第4話 犇めく戦慄Ⅳ
「そこで、アリエッタ殿はこう言ったのでござる……『控えよ下郎ども! そっ首たたき斬ってくれようかァ!』と!」
「おぉ~~~」
「そんなこと言ってませんよぅ!」
ダイナミックな身振りを交えて語るイロハと、ニヤニヤ笑いながら拍手するギンジ。二人の盛り上がりに耐えきれなかったか、とうとうアリエッタが席を立って制止した。その顔は羞恥で真っ赤に燃え、微妙に涙ぐんでいるように見える。
カナリーの女性たちを救出してから一週間。アリエッタの機転にひどく感心したイロハは、彼女の活躍を吟遊詩人さながらに語って聞かせることを、最近のマイブームにしているようだ。昨夜も得意げにジンに語り、拍手と苦笑い(たぶんアリエッタに同情していた)をもらっていたというのに、まだ飽きないらしい。
「いや~、でも面白かったですよ。化け物の幻で蛮族を騙くらかすなんて、おとぎ話みたいじゃないスか。本でも出します?」
「そのっ……褒めていただけるのは嬉しいのですが! イロハちゃんはセリフもシチュエーションも脚色しすぎです!」
「え~、そんなことないでござるよ~」
「はいはい、そこまで」
もう少し眺めていたい気もするが、そろそろアリエッタが可哀想になってきたので場を収める。続けて、ウィリアムがギンジに差し出すのは、紐で巻かれた書類の束だ。工房の売買に関する契約書と、炉の建設依頼書である。
「念のため、マスターにも見てもらった。不備はねぇってよ」
「ありがとうございます。にしても、エルマーさんでしたっけ? 買った後で言うのもなんですけど、本当に俺が使っちゃっていいんですかね?」
「しばらくは故郷の復興で大忙しなんだ。埃まみれにして家賃だけ払うより、誰かに使ってもらった方がいいと思ったんだろ」
エルマー夫妻は、結婚式もハーヴェスへの移住も先送りにした。衛士隊の警護が強化されたとはいえ、壊滅寸前まで追いやられた故郷を放ってはおけなかったのだろう。
工房を『
「じゃあ、正式な手続きに行ってきます。イロハ、暇があったら寄れよ。研ぐだけならタダでやってやるからさ」
「うむ! かたじけない!」
「ハニーさんも、よかったら覗きに来てくださいよ。炉を本格的に動かせるようになるまでは、里から持ってきた武器でも売ろうと思ってるんで」
「考えておく」
それぞれの返答を聞き届けると、ギンジは足取り軽く店を後にした。酒場に響くドアベルの音を追いかけるように、厨房からネサレットが顔を出す。
「あれ? ギンジくん、もう行っちゃったの?」
「はい。スムーズに工房を持つことができて、とても嬉しそうでした」
「そっか~。せっかくクッキー焼いたのに」
「心配には及びませぬ。ギンジには拙者が、責任持ってじゅるっ、届けておくでござる」
「袋だけ届くことになりそうだな」
『さすがマスター! 私と同じ結論を、私より先に導き出すとは恐れ入りました!』
思い切りよだれを垂らすイロハの横で、ハニーと
「? ギンジ、忘れ物か?」
「何と。別に拙者は横取りしようなどとはカケラも……」
全員、一斉に振り返った先には、
「皆々様、ごきげんよう」
白いワンピースを纏い、まばゆい笑みを浮かべるアイリス・ハーヴェスが立っていた。
***
「突然お邪魔して申し訳ありません」
「とんでもない。ノーランド教授をはじめ、多くの方からお噂を伺っております姫君に、こうしてお越しいただいて光栄です」
「ありがとうございます。それから、敬語はやめていただいてもいいでしょうか? どうも肩に力が入ってしまいまして」
「そう? じゃあ失礼するわね。あ、クッキー食べる? ちょうど焼いたばかりなの」
テーブルに向かい合って腰かけ、朗らかに笑うアイリスとネサレット。二人の極めて平和的な光景を、ハニーたちは隣のテーブルから見守っている。
「……イロハ。食い逃げとかしてねぇよな?」
「せっ、拙者を何だと思っているのでござるか、ウィリアム殿」
「き、きっとただ遊びにいらっしゃっただけですから、そんなに緊張しなくても……」
などと言いつつもカチコチに固まっているアリエッタの横で、じっとアイリスに視線を送ってみる。言外に「早く本題に入れ」と急かすためだ。
はたして、ハニーの眼差しに気づいたアイリスは、肩をすくめて居住まいを正す。
「本日お邪魔したのは、おに……陛下から皆様への御言葉をお届けするためです」
「陛下から?」
「はい。先日のカナリーでの救出任務の件、陛下はたいへんお喜びでした。ですので……」
と、アイリスが不意に席を立った。思わずおののく三人と、彫像さながらに動じない一人に、笑顔で人数分のハンカチを差し出す。上等な白絹で織られており、四隅に王家の紋章らしい刺繍が施されている。
「こちらをどうぞ」
「……今すぐ腹を切って、刀の血をこれで拭え、と?」
「
さっと血の気を引かせるイロハと、ほとんど反射でツッコむウィリアムのやり取りに、おかしそうに笑みをこぼしてから、
「素晴らしい功績を収めた方へ、王家から贈らせていただく品です。信頼と期待の証と捉えていただければ幸いですわ」
「ウチみたいな他所の国のギルドがもらっちゃっていいの? 勲章とまではいかなくても、それと同じ意味合いの品のようだけど」
「ええ。そういう意味でお渡ししましたから」
ネサレットに事もなげに言ってみせると、アイリスはふわりとワンピースの裾をなびかせて踵を返し、優雅なカーテシーを披露する。
「この後も予定がありますので、本日は失礼します。次はもっと時間のある日に、お食事をいただきにまいりますね」
そして、青天さながらの碧眼にハニーを捉えると、悪戯な笑みを見せた。
「ミルクティー、とっても美味しかったです。ごちそうさま」
「……お粗末様」
他に返せる言葉はない、という心地で告げる。アイリスはやはり楽しそうに笑いながら、他に客のいない酒場を後にした。ほんの十分程度の賑わいだったが、妙に密度が濃かったように思う。
「……結局お前、姫様とどういう関係な訳?」
「前にも言ったとおり、ただの腐れ縁だ」
ようやっと口を開いたウィリアムに素っ気なく返し、彼女のカップを片付け始める。
(…………)
脳裏には、見る者をくすぐるような笑顔や、はちみつ色の長い髪が柔らかに波打つ様子が、まるで焼き付いたように残っていた。
***
皇帝と本部長の命を受け、およそ六年ぶりに訪れたハーヴェス王国は、あの日と何も変わらない賑わいに包まれていた。買い物に奔走する人間がいれば、馴染みの店で学術論争に興じるエルフとタビット、大きな武器を担いだリカントの冒険者もいる。数年前に新たな皇帝が即位したというが、市井に与える影響は小さかったのかもしれない。
一方で、半日しか滞在しなかった当時とは違い、新たな顔も見えてくる。
「おいおい、まだ逃げるつもりだぜコイツ。嫌だねぇ、乞食ってなぁ理解が遅くて」
「仕方ねぇだろ、ガキなうえに馬鹿なんだから。ほら、もう一度ゆっくり教えてやれよ」
大通りや水路から外れた小路で、衛士とおぼしき男が二人、みすぼらしい身なりの少年に詰め寄っていた。痩せ細った腕を掴み、逃げようとする足を踏みつけながら、彼らはニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて言う。
「いま盗んだものと、これから盗むもの。半分でいいから俺らに寄越せよ。そうすりゃ何を盗っても、俺らは見逃してやるからよ」
「嫌ならこのまま連行だなぁ。とはいえ、こんな細ぇ腕を掴んで、しかも抵抗するのを抑えながら連れていくんだ。腕の一、二本折れても文句は言えねぇよなぁ?」
少年は聞く耳を持たない。唇こそ真一文字に結んで動かさないが、じたばたともがき、懸命に逃げようとしている。信用ならない大人の言いなりになるものか――そんな、意地にも似た信念が見えるようだった。
肩をすくめた男たちが、相変わらずにやつきながら少年の頬を打つのを見て、さすがに見ていられなくなった。制止しようと踏み出す。
「何をしているのですか!」
直前、銃声のような咆哮が響いた。
びくりと、その場の全員(ハニーすらも)が肩を震わせて目を向けた先から、少女が一人、大股で歩み寄ってくる。絹糸のように光りながら揺れる金髪の下で、碧眼が怒りに燃え盛っているのが分かった。突然の大声と気迫に面食らう男たちへ、少女はさらに怒声を重ねる。
「寄ってたかって子どもを嬲るとは何事ですか! 衛士以前に人として失格です! 恥を知りなさい!」
「な、何だよ、急に……俺らはこいつが抵抗するから」
「言い訳をしろと言った覚えはありません! その手を放して失せなさい! 今すぐに!」
「っ、うるせぇな、このガキ……!」
聞く耳持たない少女に対して、困惑より苛立ちが勝ったのだろう。衛士の一人が物々しい剣幕で距離を詰めるのを見て、止まっていた足を前に出す。腕をひねり上げて突き飛ばし、男たちと少女の間に割って入った。
睨みに捨て台詞で返した衛士たちが、あたふたと路地を後にした直後、がいん。
鎧に覆われたふくらはぎを蹴られ、いささか以上の驚きをもって振り返ると、相変わらず少女は怒っていた。
「暴力に暴力で返してどうするのですか!」
予想外の叱責だが、特に怒りは感じない。ただ意味不明で困惑していた。簡素なサンダルで金属鎧を蹴りつけてしまった少女の足の容態も、いつの間にか姿を消してしまった少年の安否も、この疑問の前では些末なことのように思えた。
現実時間で三秒、体感時間で三時間ほど硬直してから問いただす。では、一体どんな解決方法があったというのか。
対して、少女は答えた。
「私自身が入れ物となりましょう。あらゆる暴力をこの身に
彼女が初めて見せた笑顔は、蝶のようではなかった。花のようでもなかった。
鋭く燃え盛る太陽のようで。それは、どことなく自分が仰ぐ皇帝と重なって見えて、
「それが、私がこう在るべしと決めた私ですから」
思わず、ああ、と息が漏れた。
自分は、この瞳に見つめられたらどうしようもないのだと、知っている。
***
清々しいまでの敗北感と敬意を胸に、膝を折って謝罪してから一週間後。
注意して耳を澄ませば、少女――アイリス・ハーヴェスの噂はあちこちで聞いた。
妾の子であるがゆえに周囲に疎まれる、哀れな
その生きざまが、妙に気になってしまって。
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