第6話 楽園の罠Ⅲ

 愕然としかけたアリエッタは、セラッサルーイの腿に太矢が突き刺さったのを見て我に返る。

「たたみかけろ!」

 ウィリアムが吠えるより、魔神がたまらず膝をつくより先に、二人と一機が一斉に躍りかかった。鋼鉄の尾と雷を纏う大刀、そして日差しをも斬り裂く一太刀が、セラッサルーイの体表の結晶を砕いていく。

 動揺している場合ではない、と異界の門を開こうとした矢先、もう一体のセラッサルーイが、四本構える宝玉槍のうち二本を投擲した。宝石さながらに煌びやかな武器は、まっすぐウィリアムの腹に突き立つ。

「ウィリアムさん!」

「……マ、ジかよッ……」

 苦痛に顔を歪めたのも束の間、彼はその場に崩れ落ちた。息はあるようだが出血が激しい。早く手当しなければ手遅れになってしまう。

 だというのに、

「あちらのご令嬢を除いて鏖殺なさい。手早くお願いしますよ」

「了解」

 魔神たちは攻撃の手を緩めなかった。剣と槍を怒涛のごとく叩き込み、逃げるどころか動く隙さえ与えてくれない。

『っ……マス、ター!』

「防御姿勢を維持しろ! イロハ!」

「承知! どうにか」

 言い終える前に、ルンゼマーゼが放った一閃が、イロハの肩を深々と引き裂いた。血しぶきの向こうに、歯を食いしばりながら踏ん張る横顔が見える。痛くてたまらないはずだろうに、どうして彼女は、あんなに鋭い目で敵を睨み続けることができるのだろう。

 胸の奥が絞めつけられるような息苦しさに、涙目になりながら策を練るが、どう考えても状況を好転させるのは不可能だ。対処のしようがないくらい敵が強すぎる。

 そもそも、どうしてドゥーシェは自分を捕えようとしているのか。自分が大人しく身柄を差し出せば、攻撃の手を止めてくれるだろうか。しかし、すでに魔神に抹殺を命じている以上は高望みすべきではないし、そもそも魔神が従順すぎることが気になる彼はデーモンルーラーなのだろうかしかし目の前の魔神はすでに受肉しているから自分たちが使用する召喚とは術式が異な


『アリー。仲間は守らなきゃいけないよね?』


 甘いささやきが、アリエッタを思考の沼から引き揚げる。

 見ると、いつの間にか封入具の留め具が外れており、一体のビスクドールが浮かび上がっていた。陶器のボタンに彩られた無表情が、どろりと甘いハチミツのような魔神語をこぼす。

『あなたの可愛い大親友が、あなたの大事な仲間を助けてあげようか?』

「……な、にを……」

『このままじゃ、みぃんな死んじゃうよ? 私の手を使えば逃げられるかもしれないよ? 急がないと、その手も使えなくなっちゃうけど』

「…………」

『ほぉら、アリー』

 目を離せないアリエッタに、異界から来た小さな悪魔は、トドメとばかりに告げた。

『約 束 事 は 、 守 ろ う ね』


 ***


 魔神たちの手が止まったのは、故郷の走馬灯を見始めた頭に喝を入れた時だった。ぴたりと静止する彼らの視線を追って、イロハも目を剥く。

「アリエッタ、殿……?」

 異界の門を開いているのはいつものことだが、その禍々しい装飾の一部が、まるで手のように変形してアリエッタに絡みついていた。鋭い棘をいくつも備えたそれは、目を閉じたまま動かない少女の肌に食いつき、血を啜っている。

 やがて、門のアーチからもう一本、別の装飾が腕に変じ、壁に向かって伸びていく。掴んだのは、部屋の隅に転がっていた甲冑だ。装甲がひしゃげるほど強く握り、ひとりでに開いた門扉へ放り込む。

 咀嚼するような間を一瞬だけ挟み、

「――――!」

 無音の咆哮とともに、黒い鎧を纏う魔物が飛び出した。着地と同時にげきを振り下ろし、手負いのセラッサルーイの脳天から股間を一刀両断。得物にへばりついた血肉を乱暴に振り払うと、爛々と輝く紅い瞳で、残った敵を見下ろす。

「っ…………」

 常に冷静なハニーでさえ、目を見開いて仰ぐことしかできない巨躯に、イロハは見覚えがあった。いつかの洞窟住居で、ミノタウロスたちを騙すためにアリエッタが作り上げた上位魔神の幻影。後で聞いたその名前は、確か、

「バルーサビヨーネ……それも受肉体の! 強制召喚ですか!」

 と、ドゥーシェが鼻息荒く吠える。眼差しに宿る狂気は相変わらずだが、憧れの騎士を前にした少年兵のような輝きが追加されている。

「いいですねぇ、想像以上に素晴らしいッ……作戦方針に変更はありません! 雑兵の始末を優先しなさい!」

「了解」

 なおも従順に応じ、構える魔神に舌打ちする。当然だが、バルーサビヨーネという強敵が増えたところで、ドゥーシェに討伐対象を変更するつもりはないらしい。

『イロハ。まだ動けるか』

 と、ハニーが念話を飛ばしてきた。サイバーリザードともども鎧の一部を破壊され、派手に出血しているが、碧眼に宿る光は力強い。

『無論』

『アリエッタがどこまで制御しているか分からないが、アレが敵を全滅させるまで回避と防御に専念だ。踏ん張るぞ』

『承知』

 自身の血で濡れる愛刀の柄を握りなおし、さらに腰の脇差を抜く。守りの型をとった直後、バルーサビヨーネが振りかざす戟を掻い潜りつつ、魔神たちが猛然と突っ込んできた。

(臥薪、嘗胆ッ!)

 いま一度心の中で吠え、ルンゼマーゼが振り下ろした長剣を見据える。


 ガキン、と。

 その刃が、こちらに届く前に止まる。

 否――突然割り込んできたナイトメアの戦士に、止められた。


 呆気にとられるイロハの眼前で、どこからともなく現れた男は、巨大な盾でルンゼマーゼの二刀を受け止めている。速さはもちろん重さもある斬撃を受けながら、端正な横顔には焦りがない。鋭い眼差しを、仮面に覆われたルンゼマーゼの顔へ突き刺している。

 ヤギのそれのように反り返った大角を、組み紐と水晶飾りで彩る彼は、こちらを見ないまま低い声で尋ねた。

「奴の狙いは?」

「俺たちの全滅と、アリエッタの捕縛だ」

 氏素性も問わずに即答。ハニーらしからぬ対応に面食らってしまうが、言われた男性は特段大きなリアクションを示さない。

「……分かった」

 ルンゼマーゼを盾で打ち払い、距離を離してから右手の槍を構える。天井から降り注ぐ日差しを受け、鋭利な純白に輝く十文字槍。神官の端くれでしかないイロハでも、何らかの神の加護を得た聖槍であることは一目で分かった。

「退がれ。こいつらは俺が抑える」

「おや。どなたかは存じませんが、させるとでも?」

「いと高き我らが父よ」

 ほくそ笑むドゥーシェには応じず、槍の穂先で天を指す。その拍子に、彼が右の手甲に装着している聖印が見えた。

 焔と剣――“炎武帝”グレンダールのシンボルだ。

「汝が一喝、燃ゆる山の鳴動がごとく、命の猛りを呼び覚まさん」

 唱えるや否や、イロハたちの体が膨大なマナに包み込まれる。深々と裂かれた肩も、疲労に重くなっていた足も、瞬く間に治癒してしまった。

「ッ、何という魔力……!」

「ぼさっとするな! さっさと退がれ!」

 目を丸くするイロハに吠えた男は、息つく間もなく槍に炎をまとわせ、ルンゼマーゼに突き入れた。繊維が束になったような胴体を、鋭い十字と灼熱がえぐり抜く。

 その脇をすり抜け、追いすがるセラッサルーイに対し、ほとんど反射で迎撃姿勢をとるが、

「翔べ、ディバインウィング!」

 男性の盾の一部が分離し、イロハの目の前でマナの盾を展開したことで杞憂に終わった。まばゆい橙の魔力の塊は、そのサイズからは想像もつかない堅牢さで、宝玉槍の素早い二連撃を弾いてしまう。何が何やら分からない超技術だが、考える意味はなさそうなので、一目散に前線を離脱した。目指すべきは、奇妙な捕らわれとなっているアリエッタだ。

 そこで初めて、虚ろな目のまま微動だにしない彼女の脇に、空間の裂け目があることに気づく。ドゥーシェのそれと違い、城の外と中を繋ぐだけのゲートのようだ。

 穴の向こうに広がる平穏な風景から、一歩こちらに踏み入る男が、もう一人。

「【デス・レイ】」

 さらりと唱え、どす黒い光線を三本、バルーサビヨーネを含めた魔神たちへ照射した。おびただしい量の呪詛が、彼らの寿命を一息に削り散らす。

 思わずおののくイロハに、男――エルフの魔導士は気さくに笑って手招きする。やはりハニーは素直に従い、彼のそばまで退避した。ひょっとして知り合いなのだろうか、と今さら思ったが、優先すべきは二人の関係をただすことではない。

 バルーサビヨーネが事切れたからか、アリエッタを捕えていた腕状の拘束は外れた。力なく横たわる少女に駆け寄り、抱き起こす。

「アリエッタ殿! しっかりするでござる!」

「気絶してるだけだ。魔術的な影響はあるかもしれねぇが、ひとまず心配いらねぇよ」

「ウィリアムは?」

「大丈夫じゃね? 血ぃ止まってるし」

 後半は鼻をほじりながら言うかのように適当だったが、声には確信が滲んでいるので、とりあえず信じて前を向く。

 強烈な魔法の直撃を受け、魔神たちは煤とも灰ともつかない物体になり果てている。その向こうに立つドゥーシェへ、ナイトメアが槍の穂先を突きつけた。

「まだやるか?」

「…………やめておきましょう」

 はたして、彼はにこりと笑って応じた。持っていた“奈落の核アビスコア”も、足元に放る。

「釣果は奮いませんでしたが、洋上に現れた虹を見ることができた心地ですので」

「させるかよ」

 言うが早いか、エルフが雷の矢を放つ。かわす間も与えない速度で、怪我では済まない威力を正面から浴びたドゥーシェは、しかし無傷のまま手を振る。

「ご縁がありましたら、またお会いしましょう!」

 さわやかに言い残し、奥の壁に空いた穴から外へ跳躍。イロハたちの視界から逃れる。

 ナイトメアが目を剥いて駆け寄るが、外に広がる湿原を一通り見まわして肩を落とした。ドゥーシェが残した黒い短剣を拾い、こちらに戻ってくる。

「逃げた。たぶん【スケープ・ドール】だ」

「じゃあ、さっさと出ようぜ。可愛い子たちが傷だらけじゃん」

「“奈落の核”を破壊しろ。アリエッタを診ておく」

「任せな。ふんっ! ふんっ! ふんっ!」

 がいん、がいん、と懸命に壁に黒剣を打ち付けるも、まったく破壊できそうにないエルフ。ナイトメアはため息をついて振り向き、何かに気づいたように肩を震わせる。

「…………」

 鋭い目のまま魔神たちの残骸から拾い上げたのは、マギスフィアに似た機械装置だった。

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