第4話 犇めく戦慄Ⅲ

 太陽が真南を越えた頃、ボルグのグェンは大あくびした。

 故郷を後にして五年。流れの傭兵として各地を巡る彼は今、あるミノタウロスの一団に雇われている。戦力としてではなく、ただの門番として。昨夜の襲撃作戦に同行を許されず、あまつさえ一晩中この場に棒立ちさせられたのは極めて屈辱的だが、食事と寝床は保証されている。逆らったところで勝ち目がないのも分かるので、どうにか不満は飲み込んでいる状態だ。

(金が入るまでの辛抱だな……)

 眉を寄せて大剣を弄ぶ。彼が守っているのは、頑健な洞窟住居の入り口だ。もともと別の種族が使っていたものを占拠したそうだが、詳しいことは聞かされていないし、どうでもいい。背後の通路を進んだ先――懲罰房だったらしい簡素な牢屋に、今朝早く押し込められた女たちの方が、よほど興味をそそられるというものだ。

 あの怯えた表情、柔らかそうな肢体を思い出すだけで、それらを滅茶苦茶に刻んでやりたいという衝動が頭をもたげる。だが、わざわざ生け捕りにしたのだから、胎か生き血を利用するつもりなのは明白だ。彼女らを前に武器を構えた瞬間、こちらが微塵に刻まれてしまうだろう。

「チッ。つまんねぇ」

「…………」

 グェンのぼやきに、同じく門番を任ぜられた相方は反応しない。バルバロスのくせに湿気たヤツめ、と忌々しく思いながら眼下を見やる。

 洞窟住居の前の広場には櫓が二つ。それぞれの頂にも弓を構えたボルグがいる。自分たちと合わせて四人もの見張りを置くとは、リーダーはそんなに人族が恐ろしいのだろうか。臆病者に従ってしまったのだとしたら、これほど面白くない仕事はない。

 今日にでも金をせびって他に移ろうか。そんなことを考え始めた時だった。


 ひゅん、と矢が空を切った。


 櫓の上の見張りが一人、頭を貫かれ、断末魔を上げる間もなく崩れ落ちる。その様に目を剥いて立ち上がる間に、もう一人の弓兵も矢を浴びた。

 剣と盾を構えるグェンの目に、広場を囲う森から一直線に駆けてくる集団が飛び込んでくる。ケンタウロスだ。一週間ほど前、どこかの集落で略奪を働いたようなことをリーダーたちが言っていた気がしたが、その生き残りだろうか。

 数は四。自分たちだけで止められないこともないが、いかんせん数が多い。舌打ちしながら住居の中へ吠える。

「敵だァ! すぐに――」

 言葉が途切れてしまったのは、矢が飛んできたからではない。もっとあり得ないものがカッ飛んできたからだ。

 すなわち、

「全速力だ!」

『了解! 吶喊しま~す!』

 空を舞う鋼鉄の鳥と、それに乗って大剣を構える人族の戦士。

 見たことのない騎獣を駆る騎手は、俊足で知られるケンタウロスを軽々と追い越し、あっという間に肉迫してきた。重そうな両刃を振りかぶり、こちらの首を狙っている。

「このッ……!」

 相方が間合いを測って槍を突き出すが、敵はぐるりと一回転。穂先をかわしつつ、翼で柄を打ち払った。バランスを崩したところに、回転の勢いのまま鉄塊のごとき刃を叩き込む。飛び散る鮮血の向こうから、ケンタウロスの群れが追撃を仕掛けにやって来た。

「――ああ、クソッ」

 さっさと仕事を降りなかったことへの後悔が一割。父なるダルクレムへの祈りが二割。残る七割の思考で、戦いの中で死ねることへの安堵を感じながら、グェンは自身に突き込まれる突撃槍を見つめていた。


 ***


 本国において、おそらくは建国当初から開発が進められていたであろう空中戦用の騎獣。サイバースワローは、その決定版というべき傑作だ。大気中のマナを自動吸収して稼働する特殊エンジンを搭載しているため、騎手やマナカートリッジに頼らずとも半永久的に駆動する。その継戦能力と機動性には、魔動機文明時代のエンジニアさえ目を丸くするに違いない。

 とはいえ、後者はI:2アイツーの補助があってこそ叶うものだ。彼女の姿勢制御システムがなければ、きりもみ回転しながら斬撃を見舞うなど不可能だろう。

『マスター。目を回してはいませんか?』

「問題ないが、姿勢の安定化をもう少し早めたい。エイプリルへの報告案件として記録しておいてくれ」

『了解しました!』

 指示しながら、改めて先を見据える。上と下へ一本ずつ、坂道が伸びている。ウィリアムとイロハの調べでは、岩の隙間から人質らしい人影を見下ろすことができたという。自分たちが目指すべきは下だ。

 振り返り、ケンタウロスの一団と視線を交わすと、リーダーのハルトムートが言った。

「手筈どおり、我らは上へ向かう。健闘を祈る」

「そちらもな」

 彼らとは、この拠点の在処を教えてもらうこと、互いの目的のためだけに共闘することで意見が一致している。こちらの救出任務への助力は期待できないが、彼らの報復作戦に手を貸す必要もない。ここからは別行動の方が、お互いにやりやすいだろう。

 短いやり取りに頷くと、彼らは隊列を組んで走り出した。もともと大柄な種族が使っていたのか、洞窟住居の通路は非常に広い。彼らお得意の集団戦も難なく行えそうだ。

 後ろ姿を見送るハニーに、後方からアリエッタらが息を切らして追いつく。

「お待たせっ、しましたっ!」

「問題ない。まだ走れるな?」

「ぜぇっ……はい、もちろんですっ!」

 大きな鞄型の封入具(見た目に反して軽いそうだが)を抱えて走るのは大変だろうが、先の門番が声を上げたことで、敵も動き始めているはずだ。速攻で対処しなければならない。

「ここからは足並みを揃えて行くぞ。各員、戦闘準備を――」

「止まれ!」

 と、ハニーの言葉を遮るように、前方から怒号が飛んできた。交易共通語だ。

「……チッ」

 視線を戻して、思わず舌打ちする。

 現れたのは、牛頭の蛮族と筋骨隆々の蛮族が一人ずつ。ミノタウロスとオーガだ。彼らは四人の女性を拘束し、こちらに見せつけるように立たせている。一人は首に斧を突き付けられており、歯の根を震わせていた。

「武器を捨てて下がれ! ちんたらしてると、一人ずつ首を刎ねるぞ!」

「ッ……外道め……!」

 ほくそ笑むオーガの脅しに、イロハが拳を握りしめる。その憤慨には共感しつつも、努めて冷徹に状況を把握する。

 敵は二人。対して女性は四人。前衛を張れるイロハ、ハニー、サイバースワローで突撃すれば、逃げる隙くらいは作れるかもしれない。しかし、こちらを完全に警戒している彼らの機先を制するのは至難の業だ。あまつさえ、動作一つで首を落とせる向こうと違って、こちらは敵に接近しなければならないのである。

(……詰みか?)

 たとえ犠牲を出しても、せめてエイミーだけは、と思考を切り替えようとした時。

 すたり、とアリエッタが歩み出た。

『アリエッタ!』

『上手くやります。合わせてください』

 咄嗟に念話を繋げば、大きな不安と、それを覆い隠すような決意が返ってきた。何らかの策があると見て、動かそうとした足を止める。事情を分かっていないウィリアムとイロハも、ハニーの後ろで当惑しつつ固まっている。敵と仲間の視線を一身に浴びながら、アリエッタは通路に膝をついた。

「――――」

 何か呟いた直後、彼女の手の旅行鞄にマナが収束。そして、


『Haaaaaa......!』

 アリエッタの前に、巨大な怪物が出現した。


 広い通路を埋めんばかりに、五メートル近い巨躯が立ち上がる。漆黒の鎧。その隙間から顔を出す豊かな体毛。そして爛々と赤く輝く目。すべてに瘴気を纏いつつ大振りのげきを構えるのは、鎧を纏った熊とでもいうべき魔神だ。ただならぬ覇気を伴う眼差しに、蛮族も人質の女性たちも縮み上がっている。

「控え拝せよ。我らが盟主の御言葉である」

 温度のない声で告げながら、アリエッタの手がそっと床を這い、魔神の幻影に触れる。突如として現れた怪物に驚き、その顔を見上げることしかできない蛮族たち(とウィリアムとイロハ)は、彼女の小さな動作に気づいていない。

 はたして、魔神が口を開き、牙の間から言葉を発した。

「――――――」

「『貴様らか。我が贄をかすめ取った不遜の輩は』」

 相手がぽかんとしているのを見てか、アリエッタが相変わらず冷たい声音で通訳する。

「『かの集落は、近々我が贄として捧げられるはずだったもの。それを横からついばむとは、まこと腹立たしい鳥もいたものよ』」

「――――――」

「『その娘どもを寄越せ。さもなくば、我が巫女を依り代に顕現し、五臓六腑を引き裂いてくれようぞ』」

 想定外の要求だったのだろう。蛮族――というよりオーガの顔が混乱と思索に染まる。女性たちも息を飲んでおびえ、すがるような眼差しを向けてくるが、イロハもウィリアムも曖昧な表情のまま、しかしアリエッタを信じるように口をつぐんでいる。

 そんな中で、ハニーは冷静に状況を理解していた。

(ハッタリか)

 ミノタウロスもオーガも召異魔法に明るくないと見て、幻影を用いて芝居を打つことにしたのだろう。かなり大胆な嘘だが、彼らにはアリエッタの言葉の真偽を確かめる術がない。突拍子もない嘘だと断じるのは簡単だが、本当だった場合のリスクを考えると動きづらいようで、二人そろって顔を見合わせながら思案している。

 しばらく流れた不穏な沈黙は、上階から聞こえ始めた怒号と剣戟の音に破られた。ケンタウロスの一団が、上の蛮族たちと本格的に戦闘を始めたのだろう。時折響く悲鳴や炸裂音に、女性たちが肩を震わせる。

「さあ、お早く。我が主は、慈悲深くも冷徹であらせられます。命の保証はできかねますよ」

 と、アリエッタが畳みかけた。一刻も早く要求を飲ませて撤退したい、という焦りと不安が念話のパスを通じて伝わってくるが、そうした感情はおくびにも出していない。舞台女優顔負けの熱演だ。

 その度胸と大胆さが、功を奏した。

「チッ……おい!」

 オーガが促し、ミノタウロスに人質を解放させる。すんなり取引に応じたのは意外だが、交渉の相手がオーガである以上、不思議ではないのかもしれない。少なくとも彼にとっては、人質はなくてはならない資源ではないし、無理にリスクを背負う必要もないのだから。

 女性たちがおそるおそる(生贄呼ばわりされたのだから当然だが)ハニーたちの元まで来たのを見届けると、アリエッタは魔神の幻影を解き、悠々と出口へ歩き出した。ぽかんとしているイロハとウィリアムに、すれ違いざまに目配せしたのを見て、ハニーもサイバースワローを反転させつつ声をかける。

「行くぞ」

 襲えるものなら襲ってみろ、と言わんばかりに蛮族たちに背中をさらしつつも、警戒は続けて通路を進む。途中、上階の剣戟の音にケンタウロスのものらしい断末魔が交じったが、人質を連れたまま助力する訳にはいかない。少々の罪悪感がないではないが、努めて平静を装って洞窟住居を後にする。

 追っ手が来ないことを確認しつつ広場を抜け、たっぷり二十歩、森に踏み込んだところで、

「っっっはぁ~~~~……!」

 まるで魂を吐き出すかのように息をつき、アリエッタはその場にへたり込んでしまった。

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