので、人づてに調べて知ったのですが」

 フラットが眉を寄せて言うには、今から半年前、キオの病院でキャリーという妊婦が亡くなったという。原因はおそらく、ナイトメアを出産したことだ。キオは名医だが、設備も魔法も不十分な病院では、母体を救えなかったのだろう。

「もうお分かりとは思いますが、そのキャリーさんの旦那さんが、アラン氏だったのです。その場で何があったかまでは分かりませんが、彼はアリシアを引き取らなかったようですね」

「……自分の嫁さん助けられなかった医者と、嫁さん死なせちまったてめぇの子供に復讐しよう、って訳ですか?」

「おそらくは」

「狂ってんな」

 嫌悪感を露わに吐き捨てるウィリアム。気持ちは分からなくもないが、今は話を聞くのが先決だ。

「アランは何者だ? スラム街の一住人に、これほど組織だった襲撃を計画、あるいは依頼できるとは思えないが」

「この計画には奈落教が絡んでいる、ということでしたね?」

 確認に首肯で返すと、フラットは「では納得です」と笑みに苦いものを混ぜた。

「ここに来る前、キオは奈落教の関連団体で働いていたのです。解体屋として」

「……人体の、か」

「おっしゃる通りです。件の団体は、可能な限り損傷の少ない――上手に解体された供物を用意できる人材として、キオを重用していたのです。当時、彼はまだ九歳でしたが、遺体を解体する技術は、すでに達人の域に達していましたから」

 隣に座るウィリアムが、目を丸くするのが分かった。動物を幾度も解体してきた身として、キオの技量に人一倍感服しているのかもしれない。

「じゃあ、奈落教の連中がアランの復讐に手ぇ貸してるのは、報復も兼ねてるってことですか? 足を洗ったキオへの」

「そういうことでしょう。彼を拾いがてら壊滅させたのですが、残党がいたのかもしれませんね」

 さらりと恐ろしいことを言ってのけるフラット。あのノーランド教授の知己だけあって、彼も卓越した魔法使いなのだろうか。

 密かに戦慄していると、フラットは再び頭を下げた。

「と、まあ、そういった裏社会も絡むおそれがある以上、皆さんには『何も知らない人』として護衛にあたってほしかったのですが……不誠実な真似をしてしまいましたね。本当に申し訳ありません」

「それはもういい。問題は、この後どうするかだ」

「何しろ今夜だからなぁ。子供たちを遠くに逃がす訳にもいかねぇし――」

 ウィリアムが言っている最中、バン、と勢いよく院長室の扉が開き、

「話は聞かせてもらったァッ!」

 どこか得意げな笑みを浮かべるウェイドが現れた。思わず肩を震わせるウィリアムの向かいで、フラットが少々冷めた視線を送る。

「ウェイド。部屋に入る時はノックをしなさい」

「すんません、一回やってみたかったんスよ」

 へへへ、と頭を掻くウェイドに罪悪感はないようだ。そのまま大股で歩み寄ってくると、テーブルの書状に素早く視線を走らせる。

「こっちの敵は少数精鋭っぽいし、どうとでもなるだろ! なあ、先生!」

「……お行儀はともかく、その点については同感です」

 やれやれ、と首を振ったものの、フラットは最終的に、元のか細い笑顔に戻った。

「こちらの防衛はお任せください。我々も子供たちも、緊急時の備えは万全ですので」

「心配しなくても、ここにゃあ一歩たりとも入らせねぇさ! だからよォ」

 軽くハニーの肩を叩くウェイドの目から、笑みが消える。

「アニキのことは頼まァ」

「……分かっている」

 その目は昔と変わらないな、と言おうとしてやめたのは、内緒だ。

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