第7話 悪徳に染まらずⅡ
打って変わって人懐こい笑顔を見せるウェイドに誘われるまま、孤児院の子供たちやスタッフと朝食を共にしてから三十分。一行は院長室に通された。
朝食の席で確認できた限り、この施設にいる子供は三十人ほど(産まれて間もない赤ん坊もいる)。世話係の男女六人と院長を合わせて、四十名弱が暮らしていることになる。種族も性別もまちまちだが、比率で見れば、やはり人間が多いようだ。
現在、小さい子は外遊び、十歳以上の子は授業を受けている。院内がやや落ち着いたこのタイミングで、院長に話を聞く運びとなった訳だ。
「はじめまして、院長のフラット・ウィットレイルです。ノーランドくんから話は伺っています。遠いところからご足労いただきまして、ありがとうございます」
かすれた声で挨拶し、院長――エルフのフラットが深々と頭を下げる。肌も髪も色素が薄く、今にも消えてしまいそうな儚さを感じさせる男性だ。この治安の悪い街で生きていけるのか、ちょっと心配になる。
「それから、ウェイドが荒っぽく応対してしまい申し訳ありません。鶏を盗まれそうになったとかで、気が立っていたようでして。根はいい子なので、気にしないであげてください」
「こちらこそ、朝ごはんまでいただいてしまってすみません。とても美味しかったです」
「それで、俺たちを派遣した理由は? ノーランド教授からは、詳細は現地で聞くよう言われてまして」
アリエッタも頭を下げた直後、ウィリアムが本題に入る。フラットは力のない笑顔のまま、地図と木箱を取り出した。前者は、中心街とスラム街の境目あたりを描いたもののようだ。
「スラム街の南区で、当院の卒業生であるキオという男性が、小さな病院を経営しています。皆さんには、彼の護衛をお願いしたいのです」
「護衛、でござるか?」
「ええ。スラム街の居酒屋で、彼を襲ってやる、と吠える客がいたと耳にしたものですから」
そう言いながら、今度は小箱の方を開けた。いくつか銀塊が入っている。
「期間は一週間。報酬はお一人3000ガメルでいかがでしょう。現金の持ち合わせがないので、こちらを換金していただく手間をかけてしまうのが心苦しいのですが……」
「……確認だが、依頼内容は護衛のみでいいんだな?」
「はい。あくまでも念のため、ですので」
「…………」
一瞬だけ間を挟んでから、ハニーは首肯した。
「受注しよう。ただし、報酬は依頼を完遂してから受け取る。念のため、ハーヴェスに戻ってから換金したいからな」
「かしこまりました。ああ、そうだ。この街に滞在している間は、ここを宿として使っていただいて結構ですので、いつでもおっしゃってくださいね」
フラットが笑顔で言うのに合わせるように、壁にかかった柱時計が午前九時を知らせた。
***
「な~んか妙じゃねぇか? この依頼」
「? 妙とは?」
「犯人がいつ来るか、そもそも本当に来るかも分からねぇのに、一万ガメル以上はたいて護衛つけるか、普通? しかも犯人捜しもしなくていいと来た。このまま何事もなく金だけもらえる可能性の方が高ぇんだぞ?」
「なるほど! 言われてみればそうでござるな!」
「……イロハ。お前絶対カジノとか行くなよ? 騙されるから」
「ですが、フラット院長が嘘をついているようには見えませんでした。本当に心配していたように思います」
「あるいは、何か事情があって話せないことがあるか……いずれにせよ、俺たちは依頼されたことに集中するだけだ」
「何か裏があるとは思わねぇの?」
「31番――ウェイドは喧嘩っ早いが、頭の回転は速い。人を見る目もある。悪人を慕うほど馬鹿じゃない」
「信頼厚いねぇ。長いこと会ってねぇのに」
苦笑いしながら干し肉をかじる。舌の根を突くような塩気が心地いい。
四人は現在、キオの病院の向かいに建つ空き家に、固まって身を潜めている。板と布切れを寄せ集めただけの簡素なものだが、よそ者である自分たちを隠すには十分だ。ひっきりなしに飛び交う羽虫も、周辺住民に不審がられるのに比べれば問題ですらない。
板の隙間から外の様子を窺う。件の病院には看板がないため、正式な名称は分からない(無名の病院である可能性すらある)。しかし、小さいながらもしっかりしたレンガ造りの平屋は、ただそれだけで、粗末な民家が多いスラム街では目立っていた。物干し場になっているらしい屋上では白衣がはためいており、あそこなら見晴らしがいいだろうな、などと考えてしまう。
「また人が来たでござる。開業前から大盛況でござるな」
「そんだけ安く診てくれるってことなのかね」
イロハに応じながら、入り口で列を作る十数人の老若男女を観察する。いずれもスラム街の住人であることは、服装を見れば一目瞭然だ。診療費も良心的なのだろう。
一体、キオとはどんな人物なのか。考えていると、病院の戸が静かに開いた。
「…………」
のそりと現れたのは、白衣を纏った小柄な男性だ。黒い髪の下で、同じく黒い瞳が患者を見つめている。しかし、最も目を引くのは口元を覆ういかめしいマスクだ。ハーヴェス王国の
「開院する。順に入れ。ただし、急患は裏口に回れ。そちらを優先する」
少々くぐもった声を張って言うと、キオは建物の中へ戻っていった。途端に患者の列が動き出す。誰も動揺していないのを見るに、あれが彼の普段の格好ということなのだろう。少なくとも外見は、想像よりエキセントリックな御仁のようだ。
「午後の部は18時までだったな?」
「はい。その後は、22時から4時まで夜の部です」
「ひとまず、ここで見張る。不審な人物がいれば動くぞ」
「了解」
ハニーの指示に応じて居住まいを正す。犯人が患者に紛れて押し入る危険もある以上、気は抜けない。
じっと見張っている間にも、患者たちは途切れることなく出入りし続けている。彼らの表情は一様に穏やかだ。特に、病院から出てくる者は皆、大なり小なり笑っている。
「…………」
あれだけ多くの人を笑顔にできる人間でも、どこかで恨みを買うことがあり得る。
貧富の違いこそあれ、ここも都会なのだと思わずにはいられないウィリアムだった。
***
平穏に時が過ぎ、太陽が西の地平線に近づいてきた頃。
「皆の衆。あれを見よ」
スクワットしながら外を見ていたイロハは、一人の男性に目をとめた。壁に顔を寄せる仲間たちにも分かるよう、対象を指し示す。
午後の部も終わりに差しかかったキオ医院(仮称)は、人の出入りがほとんどなくなっている。そんな病院の入り口を、離れた場所から睨む男がいる。ぼさぼさの髪の下で、双眸が狂気じみた光を孕んでいるのが、遠目にもよくわかった。
「うん、怪しい……ていうか、ほぼクロだな。どう見ても普通じゃねぇぞ」
「捕らえますか?」
「いや、奴が病院に入るまで泳がせる。俺とウィリアムは表から行く。イロハは裏口に回れ。アリエッタはここに残って周辺を警戒。何かあれば知らせてくれ」
「承知」
「分かりました。お気をつけて」
意思疎通を終えた直後、それまで立ち尽くしていた男が、不意に一歩踏み出した。人通りのない路地を足早に進み、無人の待合室に入っていく。
それを見たハニーの合図を受け、イロハは空き家を飛び出した。努めて音を立てず裏口に貼りつき、扉に耳を押しつける。
あまり厚くないドアの向こうで、低い怒号。そして何かが床に落ちる金属質な音。
「御免!」
吠えながら、戸を破らんばかりに開け放って駆け込む。目に入ったのは、マナライトに照らされた医務室で、壁に背をつけるキオ。そして、大振りのナイフを手に彼に迫る男だ。一息に双方の間に割って入り、腰の脇差を抜刀。男の凶器を弾き飛ばしつつ、腰を蹴りつけて引きはがす。
のけぞり、咳き込んで、それでも男の殺意は消えなかったが、
「そこまでだ」
待合室から駆け込んできたハニーに押し倒された。ウィリアムも、その脇をすり抜けるように入室し、床のナイフを取り上げる。
「ッ、離せ! 邪魔するな!」
「断る。お前は何者だ」
「畜生、この人殺しが! ぶっ殺してやる!」
ハニーに押さえ込まれながらも、男は罵声を浴びせながらもがき、血走った目でキオを睨みつけている。しかし、対するキオは無反応だ。尋常ならざる気迫を前にしても、実験動物を眺めるような眼差しは乱れていない。
どう場を収めようものか、あれこれ考えていると、
「動くな! 『
「おいおい、何の騒ぎだコレ?」
待合室から二人、ランタンを手にした冒険者がなだれ込んできた。
***
『鉄の狼』は、魔動死骸区唯一の冒険者ギルドであり、事実上の治安維持組織としても活動している集団だという。定期巡回中に通りがかった二人に男と凶器を引き渡したことで、医院に静けさが帰ってくる。
「【ティンダー】」
しかし、キオの動きは忙しない。魔動コンロに火を点け、【ピュリフィケーション】で浄化した水を熱し始めると、床に散らばった鋏などを拾いながら尋ねてくる。
「お前たちは何者だ。ここにいるのは偶然ではないようだが」
「冒険者ギルド『
くぐもった声にはハニーが応じる。返答を受け、しばらく黙っていたキオは、やがて肩をすくめて呟いた。
「……フラット先生か。お人好しなことだ」
嫌がっている訳ではないと見て、質問を重ねようとするが、
「用件はそれだけか? なら、脅威は排除されたと言っていいだろう。治療の邪魔だ、出て行ってくれ」
キオに先手を打たれてしまった。淡々と無感情な言葉を並べ、もう用はないと言わんばかりに背を向け、ぷつぷつと気泡が浮き始めた鍋に目を落とす。
「いやいや、ちょっと待ってくれよ。せめて話だけ聞かせてくんね?」
「…………開業中だ。手短に済ませろ」
「さっきの男に見覚えはねぇか? 狙われる心当たりとかは?」
「さあ。そもそも、もう俺とは関係のない話だ」
「もう? かつては関係があった、ということでござるか?」
イロハの質問に、一瞬だけキオの体が完全に静止したが、
「あったとしても、お前たちに話す義理はない」
すぐに冷徹な言葉が返ってきた。取り付く島もないとはこのことか。
「分かった。本人に話す気がないなら仕方ない」
想像以上の頑なさに辟易していると、ハニーがあっさり引き下がった。「いいのかよ?」と視線で訴えかけると、彼はさらに強めの言葉を重ねていく。
「だが、俺たちも一週間の護衛という仕事を受けた身だ。あなたに話す気がないのなら、向こう一週間、ここに張り込ませてもらう。異論はないな?」
「…………」
黙り込むキオの背中から、ものすごく嫌そうなオーラが立ち上っている気がする。
やがて、彼は沸騰した湯に、拾った治療器具をすべて入れた。ガチャンガチャンと硬い音に交じり、「面倒だな……」というぼやきが聞こえた気がしたが、それをかき消すように言葉を並べていく。
「男の名はアラン。以前、俺が診た患者の夫だ。転居していなければ、スラム街西区のはずれに住んでいる」
治療道具がすべて湯に浸っているのを確認し終えたか、キオはこちらに顔を向けた。機械的なマスクの上で、黒い瞳が冷めた光を湛えている。
「あとは勝手に調べろ。この医務室に入らなければ、俺から口を出すことはない」
「分かった。ありがとう」
軽く頭を下げ、その場を後にするハニーに、ウィリアムとイロハも続いた。待合室の窓(ガラスも鎧戸もないが)から、何事かと集まって様子を窺う近隣住民の姿が見えたため、囲まれる前に伝えておく。
「なあ、ハニー。さっきの男――アランが持ってたナイフ」
見間違えるはずがない。あの黒い太陽のような刻印は、
「柄に奈落教の聖印が彫ってあった。たぶん、これで終わりじゃねぇぞ」
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