第5話 立ち塞がる機兵Ⅳ
丁寧に漆を塗られた鞘から、そっと脇差を抜く。大質量の斬撃によって欠けてしまった刀身は、きれいに修復されていた。少なくともイロハの目には、損傷する前と変わらないように見える。
「うむ、さすがギンジでござるな! かたじけない!」
「おう。悪かったな、そんなナマクラ渡しちまって」
心からの笑みに、幼馴染は曇った表情で答えた。購入から一週間足らずで修復を依頼した身として、小言を二、三投げつけられる覚悟をしていただけに、ちょっと慌ててしまう。
「何を言うでござるか。相手の大きさを考えれば、むしろこの程度の傷で済んで大したものでござるよ?」
「そうは言っても、こう簡単に負けちまったのを見るとな……師匠に啖呵切って出てきたっつーのに、我ながら情けねぇよ」
「……ギンジ、何か悪いものでも食べたのでござるか?」
「お前じゃあるまいし」
「失敬な」
目を三角にすると、ギンジはおかしそうに笑いながら続ける。
「ま、しっかり鍛えなおしたから大丈夫だろ。重量のバランスには気をつけたけど、使いにくいようなら言ってくれ。調整するから」
「承知!」
脇差を腰に佩く。ギンジの師匠――コウゲツの里一番の名工から賜った刀と合わせ、大小二振りの刃の重みに、自然と背筋が伸びる心地がした。やはり武士たるもの、刀は二本帯びた方が様になるというものである。
その上から長着を羽織りなおしていると、ギンジが思い出したように切り出す。
「そういえば、最近ちょくちょく、お前らの評判聞くようになったぞ」
「む。本当にござるか?」
「ああ。『リカントの女剣士が使ってる変わった武器をここで買えると聞いた』とか」
「おおぉ……」
感嘆のため息が漏れる。正直なところ、おかしな噂でなかったことに安堵している自分がいるが、それは口に出さなかった。
「良かったな。『夜店の肉を一人で平らげる化け物がいる』とかじゃなくて」
「今日のギンジは失敬が過ぎるでござるよ」
心を読まれたとしか思えないタイミングでからかわれ、思い切り舌を出してやる。ギンジの大笑いが、まだ小ぎれいな工房に木霊する中、
「お疲れ~ぃ」
「お邪魔します」
入り口の方から、ウィリアムとアリエッタが顔を出した。
***
「では、四人とも大事ないのでござるな?」
南に傾き始めた太陽に照らされる雑踏の中、ポテトフライの袋を片手に尋ねてくるイロハ。ほくほくの芋を満足げに頬張る姿に、微笑ましさを覚えながら頷く。
「はい。皆さん、元気そうでした」
一週間前、遺跡で救助した四人組のことだ。とある集落から、蛮族の小集団の捜索と討伐を依頼され、あの遺跡にたどり着いたのだという。勇んで突入した先でエルトリアスと遭遇したのは不運だが、折よく自分たちが居合わせたのはラッキーだったと言えるだろう。
先ほど、ウィリアムと見舞いに行ったところ、改めて深く感謝された。すでに全員が快方に向かっているという。
「早ければ、来週にも退院できるそうですよ」
「それは何より! 真っ当な戦士の復帰は、早ければ早いほどいいでござる!」
真っ当な、という部分を強調したのは、彼らの所属ギルドを思ってのことだろう。アリエッタは想像する。
彼らが所属するのは『
「それより、例の指令書。マスターは何て?」
と、ウィリアムが伸びながら話を変えた。手足の長い彼が伸びると、その影も少し驚くくらい長く地面を這う。
「ジョージアさんにお渡ししたそうです。本格的に張り込みを行う、と」
「そうか。まあ妥当だわな」
ドーンの荷物から得た指令書には、魔動部品を入手ないし略奪する旨の命令と、それらを集める日時、場所が記されていた。以前、ユーシズ魔導公国の商隊を襲った蛮族が持っていたものと、まったく同じ内容である。
複数の蛮族の集団が、本来縁遠いはずの魔動部品の収集に動いているなど、何かあるに違いない。一人しかいない専属の探し屋を、長らく留守にさせてまで動向を探るのも頷ける。
「まあ、何かあったら即応できる程度には準備しとこうぜ」
「そうですね」
「ふぅ。ごちそうさまでござる!」
「話聞こうぜ、イロハ」
袋を小さくたたむイロハに、苦笑いを見せるウィリアム。穏やかな光を湛える瞳は、まるで孫を眺める好々爺のそれだった。
***
ドアベルの乾いた音を響かせ、『
「ただいま戻、り……?」
アリエッタの挨拶が途切れる。何事かと頭越しに前を見やると、カウンターの向こうに立つハニーと、席について紅茶をすする一人の男性が見えた。ドアベルの音を受け、彼はウィリアムたちに向き直る。
短く刈り込まれた鳶色の髪は、所々に白いものが交じっている。壮年と呼べる年齢なのだろうが、胸板も二の腕も筋肉で膨れており、およそ老いというものを感じさせない。エプロンに描かれた猫のイラストが、たいへんにミスマッチな大男だ。
「おお、突然お邪魔してすまないな」
と、男が破顔して立ち上がる。ミノタウロスさながらの迫力に、思わずおののくアリエッタの前に歩み出ると、向こうから右手を差し出してきた。
「はじめまして。ギルド『闇を討つ銃弾』のマスター、レイス・メイスンだ」
「ああ、これはどうも」
予想外の名前が飛び出したが、驚きは顔に出さず握手する。ちらりと視線を走らせると、ハニーが茶こしなどを片付けながら、レイスの様子を窺っているのが見えた。あの問題児をのさばらせているギルド、という点で警戒しているのかもしれない。
その視線に気づいているかは定かでないが、レイスは人好きのする笑顔で続ける。
「いやぁ、こないだはウチのモンが本当に世話になったな。今日はその礼と、挨拶のために寄らせてもらったんだ」
「お礼?」
「ああ。ちと少ないが、とっておいてくれないか」
反芻するウィリアムに頷くと、彼はテーブルにとんぼ返りし、置いてあった袋を椅子まで持ち上げた。ジャラジャラと金属質な音。金が入っているようだ。
「あと、菓子折りも置いてくから食ってくれ。北区の
「そんな、お気になさらないでください! 当たり前のことをしただけですから!」
「んー、謙虚なのは嫌いじゃねぇけど、ギルドとしてけじめはつけておかねぇと据わりが悪ぃだろ? 当たり前のことをする、っていう一番大事なことをしてくれた礼と思って、な?」
アリエッタの辞退に、レイスは笑みに困ったような色を混ぜてくる。ギルドマスターなら当然かもしれないが、なかなか交渉事が得意なようだ。
それでもアリエッタは迷っているようだったが、彼女が首肯するより先に、イロハが菓子の袋に飛びついた。
「そういうことなら有り難くいただくでござるっ! いやぁ、どっかの誰かと違って、よくお分かりでござるなぁ!」
「ははは、意外と力強ぇな、嬢ちゃん」
ばんばん背中を叩かれながら笑うレイスは、しかし時計を見上げて咳払いする。
「おっと、もうこんな時間か。次の予定もあるから、俺はこの辺で。マスターにもよろしく言っといてくれ」
「はいよ。どうもすみませんね」
「おう。ああ、紅茶ご馳走さん! 美味かったぜ」
「お粗末様」
最後、レイスはハニーに快活に笑いかけてから店を後にした。巨体が一つなくなっただけなのに、酒場が妙に広く見える。
「……ふぅ。ハニー、他に何か言ってたか?」
「何も。つい今しがた来たばかりだった」
「お、一人2000ガメルは入ってそうでござるよ」
「あの、イロハちゃん? マスターがお戻りになるまで、開封は避けた方が……」
肩の力が抜けたからか、それぞれ話し始めたところで、勢いよく扉が開いた。
少しぎょっとして振り返った先から、ずんずんと大股に歩み寄ってくるのはネサレットだ。これまで見たことのない本気のしかめっ面にひるむウィリアムたちへ、彼女は鋭利な問いを突きつける。
「いま、レイス・メイスンが来てたわね? 大丈夫?」
「あ、ああ……大丈夫? だぜ?」
「前に冒険者を助けたことに対する謝礼金を置いていっただけだ。他に話はしていない」
ちょっと混乱気味に答えると、ハニーが冷静に補足してくれた。内心で感謝しながら返答を待つが、若き支部長は目を伏せて考え込む。暫時、言葉をまとめるような沈黙の後、
「……分かった。詳しくは言えないけど、あの男には気をつけて」
それだけ告げて、店の奥へ行ってしまった。
全員が「どうしよう?」と目で訴え合う中、
「これ、開けてもいいのでござろうか?」
イロハは菓子折りの箱を両手で掲げ、嬉しそうに尻尾を振っていた。
***
はぁ……ったく、嫌になるぜノロマどもが。
状況が変わったら連絡を寄越すのが筋だろうがよォ。目の前のゴミに釣られて危険度も分からん場所にのこのこ踏み込むとか、阿呆にも程があんだろ。最近ちょォっと実力つけてきたからって調子こいたか? いっそくたばっちまえば良かったんだ。
挙句よそ者の世話になるなんざ、怒りを通り越して呆れらァ。世間体のためとはいえ、無駄な出費もする羽目になっちまったし……ああ、くそっ! 考えれば考えるだけ反吐が出るぜ!
しっかし、また目障りになってきやがったなアイツら。閑古鳥が鳴いたくれェじゃ引っ込まねぇか? 小せぇとはいえ、国そのものを後ろ盾にしてるってぇのも始末が悪ぃもんだ、まったく。
…………。
はァ……面倒くせぇが、連中に連絡しておくかねェ。餌はたんまり撒いたらしいしよォ。
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